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2005年11月 5日 (土)

今の中国は元王朝を目指すのか

モンゴル帝国(中国の国号は元)の時期を除いて中国が東、正確には太平洋岸(日本海や東シナ海も広義の太平洋とする)より東に興味を自発的に向けた時期が同国史上果たしてどれだけあったか。

その長い歴史で漢民族が注意・注目したのは第一に「北」であった。匈奴の昔から最近の中ソ対立まで北は漢民族を脅かしてきた。女真族がいた東北部も広い意味での「北」といえよう。

それがあったが故に次の注目点が「西」すなわち西域となる。北方遊牧民族を牽制するために軍事上・経済上の影響力を及ぼしておかなければならなかった。現在のチベット問題や新疆ウイグル自治区などはその延長線上にあろう。そこ自体に野心があるというよりはそこを押さえておかないと危険だという意味で重要な地域のようだ。

一方で黄河中下流域の「中原」に発した漢民族の活動は次第に「南」へと下がっていく。ベトナムを断続的に「北属」(中国従属)させてきたがこの当たりが南限となる。
15世紀初頭の鄭和の南海大遠征は何のための行為だったかよくわからない面も多々あるが「南」に興味をもったがゆえと判断するのは構うまい。

「東」といえば朝鮮半島がある。古代において漢の武帝が干渉したり唐が新羅と結んで勢力を拡大したが半島をやがて手にした新羅から唐勢力は追われる。16世紀末の豊臣秀吉の朝鮮出兵で当時の李氏朝鮮(李朝)は明に来援を乞うて応じたが自発的かどうか疑問は残る。ただ17世紀前半に清が攻勢に出て事実上服属する。

いずれにせよ朝鮮半島は中国と地続きであるので太平洋岸より先の興味にはならない。

では台湾はどうか。大陸の政権が台湾を朝貢国(小琉球)ではなく明確な版図として意識したのは明の遺臣鄭成功(国姓爺)が1661年に台湾に上陸して「反清復明」を唱えて日本にも協力を求め始めたころからだ。清朝からすれば亡命政権ができたようなもので放っておくわけにはいかず成功から数えて3代22年の83年に康熙帝が版図に組み込んだ。
もしこのことがなければ台湾は文字通り小琉球のまま近代を迎えたかも知れない。というのも1873年に日清修好条規批准書交換のため清に赴いた副島種臣全権使節団が71年に琉球島民が台湾先住民に殺害された問題も交渉したが、清側の反応は台湾先住民は法律の外(化外の地)と表現しているからである。
現在の台湾との緊張はいうまでもなく大陸の正統政権だった蒋介石の国民政府が中華人民共和国に追われる形で移ってきたためである。大陸政権の正統性を揺るがすからつぶさざるを得ないとのニュアンスが強くて目の色を変えた領土的野心とは違う気がする。

日本本土に領土的野心をもった形跡は元朝を除いてほとんどない。文献史学では古事記・日本書紀が甚だ史料として心もとないために7世紀頃までの日本の姿は中国の史書に主に頼るのだが日本についての記載はわずかである上に素っ気ない。有名な魏志倭人伝はかなりの分量こそあるが信じるに足るレベルが記紀と同じくらいというのが痛い。
有名な倭の五王の遣使、遣隋使、遣唐使、日宋貿易、日明貿易は主に日本側のアプローチであった。日明貿易が日本の朝貢形式を取った点をどう考えるかとの議論もあるが日本側が実利を取ったと考えるのが適当であろう。部下が折り詰めを持って上司宅に来れば、上司はもてなした上にみやげを渡す。そのみやげは部下が持ってきた折り詰め以上の品でなくてはいけない・・・・といった感じかな。
だいたい明と清は海禁政策をとっていたのだから太平洋に強い野心があったとは思えない。海禁を破ったのはアヘン戦争を勝利したイギリスだった。以後は日本を含む帝国主義的列強が中国に乗り込む突端として東岸は意識されたが中国側が自発的に興味を持ったわけではない。
いわゆる日中15年戦争の最中ですら蒋介石は海の向こうの日本より対共産党に熱心(消極抗日・積極反共)だった。

ここに漢民族に流れている日本への思いがあろう。長い歴史のなかで東岸よりも向こうのアンタの国には何の迷惑もかけてこなかった。攻めてきたのはアンタの方じゃないか、と。

では日本人の最近の中国への警戒ぶりは何だ。この分野で伝統芸を披露する文藝春秋の『諸君!』創刊から36年(すごく続いているんだね)。今ぐらい中国の太平洋への興味が警戒心として日本人に受け止められている時代はない。
すると太平洋に興味をもった中国史唯一の例外である「元」に今の中華人民共和国はなろうとしている・・・・そういう感じなのか。そういえば元は今の中国が北朝鮮に影響を及ぼしているように高麗を服属させていたしなあ。
元寇を仕掛けてきたクビライは始祖チンギス=ハンの孫世代である。諸説あろうが現代の中国の指導者も毛沢東から数えればそれくらいだ。草原の民から中国を征服した先祖の末であるクビライは一転して強い海洋国家政策をとった。元寇もその一つである。異形の中国王朝といっていい。
ところが史上最大最強国家といわれたモンゴル帝国の中心的存在である元は中国の王朝としては97年と短命に終わる。ちなみに中華人民共和国建国から今年で56年だ。

海洋への武断政策だった元寇は思わぬ副作用を生む。大激戦地だった鷹島に拠っていた水軍松浦党は壊滅的打撃を受けたが、その後は一転して倭寇として中朝沿海部を荒らし回る。元を追って明を建国した太祖洪武帝が取締りを要求したほどだ。
松浦党にしてみれば元寇は「向こうから来て打撃を与えられるならば同じことをこっちから向こうに仕掛ければいいじゃん」との学習機会だったのだ。日本はそういう学習をして突如暴力的になる。中国は伝統的に太平洋を意識せずに大国を維持してきたのだからむやみに突出しない方がいい。

ありていにいえば慣れぬことは止めたがいい。潜水艦なぞウロウロさせない方がいいよ。自衛隊は軍としては甚だ不完全だが対潜哨戒能力は例外的に高いから偶発的な戦闘から面倒なことになるを私は望まない。中国だって「何の迷惑もかけてこなかった」との大義名分を失うのは得策ではなかろう。

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