少子化・人口減少による戦争抑止
10月17日に小泉純一郎首相が靖国神社に参拝した。そのこと自体はいずれ考察するとして靖国を訪れるたびに思うのは「戦前の日本は靖国神社が必要だったんだな」である。それだけ英霊が生まれるチャンス?があったのだ。言い換えると戦争ばっかりしていたのである。
さて現在経済的に比較的豊かという意味での「先進国」で合計特殊出生率が2を超えている国は稀である。日本は1.29とどん底で更に下がるとさえいわれている。どうやら今年から人口減少が始まったらしい。本格化すると年に40万人という単位で減っていくそうな。毎年毎年大戦争をやって戦死者をおびただしく出しているに等しい数値である。食糧が有り余るほど経済的に豊かになると人口は減少に向かう・・・・マルサスが聞いたらびっくりするだろうな。
昨日の記事に書いたように日本は明治維新後、基本的に人口増のトレンドにあった。その波長と「戦争ばっかりしていた」との事実は重なり合わないかというのが今日の私のテーマである。
先の「先進国」のうち例外的に「2」を超えているのがアメリカだ。と同時にアメリカだけが例外的に1945年以降も「戦争ばっかりしてい」る。戦後60年の間に大小含めれば20回ぐらいの対外戦争やら紛争に首を突っ込んでいる。
もちろんアメリカの人口増が戦争と単純にリンクしないことは知っているつもりだ。人種・階層などで出生率に大きな違いがある。だがそうとわかっていた上でなお
●戦争が出産を促す
または
●人口増が戦争の誘惑を駆り立てる
という仮説は考察に値しないか。
以前ニュースを見ていたらパレスチナの若い女性が「(イスラエルに)3人の子どもが殺されたら私は4人の子を産む。イスラエルの弾圧には屈しない」旨のコメントを述べていた。そういう「戦争が出産を促す」ともいうべき発想は少なくとも今の日本にはない。
「戦争が出産を促す」ならば「平和が少子化を促す」可能性がある。ならば少子化もいいのかもしれない。すでに始まった人口減少もまた「人口増が戦争の誘惑を駆り立てる」の正反対の現象である「人口減が戦争の誘惑を萎えさせる」効果があるともいえる。
例えば今からどこかと戦争をやるとしよう。徴兵制が復活して20歳以上の若者が戦地に送られるとして親世代は戦前のように日の丸を振って出征を見届けるか。今や親世代自身の自己愛の一部に子どもが組み込まれている時代に、である。とんでもあるまい。
恐らく敵と戦う前に政府と若者の親世代との内戦が起きる。ヨン様に向いていたおばさんパワーが一斉に国会議事堂と首相官邸に向かうぞ。警察官や自衛官も自らの職務よりも子ども可愛さが上回る親世代がわんさかいるに違いないから、おばさんパワーを阻止するどころか一緒になって突入しかねない。平成のおばさん一揆だ。シュンとして動かないのは当の若者だけ、なんて光景が目に浮かぶ。
どうしても戦争しなければいけないのならば親世代の私たちが行くわ!と親バカ軍団が言い出すかもしれないが、こうなると「負け犬」が黙っていない。独身子なしの私を始めとした「もてない男」の大集団も間違いなく合流する。
我々は戦争は若者がすべきであると主張する。私は戦前の基準ならば赤紙が来る上限の約45歳までもうちょっとだ。それを出征せよなどとはとんでもない。勝ち組の可愛い可愛いお子様に国を守ってもらいましょうと開き直るぜ。リベンジの大チャンスだ。かくして若者を戦地に送るか否かでおっさん・おばさん世代も対立し結果として戦争どころではなくなる。
それでもどこかの国が我が国に攻め込んできたら自衛のために戦わざるを得ないが一体そんな酔狂な国がどこにあるのか疑問である。
高齢社会で人口減がトレンドになったということは戦争はできないという意味である。逆にいうと戦争でもしないとこのトレンドは逆転しないが上記のような親バカ爆発で対外戦争の前に内戦だ。かつて西郷隆盛は「内乱を冀ふ心を外に移」す目的で征韓論を論じた。だが人口減社会ではこのような国民の不満を対外戦争で解消させるという効果は期待できないどころか正反対に「外に移」す策謀が「内乱を冀ふ」方向に転化しかねない。
日本のなかにいる戦争やりたい人々よ。その前にヨン様ファンが襲いかかることを気にされたい。
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