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2005年10月10日 (月)

諭吉の丸山真男解釈から総選挙結果を考察

丸山真男は『「文明論之概略」を読む』で福沢諭吉が「知恵」を上から「情報→知識→知性→叡智」に分類していることを次のように説明する。

いちばん上の「情報」というのは無限に細分化されうるもので、簡単にいうと真偽がイエス・ノーで答えられる性質のものです。クイズの質問になりうるのは、この情報だけです。例えば第二次大戦はいつ勃発しましたか、というのは情報のレヴェルの問題ですが、第二次大戦の原因は何かとなると「知識」のレヴェルになり、したがってクイズの問題にはなりえません。
(中略)。現代の「情報社会」の問題性は、このように底辺に叡智があり、頂点に情報がくる三角形の構造が、逆三角形になって、情報最大・叡智最小の形をなしていることにあるのではないでしょうか。叡智と知性とが知識にとって代わられ、知識がますます情報にとって代わられようとしています。「秀才バカ」というのは情報最大・叡智最小の人のことで、クイズにはもっとも向いていますが、複雑な事態にたいする判断力は最低です。

ちなみに丸山の解釈によると土台の「叡智」とは「庶民の知恵とか、生活の知恵」なそうだ。
諭吉は近代の教育に大いなる影響を与えた。「学制」(1872年)の序文に当たる「被仰出書」に「學問ハ身ヲ立ルノ財本」と理学よりは実学を勧め、「邑ニ不學ノ戸ナク家ニ不學ノ人ナカラシメン」と国民皆学を目指した。功利主義と強制教育のタッグに福沢精神が一役買っているのは違いあるまい。すると「すく役立つことを皆に」は○×教育の萌芽とも解釈できる。だから私は礼賛者のように諭吉の個人主義や自由主義を信じてはいない。

丸山にも同様に批判的な見方がある。私は前の世代よりはかなり疑ってかかる側だ。にもかかわらず今回は諭吉と丸山という2人の碩学から学ぶところもあろうかと引いてみようと思う。なぜかというと当ブログで何度か告白している9.11総選挙の意味である。古典を読んでみようというのが私の当面の手段であるとも書いた。
私の仮説は次の通りである。小泉首相は「イエス・ノーで答えられる性質」の「情報」で勝負した。その前に「原因は何か」といった「知識」の争いは吹っ飛んだ。「庶民の知恵とか、生活の知恵」に至ってはまるで消し飛んだ。

800万票ともみられる自民党票の上積みを演出した一部エリートを除く若者は間違いなく小泉改革の犠牲者か犠牲になろうとしている者だ。彼らから未来の明るい感触と現在の自分への自信を奪ったのが小泉政権の4年半だった。「庶民の知恵とか、生活の知恵」の最たるものに「身の危険を察してよける」があろう。ところが彼らは「身の危険」の演出者に熱い一票を投じた。
これが「逆三角形」すなわち「情報最大・叡智最小」の極致だとしたら納得がいかなくもない。「クイズにはもっとも向いてい」るのが「イエス・ノー」で答えるのが得意な「秀才バカ」だというのはわかる。しかし先の姿が私は丸山説と違う。「イエス・ノー」の選択をしばしば間違えながらも親しんではいる「クイズ」でケリをつけようとする「秀才」以外がヤマのようにいるということである。彼らの大半は「庶民の知恵とか、生活の知恵」といった持っていて当たり前の「叡智」がない。だからいつも不安で自信をもてない。その辺は日本青少年研究所の各種調査で痛々しいほど明らかになっている。

「逆三角形」の原因はともかく助長にはネットや携帯電話が大いに一役買っているのではないか。例えば「このブログの善し悪しは何で決めればいい?」と複数の大学生に聞いたら「アクセス数じゃないですか」と異口同音に答えるから驚く。堀江貴文ライブドア社長もニュースバリューを同様の判断でしたらとの提言をしていた。善し悪しは内容の濃さというのが「庶民の知恵とか、生活の知恵」ではなかろうか。それが「最小」になる。

そこを小泉首相は直感的に知っていた。「郵政民営化に賛成か反対か」という「イエス・ノー」の「クイズ」で勝負したのだ。正しい方に○を付けられずに成績が振るわなかった者も「クイズ」形式は親しんでいる。だから「わかりやすい」との評価を得た。本当は「無限に細分化され」た一つにすぎないのに。

逆に「郵政民営化には賛成だが通常国会に出された郵政民営化関連法案は○○などの点で真の意味の改革案とはいえない。したがって・・・・」という主張は「知識のレヴェル」ということになり「逆三角形」ではより小さな力しか発揮しないということになる。

本来ならば三角形に形を戻すのが最良であろうが今の相手には通じない。すると別のより楽しめる「クイズ」で逆襲するか、「クイズ」の集積が決して何も生まないという結果を味わって、つまり日本が敗戦直後のようにどん底に落ちて「庶民の知恵とか、生活の知恵」が呼び覚まされるのを待つか。「究極の選択」ともいうべき局面に日本は立たされているのかもしれない。

私たち出版人はせめて「知識」の段階で読み手を引きつける努力をすべきであろう。しかし成果主義という「イエス・ノー」の論理ではままならない。「情報→知識→知性→叡智」の分類はそのまま「本が売れる法則」に当てはまりそうだから恐い。だったら「情報」で十分な分野では「情報」で稼ぎつつ、それを「知識→知性→叡智」につぎ込むしかない。消耗戦だなあ。

追伸 当ブログをたびたび取り上げ下さる日刊ベリタさんに感謝します。貴社の連載者にベンジャミン・フルフォード氏を見つけました。フルフォードさん元気ですか。

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