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2005年10月28日 (金)

歌は世に連れるのか(上)

「歌は世に連れ、世は歌に連れ」などといわれるが、私は世の中が歌に連られた例は知らない。ただ、世相を後から分析するにあたり、意味深長な流行歌というのは存在する。
代表的な作品を挙げてみよう。ただし、著作権の問題があるために歌詞や楽曲を掲載することは無理。いずれも有名な曲なので、興味を持たれた方は申し訳ないが合法的な方法で入手し、試聴ないしは聴取してほしい。本日は明治維新から1945年の敗戦まで。
●ええじゃないか
徳川幕府が崩壊し、後の明治政府が形作られていくる1867年8月から翌4月頃に起こった熱狂的に踊る民衆運動。「ええじゃないか」とは、踊っている際に発した一種のはやし言葉のようなもので、その言葉を繰り返しながら、時に仮装して集団で役人の止めるのも聞かずに、踊り、行進した。いわゆる「マス・ヒステリア」の例として知られる。
時代の転換点にはやし言葉と熱狂的な踊りを組み合わせた流行が起こるという点では安土桃山時代から江戸時代にかけての歌舞伎踊りなど類例がある。
「ええじゃないか」流行の真っ最中に大政奉還、王政復古の大号令、小御所会議といった幕府崩壊過程が続いていた。こうした政治的大事件を当時の民衆がつぶさに知っていたわけではないが、これまで盤石だと思われていた何かが壊れつつあることを本能的に察し、それが熱狂の形であらわれたとする見方ができよう。

●宮さん宮さん(トコトンヤレ節)
明治維新当初の戊辰戦争(1868年)に歌われ「日本で最初の流行歌」とされる。作詞は品川弥二郎、作曲は大村益次郎といわれ、どちらも旧幕府軍を追討した新政府軍(官軍)の指導者だった。
この曲は、それまで最大の権力だった徳川幕府に「朝敵」と汚名を着せ、それを討つ官軍は「錦の御旗」すなわち「帝王(みかど)」(天皇)のお墨付きであると広く伝えた内容となっている。
天皇は古代からの権威ではあっても、江戸時代頃は政治の実験を握る存在とは一般には認識されていなかった。この曲はそれを覆し、明治維新の骨格である天皇制の到来を高らかに告知した役割を担った。

●東京音頭
1933年に大ヒット。作詞は西条八十、作曲は中山晋平で三島一声と小唄勝太郎が歌った。「ヤットナ ソレ ヨイヨイヨイ」のかけ声で知られ、今でも広く歌われているが、当時のヒットは異様だった。
『東京音頭の氾濫』(高田保著:雑誌『改造』1933年8月号収蔵)によると、ある店がこの曲のレコードをかけると近くの子ども達がまず踊り出し、出前中の店員が麺がのびるのも忘れて追随、タクシーまで車を止めて踊りに加わり、交通渋滞を引き起こしたとある。
この2年前の1931年から始まった満州事変は、後に15年戦争と呼ばれる1945年の敗戦までの第一歩であり、同年には日本が国際連盟を脱退して国際社会から孤立する。先の「ええじゃないか」と同様に、時代の変わり目を庶民が本能的に感じ取り、熱狂に走ったと分析する学者が数多くいる。

●暗い日曜日
1936年にフランスのシャンソン歌手であるダミアが歌った大ヒット曲。同時に多数の自殺を誘ったという伝説をもつ曲。
荘厳な始まりから三連符を基調にした、歌詞も含めてたしかに重く暗い曲である。ただし当時みられた多数の自殺との因果関係は不明。もっとも、あまりにもそうしたうわさが流れたため、イギリスのBBC放送や日本でも放送禁止となった。
この頃のヨーロッパはヒトラー率いるナチスドイツの台頭が著しく、放送禁止などの措置が取られてまもなくの39年には第二次世界大戦が勃発した。そうした重苦しい世相が背景にあって、ある種の人々の心に衝撃的な印象を与えたのかもしれないし、単に自殺者が急増した時期にヒットが重なっただけなのかもしれない。いまなお多くの社会心理学者の注目を集める現象として知られる。

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