「TOKYO」を「YOMIURI」にした罰
読者諸賢。巨人戦を観てますか?
私は巨人ファンである。正確にいうとそうだったはずなのだが最近ではすっかり観なくなった。どうでもいいのである。そういう人は多いようでビデオリサーチ社の調べによると2005年のプロ野球巨人戦ナイトゲーム中継の平均視聴率はやっと10%(10.2%)。同社が1989年に月別の視聴率の計測を始めて以来の最低となった。ゴールデンタイム(午後7時から10時まで)でこれではキラーコンテンツどころか救急車が走る「お荷物」である。
昨日(10月2日)の深夜に日本テレビが巨人戦を深夜枠で流していた。ついに御本家でも救急車が走ったのである。さっそく観てみたがウーン違和感がない。その後にプロレスリング・ノアが続いても違和感がない。
毎日新聞にいた頃に「巨人ファン」と告白するとずいぶんと白い目で見られた。何が悲しくて読売の肩を持つんだと。だって毎日の肩を持ちたくても毎日オリオンズは消滅して久しいし(本社にはオリオンという喫茶があったそうだが)何よりもファンの心理として「巨人」イコール「読売新聞」ではなかった。「巨人」は田舎育ちの私にとって憧れの「東京」を象徴する存在だったのだ。
巨人軍の歴史を振り返ってみる。現在につながる本格的なプロ球団は1934年創設の「日本東京野球倶楽部」。翌年に同チームはアメリカに遠征して主にマイナーリーグのチームと多数の試合をこなしたが「日本東京野球倶楽部」のチーム名では堅苦しすぎるために当時ニューヨークに本拠を置いていた人気球団ジャイアンツをまねて「東京ジャイアンツ」の名で試合を行った。この「ジャイアンツ」を日本語訳して「東京巨人軍」、略して「巨人」が誕生したのである。
つまり「東京」の名は単に日本の首都を意味するのではなくアメリカのニューヨーク同様に「国を代表する都市名」として使用されていたし、それがまぶしくもあった。ホームのユニホームには大リーグの人気球団名と同じ「GIANTS」、ビジターでは「TOKYO」。どっちも格好よかった。
正式名称はその後も変わりはした。
1947・・・・大日本東京野球倶楽部を読売興業と改め、東京巨人軍は「東京読売巨人軍」と改称
1992・・・・読売興業を「株式会社よみうリ」と改称
それでも警視庁を東京都警察本部と呼ばないように巨人を読売とは呼称しない。その点が「阪神」とも「ヤクルト」とも違った。別格の趣があった。
ところが2002年「株式会社よみうり」の一部門である東京読売巨人軍が「株式会社読売巨人軍」として独立したのに際してビジター用ユニホームの胸章を「TOKYO」から「YOMIURI」に変更してしまった。私はこれこそが人気凋落の致命傷であったと信じて疑わない。
巨人ファンは全国にいる。一つは東京圏の人達で、彼らは「東京人」という尊大さをやや含む誇りを球団名に託していたはずだ。他方で負けず劣らずに地方に熱狂的なファンがいた。それは私のような多分に東京へのあこがれがそうさせた。セントラルの他の5球団の本拠地球場以外は年に1回来るか来ないかのビジターとして地方に来る時は胸章に輝く「TOKYO」の文字。素敵だったなあ。
それをいきなり「YOMIURI」に変えてしまったのだ。
読売新聞は全国紙だが地方にはその地域だけ暴風雨のように購買層を持つ地方新聞やブロック新聞が強い勢いを持つ。そんな人達に「YOMIURI」の呼称を見せつけるのは「あこがれの東京」の象徴だった巨人が実は読売新聞という私企業の宣伝に過ぎないのだとゴツンとわからせるような行為で皆がしらけて当然である。「新聞だったら要らないよ」というわけだ。何しろ地方では巨人の子会社が読売新聞だと思っている人も結構いるのだから。
実は「『YOMIURI』に変えたら視聴率約10%」とはとても論理的な数字だと感じ入ってもいる。
簡単な試算をしてみる。読売新聞は自称1000万部の発行部数を誇る。日本の人口1億2000万人で単純に割ると約8~9%となるからだ。もちろん読売新聞の読者皆が巨人ファンではないだろうが少なくとも「TOKYO」が「YOMIURI」になっても違和感を抱かない層と推定することは可能である。「視聴率10%」とみごとに符合するではないか。
こうした変化は当の巨人の選手に何らかの影響を与えていないのか。有名な記事が2002年11月7日付のスポーツ新聞『報知新聞』に載っている。前述のようにこの年の初めから「YOMIURI」に変えた。タイトルは「巨人・松井秀喜[移籍決断の裏側]《6》先輩たちの熱い思い…伝統を大切に」で同紙松井勲記者の署名記事である。抜粋して紹介しよう。
公の場で批判めいた言葉を発しない松井が、珍しく漏らしたことがある。「あれはちょっとな…」今シーズン開幕前(中略)ビジター用ユニホームの胸のロゴも「TOKYO」から「YOMIURI」に変更された。
(中略)松井は「なぜ(経営者は)伝統を大切にしないのだろう。巨人のユニホームを着たことに誇りを持っている先輩たちは、果たしてあれで喜んでいるのだろうか」と話した。親会社の社名をロゴにすることは禁じられているわけではなく、採用しているチームは多い。しかし、球界の盟主・巨人には「やって欲しくなかった」というのが、松井の本音だったようだ。
(中略)ユニホームのロゴを変えたことは、松井のメジャー決断と直接かかわった訳ではない。だが、松井の心に何かを沈殿させたように思えた。
この年を限りに松井はニューヨークヤンキースに移籍した。「伝統」「誇り」を人一倍重んじた主軸が去る動機になっていたとしたら現在の選手の士気がいかほどか想像がつく。
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