« 女系天皇はどうして問題なのか | トップページ | 今の中国は元王朝を目指すのか »

2005年11月 4日 (金)

A級戦犯否定論と天皇の戦争責任論

A級戦犯が合祀されている靖国神社への首相参拝に賛成する人がだいたい言いそうなことは以下の通りである。

①1941年からの大東亜戦争は自存自衛の戦争であった

②1946年から始まった極東国際軍事裁判によってA級戦犯の認定および審理・判決に至ったが、これは勝者による事後法での裁きであり罪刑法定主義の原則に照らして問題点は多い

③1951年のサンフランシスコ平和条約11条の「極東国際軍事裁判」「を受諾」は刑の執行を認めたのであって、それ以上でもそれ以下でもない。その上にサンフランシスコ講和会議に中国も韓国も招待されていない

④1952年から53年にかけての「戦争犯罪による受刑者の釈放等に関する決議」など一連の国会決議によってA級戦犯は国内では犯罪者ではなくなった

⑤1953年の改正遺族援護法が全会一致で可決成立。戦犯遺族にも遺族年金などの支給が認められた。これはそれまでの戦没者と戦犯に差がないとみなしたに等しい

⑥人は死刑または獄死以上の償いをすることはできない。そうなったA級戦犯にさらに何らかの追い打ちをかけるような行為は非人道的である

⑦靖国神社は神道であって日本固有の宗教形式である。多くの英霊の「窓口」として機能しているのだから靖国参拝イコールA級戦犯への参拝ではない。固有の宗教形式ゆえに外国が理解できなくても仕方がない

よって中国や韓国はつべこべ言うなというわけである。
議論がかみ合わないのはこの①から⑥にかけての賛成論者の主張に対して反対論者が反論して収拾がつかなくなるのも大きい。そこで私個人としては違和感もあるが、あえて①から⑥をすべて認めたとしよう。

すると途方もなく大きな疑問が発生する。ではあの戦争の責任は誰が取るべきか、と。

「大東亜戦争は自存自衛」といっても当時は内地と呼ばれていた今の日本国領土が当時脅かされていたわけではない。1910年の韓国併合条約で植民地化した朝鮮半島や1933年に「建国」した満州国や37年から始まった日中戦争で一時的に獲得していた中国領、さらには40年以降に進駐したフランス領インドシナが脅かされていたのである。とくに仏印進駐はアメリカの経済制裁を招いて日本の反米意識を一挙に煽った。
要するに「自存自衛」しようとしたのは帝国主義的な拡大政策で獲得していった支配地を失いたくないという意味である。

ここでも大いに賛成派に譲歩しよう。それは当時の列強がどこでもやっていたことだという説に賛同しようではないか。だから「帝国主義的拡大を阻止する動きを止めるのは自存自衛だ」という論理も認めよう。それでそれは成功したのか。ボロ負けしたではないか。
「大東亜戦争」末期には文字通りの日本本土の自存自衛を考えなくてはならなくなった。事態をそこまで悪化させたものは誰だ。これはハッキリさせねばならない。

要するに帝国主義的膨張を遂げようとした日本の帝国主義的意味での自存自衛という論理を認めたとしても、それが他の帝国主義的列強によって阻止、反撃、喪失されたならば「汚れ同士」といっては酷にせよ、要するに同じような思想でぶつかり合ったのだから良い悪いの度合いも同じだ。
だったらやっぱり勝った者が偉くて負けた方が悪いであろう。だって元来そうした論理構成で押しくらまんじゅうしてたんだから。フランスを見よ。いつのまにか「戦勝5大国」に紛れ込んでいる。国家の指導者たるはかくあれとの見本だ。

そこで賛成者の論理②から⑤である。これは要するにA級戦犯は悪くないというに等しい。靖国はA級戦犯を昭和殉難者とする。被害者だと。だったら加害者は誰なんだ。東京裁判の「共同謀議」論は私でさえ無理があると思う。さあすべて認めた。賛成派よ。ならば先の大戦をボロ負けさせた張本人の名を挙げてみよ。

「昭和天皇」ということになってしまうんだよ! いいのかそれで。賛成派よ。私は靖国参拝問題がこじれて本来の当事国であったアメリカがにわかに興味を持ってそう言いだしかねないのを密かに恐れている。

私は昭和天皇を戦争犯罪者とも責任者とも思っていない。大日本帝国憲法3条を君主無答責規定とみなす説に賛成だからだ。あるとすれば11条の統帥権独立原則と、そこから引いた軍人勅諭の「大元帥」規定であろう。無答責であるべき君主が大元帥でもあった。そこから戦争責任を問うことは可能である。

だが極東国際軍事裁判はアメリカがオーストラリアの反対を振り切って昭和天皇を訴追しなかった。上記の戦前の法体系から生じるすき間を君主無答責の側に最初から重点を置いて進めた。法体系自体の問題点を最初から封じれば無理のある論理が出ざるを得ない。結果として「共同謀議」がまかり通ってしまった。その結果としてのA級戦犯の断罪となった。誰かが責任を取らない限りは示しがつかなかったのは明白だからだ。

同裁判のパル裁判官が示した「戦争における個人責任否定」論を支持する者も多い。だが「個人」が問われなければ大日本帝国全体が悪いとなる。するとこんな国は亡くしちゃえとなりかねなかった。

その意味で靖国合祀のA級戦犯は被害者の側面を持つのは事実だ。だが彼ら以外に適当な責任者はいなかった(見逃された怪しい人物もいるが)。賛成派は「ない」「ない」論議はするが「では真の責任者は誰(または何)であるか」の「ある」論議をしない。現にしないまま今日に至る。その不作為がA級戦犯をずっと悪者にし続けなくてはならない理由の1つであると気づいていないのではないか。

ただし私は以前にも書いたが東条英機には戦争責任があると信じる。あとは裁判前に自殺した近衛文麿だ。

|

« 女系天皇はどうして問題なのか | トップページ | 今の中国は元王朝を目指すのか »

経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: A級戦犯否定論と天皇の戦争責任論:

« 女系天皇はどうして問題なのか | トップページ | 今の中国は元王朝を目指すのか »