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2005年11月19日 (土)

「新しい歴史教科書」騒動のくだらなさ

扶桑社版の中学校検定教科書『新しい歴史教科書』(西尾幹二代表執筆者)をめぐる賛否両論の論争について何かを述べなければならないと思いつつ、これまで触れずにきた。
というのも、私が何かを指摘する以前に賛否両陣営から洪水のような指摘が日々報道され、その多くが私の気づいた点と一致していて、改めて指摘する必要がなかったからだ。

ただ一点だけ賛否両陣営とも無視している点がある。それは「教えられる立場」の実情をまったく顧みていないことだ。

「新しい歴史教科書」は中学だが、中学・高校の日本史といえば、大半の生徒は、「定期試験があるから」「受験に出るから」やるというのが主な動機だ。
もし試験に出るという事実がなければ、大半の生徒はほとんど覚えようとはしないはず。否、試験に出たとしても、一夜漬けや駆け込み勉強で切り抜けようとする場合が多い。教科書を作成するなど、歴史教育を考える上で最も憂慮すべきは本来この点である。

受験でいうならば中高一貫教育の学校や、東京都の場合ならば3教科での高校受験を選択した生徒に日本史は関係ない科目である。また受験科目にあったり、定期試験で出される場合も、その大半は一問一答などの「客観テスト」形式であり、賛否両陣営ともども問題視している指摘の大半は答えを導き出す何のきっかけにもならないので、熱い論争は試験や受験という現実そのものを生きている中学生には無価値である。
要するに試験のためだけの歴史教育になっている現状を改めなければ当事者の生徒にとっては何の意味もない論争だといいたいのだ。

この問題が最初に起きた2001年の朝日新聞8月22日の「天声人語」に以下のような記述があった。

(前略)戊辰戦争については10人中2人だけが「聞いたことがある」と答えた。(中略)インターネットを使って国公立大学の大学生から聞いた結果だとして、ある人から教えていただいた

「戊辰戦争」は、どんな傾向の教科書でも必ず掲載されている非常に有名な出来事だ。にも関わらずこの記事が正しければ、その用語を「聞いたことがある」が5人に1人しかいないのである。
戊辰戦争の内容を知らないというのではなく、聞いたことさえないとする人が、一定の知的水準にあるとみられる「国公立大学の大学生」でさえ80%を占める現実には慄然とさせられる。
本来、聞いたことがないはずはない。なぜならば学校では必ず教えていて、特に受験に日本史を選んだ人は知らずに済むはずがない用語だから。

賛否両陣営に問う。教育を受ける側にいる中学生から、この教科書問題の論点を、どちらの側でもいいから、切実感をもって受け入れられたと確信できる何かがあったか。それがないとすれば生徒というまさに教育を受ける主役を無視した空理空論である。
私は史学科の出身である上に歴史に基づく取材をかなりしてきたので高等学校の教科書に載っている事項のほとんどをそらんじている。別に自慢でも何でもなくわずかな特技を磨くことで生きる糧を得ているに過ぎない。
その背景をもとに調べたことがある。私は日本史で受験をして早稲田や慶應義塾のような難関校に進んだ多くの大学生を知っているが受験で覚えたことの大半は忘れている。そりゃあそうだ。あんな瑣末で日常に役立たない知識を覚えていても仕方がない。「天声人語」の指摘はほぼ事実であろう。
つまり日本史という科目は私のような史学科に進むといった自殺行為(文学部の男性は自虐を込めて自らの進路をそう呼ぶ)をしでかす者以外は、トップレベルの入試問題を解けるだけの暗記をいったんした者でさえ合格後は蜃気楼のように消えていくのだ。事実さえも忘れる。だから賛否両陣営が争っている解釈や認識など最初から問題にならない。

もうお里が知れているので卑しい言葉を使おう。必死で論争している方々よ。あなた方のやっていることは中高生の頭のはるか上を通り過ぎている自慰行為だ。

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