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2005年11月 8日 (火)

改憲論議と被害者感情

31ヵ国語に訳された第9条が染め抜かれているスカーフ、憲法理念で解くクロスワードパズル、黒色で書かれた両手が9条の「9」を包むデザインの「ピースインバッジ」、9条の第2項が印刷された土佐和紙のカード、条文に作曲・・・・。小誌1994年8月号特集「日本国憲法へのラブレター」http://www5b.biglobe.ne.jp/~astra/kiroku/back_namber/199408.html
を改めて読むと9条に寄せられた改正派には「偏愛」とも感じられる思いがあるのを思い知らされる。

戦後60年、自民党結党50年。そして来年は日本国憲法制定60周年となり憲法改正の声が高まっている。ただ「日本国憲法改正に賛成か反対か」との問いは愚問だ。例えばガシガシの共和主義者は1条を改正して天皇をなくそうと主張するから「改正に賛成」にカウントされてしまう。憲法のどこをどう改正するのを「賛成か反対か」と問わなければ意味がない。
その点で自民党が9条改正を明確に意図した案を持ち出してきたのは良くも悪くも画期的ではあった。1項は変えずに2項を改めるか。意外の感が否めない。

私が仮に先に愚問とした「日本国憲法改正に賛成か反対か」と問われれば賛成である。理由は単純で現憲法は私の爺さま以上の世代が作ったものだから(押し着せであろうと何であろうと)私は私の世代の憲法を作ってみたいだけだ。爺さま以上の世代はボロ負け戦争をやった世代でもあるからどうも信頼できない。
とは言ってみたものの学齢がタメの前原誠司衆議院議員が民主党代表になってみて改めて「オレたちの世代の・・・・」みたいな期待をかける気にはなれない。何となく彼は我が世代のスタンダードではない気がするからだ。かく言う自分も同じようなものだが。

問題は現在の80歳ぐらいから60歳ぐらいのボロ負け戦争の責任はないが(幼少だったので)戦争の惨禍を目の当たりにした世代の意見である。私はそうした世代の意見をしばしば銭湯で聞いている。おおむねは「あんな悲惨な目には二度と遭いたくない」である。その背景はほとんど被害者意識である。
身内や友人が死んだ。食糧にも事欠いた。死屍累々の光景を見たなどである。そういえば私の父も昔似たようなことを言っていた。「ひどい目に遭った。オレたち昭和1ケタは恵まれない世代だ」なんてね。

あの戦争をやらかした責任者は誰かということはこれまで散々に書いてきた。ただ今となっては戦後60年も経つので国民の大多数に責任はない。厳密にいえば鬼籍に入った爺さま以上の世代も戦前は国民主権ではなかったので軍部の突出を止める法的な権力を持たなかったし婆さま以上の女性は選挙権さえなかった。それを「一億総懺悔」でお前らも悪いと言われても納得がいくまい。まして戦後生まれはなおさらである。

日本の加害責任は1980年頃から盛んにいわれ始めた。国家として日本が加害責任があるというのは正しい。ただオレにはないぞと当時は若者だった私は反発を覚えた。中国や韓国の同世代にそのテーマで詰め寄られた時にも言った。「私は1962年生まれ。戦争は45年に終わった。私にどんな責任があるのか」と。今の言葉で言えばウザいとは思ったがヤバイとは感じなかった。
その時に日本の誰または何に加害責任があるかという点と不戦の誓いとは分けて考えた方がいいと確信した。今や戦時を知る世代でさえ当時は幼少だった。彼らは明らかに被害者であろう。そして日本が確実に復興に向かった1955年(経済が戦前の水準に戻った年)以降の出生者は被害者でも加害者でもない。戦時を知る者が腹の底から戦争反対と感じるのは主に被害者感情によってである。そんな思いをしたくはないと後の世代は語り継がれながら感じてきた。空襲を受けたり徴兵されるなぞ真っ平だと。

現在20歳の若者が両親30歳の時に生まれたとすればちょうど1955年生まれの頃となる。これから成人を迎える世代の親は前述のように被害者でも加害者でもない世代となる。私の世代もまもなく馬群に埋もれることになる。その時に語るべき戦争体験があるとしたらやはり芋の蔓で糊口をしのいだだの、グラマンヘルキャットに機銃掃射されそうになっただのといった若者から数えれば祖父母の戦争被害体験しかあるまい。やがてそれさえも聞いていない世代が親になっていく。
しかし被害感情は日本に対して中韓で根強くいまだに残るように日本でも残るであろう。そしてそれこそが善い悪いは別にして不戦の誓いを立てる最も有効な手段であると思えてならないのだ。

日本人が被害者ズラしているのを変だと中韓の人が訝しがるのは当然である。日本人のなかにも加害責任を声高に叫ぶ人がいる。それは決して間違ってはいない。これでも私は一般よりは日本の加害責任を考えている方だと思う。それでも前述のように正面から「お前も加害者だ」と言われたら「何を」と反発してしまう。
今の若者ならばなおさらであろう。「首相の靖国参拝なんてとんでもない」と主張する大学生の多くから「でもそれをアレコレいう中韓の態度は腹が立つ」という声を私は実際に聞いている。このような大学生は本来は護憲の陣営に誘い込めるのだ。
何でもいいじゃないか。とにかく戦争反対に持ちこめば被害者感情だろうが何だろうが。どんな理由があってもやってはならないのだからどんな理由でもいいのだ。それが被害者感情でも。

その上で何度でも書くが加害責任を含むボロ負け責任は誰または何に負わせるべきかは真剣に冷静に別途に議論すべきである。こう書くと「逃げるのか」と言われるのが嫌だから、これまた何度でも書くが指摘しておく。
個人として近衛文麿と東条英機は絶対に悪い。そして無答責の君主を「大元帥」と見なしてしまった無責任な法体系の空白が悪い。そしてそれらを戦後自主的に裁いていないという一点で我々にも責任がある。
戦後に生を受けた世代は国民主権を生きている。だから今度あのような惨禍を招いたら本当に一億総懺悔をしなければならない。未成年者を除く全員がA級戦犯である。それを心して憲法改正はなされるべきである。

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