ドラフトのくじ引きは人道に反する
10月3日、高校生ドラフト会議が開かれてプロ野球12球団が参加した。今年から「改革」の一環とやらで高校生を大学生・社会人と分離して開催された。1巡目の指名で重複した選手に関してはくじ引きというルールだ。
まあ何巡目でもくじ引きにしていた時代より少しは進歩したとはいえようが「くじ引き」が残っていること自体が非人道的行為であるということを何故みなが黙っているのか。私はかねがね憤激にたえない。
普通の就職活動は会社側が求職者から選抜していく。だが「くじ引き」で決めるということは1人の求職者を複数の会社が奪い合うわけだから普通のそれとは逆転している。だったら選ぶ権利は求職者側にあるはずだ。憲法が保障する職業選択の自由に反する。
なーんて。ナベツネさんみたいなことを論じているが私の真意はちょっと違う。本来のあり方は完全ウエーバーであるべきだ。つまり12球団が一体となって興業が成立しているのだから弱いチームを強くして強いチームを弱くするシステムにすれば戦力が均衡化する。その方が興業として面白いに決まっている。その成果が極限まで行き届けばセ・パ各6球団が最後の最後まで勝率5割ラインにへばりつくことになる。ペナントレースは最高に盛り上がるはずだ。そこに参ずる高校生も「プロ野球」という興業自体が盛り上がらなければ自分の身の保障も将来も暗いわけだから賛同しよう。
ところがこれができない。ナベツネさんが反対しているやにも聞くが理由はどうあれ出来ない。だったら一転して優勝劣敗の法則にのっとるしかあるまい。強いチームが生き残り弱小チームは淘汰されて別のオーナーが買い取るか新規球団を募るという方法だ。こちらを選ぶならば1人の求職者を複数の球団が指名した場合は選手が、そうでない場合は通常の一般人の就職活動と同様に球団側が選考すればいい。
その中間に「くじ引き」がある。完全ウエーバーもできない。優勝劣敗も取りたくない。だからといって「くじ引き」はないだろう。人身売買だ。
百歩譲って「くじ引き」を認めたにしても引くのは高校生本人にあるべきだ。指名した球団名を書いたくじを指名された高校生が引くならば筋が通るわけではないが論理的に破たんしている「球団が選ぶ」よりはましである。どうしてそういった議論が出てこないのか不可解でならない。
例えばの話である。私は「もてない男」だから素敵な女性に交際を申し込む時は懇請する。当然だ。一方の素敵な女性は末席の私を含めて数人の男性から選ぶ権利を持っている。これまたいうまでもない。自然の摂理とさえいい得る。ところがドラフト会議は「もてない男」も「もてる男」も一緒くたになって同一の権利を有して「誰が素敵な女性と付き合う権利を得るのか」を「くじ引き」するのである。そんなのは間違っている。それがまかり通るならば「もてない男」のオレは・・・・オレだって・・・・。
じゃあない! 私は正当に権利を行使すべきだといいたいのだ。「くじ引き」も含めてプロ野球の掟だという論理もあろうが選考の瞬間は選ばれる者は高校生であって機構の人間ではないから無理矢理当てはめるのは不条理だ。しかも彼らはまだ未成年なんだよ。可哀想すぎる。
さらにいえば大学生と社会人には自分から球団を選択できる権利を上位指名者に認めている。これも憲法が保障する「法の下の平等」に反するのではないか。
ただし大きな問題が背後にある。それは日本プロ野球機構など興行側の姿勢だ。完全ウエーバーにすると同年に有力選手がいる場合にわざと負けて指名順をあげる恐れがある。打率や防御率を維持してタイトルを取らせるために自軍の選手を休ませたりライバル選手を敬遠漬けにして恥じない風土があるからやりかねない。
日本高野連(日本高等学校野球連盟)が自由獲得に反対するのも「そっちの方が人身売買になりかねない」と暗に興行側を疑っているからだ。
一定期間以外はプロは高校生に一切接触しないとか最高年俸と契約金の条件を絶対に守るとか一定の条件以外の密約はやらないとか裏金やそれに類するサービスをしないとか。それがきちんと守られない限り高野連の疑惑を晴らすことはできない。そうした問題で辞めたはずの「オーナー」が短期間で「会長」なるものに復帰するようでは暗黒だな。ここが根源であろう。
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