特養で知った本当にある怖い話
特別養護老人ホームの取材(ルポ形式)というのは記者ならば誰もが1度はやるのではないか。私も初めて経験して以来「これはすごい」と何度か取材した経験がある。
小誌1994年11月号「お年寄りの自立とは何だろう」
http://www5b.biglobe.ne.jp/~astra/kiroku/back_namber/199411.html
は小誌の大畑太郎が駆け出しの頃の記事である。ここでは私自身のビックリ仰天話を述べたい。
1)「お婆ちゃん。またブツブツ言っている」の正体
その女性高齢者はほとんど起き上がったり立ち上がったりせず、たいていは寝たきりで過ごしていた。他者との会話も不可能である。そしてずうっとブツブツ何かを唱えているのである。食事の時も就寝時間でも聞こえるか聞こえないかの低い声でいつもいつも途切れることはない。
彼女はすでに家族が面会に来ても誰だかわからないほどになっていた。そのことが既に中年に差し掛かっていた娘さんにはつらいことらしく涙ぐむのが常であった。それでも孫を連れてきては話しかける。看護師もかいがいしく声をかける。しかし反応はなくブツブツブツが続く。
「お婆ちゃん。またブツブツ言っているのね」という看護師だか介護士だかの声を私はなぜか聞きとがめた。そして耳をそっと彼女の口に近づけてみた。最初のうちは何だかわからなかったが、やがてあるフレーズではないかと疑いを持ち始める。「もしや」と胸騒ぎして自分の記憶をたどりつつ何度も聞き続けた。
そしてその正体を確信し心の底から恐怖した。
繰り返すが彼女は娘の顔さえ忘れて会話もできない。ところがたった一つだけ唱えていたブツブツは、最後に残ったたった一つの記憶だったのだ。
それは教育勅語だった。
私は大学で日本史学を学んでいたので戦後生まれながら教育勅語の概要は暗記していた。だが看護・介護する人は若くて当然知らない。「朕惟フニ我カ皇祖皇宗国ヲ肇ムルコト宏遠ニ徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ・・・・」を抑揚なく低い声で延々と繰り返したのだ。
強制奉読の際の独特の抑揚こそ消えていたが内容は紛れもなくそうであった。
教育の持つ刷り込みの恐ろしさや、戦前はまだこんなところにも残っているのだという感懐に襲われた
2)優しい家族
その男性高齢者にはいつも笑顔の訪問者がいた。男性高齢者はもはや人の顔を識別できない程であったが訪問者のことはわかるらしく、しきりに固有名詞の呼び捨てで語りかけていた。内容は支離滅裂で私にはサッパリわからないが訪問者はニコニコと聞き、温かな雰囲気が回りを囲んでいた。
帰り際に「お父様ですか」と聞くと訪問者は違うという。親族かと問うとそれも違うというではないか。では何者かと質問を進めたら何と何者でもないという。ずっと以前に同じ施設を訪問した時に(その理由を訪問者は明かさなかった)その男性高齢者が私も聞いた息子とおぼしき固有名詞で呼びかけられて以来、時間が許す限り訪ねることにしているという。つまり赤の他人だったのだ。
もっと不思議なのは調べた限りでは男性高齢者には男子はいないようなのだ。子どもでもない固有名詞で呼ぶ高齢者と赤の他人なのにそれを求めて何の見返りもなく訪ねる訪問者。そんな関係を何と名付けるべきか。
3)人生は五分と五分
重度の認知症になっても性格は存在する。大人しくたたずんでいるばかりの人もあればワンフレーズとワンパターンを繰り返す人もいる。その男性高齢者はヒマさえあれば怒鳴り散らして廊下など公共スペースで騒いだり寝転がったりする「問題児」であった。
ある日、その人が顔にあざを作っているのを見た。どうせ暴れた結果のケガであろうと見過ごしていたが治った頃に別の場所に青あざや打ち身を設けている。不思議になってしばらく見張っていると、どうやら公共スペースの隅の方で「ヤキ」を入れられているのだった。誰がそうしていたかはこの際秘匿するとしよう。
問題はその人物の過去である。できる限り調べてみたら何と元高級官僚で官庁のかなり上位まで上り詰めたエリートだったのだ。しかも当時を知る者によれば彼は現役時代から大変尊大であったという。
私の知る限り、彼には一度も見舞いが来なかった。誰も来ないのである。そして認知症となっても尊大さは変わらない。変わったのはかつては平伏していた相手に今やヤキを入れられてる点である。
私はつくづく人生は五分と五分だと痛感した。
4)ヌシの本当の姿
特養に勤めている全員がヌシと認めている女性がいた。かれこれ10年もそこにいるのだという。年の割りには押し出しがよくてこよりのようなものを作るのが得意だった。
皆が寝静まった頃、彼女は私に話しかけてきた。言葉は清明である。態度もシャンとしている。とても認知症には思えないのでそう問うたら「違う」と明言した。その後にいくらかの会話をしたが記憶力などすべての点で素人の私でもわかるくらい「健常」であった。ただ足に少々の身体障害を持つのを除けば。
彼女もまた誰も訪ねては来ない。しかし身寄りはあるらしい。その身寄りと施設との間に何らかの関係があるらしく彼女は認知症でもないのに特養に居続けている。寂しくないかと聞いたら「ここで私は必要とされている」と答えた。確かに千差万別の動きをする入居者の交通整理のようなことを彼女は甲斐甲斐しく務めてはいた。
時に彼女は看護師などが詰めている泊まり部屋にまでやってきては四方山話をしていく。驚いたことに勤めている側からさまざなな相談が持ちかけられるともいう。
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