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2005年10月

2005年10月31日 (月)

QUEEN+Paul Rodgersを観てきた

本日(10月30日)午後5時から横浜アリーナで開催された「QUEEN+Paul Rodgers」に行ってしまった。その感想から

聞き終わって最初の感想は「やっぱり懐メロだなあ」である。冒頭にエミネムの曲が流れたのは不可解だったが後の構成はライブアルバム「RETURN OF THE CHAMPIONS」とほぼ同じ。新曲ゼロ。QUEENのファンは泣きながら聴いていたようだが私はいかなオヤジバンドでも新味がないとつまらない。
あれではFreddie Mercuryの死で彼のヴォーカルを聴けなくなった後にQUEENファンになった人と「何が何でも」のガチガチファン以外には懐メロ以上の何物でもない。にしてはS席12000円は高すぎだ。フジテレビにしてやられたか。

ただ間近に観られる席だったので一度じっくり見てみたかったBrian Mayの指の動きまでつぶさに観察できた。それで驚いたのだが若い頃は天才ギタリストの一角と信じていたBrianも今の基準で判断すると、あの程度の弾き手は今やいくらでもいるとわかって愕然とした。「速い!」と思っていたのだけどね。
といって彼の先達であるJimmy Pageのように腕そのものが衰えたわけではない。だから一層、古今の隔たりを感じてしまった。

「RETURN OF THE CHAMPIONS」がそうだったから覚悟していたが途中のQUEEN残党コーナーは不要ではなかったか。Brianが「桜」を織り込んだソロを披露したが「ヘビメタさん」のMarty Friedmanの方が数倍面白い。

Paul Rodgersはよかった。といっても私は初めて実物を見たので、その価値はあったというぐらいだ。ただあの年にしては抜群の声量なのは称賛に値するが若い頃のような伸びやかさが若干薄れていたのは仕方がないか。
小田和正が最近よくやるようなカット唱法を時折見せたのは残念。全体にQUEENの曲を自家薬籠中のものにしているとは言い難かったのも企画が企画だけにやむを得ないのかなあ。
ただしAll Right Nowだけは良かった。さすがに自分の曲だけあって群を抜いたパフォーマンスだった。この1曲だけは聴く価値があったが、それで1万円超はCP高過ぎと友里征耶風。

日本公演に合わせたらしいI Was Born To Love YouはBrianのアコーステックでRoger Taylorとともに歌ったがイヤイヤな感じだった。まああの曲は元々はFreddieのソロだったからね。でも2人で苦笑いしながら歌うのはどうかなあ。
Teo Tori AtteもBrianが歌って日本語パートが終わったところでPaulがウオーと巻き上げて終了。私はこの曲をまったく評価していないが日本で先行して売れた御礼として作られたといういきさつがあるからあってもいい。でも同時に、それゆえにこの曲だけはFreddieじゃないと意味をなさないと実感。
Bohemian RhapsodyはFreddie存命中からライブではガッカリスポットとされていたから驚きはしなかったが巨大なスクリーンにFreddieが映されて彼の歌声が流れるというのはどうかしら。熱狂して泣いている人も大勢いたが私は薄気味悪かった。

最後に主催者に苦言。アリーナは新日本プロレスみたいに花道を作り、観客席に延びる形の凸型の舞台を用意した。そのアイデアはよかったのだが観客席と花道の間の通路に、つまり最もQUEEN+Paul Rodgersの演奏者に近い位置となる通路が恐らくは立ち見席を買ったと思われる客で埋め尽くされていた。これではS席を買った人への詐欺行為である。埋まった後に排除しようとしていたが一旦そうなったらできないのは常識。結局そのまま始まって正直者がバカを見る羽目となった。

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2005年10月30日 (日)

もしかして小泉首相は左翼か

もしかしたら今起きている諸現象は「右傾化」ではなくて「左傾化」でないか。何てバカなことをと思われるかもしれないが郵政民営化関連法案に反対した造反議員の除名・離党勧告処分を機に改めてそんな気がしてきた。

まず小泉首相の手法である。小選挙区制という背景もあるが今や党が議員の生殺与奪の権を握っている。かつての「自分党」ではなくなってきている。まさに分派の存在を許さないレーニズムの「鉄の規律」をほうふつとさせる。

首相の決断は党が決めたこと。連立与党の公明党と折り合った与党案はイコール国会で成立すべき案件。閣僚人事はすべて首相の独断で決定する。首相の任期は党総裁の任期で決まる。これって「前衛たる党」「民主集中制度」ではないか。
造反議員の大半が泣きの涙ですがるように小泉首相にすがりつくのは大変みっともない。そんなことは造反議員も百も承知であろう。でもそうしないと「党ありき」の現行制度ではやっていけないわけだ。

以前にも述べたが9.11の郵政民営化解散は「一点突破・全面展開」であった。まさに毛沢東が国民政府軍を蹴散らしたかのような成功を収めた。「構造改革」は旧日本社会党の用語である。

郵政民営化とは社会主義者が唱えていた独占資本および金融資本の解体であったといえなくもない。

まだまだ疑える。多くの識者は小泉改革によってフリーターなど展望の開けない状況に陥った被害者のはずの若者がなぜ総選挙で自民支持だったのかと指摘しているが、小泉改革とは「総中流」をブルジョアとプロレタリアートに分断して「官から民に」の「民」とはプロレタリアート(=若者達)を指すのだと暗示させたのではないか。だったらわかる

クールビズは選挙中には軍服に見えた。他の党首がスーツであるに対して背広とネクタイといった機動性に劣る飾りはなげうち、といって白いワイシャツのような敵にすぐ見つかる格好も小泉首相はしていなかった。歴史上の有名な左翼革命家の多くは軍服姿のイメージが強い。
そして首相本人もまた「革命だ」に近い言葉を連発してきた。「奇跡を起こす」「殺されてもいい」「私は非情だ」などである。いずれも窮地に立った左翼革命家が絶叫しそうなフレーズである。

そして就任当初から「特攻隊員に似ている」といわれたあの面立ちである。確かに軍人顔である。小誌はかつて「革命家は格好いい」との企画を立てて世界中のの有名左翼革命家の写真を収集した。するとひと味もふた味もある個性的な顔が並ぶんだ。レーニン、スターリン、毛沢東、ホー・チ・ミン、チェ・ゲバラ、カストロ、チトー・・・・。誰もが一人として「たるい顔」がいない。そして目が笑わない。ジャニーズ系なんていわれている某党首なんて論外だね。
「さようなら日本社会党」という企画を小誌でやった時には日本の社会主義者・共産主義者を集めてみた。これがまた同じような顔の系譜にいるのだ。
最近の日本共産党はポスターに貼られる候補者が皆で微笑を浮かべている。独得の「共産微笑」である。委員長の志位氏は「冷徹な共産主義者登場」というイメージが強烈な不破哲三(このペンネームもすごいね)氏とは対照的な村夫子然としたお顔である。社民党の福島代表は自分の言葉で話しているのに棒読みに聞こえるという稀な能力をお持ちである。岡田克也前民主党代表も含めて皆が皆マイルドになってしまった。
おそらく理由は多分に「左翼=怖い」のイメージを払拭したいか自分達はそうではないとのアピールであろう。

それは成功した。結果として怖くなくなってしまったのである。小泉首相以外は。彼は怖い顔して前衛政党の独裁者として身ぶり手ぶりの絶叫調演説でアジテーション(ワンフレーズとは要するにアジのことでしょう)を繰り返して議会制民主主義を無視するような総選挙に打って出た。

報道によると後継者まで自分で決めるという。こうなると冷戦時代のクレムリンだね。党最高位の者が後継者指名をする。総選挙後の「後継者は誰だ」報道を見ているとソ連書記長の立ち位置から判断して誰が序列2位だとか3位だとか消えたとかを推察していた西側マスコミとそっくりである。

ちなみに軍国化は革命と少しも矛盾しない。むしろ革命は銃口から生まれるのだ。だから9条を変えようともくろむからといって、というかもくろむからこそ小泉政権は革命政権だともいえるのだ。

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2005年10月29日 (土)

歌は世に連れるのか(下)

本日は戦後の曲を紹介する

●青い山脈
敗戦の4年後の1949年にヒット。作詞は西条八十、作曲は服部良一で藤山一郎と奈良光枝が歌った。「りんごの歌」と並んで敗戦直後の代表的なヒット曲である。
戦争が終わって明るくなった世相を背景に、「夢」や「花」といった伸びやかなイメージが歌詞に並んでいる。なかでも注目されるのは2番の冒頭で、「古い上着」に別れを告げるという内容になっている。
歌詞に曲をかぶせると、いかにも軽やかに「古い上着」を脱ぎ捨てているという印象を受ける。戦中に「一億火の玉」などと力が入りまくっていた「古い」時代をこう簡単に脱ぎ捨てられるのかというほどに軽やかなのだ。それが日本人のいいところなのか悪いところなのか、考えさせられる。

●ハチのムサシは死んだのさ
1971年に発表されて翌年に大ヒット。作詞は内田良平、作曲は平田隆夫で、平田隆夫とセルスタ-ズが歌った。
タイトルにある「ハチのムサシ」は血気にはやる性格で、小さな身体を省みず太陽に挑戦する。結果は見るも無惨で、文字通り燃え尽きて死んでしまう。でもムサシの死に関係なく世の中は何ごともなかったかのように続いていくのだ。
この頃はかなりの数の学生が日米安全保障条約の改定に反対する学生運動を起こしていた。しかし激しい反対運動にも関わらず条約は70年に自動延長され、反対運動に参加した多くの学生は無力感に襲われる一方、さらに過激な活動に走る少数の者もあった。彼らが起こしたのが71年のよど号ハイジャック事件であり、この曲がヒットした72年のあさま山荘事件だった。
学生運動の敗北感と、一つの時代の区切りを自らつけようという主体性の両方が感じ取れる曲といえよう。

●傘がない
同じ1972年にヒットした井上陽水作詞、作曲、歌。マスコミが大きな事件や政治問題を報じているが、そんなことよりも、雨天の今日、恋人の女性に会いに行きたいのに肝心の傘がみつからないという状況を切々と嘆いている曲である。
学生運動に代表される「若者の政治の季節」が終わり、それよりも身の回りの関係を大切にしていこうという気風が大きくなってきたことを如実に物語る曲として、当時から大きな話題になった。同じようなモチーフは75年にバンバンが歌ってヒットした「いちご白書をもう一度」にも見られる。作詞、作曲はユーミンこと荒井(現姓は松任谷)由実。

●めだかの兄弟
82年末にリリースされて主に83年にヒット。作詞は荒木とよひさ、作曲は三木たかしで、「わらべ」という名の少女3人のユニットが歌った。
歌詞は、「めだかの兄弟」が将来の夢を語り合うものの、成長したらめだか以上にはなれなかったという内容。少女が歌った童謡風の曲だったこともあり、将来に大きな夢を抱けなくなった子ども達の息苦しさを代弁した歌詞だという解説もあった。
70年代末から80年代にかけては、多くの校内暴力が社会問題化し、その一因が「詰め込み教育」にあるとも指摘されていた時代だった。武田鉄矢主演のドラマ「3年B組金八先生」は、1980年に放映が開始されたが、その多くが落ちこぼれや校内、家庭内暴力をモチーフにしていた。曲がヒットした83年には、東京の中学校で暴力を振るう生徒を先生が刺すという衝撃的な事件が発生している。
こうした教育問題を背景に80年からは、それまで難化の一方だった教育を改めた「ゆとり教育カリキュラム」が始まった。今まさに議論の中心にいる「ゆとり」の原点を考えるとき、考えさせられる一曲である。

●大きな古時計
2002年にヒットした「大きな古時計」で、平井堅が歌ったアメリカの古い童謡である。
歌詞は祖父の誕生と同時に新品として家にやってきた「大きな古時計」が祖父の死後も動き続けたが、100年たって動かなくなって、それでも家に置かれて一定の存在感を保っているという内容だ。
この曲は童謡として日本でもずいぶん前から歌われていたが、ここで改めてヒットしたのはなぜでか。現代は戦後営々と築き上げてきた経済中心の繁栄が止まり、先が見えなくなっている。経済成長は今の若者の祖父の世代が主に担ってきた。彼らの多くはやがて平均寿命に達する。少し上の敗戦直後で中堅だった者はもう80代以上。祖父が残した古時計はもうすぐ止まってしまう。それを懐かしむ歌を若者が支持するのはどういう意味が込められているのか。

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2005年10月28日 (金)

歌は世に連れるのか(上)

「歌は世に連れ、世は歌に連れ」などといわれるが、私は世の中が歌に連られた例は知らない。ただ、世相を後から分析するにあたり、意味深長な流行歌というのは存在する。
代表的な作品を挙げてみよう。ただし、著作権の問題があるために歌詞や楽曲を掲載することは無理。いずれも有名な曲なので、興味を持たれた方は申し訳ないが合法的な方法で入手し、試聴ないしは聴取してほしい。本日は明治維新から1945年の敗戦まで。
●ええじゃないか
徳川幕府が崩壊し、後の明治政府が形作られていくる1867年8月から翌4月頃に起こった熱狂的に踊る民衆運動。「ええじゃないか」とは、踊っている際に発した一種のはやし言葉のようなもので、その言葉を繰り返しながら、時に仮装して集団で役人の止めるのも聞かずに、踊り、行進した。いわゆる「マス・ヒステリア」の例として知られる。
時代の転換点にはやし言葉と熱狂的な踊りを組み合わせた流行が起こるという点では安土桃山時代から江戸時代にかけての歌舞伎踊りなど類例がある。
「ええじゃないか」流行の真っ最中に大政奉還、王政復古の大号令、小御所会議といった幕府崩壊過程が続いていた。こうした政治的大事件を当時の民衆がつぶさに知っていたわけではないが、これまで盤石だと思われていた何かが壊れつつあることを本能的に察し、それが熱狂の形であらわれたとする見方ができよう。

●宮さん宮さん(トコトンヤレ節)
明治維新当初の戊辰戦争(1868年)に歌われ「日本で最初の流行歌」とされる。作詞は品川弥二郎、作曲は大村益次郎といわれ、どちらも旧幕府軍を追討した新政府軍(官軍)の指導者だった。
この曲は、それまで最大の権力だった徳川幕府に「朝敵」と汚名を着せ、それを討つ官軍は「錦の御旗」すなわち「帝王(みかど)」(天皇)のお墨付きであると広く伝えた内容となっている。
天皇は古代からの権威ではあっても、江戸時代頃は政治の実験を握る存在とは一般には認識されていなかった。この曲はそれを覆し、明治維新の骨格である天皇制の到来を高らかに告知した役割を担った。

●東京音頭
1933年に大ヒット。作詞は西条八十、作曲は中山晋平で三島一声と小唄勝太郎が歌った。「ヤットナ ソレ ヨイヨイヨイ」のかけ声で知られ、今でも広く歌われているが、当時のヒットは異様だった。
『東京音頭の氾濫』(高田保著:雑誌『改造』1933年8月号収蔵)によると、ある店がこの曲のレコードをかけると近くの子ども達がまず踊り出し、出前中の店員が麺がのびるのも忘れて追随、タクシーまで車を止めて踊りに加わり、交通渋滞を引き起こしたとある。
この2年前の1931年から始まった満州事変は、後に15年戦争と呼ばれる1945年の敗戦までの第一歩であり、同年には日本が国際連盟を脱退して国際社会から孤立する。先の「ええじゃないか」と同様に、時代の変わり目を庶民が本能的に感じ取り、熱狂に走ったと分析する学者が数多くいる。

●暗い日曜日
1936年にフランスのシャンソン歌手であるダミアが歌った大ヒット曲。同時に多数の自殺を誘ったという伝説をもつ曲。
荘厳な始まりから三連符を基調にした、歌詞も含めてたしかに重く暗い曲である。ただし当時みられた多数の自殺との因果関係は不明。もっとも、あまりにもそうしたうわさが流れたため、イギリスのBBC放送や日本でも放送禁止となった。
この頃のヨーロッパはヒトラー率いるナチスドイツの台頭が著しく、放送禁止などの措置が取られてまもなくの39年には第二次世界大戦が勃発した。そうした重苦しい世相が背景にあって、ある種の人々の心に衝撃的な印象を与えたのかもしれないし、単に自殺者が急増した時期にヒットが重なっただけなのかもしれない。いまなお多くの社会心理学者の注目を集める現象として知られる。

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2005年10月27日 (木)

ハンセン病訴訟と裁判所の役割

昨日に引き続きハンセン病補償法(ハンセン病療養所入所者等に対する補償金の支給等に関する法律)について考える。
同法は第一条に法律を適用する主語として「ハンセン病療養所入所者等」とある。ではこの「ハンセン病療養所入所者等」とは何かというと第二条の「定義」で

・国立ハンセン病療養所
・その他の厚生労働大臣が定めるハンセン病療養所

の入所者をさすとされた。
そして第十二条で「この法律に定めるもののほか、補償金の支給の手続その他の必要な事項は、厚生労働省令で定める」とある。

そこで厚生労働省は「厚生労働省告示第二百二十四号」で「第二条の規定に基づき、厚生労働大臣が定めるハンセン病療養所」を定めている。同告示には「ハンセン病療養所」を5つに分類して規定しているが韓国や台湾の療養所に関する明文規定はない。といって否定してもいない。

民事裁判で争ったということは原告・被告双方に言い分があるからだ。民事の場合は法律にどのような解釈をするかが問題になる。今回の訴訟はピタリと当てはまる判例は存在しない。また民事全体の約3割を占める和解とならないまま判決に持ちこまれたということは被告が譲らなかったと考えていい。

こうなると裁判は文字通り民事訴訟法第247条の「裁判所は、判決をするに当たり、口頭弁論の全趣旨及び証拠調べの結果をしん酌して自由な心証により、事実についての主張を真実と認めるべきか否かを判断する」という自由心証主義に基づいて行うしかない。韓国と台湾の訴えは極めてよく似ているが全く同じでもない。また裁判官の心証が違ってもおかしくはなく、むしろ違いが全然なければ民事訴訟法違反の可能性さえ出てくる。

確かに原告の訴えを認めた東京地裁民事38部の判断の方が退けた民事3部よりも妥当であると私も思う。韓国側の原告団の方は誠にお気の毒である。だが、だからといって違った判断が出たこと自体を批判するのはおかしい。自由心証主義が揺らいだら裁判全体の信頼性が失われるからだ。

民事裁判の数は膨大である。司法記者でさえすべてを把握しているわけでもなく懇意にしている事務官に「面白いの何かない?」などと聞いて拾っていく。記者はそれでいいが裁判官は「何かない?」などという甘い取り組みでいい訳がなく百科事典のような資料を読みまくって法廷を開いて・・・・と「オレにはとても無理だ」という作業量をこなしている。
「裁判官からは抜けない」のも常識である。刑事事件の場合だったら検察官が時折もらしてくれることがある。もっともこれはこれで大変危険ではあるが。民事・刑事ともに情報源になるのは弁護士だ。本当は裁判官が「こうするつもりだ」と漏らしてくれれば最高だが不可能に近い。ましてや今回のような大ニュースではなおさらである。それだけ裁判官は孤独に黙して最後に決断する。
例外は最高裁か。といっても最高裁の場合は裁判官から抜けるというのではなく態度でどうなるか想像がつくのである。例えば「弁論を開く」と決定すれば「高裁までの原判決を見直す」と同義である、といった具合に。

ただし判断の分かれたポイントに「立法趣旨」があるのは気になる。前述のようにハンセン病補償法は「厚生労働大臣が定めるハンセン病療養所」を含み「必要な事項は、厚生労働省令で定める」。
「省令」とはこの場合、国家行政組織法に基づいて厚生労働大臣が発する権限がある命令である。それらを一般の人が知りうる状態におく行為や形式が「告示」であり、それらに旧植民地の「療養所」を触れていない、または明白に「国立療養所だった」とか「大臣が定める療養所だ」とない以上は「法の趣旨なのか」という疑いを入れる合理的な理由が生じてしまう。

省令や告示はいうまでもなく法律を越えてはいけない。それらに中国や韓国の「療養所」が含まれていないのは、そうすると法律を越えてしまう、つまり「立法趣旨」にもとると判断すれば民事3部の判断もわかる。逆に越えもしないのに大臣が告示しなかっただけだとなれば民事38部の判決でいい。ハンセン病補償法は議員立法であるから「立法趣旨」はより重いテーマとなろう。

大臣の権限でできることなのだから救済すべきだとしたら厚生労働大臣が決断すれば終わりだ。裁判もしなくてすむ。今の厚労相は尾辻秀久参議院議員だ。ホームページによると英霊顕彰運動を推進し「我が国に対する一方的な断罪と自虐的な歴史認識を是正」するのが政策だそうな。ダメだこりゃ

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2005年10月26日 (水)

ハンセン病補償法訴訟判決と光田健輔

日本の植民地時代に強制隔離された韓国と台湾のハンセン病施設入所者がハンセン病補償法に基づく補償を求めた裁判の地裁判決が05年10月25日に出た。台湾訴訟では原告側勝訴、韓国訴訟では原告側請求の棄却と判断がわかれたが敗戦の1945年8月15日までの旧植民地でのハンセン病患者はなぜそうした扱いを受けたのかを改めて振り返る。

強制隔離・監禁・断種・・・・。ハンセン病患者が歩んだ苦難の歴史は日本で考えられて旧植民地でも実施された。なぜハンセン病患者にこれほどむごい対応をしてきたかを考えるに当たって光田健輔(1876~1964)の名を忘れてはならない。

かつて「らい病」と呼ばれたハンセン病は「死の病」とみなされ、強制隔離政策が採用された。その中心となったのが光田である。彼は「救らいの父」とも呼ばれたハンセン病の専門家で、生涯をハンセン病に費やした学究だった。
彼はそれまで原因不明の奇病とされていたハンセン病をらい菌による伝染病と規定した。最先端の学説を取り入れ、さらに詳細な検討を加えた結果、彼はハンセン病を「強い伝染病」とみなし、強制隔離を推進する立場を取った。

ここで重要なのは、光田は決して悪意ではなく、むしろハンセン病に全人生をかけた学究だったという点である。いいかえれば強制隔離・監禁・断種といった非人道的行為は、純粋な悪意によって生まれたわけではないのだ。ハンセン病国家賠償訴訟熊本地裁判決(2001年5月)を「正義に満ちた歴史的判決」とする「ハンセン病資料館」の紹介でも「らいに明け、らいに暮れた光田健輔の足跡は是とするも非とするも、日本のらいの歴史の中で一つの時代を画した生涯であり、その時代的背景を見ずして語ることはできない」とされた。
今回の訴訟を提起した台湾と韓国の元患者は日本本土以外のハンセン病患者をも救おうと考えた光田の「善意」が生んだ悲劇ともいえる。そこに植民地支配特有の日本人職員による差別に基づく暴力を受けるなど非人道的な扱いを受けた。そして敗戦で日本が撤退すると同時に台湾と韓国の療養所に入っていた人も放り出されることになる。

さらに続きがある。光田の「強い伝染病」説は戦後完全に否定され、日本の厚生省(現在の厚生労働省)は1964年の「らいの現状に対する考え方」を発表し、らい菌の伝染力はきわめて微弱と認めた。同時に47年のハンセン病特効薬「プロミン」の国内導入開始以来、55年代ごろまでには特効薬の「国内外での評価が確定的なものにな」った(熊本地裁判決文)。「きわめて弱い伝染力」と「治る」ということが明らかになったのだ。

この頃に韓国と台湾は日本統治の残滓ともいえる強制隔離政策が廃止された。ただその後も漫然と政策を続けた日本と同様に次のような新たな偏見を患者・元患者に残すことになる。

「きわめて弱い伝染力」と「治る」の見解発表は、ハンセン病への偏見を正すという「善意」に基づくものであろう。ただしこの解釈が問題となる。
まず「きわめて弱い伝染力」という言葉が、「弱いとはいえ伝染するのだ」というニュアンスとなった。ハンセン病はらい菌そのものの毒作用で発病するのではなく、それに感受性をもつ人が発病する。また、「治った」という状態も、身体から菌がいっさいなくなったという状態を意味するわけではない。これは何もハンセン病に限ったことではなく、現在の結核なども同様である。それらの知識がないまま「伝染する」だけが一人歩きした。
そして「治る」である。この結論は、結果的にハンセン病に対する無関心を呼び起こした。「滅多にかからず、治る病気」ならば私には関係がないと多くが考え、やがて重大な差別を受けた患者・元患者の存在すら忘れられていった。
その結果、「隔離規定の違憲性は、遅くとも昭和35(1960)年には、明白になっていた」(熊本地裁判決文)にも関わらず、隔離を容認したらい予防法は日本では1996年のらい予防法廃止法の成立まで存続したのである。

要するに光田健輔の存在も「きわめて弱い伝染力」と「治る」という見解も、ハンセン病患者への悪意が前提にはなってはいない。にも関わらず恐るべき人権侵害をもたらした。そしてとくに「治る」とされてからの無関心が人権侵害を隠してしまったのである。

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2005年10月25日 (火)

DEATH NOTEのキラと小泉純一郎

少年ジャンプの人気連載マンガに「DEATH NOTE」がある。主人公はイケメンの少年で今は警察庁に勤めている。彼がもつDEATH NOTEとは死神から渡されたもので基本的にはそこに顔を知った者の名前を書けば書かれた相手は死ぬという設定だ。

主人公は最初DEATH NOTEが本当に機能することに煩悶したが、やがて生かしておいても仕方がないと主人公が判断した犯罪者の名を次々に書き込んで犯罪のない清潔な未来を創造しようと思い立つ。善意ではあるが単純な二元論で犯罪者の名を書き込む主人公はやがて「キラ」と自称する。

最近になってこの「キラ」と小泉純一郎首相が二重写しになって仕方がない。単純な二元論を持ち出すところといい逆らう者の名前もまた次々とDEATH NOTEに書き込むところといい。先の総選挙の造反組はさしずめ小泉首相の手にするDEATH NOTEに名前を書き込まれた口だ。刺客を送られて落選したり、当選しても除名をちらつかせたりと殺そうとしているのがありありとしている。

「キラ」がその存在感を増していくにしたがって捜査当局もまた主人公(キラとは知らない)のイエスマンになっていてキラ自身が「ぬるい」と感じるほどである。ついでにいってしまえば小泉首相の面立ちは永田町ではイケメン(爺さんだが)側にいると同時に死神のようでもある。造反議員はあの容姿が絶対に死神と写ったに違いない。
まだあるぞ。キラの回りにはミサという美しい女性がいてキラのためならば何でもする。キラもまたそれを上手に操っているがミサを愛している様子はない。「マドンナ」を並べ閣僚への女性登用をこだわり、といって愛しているわけでも男女平等を推し進めている風でもなく単に利用しているだけという点でよく似ている。

世論はどうか。マンガの方ではキラに賛同する世論がどんどん高まってきてアメリカ政府さえ屈しかねない勢いである。小泉首相はアメリカにはかなわないが世論を味方につけている点は同じだ。単純な善悪二元論に世論はついて行っている。いいなりになって踊っているメディアもマンガには登場する。もうこうなると恐いほど似ている。

ただ一つだけ、でも決定的に違っている点がある。「DEATH NOTE」はキラを憎んでとことん追いつめていくキラと同等の頭脳と策略を持つLという探偵が出てきて迫真の対決をする。L自身は最後に敗れて死ぬが現在はその後継者がキラを追っている。このLが政界にはいないんだ。
「DEATH NOTE」はキラとL(およびその後継者)が対決していくからストーリーになる。しかし政界にはLがいない。立ち位置としては民主党とその代表ということになろうが、民主党は先の総選挙で数十名の名前を小泉DEATH NOTEに書かれて大敗した。前原誠司代表と小泉首相との党首討論を見る限りでは前原代表がLになれるとは到底思えなかった。かくして今ではキラ・・・・じゃなくて小泉首相のやりたい放題である。これではストーリーが成り立たないぞ。

もっとも「DEATH NOTE」の筋立てはマンガだから仕方がないがマンガ的ではある。牽強付会がところどころにあるし荒唐無稽でもある。そこはマンガゆえの面白さである。だが現実の社会が牽強付会と荒唐無稽で流されては堪らない。そのマンガと現実とがそっくりさんで、ただ一つキラに対抗する者がいない点だけが違うというのでは最悪である。

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2005年10月24日 (月)

誰もがホームレスになる可能性

旧聞となるが02年1月に東京都東村山市で中学2年生の少年4人が、ホームレス(路上生活者)の男性に1時間半にわたって集団で暴行を加えて死なせるという事件が起きた。彼らが公立の図書館で騒いでいたところを男性に注意されたことへの「仕返し」だった可能性が高いと報道された。

事件直後の記者会見で、中学生が通っていた学校の校長は「路上生活者への接し方はどのように伝えていたのか」という問いに対して、「命の大切さを最重要視してきた。心の教育、人を思いやる心はことあるごとに話してきて自分なりに浸透していたつもりでした」と答えている。また影山任佐東京工業大教授(犯罪精神医学)は朝日新聞のインタビューに対し、「自分より低く見ているか、普段はほとんど無視している境遇の人から思わぬ注意を受け、屈辱感を抑えきれなかったのではないか」と語った。

2人のいうことがその通りだとしたら、要するにホームレスとは「思いやる」べきである一方で、「低く見ている」存在でもある。この心情は正反対のようで、実は案外と矛盾しない。むしろ問題の本質はそこにあるのではないか。

批判を承知で大胆にいってしまえば、本当はホームレスは「思いやる」必要もない一方で「低く見て」もいけないのである。

小誌は長らく多数のホームレスへの聞き取りを続け、出版してきた。そこで集まってくる声からホームレスになった理由をピックアップすると、転職の不具合、借金、カルト宗教、結婚の失敗、家族との不和、性格の弱さ、ギャンブル、犯罪、人間関係を築けないといったもの。いずれも人生の落とし穴になりそうな要素ではあるが、同時に誰でも長い人生のうちに一つくらいは程度の差はあれ、落っこちそうな要素でもある。
つまりホームレスは、障害などでやむなくそうなってしまった人以外は、おおむね自己責任の部分が大きいというのが知り得た範囲の情報から受ける印象である。誰もが陥る可能性があるのに、そうでない人生を歩めなかったとすれば、とくに「思いやる」必要はない。

そして、ここからがより重要なのだが、それを言い換えればホームレスになる可能性は誰にでもあるということだ。実際に取材を続ければ続けるほど、自分自身がホームレスになる可能性は無限大だと思い知らされる。「低く見て」はいけないというのはそういうこと。だって同じなんだから。

ホームレスを「低く見ているか、普段はほとんど無視している」のは少年ではなく大人社会である。小誌のの取材は出版という営利目的であり、決して福祉や教育目的ではないが、それでも「話を聞いてくれてありがとう」と涙を流して喜んでくれるホームレスはたくさんいる。
ホームレスのことはホームレスに聞くという基本を忘れて、勝手にレッテルを貼れば、勘違いの善意と、勘違いゆえにそれを偽善と察した結果としての悪意が芽生えるのは避けられない。

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2005年10月23日 (日)

犯罪被害者保護で思い出す宮崎勤事件

犯罪被害者等基本計画検討会が事件・事故の被害者名を発表する際に実名か匿名かを判断することを警察に事実上委ねる項目を盛り込んだ。日本新聞協会は「国民の知る権利に抵触する」として削除を求める意見書を出した。

ついにここまで来たかとの感が否めない。警察が犯罪被害者を守るために実名か匿名かを判断する。先に廃案となって復活が危険視されている人権擁護法案は法務省=検察が人権侵害かどうかを判断する。警察・検察が人権擁護やプライバシー保護を言い出しているのである。

これは本来からいうと誰が考えたってチャンチャラおかしいのだ。警察や検察は人権を踏みにじるのが仕事なのだから。無論仕事柄を考えた上で配慮して言っているのだ。警察や検察が過度に人権どうこうを気にしていたら本来の務めは果たせない。だからそれは酷くなければやむを得ない。ただし保護の側に回るのはどう考えたって変である。

逆にマスコミが人権を侵害したり犯罪被害者の気持ちを踏みにじっているかのようだ。そういう面がないとはいえない。とくにテレビのワイドショーはメチャクチャだ。個人的にはワイドショーなど禁止してほしいが「表現の自由」原理主義者としてはそうもいえないのが口惜しい。

かつて新聞記者は留置所やらデカ部屋やらを自由に取材していたと先輩から聞いた。公安・警備の部屋にも回っていたという。今では留置所など考えられない。捜査も署の刑事課はともかく都道府県警本部の捜査課は立ち入りできないと聞いた。警備は署の段階で無理だという。記者が当局の拠点に入り込む余地がどんどん狭くなって、ついには悪名高き記者発表資料でさえ実名か匿名かの判断を警察が決めるという。
この責任は第一に警察や検察にゴマをすっておけばネタが取れると勘違いしてすり寄り続けた記者の体質自体にある。当局はすり寄る者を利用はするが理解はしない。都合よく丸め込むだけである。丸め込まれた結果が広報課の記者発表資料だった。それさえも警察の恣意に委ねられる。新聞協会は反対して当然だが来し方を反省しないと流れはドッと権力側に向かう。反省した上で対決できるのか。甚だ心許ない。何しろ個人情報保護法の時に「新聞・放送は適用除外」と明記された時点で牙を抜かれるようなザマだったからな。

いったん匿名にするかどうかを警察に委ねたら住所も氏名も隠すようになるのは明らかだ。事件・事故のなかには警察の都合が悪いものもある。誤認などのミスだ。それを犯罪被害者保護の美名で隠されたら最後である。

宮崎勤という若者(当時)による幼女連続誘拐殺人事件を覚えておられようか。最初の1人目が失踪した時に埼玉県警は事件・事故の両面から捜査した。まもなく2人目の失踪者が出た。この時も県警は事故の線を消しかねていた。むろん記者発表資料はすべて実名・住所入りである。だから記者は全力で取材できた。
当時の資料が私の手元にあるが、その頃はこの2人以外にも失踪したり暴力を振るわれた少女や少年が何人かいた。ただ失踪したままなのは2人。ここに書くわけにはいかないが2人が同一犯による誘拐・殺人と断定するにはある大きな疑問があった。それは少女のプライバシーに関わるある点から生じた疑問だ。そのことも県警は情報開示した。だから取材する側も慎重かつ正確な行動を取ろうと努力できたのである。
事件自体は3人目の少女が失踪して間もなく死体で発見された時点で同一犯による連続誘拐殺人の線が一挙に浮上した。ただそれまでにも取材を続けるうちに同一犯の残虐な犯罪だとの心証は日に日に強まっていた。

そんな時に私は有識者からコメントを取るようデスクに言われた。私は筑波大学(当時)の小田晋教授のコメントを取った。小田先生は先の2人の失踪を明快に「事件だ」と判断し、犯行が小児性愛を抱く者によってであり、そうであればすでに殺されている可能性が高く、今後も犯行を続ける危険が高いと喝破した。
私はすぐに記事化したがデスクに止められた。「まだ生きている可能性があるのに断定して書いたら仮に識者による推測でも失踪した少女の家族が気の毒だ」という理由である。
私は大変に不満だった。とくに今後も犯行を続ける危険があるならば2人の少女の家族感情よりも不特定多数への危険性を訴える方が公益にかなうはずだと信じたからだ。3人目の少女が無惨に殺され、
やがて1人目、2人目も同じ運命にあったとわかった時点で私の憤懣は頂点に達していた。小田先生の言うとおりだったじゃないか。あのような「気の毒」論は私情だ。犯人の宮崎が常人逮捕で捕まったのが不幸中の幸いだったが見逃されていたら何人の被害者が出ていたかわからない。

しかし今、当時のノートを開いて少女の顔写真や年齢、実名、住所などを見ているとデスクの判断もまた十分な正当性があったのではないかという気がするのである。この少女達が生きていたら今いったいどこで何をしているだろうと想像すると胸が詰まる思いの自分がいるのだ。
結婚していれば少女と同じくらいの子どもがいてもおかしくない年に私がなったせいか。当時のデスクに近い年齢となったせいか。わからないが「少女の家族が気の毒だ」という家族への配慮がジャーナリストとしてあるべき姿の一つであると認める気にはなってきた。
そういえばこの記事に私は少女の実名を知りながら書いていない。調べれば誰でもすぐにわかるのに書きたくない。
犯罪被害者への配慮というのはこうした報道する側の公益性と人間性のせめぎ合いから生じるべきではないのか。もし少女の実名も住所も伏せられて発表されたらこうした配慮をすることさえできない。明確な殺人があって、宮崎からの「犯行声明」があって事件性は間違いないと判断できたが、もしそれがなかったらいつまでも事故の線を捨てきれなかった可能性もある。その時に匿名だったら事件性を追求することもできずに唯々諾々と警察の発表にしたがうしかなくなるのである。

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2005年10月22日 (土)

健康保険料窓口負担をタダにせよ

医療制度改革の論議がかまびすしい。すでにサラリーマンなどが加盟する健康保険の窓口3割負担が当たり前のように行われているのに、今度はそれを高齢者にまで引き上げようというのだ。理由は「そうしないと制度が持たない」である。ならば聞こう。「あの約束はどうなったのか」だ。

そもそも健康保険に「本人負担」の概念はなかった。制度は家族2割負担で始まり、そのうちに家族の負担もなくすという目的を掲げて出発した。その代わり労使から一定額の保険料を徴収するという論理だったはずである。私は寡聞にしてこの約束を守れなくなって謝った政治家や辞任した官僚を知らない。ならば約束通りに本人負担はもちろん、家族負担もなくしてもらおうじゃないか。

その約束破りをだれも謝らず、責任も取らずに逆にやらないはずだった「本人負担」が1割・2割・3割と増えていった。だったら労使折半の保険料を下げるというのが筋である。ところがこれも正反対に上がっていく。ということは制度のスタートに謳った約束を破ったどころか逆方向の負担増に突っ走っていることになる。
正論は「自己負担のある保険は保険の名に値するか」のはずだ。だって自己負担する保険って何ですかい。自己負担しないから保険なんでしょう。今ならば3割負担しておいて何が保険かといえるはずだ。任意保険の免責条項のようなものだといえなくもないが3割は大きい。そして何度もいうように当初の未来像とは正反対なのである。

そこへの責任追及がまったくないまま、単に3割は苦痛だとか重いとか高齢者にまで強いるのは問題だといった目先の議論ばかりが先行しているのは絶対におかしい。
何度も指摘してきたことだが日本人はこうした「そもそも論」をすっかり忘れてしまうおかしな癖がある。
時代が変わったというならば仕方がない。ならば当初のスローガンが破綻したことを国民に率直にわびて大うそをあるが如くに広げた厚生労働省の役人の給与をゼロにするための国家公務員法改正でも行うというのが本当であろう。

しかし現実には大多数のサラリーマンは沈黙を守っている。騒いでいるのは日本医師会ぐらいだ。確かに医療制度での最大の受益者はガッポリ儲けている側の開業医である(そうでない開業医ももちろんいるが)。彼らに渡る診療報酬を大幅に引き下げない限りは「制度が持たない」などという言い分は戯言にしか聞こえない。
外来でガッポリ稼ぎ、最近では往診も面倒くさがる「医は算術」の開業医達がどれだけ医療費を食っているのかを厚労省は反省しているならば満天下に公表せよ。

そうした行為をいっさいしないまま負担増を推し進めるならば私は大原則を振りかざすまでだ。最初の約束は本人はもとより家族負担もなくすはずだった。さあ実現させてみろ。あるいは実現への道筋を示せ。ありていにいえば窓口はタダにしろ。できないならばせめて謝れ。謝る前に最初の約束はこうだったと改めて国民に広く伝えよ。それぐらいの良心ぐらいはあなた方にあってもいいんじゃないの?

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2005年10月21日 (金)

なぜ注文本がすぐ届かないか

会社のホームページをリニューアルした。今後は小誌の過去の記事など面白そうなものからピックアップしていく予定なのでどうぞご注目を。アドレスは

http://www5b.biglobe.ne.jp/~astra/

同時に小社刊の単行本もぜひお買い求め下さい。全国有名書店でお買い上げいただけます。ネットショッピングも可能です。在庫は十分すぎるほどあります。それどころかさらに膨らむ傾向すらあり空恐ろしい。全国の書店から豆粒のような小社に向けて放たれる返品の弾丸。止める術は今のところない。

好きな言葉:注文
嫌いな言葉:返品

というのが私の信念である。我ながらベタな信念だなあ。書籍は委託販売が主なので注文があったからといって売り上げたとは限らない。だから注文で売上を推計するしかないのだ。最近は書店の実売をネット上で確認できるサービスが一部で始まった。画期的ではあるのだがサービス料金が高いのが難である。

本を注文してもなかなか届かないという経験が読者諸賢にはないか。この原因はいくつかあるが版元(出版社)の都合で一番大きいのは重版するかどうか経営者が深ーーく悩んでいる場合である。

我が社だって稀には注文が殺到するようなことがある。断っておくが返品ではなくて注文である。さっそく重版してバンバン売ればもうかるじゃあないかと思われよう。ところがそうも行かないのだ。

先に述べたように注文は売上とイコールではない。最近の傾向として新刊から売れていく。上手に書店営業をやり果せれば我が社の本でも平積みになる。そこで売れないと面出しに落ちる。それでもダメだと棚差し1冊になる。そしてやがてゼロになる。このやせ細るさまを見るだに私は落ち込んでいくわけである。書店にある我が社の本がやせ細るということは我が社の倉庫の在庫がグングン充実していくことと正比例するからだ。

ところが出足の売れ行きが好調だったり既刊本でも何かの拍子で脚光を浴びると一挙に注文が来る。ただこの好調さがどれくらい続くか書店様にさえわからない。だからだいたいの見込みで注文いただく。それが全国から集まると在庫を超えてしまうことがある。ここまではうれしい。だが超えた後が問題なのだ。
好調さがさらに続くとわかっていれば重版して補う。だがフィルムを流用して最短で刷っても2週間以上はかかる。それまでに好調さが止まってしまったり逆流して返品状態に陥ると重版=在庫という最悪の結果となる。しかも重版した以上は著者に印税は払わなくてはならないし何より印刷屋さんへの払いが生じる。だからギリギリまで見極めようとするが、あまり見極めていると品薄が好調の腰を折って返品状態を生んでしまうから本当に難しい。
好調トレンドのまま重版を間に合わせたとしても同時にそれは返品のボリュームを膨らませただけという危険があり津波が襲ってくる覚悟をしなければならない。これで倒産した出版社も珍しくない。

本物のマーケティングというのはこの辺をみごとに射抜く能力なんでしょうね。でも小社の本は売れ筋を追ってはいないので在来のマーケティング手法を用いてもなかなか通用しないのである。そんな専門出版社は数多くあるのだ。

いずれにしても取りっぱぐれがないのが印刷屋さんである。究極の受注産業である彼らはメーカーである出版社の無理難題をたいていは聞いてくれる。そこで見られるのは「偉い版元とヘイコラしている印刷屋」の図式だ。
だが人に頭を下げる仕事をきちんとやれる印刷屋さんはその分だけ取りはぐれがない。重版が売れても重版=在庫になっても印刷・製本代は同じだけ請求できる。その意味で版元の偉さは空元気に過ぎず印刷屋さんのヘイコラはこれぞ商人の鏡だといえよう。毎年小社の決算書類を見るたびに「本当の勝者は印刷屋さんではないか」と思うのである。

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2005年10月20日 (木)

少子化・人口減少による戦争抑止

10月17日に小泉純一郎首相が靖国神社に参拝した。そのこと自体はいずれ考察するとして靖国を訪れるたびに思うのは「戦前の日本は靖国神社が必要だったんだな」である。それだけ英霊が生まれるチャンス?があったのだ。言い換えると戦争ばっかりしていたのである。
さて現在経済的に比較的豊かという意味での「先進国」で合計特殊出生率が2を超えている国は稀である。日本は1.29とどん底で更に下がるとさえいわれている。どうやら今年から人口減少が始まったらしい。本格化すると年に40万人という単位で減っていくそうな。毎年毎年大戦争をやって戦死者をおびただしく出しているに等しい数値である。食糧が有り余るほど経済的に豊かになると人口は減少に向かう・・・・マルサスが聞いたらびっくりするだろうな。
昨日の記事に書いたように日本は明治維新後、基本的に人口増のトレンドにあった。その波長と「戦争ばっかりしていた」との事実は重なり合わないかというのが今日の私のテーマである。

先の「先進国」のうち例外的に「2」を超えているのがアメリカだ。と同時にアメリカだけが例外的に1945年以降も「戦争ばっかりしてい」る。戦後60年の間に大小含めれば20回ぐらいの対外戦争やら紛争に首を突っ込んでいる。
もちろんアメリカの人口増が戦争と単純にリンクしないことは知っているつもりだ。人種・階層などで出生率に大きな違いがある。だがそうとわかっていた上でなお

●戦争が出産を促す

または

●人口増が戦争の誘惑を駆り立てる

という仮説は考察に値しないか。

以前ニュースを見ていたらパレスチナの若い女性が「(イスラエルに)3人の子どもが殺されたら私は4人の子を産む。イスラエルの弾圧には屈しない」旨のコメントを述べていた。そういう「戦争が出産を促す」ともいうべき発想は少なくとも今の日本にはない。
「戦争が出産を促す」ならば「平和が少子化を促す」可能性がある。ならば少子化もいいのかもしれない。すでに始まった人口減少もまた「人口増が戦争の誘惑を駆り立てる」の正反対の現象である「人口減が戦争の誘惑を萎えさせる」効果があるともいえる。

例えば今からどこかと戦争をやるとしよう。徴兵制が復活して20歳以上の若者が戦地に送られるとして親世代は戦前のように日の丸を振って出征を見届けるか。今や親世代自身の自己愛の一部に子どもが組み込まれている時代に、である。とんでもあるまい。
恐らく敵と戦う前に政府と若者の親世代との内戦が起きる。ヨン様に向いていたおばさんパワーが一斉に国会議事堂と首相官邸に向かうぞ。警察官や自衛官も自らの職務よりも子ども可愛さが上回る親世代がわんさかいるに違いないから、おばさんパワーを阻止するどころか一緒になって突入しかねない。平成のおばさん一揆だ。シュンとして動かないのは当の若者だけ、なんて光景が目に浮かぶ。

どうしても戦争しなければいけないのならば親世代の私たちが行くわ!と親バカ軍団が言い出すかもしれないが、こうなると「負け犬」が黙っていない。独身子なしの私を始めとした「もてない男」の大集団も間違いなく合流する。
我々は戦争は若者がすべきであると主張する。私は戦前の基準ならば赤紙が来る上限の約45歳までもうちょっとだ。それを出征せよなどとはとんでもない。勝ち組の可愛い可愛いお子様に国を守ってもらいましょうと開き直るぜ。リベンジの大チャンスだ。かくして若者を戦地に送るか否かでおっさん・おばさん世代も対立し結果として戦争どころではなくなる。

それでもどこかの国が我が国に攻め込んできたら自衛のために戦わざるを得ないが一体そんな酔狂な国がどこにあるのか疑問である。

高齢社会で人口減がトレンドになったということは戦争はできないという意味である。逆にいうと戦争でもしないとこのトレンドは逆転しないが上記のような親バカ爆発で対外戦争の前に内戦だ。かつて西郷隆盛は「内乱を冀ふ心を外に移」す目的で征韓論を論じた。だが人口減社会ではこのような国民の不満を対外戦争で解消させるという効果は期待できないどころか正反対に「外に移」す策謀が「内乱を冀ふ」方向に転化しかねない。
日本のなかにいる戦争やりたい人々よ。その前にヨン様ファンが襲いかかることを気にされたい。

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2005年10月19日 (水)

私の始末書3

今回が100本目。その記念には42歳独身子なしの私が「ニート」が気になって仕方がない・・・・という自我自虐の脱力日記「私の始末書」がふさわしかろう。

『ウィキペディア(Wikipedia)』によると「NEET(ニート)とは「Not in Employment, Education or Training」の略で「職に就いておらず、学校等の教育機関に所属せず、就労に向けた活動をしていない15~34歳の未婚の者」であり今やそうした若者が増えているそうで国家は懸念しているようだが・・・・
よくよく考えてみると悪くないじゃん!ニートって
さっそく私はニートになりたいかと考えた。すると年齢制限の上限を超えている以外になってみたい条件も動機もあると知って我ながら驚いた。

まず職は辞めればいいだけだ。その上で「就労に向けた活動」をしなければいい。「教育機関に」は現に「所属」していない。「未婚の者」もその通り。
そして動機である。私は好きなことを取材して執筆して発表できればいいと以前に書いた。それ以外に望みはない。発表の場は会社が取引コードを持っているので出版はできる。会社の経営者は私だから私が私の書いたものを「出版してよろしい」と判断すれば出せる。

取材・執筆は交通費と電話代以外にビックリするほどカネはかからない。しかも私の主たる取材対象は無名の民であるから取材謝礼などは必要としないのが大半だ。執筆は鉛筆と紙、ないしはパソコンにワープロソフトを入れておけばOK。すでに所有している。取材の身軽さはいつも同行するカメラマンなどにうらやましがられるほどだから老いても動ける。カメラの技術も幸いにして身についているし白黒ならば現像・焼き付けまで会社で教えてもらった。
印刷・製本代が用意できなくても今やネットがある。
取材・執筆・編集は仕事であると同時に趣味でもあるから「趣味だ」と決めれば「職に就いておらず」といいうる。

次にニートになる拠点だ。年齢制限があるのはニートしていても暮らせる背景が主に実家とみなしているからであろう。私の両親は東京圏に住んでいて健在である。私の取材フィールドは主に首都圏だから交通費はグッと抑えられる。父親の年金だけで暮らしており現実に今生きているということは何とかなっているという証左だ。そこに私だけ混ざり込んでも大した出費にはなるまい。何しろ独身だから1人が出戻るだけのことだ。
両親の家は持ち家であるから家賃の心配もない。私には妹弟がいるが2人とも親元から離れて立派にやっている。しかも私は長男だから家に戻る大義名分もなくはない。

さてニートを続けるのは両親の年金支給がいつまで続くかが当面の課題となる。公的な資料から命数を数えてみたら10年以上は大丈夫みたい。つまり私が55歳ぐらいまでは徒食できそうである。
最大の問題はそこから私自身の年金支給が始まる65歳までの10年間だ。そうそう私は厚生年金に入っている。正確にいうと会社を経営する以上は強制的に払わされるので支払っているのだ。実家に張り付けば家賃ゼロだから月に10万円もあれば十分に暮らせる。これは一人暮らし25年の実績を誇る私には自信ある数字だ。すると1200万円都合を付ければいい。それをどう確保するか。もしかしたら両親に預貯金があるやも知れぬ。今まで全然気にしたことがなかったが。

あるいはニートの条件を厳密に満たすべく「会社を畳む」と小社関係者一同を脅すという方法もある。従業員は呆然としライターさんやら何さんやらは騒然とする。私がちゃぶ台をひっくり返すと「ちょっと待ってくれ」と引き留めてくれそうなクライアント様もありがたいことにいくらかはいらっしゃる。そこで切り出す。畳まない代わりに10年後から10年間月に10万円の給料をオレに払え、と。

そして65歳からは年金生活だ。無茶苦茶な生活をしてきたからそう長くは生きない予定である。考えてみれば55歳から65歳までの心配も不要かも。その間にあっけなく死ぬ可能性が高いからなあ。

バ・・・バラ色ではないか。今抱えている諸問題をすべて放り出して好き勝手やって死ねる道があったなんて。

でも、結論からいうと私はその道を取らないであろう。逆に死ぬまであくせくする危険性が高い。それは多分、そうでなくては男じゃないという観念が染みついているからだ。

1872年に近代的な初の戸籍である壬申戸籍が作られた際に日本の人口は約3000万人だった。それから1970年代頃まで合計特殊出生率は2を超えていた。つまり人口増が基調であった。私もそのトレンドの最後の方に生まれている。

かつて夫婦で10人ぐらい子をなしても当たり前という時代があった。多死多産だったからともいわれるが壬申戸籍時の約4倍の人口にまで増えたということはやはり生き残った方が死んだ者より遙かに多かったことになる。「子どもは労働力だった」とは俗説に過ぎない。戦前に最大47%まで増えた小作地を耕す小作に何人もの労働力など不要であった。寄生地主は子を労働力とする必要はなかった。畑は一般に田より貧しいとされた。
そこで生まれた子どもは山へ山へと入り込んで段々畑を作ったり荒蕪地の開発にあたったり、南米・中米・満蒙へと移民したりしていった。私の父も何の因縁か聞いたこともないが中国・青島生まれである。「家を出て勝手に生き残れ」というのが人口増時代の不文律で私はその最後にある。だから家には帰れない。ニートにはなれそうにもない。

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2005年10月18日 (火)

「プロジェクトX」放送終了を喜ぶ

やや旧聞に属するが日本PTA全国協議会が小学5年生と中学2年生の保護者などを対象にしたアンケートで2004年の「親が子どもに見せたくない番組」の1位はテレビ朝日系の「ロンドンハーツ」で「親が子どもに見せたい番組」の1位がNHKの「プロジェクトX」であった。

私は民放は見るほどにバカになるために見ないから「ロンドンハーツ」を知らない。でも1位になるくらいだから俗悪なのであろう。でも民放自体が俗悪なのだから俗悪組織が俗悪番組を提供しているのは論理的である。
不思議なのは「親が子どもに見せたくない番組」の1位になるということは親も「ロンドンハーツ」を見ているという事実があるということだ。しかも1位になるほどに広く見られているわけだ。これって矛盾じゃあないのか。民放を見よという法律はないのだから本気で「見せたくない」ならば見せなければいいのである。おそらく子どもが見ているので相乗りして見たら「あら嫌だ」という寸法であろうが嫌ならば切ってしまえ。それで親子のコミュニケーションが途絶えるとか仲が悪くなるというならば所詮それだけの親子関係だったということだ。

しかし。今回は「ロンドンハーツ」ではない。逆の位置にある「プロジェクトX」だ。私はこれが「親が子どもに見せたい番組」の1位になる薄気味悪さを禁じ得ない。

実は私はいつか「プロジェクトY-失敗者達」という本が出したくて熱心に「プロジェクトX」を見ていた。設定は同じにして最後が必ず壮大な失敗に終わるという内容である。ネタもかなり集めたが最大の壁が「失敗者達」の家族への取材がままならない点だった。「プロジェクトX」をパロディにする以上は家族の協力が得られなかったとか離婚したとか一家離散したとか家庭内暴力に発展したとかいう事実があって妻や子が夫を激しく罵るという逸話が不可欠である。実際にそうした例はあるにはあるのだが大半が取材拒否(当然か)。で今まで作れないでいた。
親が子に「プロジェクトX」を見せたい気持ちはわかる。

・親世代やその上がどれだけ努力してきたかを子に思い知らせたい
・家族がいかに大切かを子にわからせたい

であろう。ならば直接自分の話を子に聞かせればいいのにできない。だからテレビ番組で・・・・という憶病さは実は「ロンドンハーツ」を切りたくても切れない憶病さと同根である。

「プロジェクトX」はドキュメンタリーなのだそうだ。ドキュメンタリーというのは小社が主に手がけるノンフィクションとかルポルタージュとそう変わらないフィールドにあると少なくとも世間一般では思われている。だから「うちの中心はノンフィクションで・・・・」などと説明すると「テレビでいうならドキュメンタリー?」みたいな反応が多い。その代表格に「プロジェクトX」が居座っていた。ここが私の面白くない所以なのである。

「プロジェクトX」は「挑戦者達」を扱っているようで実は成功者達を扱っている。だから最後は必ず成功するとわかっている。水戸黄門とかハリウッド映画と同じだ。そればかりを集めている安直番組と我が社の試みを一緒にされたくないという憤激がまず1つある。

次に人称を恣意的に混合させて視聴者を惑わす作為が気に入らない。取材者が集めたデータをナレーターが1人称で語ったり当事者を2人称、3人称的な観点から語らせるビデオを挿入した後で同じ人物が「ゲスト」として登場して今度は1人称で語るというやり口である。こうなると視聴者は誰がどの立場で語っているかわからなくなる。結果的に作り手の恣意に惑わされる。これは禁じ手であろう。

第三に扱う素材である。特に許せないのは「公務員」「公共事業」「大企業」「商売」の4つ。

まず公務員が公務に熱中するのは公僕として当然である。「その時、消防士は炎の中に飛び込んだ」だって!「消防士は炎の中に飛び込」むのが当然であろう。編集者が飛び込んだならばビックリだけれど。

「公共事業」はそれを達成した陰に投じられた公的資金や役立ち度合いのチェックが決定的に欠けている。本四架橋のどこが「親が子どもに見せたい」のかサッパリわからん。

「大企業」は利益を追求したり経営危機を乗り越える場面がよく取り上げられるが多くの「挑戦者達」は労働基準法に明らかに違反している無理難題を押し付けられている。それを満足とするかどうかは個人の主観である。涙を流してプロジェクトの意義を語る1人の裏には疲れ果てて社を去ったりリストラされた多くがある。「プロジェクトX」にはそうした弱者のいたわりがまったくない。「馬車馬のように働け」と叱咤されているようである。

「商売」は「まちおこし」なり何なりである。私は零細企業経営者だから商売自体を否定はしない。といって自慢げに吹聴する性質でもない。石田梅岩は商人が商業の正当性を主張する徳目として倹約・堪忍・正直などを挙げた。「こうやって苦労してもうかる仕組みを作ったぜ」などと反りくり返るなど愚の骨頂である。

背景にあるのは高度成長礼賛ともいうべき過去への懐古趣味だった。現代版有職故実である。百歩譲ってそれを見ながら「オレたちも頑張ったよなあ」と「オレの小さなプロジェクトX」を思い出し、重ね合わせ、感涙に浸るのはまあいいとしよう(キモいけど)。でも子どもにまで押し付けるなよ。多分「ロンドンハーツ」見させておいた方がいいぞ。「プロジェクトX」で歓喜にむせぶ小学5年生の方がよっぽど不健康である。

かくして広義のノンフィクションを代表していたというか僣称していた「プロジェクトX」は恐らくやり過ぎとネタ切れで終わるのであろう。欣快に堪えない。

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2005年10月17日 (月)

イスラエルとパレスチナ

①敵は信用できない
②敵を信用するか撲滅しない限り、敵は敵であり続ける

この2つの命題はいずれも正しい。①に関しては、そもそも「信用できる敵」という概念が成り立たないので正しく、②は戦いを終わらせるには、敵を交渉相手と見なして、つまりある程度信用して和平条約を結ぶか、1人残らず撲滅するしか敵対関係は終わらないのは自明なので、やはり正しい。
イスラエルとパレスチナの対立は、この2条件にみごとにマッチし、その矛盾や比重の置き方が変わっただけで、行きつ戻りつしている典型例である。

まず①の「敵」の定義である。『広辞苑』によると、「敵」とは、「自分に害をなすもの。かたき。あだ」「戦いの相手」とある。イスラエルとパレスチナの関係はその通りだが、それだけでは数多くある紛争の中で、この関係だけが延々と敵対し続ける理由とはいえまい。

『広辞苑』にはさらに「敵」の定義として、「自分と対等なもの」とある。ここにヒントがありそうだ。

「よい戦争」という概念は、戦争行為そのものを悪とみなす立場では成立しないが、現実には存在する。第二次世界大戦は民主主義(よい)対全体主義(悪い)の戦いとされ、湾岸戦争はクエートを侵略したイラク(悪い)対クエートを救出する多国籍軍(よい)という構図が作られた。「よい」側から見れば「悪い」側は「悪い」にすぎず、決して「自分と対等なもの」ではない。
しかしイスラエルとパレスチナは広く知られているように、その地域を植民地としていた英国のいわゆる「二枚舌外交」の結果もたらされた対立であり、イスラエルを主として構成するユダヤ人にもパレスチナ人にも「対等」な主張(大義)があり、当事者はともかく国際社会はどちらかを「よい」とはしにくいという背景がある。この辺が一般の紛争より「敵」の度合いを深めている理由だ。

次に②のうち「敵を信用する」ができるかどうかが和平の一つのヤマだが、前記のように敵の質的な度合いが高い両者は、それゆえに「敵は信用できない」思いが強く、「信用できないが信用すべきだ」という論理的矛盾に陥る。それを乗り越えようとしたのが93年の「オスロ合意」だった。イスラエルに隣接するヨルダン川西岸とガザ地区でのパレスチナ人による暫定的な自治を実施するという。

イスラエルとパレスチナの対立がそれぞれの国家を持つことでしか解決しないことは明らかなので、パレスチナ人が国家をもつことをイスラエルが承認し、イスラエルの支配地域への暴力行為をパレスチナがやめることでしか紛争解決の方法はない。
それが唯一の解決方法だということをイスラエルとパレスチナのほとんどの人は知っている。それでも「信用できない」をぬぐい去ることが双方ともできないので、パレスチナはイスラエルの警戒心から生じる動きに怒り、その怒りの表出ともいえる自爆テロなどの行為をみてイスラエルはパレスチナ人はやはり「信用できない」から、隣に彼らの国家ができることを警戒するという悪循環が断ち切れない。

②に示した「撲滅」が論理的にできないというのも紛争が続く理由だ。第二次世界大戦では日本は敗北し、多くの植民地を失った、日本人が全員殺されたわけでもなく、国家が消滅したわけでもなかった。だから戦争を終わらせることができたともいえる。
しかしパレスチナはもともと国家をもたないので、彼らの国家を認めずに屈服させるには、「国民」そのものを1人残らず抹殺するしかない。しかしそんなことはできっこないし、すべきでもないことは、自らがナチスドイツの抹殺対象になったユダヤ人自身が一番よく知っている。
一方、パレスチナ人にしてみれば、国家を認めないイスラエルの行為は、必然的に「撲滅」を意図していると疑い、どうせ根こそぎ殺されるならばと、自らの死を前提とする自爆テロを繰り返しているとも推察できよう。人は誰でも死にたくない。それでも死を選ぶとすれば、死が必然かつ目前にあり、「よい死に方を選ぶ」ことしか「生きる」意味を見出せなくなった時だから。

ここまでこじれてしまうと、おそらく当事者間での解決は不可能。となると誰かが仲介するしかなく、それがアメリカしかあり得ないのは衆目の一致するところだ。欧州はそもそもの対立の元を作った当事者という過去があり、周辺のアラブ諸国ではイスラエルが納得しない。
しかし消極的とされたブッシュ政権がこのところ和平に力を入れ始め、シャロン政権からガザ地区の入植地撤退という果実を得たにも関わらず、イスラエル国内からは不満が噴出し、またヨルダン川西岸の入植を引き替えに守るとのイスラエルの姿勢が「敵は信用できない」思いを一層パレスチナ人に募らせている。

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2005年10月16日 (日)

TBSなど楽天に統合されちゃえ

村上某と三木谷某がTBSの株を買い占めていて三木谷某が彼の経営する楽天との経営統合を持ちかけているという。私は以前に村上某の阪神電鉄株買収では「怒れタイガースファン」と述べたがTBSに関しては「それもありじゃん」と冷淡に見ている。三木谷某ではなく村上某の方がTBSに迫ったとしても答えは同じだ。なぜかというと以下のような理由である。

第一に放送局は報道機関でもあって中立性と公共性が求められ、楽天が入ってくると侵される危険があるという反対論がお笑いぐさだからだ。
まずTBSは報道機関なのか。細木数子の番組を、警察ヨイショの「ドキュメンタリー」をたれ流す民放のどこが「報道機関」なの?ジャーナリズムのかけらでもあるのか。オウム真理教の時の問題さえ総括できていないじゃないか。
それにワイドショーを報道にみせかけたり報道をワイドショー化してきた張本人はあなた達でしょう。「報道堕落機関」といってもいい。独自の有力な情報源や情報網を持っているとでもいうわけですか?確か1976年の毎日新聞経営危機の時に毎日の子会社としてスタートしたTBS株を勝手に売って以来、両者は「大人の関係」になったと先輩から聞いた。でも私の知る限り全国のニュースは毎日の通信網から送られてきたものに頼っていたよね。「ラテ禁」を除いて。それに共同と時事を抜いたらTBSにご立派な「報道機関」なんてあるんですか?

仮にかろうじてあったと認めたとして「中立性」は先のワイドショー化でとっくに自壊しているし、スポーツの報道で自国(日本)を一方的に擁護している時点でダメでしょう。それともスポーツ中継は報道ではないとでも?

「公共性」も疑わしい。阪神電鉄が一夜にしてなくなれば沿線住民の多くが大変困るであろう。だから阪神電鉄には公共性がある。タイガースが突然消滅したら自殺あり暴動あり放火ありの大騒動になるから公共性がある。いずれも利用者の死活問題にさえつながりかねない。
一方のTBSはどうか。明日からTBSが一切放映されなくなっても困る利用者は多分いない。日常は前日と変わりなく進むであろう。困るのは「TBSで食む者」だけ。民放に公共性などはない。ただのCM媒体である。
こういう問題が起きるとにわかに報道機関面するのは先のライブドア・フジテレビ騒動でもあった民放の方便である。自ら放棄している中立性と公共性を困った時だけ振り回すのはみっともないぞ。

第二に著作権問題が複雑で楽天が求めているようにコンテンツなど供給できないとの言い分だ。そりゃあそうだがキー局がよくもまあ恥をも知らずにそうした物言いができるのか私には不思議でならない。
優越的な地位を利用して番組制作会社が全部ないしは大半を制作した番組の著作権を無視して「著作・制作」の後にキー局名だけを臆面もなく最近まで表示していた会社はどこだっけ?「どうせ自局でしか放映できないんだから」という理由でタダ同然で再放送していた会社は誰だったかな?それをBSなど他の電波でまでやろうとしたのは何者だったか思い出したらどう?手前勝手なイチャモンを制作会社に付けまくって高禄を食み、スキャンダルが起きた時だけ「著作者は実は番組制作会社だ」と逃げていたのはあんたたちだ。
ついでにいえば出演者の肖像権などの権利関係をいい加減にするとの慣習を作って適当にやりくり算段していたのも民放自身で「著作権問題」を「複雑」にしたのは自業自得だったことを棚に上げてはいけない。

第三に横浜ベイスターズ問題だ。確かに楽天が2球団を持つことはできないから三木谷某がTBSにベイスターズを手放せというかもしれない。タイガースほどではなくてもベイスターズにはファンがいるから公共性はある。でも大丈夫。タイガースは甲子園球場も含めて阪神電鉄と不即不離の関係にあるのに対してTBSはまるで希薄。球場だってTBSの持ち物ではないしベイスターズのホーム試合を全戦キー局で放映する愛もない。TBSが売るといえば買う会社も必ずある。

最後に毒薬条項である。村上某の株と合わせて20%を越えたら条項を実施するとわめいているが、やってみろよと挑発したい。そもそも毒薬条項は敵対的買収者を萎えさせるのが主たる目的で某と某が萎えない以上は意味がない。本当に実行して株価を希釈させたら多分市場のプレーヤーの多くから大ブーイングが巻き起ころう。TBS株は阪神電鉄株と違って現時点でさえ値嵩の可能性というか危険性があるからなおさらそれだけは見てみたい。筑紫哲也から再び「TBSは死んだ」とのセリフが聞けそうでワクワク。

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2005年10月15日 (土)

国民生活金融公庫だけは残すべきだ

8つの政府系金融機関の統廃合の議論が始まった。小泉首相は「できるなら1つがいい」と発言し竹中平蔵経済財政大臣(というか銀行クラッシャー)も賛成の模様だ。
また賛否どちらからも無反応に違いない持論を吐く。私は「できるなら1つがいい」ではなくて「国民生活金融公庫だけでいい」との考えだ。これをなくと新たに起業する人達はなけなしの預貯金をスルか街金から借りるか最近大銀行がやりだした「銀行系街金」の餌食になるかしかないからだ。

起業は大きく2つにわかれると思う。1つは「もうけるため」である。その際の手段は選ばないから近年「金融ビッグバン」とやらのお陰で広がってきた直接金融に活路を見出したり金融業自体に乗り出せばいい。この意味での起業チャンスは広がっている。

もう1つは「やりたいことをするため」の起業だ。私の場合はそれに相当する。零細でもいいから好きなこと好きにやって御飯が食べられればいい。それならばリーマンでもいいじゃんと反論されそうだが少なくとも私はダメだった。私は「マイノリティーや弱者のあり方を取材・編集してイデオロギー抜きで文字として世に問いたい」ということだけが願いである。それさえやらしてくれればサラリーは本当に御飯が食べられるだけでよかったのに。比較的許されそうな大手マスコミ2社に務めたがかなわなかった。だったら自分でやるしかなかった。

起業した時点で私がかろうじてできるのは取材・執筆と編集、校閲ぐらいで営業の経験もなければ会計などまるでわからない。「マイノリティーや弱者」だけを対象にするのが大手マスコミでさえ許されないのは、それでは売れないからであって、したがって私のしようとしていることは商売上がったりになるのは目に見えていた。
そんな中でも営業を始め、会計もどきを覚え、社員も雇い、事務所も借り、とやってきたのは「やりたいことをするため」に必要だったからだ。うかつなことに出版社を名乗れば出版できると思い込んでいたが取次様との取引コードがないと書店様におくさえままならず何年もかかってやっと手に入れた。そんなこんなをやっているうちに肝心の「やりたいこと」が自分ではできないという悪循環に陥って今日に至る。世はままならない。

起業時点で話を戻すと事務所を借りて必要機器をリースして・・・・ぐらいで早くも手元資金はショートした。そこに立ち現れたのが詐欺師と街金である。誰も知られていないはずのわが社に彼らはひっきりなしに来る。街金は撃退したが詐欺師には引っかかった。「オレは詐欺師にはなっても詐欺師に引っかかることはない」と自負していたが他愛なくやられた。こうなるともうカネがないどころではない。といって街金に頼ったらアウトだ。

ここで救世主のように見出したのが国民金融公庫(当時。現在の国民生活金融公庫。略称「国金」)だった。無担保低利で500万円貸してくれたのだ。あれがなかったらお仕舞いであった。

当時十数行あった都市銀行や長期信用銀行は論外だった。「実績がないと貸せない」という。起業時点で実績があったら変だろうよ。「担保は」というから「担保はオレだ」と言ったら変な顔をされた。それでも借りたことはある。だがそれは信用保証協会の保証付きの融資であり、なおかつ連帯保証人に代表取締役たる私の個人名を必要とした。シャイロックもかくや、どころかシャイロックが神様に思えるほどの仕打ちだ。
信用保証協会の保証付きなのだから既に担保は押さえている。リスクを取るどころかノーリスクだ。その上私個人の連帯保証を求めるということは株式会社の有限責任原則を無視している。十数行の都市銀行・長期信用銀行の前で「お前ら皆つぶれてしまえ」と叫んだ。想いは通じてクラッシャー竹中がガンガン減らしてくれた。ざまあみろ。
と思っていたら今度は「銀行系街金」を始めた。利息制限法の範囲内で貸すのは出資法の上限で貸す街金よりやさしいようでヤクザなことは違いない。だいたい不特定多数から、あるいは日銀の当座口座からタダ同然で仕入れたカネを何%の中位から十何%で貸して返却を求めるなどとんでもない悪行である。

その間も国金は借金を返し終えそうなころから追加の借金を受けてくれた。現在、国金の経営状態が悪いと聞くと胸が痛むが返すべきは返してきた。「やりたいことをするため」の起業は私と同様に最初から零細を覚悟しての「志」の会社が多い。だからつぶれて国金を焦げ付かせることも多々あろう。だがそれは社会的意義のきわめて高い行為に対する許されるべき範囲ではないか。

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2005年10月14日 (金)

「官から民へ」とドラえもん

「官から民へ」「民間にできることは民間に」。9月11日の総選挙で小泉首相が繰り返したフレーズで多くの国民が共感した。
あれは何だったんだろう。どういう仕組みで共感の渦ができたのか。
郵政民営化関連法案も三位一体改革も道路公団民営化も特殊法人の独立行政法人化も全部中途半端で「官」が肥大化しただけの「民営化」に過ぎないという批判は消し飛んだ。飛んだには飛んだなりの理由があるはずだ。中途半端とまで思う人が少なかったか、それでもいいと信じたか。

私はずっと考えた結果、小泉首相が「民」と名付けた集団の味方である。少々頼りないかも知れぬが味方には違いないとイメージさせたのが成功の理由ではないかと最近感じ始めている。

民(ミン)とは何か。それはタミのことである。普段はリーマン、主婦、学生、フリーター、パートタイマー、ヒッキーなど細分化されたカテゴリーに何となく属していた人々は自らを「民」と大枠でくくって意識したことはなかった。ただ公務員を除けば同時に「官」ではないという位置づけだけは知っていたはずだ。
それが証拠に「官」とは何かと聞くと大学生も社会人さえもハッキリと答えられる人が少ない。相当数聞き回ってきたが「官僚」「偉い人」「いろいろ決める人」「政治家」「役人」「公務員」と漠然としている。「自衛隊」「警官」と答えた社会人さえいた。ただ一点「自分はその『官』ではない」だけは明瞭なのだ。

「いろいろ決める人」と答えた人のなかには面接官とか指揮官という言葉が具体的にあった。民間企業の採用試験で面接を担当する人を「面接官」という。スポーツの監督やコーチを「指揮官」という。どちらも本来は「民」なのに「いろいろ決める人」に相当すると「官」というイメージとなる。
要するに我々はリーマンなり何なりのカテゴリーにいるらしいが「いろいろ決める人」ではない。そんな意識が充満する中で小泉首相は全部をひっくくって「民」という名を与えてすべてを放り込み「官から民へ」つまり「いろいろ決める人」は「民」の名を持つ皆さんですよといい「官」の象徴的存在である国会の否決決議を受け入れずに「民」に是非を問うた。
オレは実は「民」なんだ!「民」は「いろいろ決める」ことができると小泉首相は「官から民へ」と教えてくれた!素敵な名前を与えられて、しかもいかにも「民」な風の落下傘候補も多数擁立して小泉首相は本気で我ら「民」を信じてくれている。力を貸さずにいられようか・・・・まあそんな風ではなかったか。

仮にそうだとしたら我々は戦後60年何をやってきたかということになろう。私は自らを「官」に対置する時だけは「主権者」と胸を反らして威張ることにしている。「官」は「公僕」だ。「主権者」のオレ様に「公僕」ごときが聞いたような口を聞くなと。だって憲法にそう書いてあるから。私はガリガリの護憲ではまったくないが明治憲法の「官」が天皇という主権者に仕えて国民(臣民)を睥睨していたのに比べると「民=主権者」「官=公僕」という定義はしごく真っ当だと支持している。
若い頃はそのことに殊更にこだわってきた。私服で県政記者クラブに言っては先輩から怒られたが記者が「官」と同じ格好をしていたら同じ精神構造になってしまうでしょうとかみついていた。独立して広告を作っていた時も官公庁のSP関連の仕事を取る時のプレゼンは出来るだけド派手なシャツを着てサンダル履きなど当たり前でやってやった。お仕事下さいの立場に変わってさえ「公僕」ふぜいにスーツは嫌だった。
別に自慢したいわけではない。本来はこれでいいはずだといいたいのだ。だが小泉に「民」の名を押し頂いたミンの意識は明治憲法の時と同じであった。

としたら9.11は60年遅れの覚醒だったのか。断じて違う。「民」にしてくれた張本人が「官」の頂点にいるのだから。むしろその辺の「主権者」意識が情けないほどなかったことを有り体に証明してしまった選挙であった。

「官から民に」が文字通り行われたとしよう。前述のように決して文字通り行われることはないのだが信じた「民」の思いがかなうと無理矢理に仮定したとして何が残るのだろうか。

民とはジャイアンとスネ夫とのび太がいる風景である。同じことが「民」のなかでも起こる。「民間にできることは民間に」委ねたらジャイアンだけが勝ちまくる。それが市場社会である。少数の「勝ち組」と多数の「負け組」に断じてわかれる。ジャイアンとスネ夫とのび太が共存していられるのは同じ小学校に通っているという「官」の枠組みとジャイアンの母という「官」的な統制が働くからである。「官から民へ」と聞いた時に「オレは民だ」と喜んだ者よ。あなたは「民」だが「のび太」になる可能性の方が圧倒的に高いのだ。しかもドラえもんのいないのび太になるのだ。ずっとずっと。

かつていわれた「一億総中流」はなるほど官が統制した結果であろう。そのシステムが働かない時代であるとの認識ぐらい私にもある。でも「一億総中流の官から民へ」はあり得ないことも知っている。小泉フレーズに酔った有権者は「一億総中流の官から民へ」を夢想してはいないか。そんなのは「一匹狼の大群」という言葉と同様の言語矛盾なのである。
私は「勝ち」「負け」をもうけるか否かでは判断しない。むしろ無尽蔵にもうける「勝ち組」はさらなるもうけを追わないと休む手をもたないという意味で貧乏人である。そして「負け組」も文字通り貧乏である。ジャイアンはのび太を何度殴っても気が済まないし、のび太は何度も殴られる。それが「官から民へ」の正体ではないのか。そこではジャイアンでさえ不幸である。

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2005年10月13日 (木)

第73帝国議会と共謀罪

現在の特別会の審議を見ていると1937年12月から翌年3月まで開かれた帝国議会第73通常会を思い出さずにはいられない。

同議会は政府提出法案86件をことごとく成立させた。その大部分が政府原案のままの通過である。不人気であった前任の林銑十郎首相の後を襲った第1次近衛文麿首相のもとでの出来事である。
この86件のなかには後年、国民の立法権と基本的人権を根こそぎ奪ったと非難される国家総動員法が含まれていた。ところが同法によって存在理由が否定されるに等しい政党の反発は実に弱く国民の関心も低かった。なにしろ「人的物的資源」すなわち何もかもを「勅令の定るところ」つまり議会の承認を必要とせずに動員できるという内容なのに、である。かろうじて立憲民政党の斎藤隆夫と立憲政友会の牧野良三が批判した程度で、民政・政友両党ともこの頃からうわさされていた近衛による新党案に期待して他愛なく自己否定の道を選んだのである。
第73通常会で最もホットな議論となったのは電力国家管理法であった。民営の電力会社を国家の管理下に置いて、新たに発電と送電を行う「日本発送電株式会社」を設立するという案である。東邦電力を経営する松永安左エ門らは激しく抵抗し、既得権の維持を自らの基盤とした民政・政友両党も反対や修正などで強い態度で臨んだ。結局は両院協議会で妥協が成立して可決成立する。

電力国家管理法は統制経済へ傾斜する流れの中で、いわば「民から官」への「改革」だった。現在の郵政民営化関連法案とはベクトルは逆だが「改革」をうたっている点と首相が人気者である点、抵抗勢力が存在していた点などで酷似する。

そして次に書くことが重要なのだが第73通常会の最中には電力国家管理法に隠れてごく一部の反対者を除けば大した議論にさえならなかった国家総動員法が成立したことだ。今の視点から歴史をさかのぼれば国家総動員法の方が電力国家管理法などより数千倍害のある立法だったとわかる。しかし最中にはソヨとした反対論があるだけで可決成立してしまったのである。電力国家管理法も郵政民営化関連法案もカラ騒ぎとまでは言わないが喧噪にまぎれて超弩級の悪法が成立しようとしているとしたら。これは声を大にして言わねばなるまい。

その名を「共謀罪」という。放っておくと国家総動員法と同様に国民的関心を引かないままヒッソリと、しかし確実に成立して国民の基本的人権を決定的に踏みにじることになろう。

共謀罪は「表現の自由」を根底から覆して人権を徹底的に蹂躙する悪法である。反対者は1925年に成立した治安維持法との類似点を指摘している。主に共産主義者をねらい打った治安維持法は結局はマルクスとは縁もゆかりもない人々をも縛り付けた。そこには「表現の自由」を用いて「表現の自由」を封じ込める輩が暗躍する。蓑田胸喜などが代表的存在だ。そうした獅子身中の虫が現代にいるか。いるであろう。
蓑田のごとき道化を利用して共謀罪の「国際組織犯罪防止」という名目を治維法の共産主義者取り締まりと同じように形骸化させ拡大していくのは明らかだ。考えすぎとはいわせない。そうした歴史が歴としてあるのだから。治維法の「情ヲ知リテ之ニ加入シタル者」から共謀罪を連想しない方が難しい。「デートもできない警職法」どころの騒ぎではない

共謀罪とはうまいネーミングだ。多くは共謀共同正犯とだぶらせるが両者はまったく異なる。未遂罪と勘違いする向きもあろうが違う。予備罪には近いがオウム真理教徒の一斉摘発で公安が殺人予備罪を適用するような例外は見当たるが、まさに公安手法による例外である。だがこうした議論が深まる雰囲気でないのを深く憂慮する。斎藤隆夫の名演説を拝借すれば「国際組織犯罪防止」の「美名ニ隠レテ」途方もない失敗をしつつあるのだ。

私は戦前世代を嗤ってきた。自らの自由を放棄して愚かな戦争をして敗北したことを嗤った。だが彼らは「法律ノ範囲内」の自由しかなかったのに対して我らは表現の自由と基本的人権を認める憲法を手にしている。にも関わらず第73通常会の国家総動員法のようにエアポケットに入ったがごとく共謀罪の可決成立を見たならば後世からより大きな嘲笑を買うであろう。しかも我らは今の国会に斎藤隆夫に相当する人材を1人として送り込んでいない。

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2005年10月12日 (水)

新聞休刊日とは何か

今日(10月11日)は新聞休刊日。当たり前のように休刊しているが私は忘れない。あの日の騒ぎを。
それは産経新聞が2002年4月から首都圏で夕刊を廃止して「朝刊単独紙」に転換し、変更の一環として、本来は「新聞休刊日」である同年2月12日に「朝刊即売版」と称する朝刊を発刊したことだ。長年の新聞界の慣行を破る行為で、他社も大あわてで対応した。

そもそも新聞休刊日はかつては元旦および春と秋の彼岸の中日ぐらいだったが、その後徐々に増加し、1992年頃から月1回は休刊となった。新聞社とて企業なので、読者に告知した上でならばいつ新聞を休もうが勝手だが、このサンケイの件に追随して、他社も事実上の朝刊の発売を行ったことは到底納得がいかなかった。

というのも、新聞社がこれまで休刊日を増やしてきた最大の理由として、新聞販売店の苦境を挙げていたからだ。1991年10月6日付朝日新聞によると、「休刊日を増やすことによって」販売店員の「全従業員が、せめて週一回は休めるように、という願いにほかなりません」とある。朝日新聞以外の言い訳もおおむね同じようなものだった。その苦境が不況が深刻化していた02年段階で突然解消したはずはなく、理由は「サンケイだけに休刊日の新聞を独占されてたまるか」だったと断言して何の問題もあるまい。

そこを他社は認めない。社説などによると「冬季五輪報道などのため朝刊特別版を刊行し」(朝日新聞)、「五輪が熱戦を繰り広げており、連休中のニュース報道が欠かせないとの立場から、特別に朝刊を制作して」(読売新聞)などと理由付けたが、うそでしょう。これまで「五輪」に匹敵するニュース価値のある出来事があったって休んでいたのだから。第一、それまでの「休刊日のお知らせ」には、系列の地上波テレビやCSテレビないしインターネットの情報サービスでカバーしていると断言していた。あれはいったい何だったのか。

「特別版」という事実上の朝刊をやはり販売した毎日新聞も含めて、休刊日の事実上の朝刊は駅売店などの販売が主になった。たしかにそれならば販売店の負担にはならないから、これまの説明との整合性は取れていたが、より本質的な疑問が出る。販売店の負担が唯一の原因で、駅売りならばそれが解消できるならば、これまでどうして駅売りさえもしないで「休刊日」(しかも同業他社が同一日で)としてきたのか。
さらに読売の社告に「定期購読者にお届けする」とあるように一部の販売店では宅配もした。他社も一部追随する。おそらくサンケイの「朝刊即売版」が「即売紙のみとし、定期購読の宅配は実施」しないという方針に対抗したのだが、こうなると支離滅裂なのだ。
休刊日が休祝日の翌日に設定されているのは、休祝日には本当の意味でのニュースがないからではない。「五輪」がそれほど大事ならば、スポーツイベントが集中する休祝日の翌日を休刊としていたのはそもそも矛盾していた。本当の理由は官庁の発表や政財界の動きが休祝日には少ないから。だったらそう正直にいえばよい。
新聞はその正確さでは他のメディアよりも高い評価を受けている。その頂点に君臨する全国紙がここまでいい加減な言説で読者の批判をかわそうとした。
何も新聞は休むなといっているのではない。休むにせよ、休むのをやめるにせよ正直に理由をいうべきなのだ。他社は「いろいろ言い訳してきて、それも理由の一端ではあったのは事実だが、サンケイの行動で目が覚めた。サンケイごときにうちの紙面は負けるわけにはいかないので、今回は休刊日にも発刊します」と気勢を上げればよかった。だいたい「新聞休刊日ですが、特別朝刊を発行します」という社告自体が、日本語の守護神を自負する大新聞の恥である。「特別」だろうが「即売」だろうが「朝刊を発行」した時点で「新聞休刊日」ではない。

あれから3年。いつの間にか新聞休刊日の常識は元のさやに収まった。読者は何の説明も受けていない。今は「冬季五輪」に匹敵するニュースがないのか。ないとはいわせない。そのことは新聞社もよく知っているから黙る。談合体質といわれるゆえんであろう。

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2005年10月11日 (火)

球団が企業名を入れる理由の真偽

一般にプロ野球チームが親会社の名前を名乗らなければならない理由はもっぱら1954年8月10日に国税庁長官から国税局長宛に出された「職業野球団に対して支出した広告宣伝費等の取扱について」と題された通達によるとされる。
同通達は「親会社」が子会社である職業野球団に対して支出した広告宣伝費等の取り扱いを定めている。条件は4つあるが重要なのは最初の2項である。

1 親会社が、各事業年度において球団に対して支出した金銭のうち、広告宣伝費の性質を有すると認められる部分の金額は、これを支出した事業年度の損金に算入するものとすること。

2 親会社が、球団の当該事業年度において生じた欠損金(野球事業から生じた欠損金に限る。以下同じ。)を補てんするため支出した金銭は、球団の当該事業年度において生じた欠損金を限度として、当分のうち特に弊害のない限り、1の「広告宣伝費の性質を有するもの」として取り扱うものとすること。

この通達の「1」をもって球団が親会社の名前を名乗らないと「親会社」と見なされなくなるから損金計上できないとの論理がまかり通っているが、これには二重三重の疑問がある。

まず巨人に限っていおう。そもそも巨人という「子会社である職業野球団」は黒字決算をしているのだから問題はない。
また球団名が親会社の名をズバリ標榜しないといけないというならば「東京読売新聞社」ではないのだから2001年までユニホームに「YOMIURI」を入れていなかったことが問題になったはずだが聞いたことがない。確かに01年まで球団の正式名称に「東京」は入っていたが親会社にはないのだから02年から「読売巨人軍」に名称変更して独立したからといって「YOMIURI」を入れなければならない理由が不明だ。

まさか「読売新聞東京本社」の「東京」なのか?

次に赤字を「親会社」の「広告宣伝費」に頼っている他球団に広げてみても通達は「親会社」と「子会社」の関係が明白であることを条件にしているのであって球団名の標榜を云々していない。いったいに会社の親子関係は資本の関係であるのは常識中の常識だ。社名が違うからといって連結決算の対象にはならないなどという話は聞いたことがない。
さらに通達の「2」がだめ押しをしている。「1」をかろうじて「球団名に親会社の名前は入れた方がいいかなあ」と読めたとしても「2」の規定でクリアできるはずだ。
よって「YOMIURI」を通達の内容から標榜せねばならぬ理由は見当たらない。

さらに通達自身に問題があるという指摘もできる。第一に「職業野球団に対して」のみ税制が優遇されていていいのかという問題だ。出された1954年は2リーグに分立して間もなくではあったがビジネス上ではパ・リーグの劣勢はようやく明らかになってきた。

2リーグ制は1949年までに正力松太郎が強力に推進した。この時点では公職追放の身であったが読売新聞の発展と球団創立の立役者であった事実は揺るがない。そこで彼はライバルの毎日新聞を引き入れようとするが読売新聞の現場は猛反発。いわばハプニング的に2リーグが誕生した。
正力はGHQの占領から独立した直後の53年8月に開局した日本テレビの初代社長に就任、54年7月に読売新聞社主となった。さらに翌年には衆議院議員に当選する。通達は正力が読売本体に正式復活した1ヶ月後だ。
さらにパ・リーグ側の立て役者である永田雅一大映社長の社業である大映映画は50年代前半にピークを迎えている。
ここに挙げたのは状況証拠に過ぎない。だが政治的なにおいがプンプンするのは私だけだろうか。当時のプロ野球がナショナル・パスタイムに成長しつつあったのは認める。だから優遇したのだと正面切っていわれればハイと返答せざるを得ない。だがあれから50年以上経ったのである。「職業野球団」ではないサッカーJリーグのチームは通達を利用したくてもできないのだ。

だから本来はプロ野球側から通達を返上すべきなのだ。そうすると「そんなことをしたら球団経営は成り立たない」という反論が起きよう。確かに昨年の1リーグ騒動の時に近鉄球団(当時)が出してきた「赤字40億円」は衝撃的だった。だが本当は「だから通達が必要だ」ではなくて、そんな経営を許していた来し方を反省して「子会社」なりにやっていく努力をするのが先である。
「親会社」が「広告宣伝費」に音をあげて球団を手放すというのは本末転倒である。それじゃあ「広告宣伝費」に見合う広告宣伝になっていないという証拠に他ならないではないか。

話が巨人からそれたので最後に強化策を。星野仙一監督にならなかったのはよかった。外様がダメだとかそんな了見ではない。選手のみならず監督までついに外部の大物を金で取ろうとした巨人のここ数年の「敗北の方程式」に陥らなかったのを評価しているのである。代わりの原辰徳監督がどうこうと言う気もない。
いっそのこと渡邊恒雄会長が監督をやればいいじゃん。彼が采配をする必要など何もない。原ヘッドコーチ以下にほとんどを任せてベンチ奥でふんぞり返っていればいいのだ。選手は死ぬ気でプレーするぞ。もっともそんな絵は見たいような見たくないような・・・・・

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2005年10月10日 (月)

諭吉の丸山真男解釈から総選挙結果を考察

丸山真男は『「文明論之概略」を読む』で福沢諭吉が「知恵」を上から「情報→知識→知性→叡智」に分類していることを次のように説明する。

いちばん上の「情報」というのは無限に細分化されうるもので、簡単にいうと真偽がイエス・ノーで答えられる性質のものです。クイズの質問になりうるのは、この情報だけです。例えば第二次大戦はいつ勃発しましたか、というのは情報のレヴェルの問題ですが、第二次大戦の原因は何かとなると「知識」のレヴェルになり、したがってクイズの問題にはなりえません。
(中略)。現代の「情報社会」の問題性は、このように底辺に叡智があり、頂点に情報がくる三角形の構造が、逆三角形になって、情報最大・叡智最小の形をなしていることにあるのではないでしょうか。叡智と知性とが知識にとって代わられ、知識がますます情報にとって代わられようとしています。「秀才バカ」というのは情報最大・叡智最小の人のことで、クイズにはもっとも向いていますが、複雑な事態にたいする判断力は最低です。

ちなみに丸山の解釈によると土台の「叡智」とは「庶民の知恵とか、生活の知恵」なそうだ。
諭吉は近代の教育に大いなる影響を与えた。「学制」(1872年)の序文に当たる「被仰出書」に「學問ハ身ヲ立ルノ財本」と理学よりは実学を勧め、「邑ニ不學ノ戸ナク家ニ不學ノ人ナカラシメン」と国民皆学を目指した。功利主義と強制教育のタッグに福沢精神が一役買っているのは違いあるまい。すると「すく役立つことを皆に」は○×教育の萌芽とも解釈できる。だから私は礼賛者のように諭吉の個人主義や自由主義を信じてはいない。

丸山にも同様に批判的な見方がある。私は前の世代よりはかなり疑ってかかる側だ。にもかかわらず今回は諭吉と丸山という2人の碩学から学ぶところもあろうかと引いてみようと思う。なぜかというと当ブログで何度か告白している9.11総選挙の意味である。古典を読んでみようというのが私の当面の手段であるとも書いた。
私の仮説は次の通りである。小泉首相は「イエス・ノーで答えられる性質」の「情報」で勝負した。その前に「原因は何か」といった「知識」の争いは吹っ飛んだ。「庶民の知恵とか、生活の知恵」に至ってはまるで消し飛んだ。

800万票ともみられる自民党票の上積みを演出した一部エリートを除く若者は間違いなく小泉改革の犠牲者か犠牲になろうとしている者だ。彼らから未来の明るい感触と現在の自分への自信を奪ったのが小泉政権の4年半だった。「庶民の知恵とか、生活の知恵」の最たるものに「身の危険を察してよける」があろう。ところが彼らは「身の危険」の演出者に熱い一票を投じた。
これが「逆三角形」すなわち「情報最大・叡智最小」の極致だとしたら納得がいかなくもない。「クイズにはもっとも向いてい」るのが「イエス・ノー」で答えるのが得意な「秀才バカ」だというのはわかる。しかし先の姿が私は丸山説と違う。「イエス・ノー」の選択をしばしば間違えながらも親しんではいる「クイズ」でケリをつけようとする「秀才」以外がヤマのようにいるということである。彼らの大半は「庶民の知恵とか、生活の知恵」といった持っていて当たり前の「叡智」がない。だからいつも不安で自信をもてない。その辺は日本青少年研究所の各種調査で痛々しいほど明らかになっている。

「逆三角形」の原因はともかく助長にはネットや携帯電話が大いに一役買っているのではないか。例えば「このブログの善し悪しは何で決めればいい?」と複数の大学生に聞いたら「アクセス数じゃないですか」と異口同音に答えるから驚く。堀江貴文ライブドア社長もニュースバリューを同様の判断でしたらとの提言をしていた。善し悪しは内容の濃さというのが「庶民の知恵とか、生活の知恵」ではなかろうか。それが「最小」になる。

そこを小泉首相は直感的に知っていた。「郵政民営化に賛成か反対か」という「イエス・ノー」の「クイズ」で勝負したのだ。正しい方に○を付けられずに成績が振るわなかった者も「クイズ」形式は親しんでいる。だから「わかりやすい」との評価を得た。本当は「無限に細分化され」た一つにすぎないのに。

逆に「郵政民営化には賛成だが通常国会に出された郵政民営化関連法案は○○などの点で真の意味の改革案とはいえない。したがって・・・・」という主張は「知識のレヴェル」ということになり「逆三角形」ではより小さな力しか発揮しないということになる。

本来ならば三角形に形を戻すのが最良であろうが今の相手には通じない。すると別のより楽しめる「クイズ」で逆襲するか、「クイズ」の集積が決して何も生まないという結果を味わって、つまり日本が敗戦直後のようにどん底に落ちて「庶民の知恵とか、生活の知恵」が呼び覚まされるのを待つか。「究極の選択」ともいうべき局面に日本は立たされているのかもしれない。

私たち出版人はせめて「知識」の段階で読み手を引きつける努力をすべきであろう。しかし成果主義という「イエス・ノー」の論理ではままならない。「情報→知識→知性→叡智」の分類はそのまま「本が売れる法則」に当てはまりそうだから恐い。だったら「情報」で十分な分野では「情報」で稼ぎつつ、それを「知識→知性→叡智」につぎ込むしかない。消耗戦だなあ。

追伸 当ブログをたびたび取り上げ下さる日刊ベリタさんに感謝します。貴社の連載者にベンジャミン・フルフォード氏を見つけました。フルフォードさん元気ですか。荻でっせ!

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2005年10月 9日 (日)

ドラフトのくじ引きは人道に反する

10月3日、高校生ドラフト会議が開かれてプロ野球12球団が参加した。今年から「改革」の一環とやらで高校生を大学生・社会人と分離して開催された。1巡目の指名で重複した選手に関してはくじ引きというルールだ。
まあ何巡目でもくじ引きにしていた時代より少しは進歩したとはいえようが「くじ引き」が残っていること自体が非人道的行為であるということを何故みなが黙っているのか。私はかねがね憤激にたえない。

普通の就職活動は会社側が求職者から選抜していく。だが「くじ引き」で決めるということは1人の求職者を複数の会社が奪い合うわけだから普通のそれとは逆転している。だったら選ぶ権利は求職者側にあるはずだ。憲法が保障する職業選択の自由に反する。

なーんて。ナベツネさんみたいなことを論じているが私の真意はちょっと違う。本来のあり方は完全ウエーバーであるべきだ。つまり12球団が一体となって興業が成立しているのだから弱いチームを強くして強いチームを弱くするシステムにすれば戦力が均衡化する。その方が興業として面白いに決まっている。その成果が極限まで行き届けばセ・パ各6球団が最後の最後まで勝率5割ラインにへばりつくことになる。ペナントレースは最高に盛り上がるはずだ。そこに参ずる高校生も「プロ野球」という興業自体が盛り上がらなければ自分の身の保障も将来も暗いわけだから賛同しよう。

ところがこれができない。ナベツネさんが反対しているやにも聞くが理由はどうあれ出来ない。だったら一転して優勝劣敗の法則にのっとるしかあるまい。強いチームが生き残り弱小チームは淘汰されて別のオーナーが買い取るか新規球団を募るという方法だ。こちらを選ぶならば1人の求職者を複数の球団が指名した場合は選手が、そうでない場合は通常の一般人の就職活動と同様に球団側が選考すればいい。

その中間に「くじ引き」がある。完全ウエーバーもできない。優勝劣敗も取りたくない。だからといって「くじ引き」はないだろう。人身売買だ。
百歩譲って「くじ引き」を認めたにしても引くのは高校生本人にあるべきだ。指名した球団名を書いたくじを指名された高校生が引くならば筋が通るわけではないが論理的に破たんしている「球団が選ぶ」よりはましである。どうしてそういった議論が出てこないのか不可解でならない。

例えばの話である。私は「もてない男」だから素敵な女性に交際を申し込む時は懇請する。当然だ。一方の素敵な女性は末席の私を含めて数人の男性から選ぶ権利を持っている。これまたいうまでもない。自然の摂理とさえいい得る。ところがドラフト会議は「もてない男」も「もてる男」も一緒くたになって同一の権利を有して「誰が素敵な女性と付き合う権利を得るのか」を「くじ引き」するのである。そんなのは間違っている。それがまかり通るならば「もてない男」のオレは・・・・オレだって・・・・。

じゃあない! 私は正当に権利を行使すべきだといいたいのだ。「くじ引き」も含めてプロ野球の掟だという論理もあろうが選考の瞬間は選ばれる者は高校生であって機構の人間ではないから無理矢理当てはめるのは不条理だ。しかも彼らはまだ未成年なんだよ。可哀想すぎる。
さらにいえば大学生と社会人には自分から球団を選択できる権利を上位指名者に認めている。これも憲法が保障する「法の下の平等」に反するのではないか。

ただし大きな問題が背後にある。それは日本プロ野球機構など興行側の姿勢だ。完全ウエーバーにすると同年に有力選手がいる場合にわざと負けて指名順をあげる恐れがある。打率や防御率を維持してタイトルを取らせるために自軍の選手を休ませたりライバル選手を敬遠漬けにして恥じない風土があるからやりかねない。
日本高野連(日本高等学校野球連盟)が自由獲得に反対するのも「そっちの方が人身売買になりかねない」と暗に興行側を疑っているからだ。
一定期間以外はプロは高校生に一切接触しないとか最高年俸と契約金の条件を絶対に守るとか一定の条件以外の密約はやらないとか裏金やそれに類するサービスをしないとか。それがきちんと守られない限り高野連の疑惑を晴らすことはできない。そうした問題で辞めたはずの「オーナー」が短期間で「会長」なるものに復帰するようでは暗黒だな。ここが根源であろう。

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2005年10月 8日 (土)

自民党総裁選にも劣る連合会長選挙

◎高木剛
東京大学法学部卒業後、業界トップの旭化成に入社。2年後に労組の専従になる。1980年から84年までタイ日本大使館一等書記官。88年に民間最大の産業別組合であるUIゼンセン同盟の前身であるゼンセン同盟の書記長。1996年より会長。

◎鴨桃代
淑徳大学で福祉の勉強をして卒業。生後まもない長男を難病で失う不幸に見舞われるなどするなかで保育所勤務などの後に1989年から個人でも入れる労働組合「なのはなユニオン」結成に参画、後に委員長に就任。2002年にパートや管理職でも個人参加できる日本初の全国組織「全国コミュニティ・ユニオン連合会」(全国ユニオン)の会長に就任。

(※経歴は日外アソシエーツWHO'S WHOおよび朝日新聞05年10月7日付、読売新聞02年11月30日付記事による)

リストラ、不規則勤務、過労、賃下げ、サービス残業、裁量労働制の進行などが進むなか、労働者の代表としてどちらが適切かはいうまでもなかろう。
その代表を選ぶ連合(日本労働組合総連合会)の会長選が6日行われ高木氏323票、鴨氏107票で高木新会長が選出された。これを鴨氏の予想外の大健闘と称えるあたりに労働運動の時代遅れが痛いほどわかる。

高木新会長の経歴を改めて見てもらいたい。彼はそもそも労働者なのだろうか。東大を出て一流企業に就職。長い専従期間を経て最大級の労組のトップ。外交官の経験まである。人となりは知らないが今の労働環境にビビッドに反応できる経歴とはとても思えない。89年結成の連合には当初から幹部として参加していたわけで労組全体の組織率が20%を割った責任者の一人である。

対する鴨氏は前記読売新聞の記事によると全共闘世代という。私個人としてはあまり好きな世代ではないがこれまでの労組が救えていなかったパートタイマーなどを組織して3300人の組織にまで積み上げた人物の一人であることは間違いない。先述のような厳しい環境に置かれている労働者団体のトップには少なくとも高木氏よりは適任であろう。

ところが連合の会長選挙は当初は選挙になる予定だったのを「話し合い」によって高木氏に一本化して無風にしようとした。密室の自民党総裁選びに酷似する。それを鴨氏が阻止して選挙になった。約80万人のUIゼンセン同盟を向こうに回しての「323対107」は確かに善戦ではあったろう。だが従前の予定通りに高木会長となった事実は動かせない。

連合会長選は「連合に会費を納める組織人員1万3000人ごとに1票が各産別に割り当てられる」(前記朝日新聞記事より)という。これまた自民党総裁予備選挙の仕組みとソックリだ。労組が自民党ソックリの制度でトップを選ぶことを何とも思わない。そして政治家ならば有利であろうピカピカの学歴と職歴・経歴を持つ人が選ばれる。これでは労働組合活動の未来はない。

そもそも労働組合運動は今や大ピンチである。前述のような劣悪環境に置かれた労働者にとって労働組合は本来「希望の星」「駆け込み寺」にならねばおかしい。ところが今や支持している民主党からも抵抗勢力呼ばわりされている。「希望の星」どころか改革の邪魔者扱いだ。それは国民一般に広がっている雰囲気でもある。そうなった責任がナショナルセンターである連合にないとは言わせない。そして高木氏は繰り返すが連合結成から中核にいた人物である。

高木氏をダラ幹とは言うまい。だが奴らが仕組んだに違いない「話し合い」路線なるものに乗っかろうとしたのは事実だ。配下にダラ幹を抱えているのも疑いない。そして彼の経歴ではダラ幹を一掃するなどできはしない。

自民党総裁選と似ていると書いたが違うところが一つある。それは自民党員が2001年の総裁予備選で本命の橋本龍太郎元首相ではなくて鴨氏と同じような立ち位置から出てきた「変人」を総裁に選んだ点である。当時の自民党は森喜朗「話し合い」首相の相次ぐ失態で人気は地に墜ちていた。「変人」は組織固めもせずに「自民党をぶっ壊す」と叫んだ。こいつの方がまだ党を何とかしてくれそうだという恐らくは直感が自分の直近の利害を超えて「変人」を選ばしめた。結果はみごとに的中している。

要するに連合組合員は小泉純一郎候補を選んだ自民党員よりも直感が鈍いということである。劣ると表現してもいい。彼らは労組=抵抗勢力と見なしつつある国民をアッといわせるチャンスを得ながら見逃した。この選挙は単なる善戦に終わらせてはいけなかったのである。鴨氏が勝てば新聞は1面トップで扱っただろうし新しいもの好きのテレビも追随したに違いない。しかも鴨氏の方が現状変革には適した人材であったから暴挙として扱われることもなかった。

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2005年10月 7日 (金)

国旗・国歌論争最終解決案

国旗「日の丸」掲揚と国歌「君が代」斉唱を拒否した教職員が罰せられるとか「不当だ」と反論するとか児童・生徒にも強要するのはおかしいとか当然とか・・・・。もうそんな話は止めようよ。当の児童・生徒の教育や情操には何の役にも立たないんだから。
まず国旗・国家法が成立した以上は「日の丸」「君が代」がそうであるという点を争う余地は消えた。強要しないとの付帯決議など屁のようなものだ。条文に入れられなかった時点で敗北である。

私の考えは国旗掲揚と国歌斉唱は学校行事などにあってもいいが拒否する権利も認めるべきという朝日新聞あたりの意見と基本的には同じである。だが朝日と一緒というのは癪なので強引に別の独自の、多分いつものように誰も賛同者がいない持論を構築する。

日の丸はデザインが美しいので認めるが君が代はダサいので取り替える

どうだこれで。

日の丸がデザインとして優れているのは論争の余地さえあるまい。他の国のどれと比べてもひときわ目立つ。4色オフセットの世界で最も目立つ色は金だが次はキンアカである。Y100M100という指定になるが日の丸の赤はそれに近い。
地は金かキンアカを採らなければ墨(BK100)か紙の地色すなわち白が最も強い。キンアカでマルをデザインした時の地色にBK100を用いるのはナンセンスだから白がベストの組み合わせだ。最高のデザインである。どこの国かわからない三色旗か(私は創価学会の三色旗との区別さえできない)地域の旗をごちゃ混ぜにしたユニオンジャックよりずっといい。インパクトの強さで拮抗するのはリビアの国旗ぐらいであろう。

だから日の丸は国旗でいい。絵画やデザイン、アニメなどの分野で突出したセンスを持つ日本国民の精華である。日の丸に侵略に対する血塗られたイメージがあるだの、だったらユニオンジャックや星条旗はどうよなどといった属性の論議はどうでもよろしい。侵略の歴史も背負い込んだ上で美しいデザインを掲げるのだ。これもまた過去に対する責任の取り方であろう。

一方の国歌。こりゃダサいな。日本のデザイナーやアニメが世界に通じているのに対してポップスはまったく足下にも及ばない。あるロックギタリストを取材した時に「日本人はどうして開演から総立ちするのか。それも不思議だがもっと不気味なのは観客が一定の間隔でする手拍子である。あの音感は何か」と聞かれて実際に真似をされた。私はとっさに「それは南無阿弥陀仏でしょう」と答えた。音楽は日本人の苦手とする分野なのだ。

それでも君が代の曲の方はまあ許せる。間は抜けているがスポーツの国際試合の直前にあの曲を相手選手に聞かせれば相当のダメージ(ダウナーにする)を与えられよう。ただ歌詞は我慢がならない。言っておくが「君が代」の「君」が天皇制を意味するかどうかなどという高尚なことを指してはいない。歌詞全体の非科学性である。
いったいに日本は科学技術立国である。その国が砂がだんだん岩になるなどという歌詞を「苔のむすまで」などと歌い上げるは恥とは思わんか。右翼よ。この歌詞では天皇制は非科学の極致だという証明になるのだが、それでいいのか。

歌詞の問題は日本に限らずあるようだ。例えばドイツ国歌は以下のようである。

【1番】
ドイツ、ドイツ、すべてを超えたドイツ、
世界のすべてを超えたドイツ、
マース川からメーメル川まで
エッチ川からベルト海峡まで、
守りを固めて、つねに兄弟のようにひとつになれば――
ドイツ、ドイツ、すべてを超えたドイツ、
世界のすべてを超えたドイツ!

おいおいまずいぜ。何といっても今の版図と違っている

【2番】
ドイツの女、ドイツの誠、ドイツのワイン、ドイツの歌は、
昔のままの美しい響きを世界に伝え、
われら、生きるかぎり、
われらを気高い行為へと励ますだろう――
ドイツの女、ドイツの誠、ドイツのワイン、ドイツの歌!

意味不明の上にナンセンスである

【3番】
祖国ドイツのための
統一と権利と自由!
われらみな、それを求めて励もう、
兄弟のように、身も心もささげて!
統一と権利と自由は
幸せのいしずえ――
花ひらけ、この幸せの輝くなかで、
花ひらけ、祖国ドイツ

まあこれはいいでしょうね。

フランスのラ・マルセイエーズは広く知られているように革命歌である故の過激性が当のフランスで問題となっている

立て祖国の子らよ栄えある日は今来た
我らに向かって圧政の血なまぐさい旗が掲げられる
聞こえるだろう野に山に
敵兵どもの吠えわめく声が
彼らはすでに
我らの身に迫り我れと我が家族を狙っている
武器を取れ市民達よ
隊伍を組め
進め進め
汚れた血で
我らの田畑を潤せ

フランス語がわからなければ何を言っているかわからないからいいがフランス人は母国語だから痛いほどわかる(当たり前だが)。いくら革命歌とわかっていても子どもに教えるのは躊躇があって当然だ。

そこで結論である。

国旗「日の丸」はデザインが美しいから尊重する。掲揚もじっと見守る。侵略の歴史があったにせよ、それをも背負う。国歌「君が代」は歌詞がバカげているので曲は聞くが歌うのは止める。同様の問題はドイツやフランスも抱えているので問題はない。

ところで本心は国旗掲揚と国歌斉唱には反対の朝日人よ。お宅の社旗はいいのかね。

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2005年10月 6日 (木)

村上某に怒れ阪神ファン

村上某が阪神電鉄株を買いあさっている。保有比率の3分の1まで買い増して議決権の一部を事実上得た形になった。なお村上某と表記するのはファーストネームさえ書きたくないほど嫌いだからである。
確かにこのところの阪神電鉄株は上がっていた。ただ東証そのものが外国人買いで上昇指向にあったに加えて阪神タイガース優勝ご祝儀相場との見方が一般的だった。そうではなかったのだ。正確にいえばご祝儀相場に紛れ込んで買い進んでいたわけである。単なる提灯付けとも違う。何て言ったらいいのかな。はやりの言葉でならば「ステルス作戦」か。

その村上某が「阪神タイガースをファンのための球団にしたい」とタイガースの上場を提案したと一斉に報じられている。「ファンのための」だって?ワハハハハハハハハ。村上某はどこの口からそんな言葉を発しているのかね。

だいたい「ファンのため」を思うならば優勝が決まってこれから日本シリーズだという時に野球以外の場外の話題で関係者やファン、選手の気もそぞろにすること自体がおかしいであろう。これから阪神の話題はシリーズそっちのけで某に集中する。某のあの顔と姿が、スポーツとはおよそ無縁の「金勘定ここにあり」の絵がのさばる。

村上某が嫌いなのはそれだけではない。先の「ファンのため」発言も含めて彼らが「株主価値・企業価値の向上」などとご立派な口を叩くから嫌なのだ。目的は金もうけでしょ。だったらそうすればいいだけの話なのに何やら公益のために身を粉にして働く改革者のような見せかけをするのが我慢ならない。

是川銀蔵は単に金もうけだけに徹して儲けは慈善事業などにつぎ込んだ。自分の意見は独眼流というペンネームで書き残すに止めた。横井英樹は乗っ取り屋で目的はやはり金もうけ。ホテルニュージャパンの経営者にもなったが大火災の惨事の責任者となった。彼もまた公益に尽くすような物言いをしなかったし、しても誰も信じなかった。是銀と横井を同列に扱うのは間違っているが、いずれも押しつけがましい屁理屈はこねなかった。
だが村上某は違う。「株主価値」=オレの株、で「向上」=オレの儲け、なのにあたかも仲裁者のごとき立ち居振る舞いをする。単なる金貸し、金転がしだと認めない。そこに腹が立つ。

そういうと「物販が偉いんですか?」との堀江貴文ライブドア社長の声が聞こえてきそうだが、金貸し、金転がしよりは偉いのである。だから銀行などの金融機関はまだ一般には十分に普及していなかったクーラーを1980年代前半までには夏場にはガンガンにかけ、一分のすきもないスーツ姿の男性行員とユニホーム姿の女性行員が応対した。「堅い」という演出をしなければならないほど本来は「どうよ」という商売なのだ。また私のような零細企業から大企業の経営者に至るまで「銀行が好き」という者は皆無であろう。銀行でさえそうなのである。村上某の率いる某社など何ほどのものでもないのは明らかだ。

報道によると阪神電鉄が保有している不動産の簿価と時価の差の大きさなどを比較して株価が低位にあると判断したともあるが、だったら最大の物件である甲子園球場を売却しないと話が合わない。それが「阪神タイガースをファンのための球団に」することかいな。さらにいえば含みをすべて勘案したとしても村上某の買い方は尋常ではない。タイガース上場といってもすぐにはできない。直近の決算から始まってさまざまな手続きがある。売り上げ100億円レベルの中小企業の上場から得られる利益が投資に見合った額になるかも不透明だ。

だからいかがわしいのである。ずいぶんと時間がかかる上に利得が不明瞭なタイガース上場を短期の売り抜けを狙う投資ファンドが題目のトップに挙げているのは。ニッポン放送株の際も村上ファンドの動きは実に奇っ怪だった。彼を後押しする者と彼が株の売り先に狙っている者は誰か。何か。いろいろと想像はつくが、いずれにせようさんくさい。

タイガースファンは怒りの声を挙げるがいい。というまでもなく挙げてるだろうが。「村上某よきれいごと言うな。ワテら大阪の人間には見え透いてるで」とね。変に電鉄株を守ろうとなけなしの金で買い向かったりしたら某の思うつぼであるし、某に打撃を与えんと持ち株を売り浴びせても逆に某のえじきになる。

スタートレックで商売だけを至上とするフェレンギ人という存在がいる。彼らは「金儲けの秘訣」という信条を幼少の頃から叩き込まれるがその16条に「取引は、取引だ。よりよいカモが現れるまでは」というのがある。村上某が待っているカモは誰だ。多分、彼だ。売り切りに売って手仕舞い。後は野となれ山となれ。ハゲタカが舞って人情は紙風船。恐らくはそれにさえ喝采する惰民。やな世の中だ。

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2005年10月 5日 (水)

鈴木宗男と中野正剛

人は逆境に遭うと天地が引っくり返るほど変わるということが現実にあるらしい。

悪しき例が自民党に所属して郵政民営化関連法案に反対し、刺客を送られながらも当選した「無所属造反組」である。彼らのうち野呂田芳成議員以外は特別国会の首相指名選挙で小泉純一郎候補に投票した。殺し屋を差し向けた相手を支持するポチ、いやポチだって殺されそうになったら歯を剥き出そうからポチ未満の腑抜けがズラリと国会にいる。

その点で綿貫先生は偉い。開票作業中から郵政民営化関連法案の再提出には反対だと明言し、首相指名選挙では綿貫民輔と書いた。あのお年で自民党を離れて首相指名選挙で自分の名を書こうとは本人も予想だにしていなかったに違いない。たった6票だったが万金に価する。

そして鈴木宗男議員である。小誌は毎週『週刊現代』を講談社から贈呈いただいているが今週(10月15日)号の45ページに信じられないことが書いてあった。「個人情報保護法から国会議員と指定職の公務員を除外せよ」と叫んでいるのだ。
その理由が振るっている。いわゆるムネオ疑惑が騒ぎになった時にはまだ同法はなかった。宗男議員は同法がもしあったならば「私はあれほどマスコミに叩かれることはなかったでしょう」という。ここから普通の文脈ならば同法ができてよかったとなるはずだ。彼は裁判では争っているのだから。だがどこをどう間違えた・・・・いや刺激されたのか宗男議員はその体験から「この法律が悪用されれば日本の社会は権力者の思うまま」になるから「国会議員と指定職の公務員を除外」すべきだとの認識に至ったというのである。

驚いた。鈴木宗男さん。あなたは・・・・もしかしたら・・・・私たちの・・・・み・・・味方・・・・なんですか?

改めてそう言われると論理的一貫性がないでもない。「マスコミに叩かれ」たことで深く反省して再生を誓った。その機会が今の国会議員と指定職の公務員は個人情報保護法のせいで失われていて「不正があっても隠蔽されてしまう」からいけないというわけだ。わかるにはわかる。でも「疑惑の総合商社」といわれた御仁がこんな改心をするのだろうか。
ところがどうやら本気モードなのだから再度驚く。詳しくは『週刊現代』を買ってお読み下さればわかるがどうやら信じてよさそうなのだ。

傍証もある。10月4日付『朝日新聞』には外務省がかつて宗男議員への「対応マニュアル」を作っていたという事実に関して「外務官僚の特権を守ったり、スキャンダル隠しに手を貸したことを深く反省している」ので「今後は私の知る実態を明らかにし、国民の知る権利の確保に尽力する」とのコメントを発表したのだ。宗男議員は曲折あって「国民の知る権利」の重要性に気づいたのである。信じがたいことだがそうであるらしいのだ。
たしかにいかに「疑惑の総合商社」だったとはいえ宗男疑惑の報道はいささか度が過ぎた。彼が誰かさんを殺した風に示唆したり、まだ未成年の息子や娘にまで言及したり(加藤昭さん!)と言いたい放題だった。でもそうした経験がある人はたいてい「オレの権利を守れ」の方向に行くのである。『検察恐るべし』を著した佐藤孝行元議員しかり。金正日ばりに肉声さえ聞かせない中村喜四郎議員しかり。少なくとも「かつてのオレのような立場にある者はさらされろ」と訴えた例を私は知らない。

あえていえば中野正剛と共通するかもしれない。中野は1931年の満州事変以後ナチス張りのファシズムを志向して自ら結成した東方会でファッショ的主張をヒトラーを想起させる演説スタイルで鼓吹した。実際にドイツを訪問してヒトラーと会見、崇拝の念を強めて憲政の否定へ走って大政翼賛会では総務に就任した。太平洋戦争もむろん大賛成である。ここまでは明らかに誤った政治家といえよう。
ところが東条英機首相が独裁スタイルを顕著にしてきたら強烈に反発して大政翼賛会を脱退。翼賛会の政党的部分である翼賛政治会所属者以外の当選がほとんど見込めなかった「翼賛選挙」を非推薦で当選した。その後も東条への攻撃をゆるめずに1943年に有名な「戦時宰相論」を朝日新聞に発表した(発禁処分)。結局はわけのわからぬ理由で逮捕されて釈放された後に割腹自殺するのだが、その際にはかつて崇拝していたヒトラーとともにある記念写真を居間から外していたと伝わる。
この一件があったからこそ中野は最後まで誤った政治家という汚名を免れた。少なくとも歴史は一定の評価をしている。

その中野の影響か。されば同じ派閥だった綿貫先生を仰いだか・・・・。何となく違いそうだ。ひどいことを書かれた家族の特に娘さんの尽力もあって宗男議員は当選できたとも聞く。立件された事件そのものは徹底的に争う方向だというし、また徹底的に裁かれるべきでもある。でもその最中で「知る権利」の重要性に気づいたとしたら。我々(といっても何人いるか知らないが)「表現の自由」原理主義者は素直に歓迎すべきであろう。

中野は誤った。宗男議員も誤った。事件は裁判が確定しなければ最終的な誤りとはいえないが本人が「深く反省している」という外務省とのいきさつは誤りといってよかろう。中野の逮捕と宗男議員のそれが同じとはいえないが逮捕という経験を持つ点は共通する。そして中野は独裁者と対決し、宗男議員も平成の独裁宰相に一矢報いるつもりでいる。9月11日の総選挙を「翼賛選挙」になぞらえるのはさほどおかしくない。そこで宗男候補は中野の「非推薦」を思わせる地域政党で勝ち上がった。その過程で中野と同様に以前の誤りを心中で葬り去ったとしたら・・・・これは面白い。むろん割腹自殺などしてほしくないが死ぬ思いで戦ってはもらいたい。

宗男さん。「個人情報保護法から国会議員と指定職の公務員を除外」せよと訴えるならば少なくとも私は支持する。事件の方は最高裁まで争って有罪になれば失職してしまうが、それでも同法反対を訴え続けてくれるのか。しばらくは目が離せないし離さない。

何百回でも書く。個人情報保護法は天下の悪法である。それに反対してくれるならば右も左も無罪も有罪もなく連帯あるのみだ。

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2005年10月 4日 (火)

「TOKYO」を「YOMIURI」にした罰

読者諸賢。巨人戦を観てますか?
私は巨人ファンである。正確にいうとそうだったはずなのだが最近ではすっかり観なくなった。どうでもいいのである。そういう人は多いようでビデオリサーチ社の調べによると2005年のプロ野球巨人戦ナイトゲーム中継の平均視聴率はやっと10%(10.2%)。同社が1989年に月別の視聴率の計測を始めて以来の最低となった。ゴールデンタイム(午後7時から10時まで)でこれではキラーコンテンツどころか救急車が走る「お荷物」である。

昨日(10月2日)の深夜に日本テレビが巨人戦を深夜枠で流していた。ついに御本家でも救急車が走ったのである。さっそく観てみたがウーン違和感がない。その後にプロレスリング・ノアが続いても違和感がない。

毎日新聞にいた頃に「巨人ファン」と告白するとずいぶんと白い目で見られた。何が悲しくて読売の肩を持つんだと。だって毎日の肩を持ちたくても毎日オリオンズは消滅して久しいし(本社にはオリオンという喫茶があったそうだが)何よりもファンの心理として「巨人」イコール「読売新聞」ではなかった。「巨人」は田舎育ちの私にとって憧れの「東京」を象徴する存在だったのだ。

巨人軍の歴史を振り返ってみる。現在につながる本格的なプロ球団は1934年創設の「日本東京野球倶楽部」。翌年に同チームはアメリカに遠征して主にマイナーリーグのチームと多数の試合をこなしたが「日本東京野球倶楽部」のチーム名では堅苦しすぎるために当時ニューヨークに本拠を置いていた人気球団ジャイアンツをまねて「東京ジャイアンツ」の名で試合を行った。この「ジャイアンツ」を日本語訳して「東京巨人軍」、略して「巨人」が誕生したのである。
つまり「東京」の名は単に日本の首都を意味するのではなくアメリカのニューヨーク同様に「国を代表する都市名」として使用されていたし、それがまぶしくもあった。ホームのユニホームには大リーグの人気球団名と同じ「GIANTS」、ビジターでは「TOKYO」。どっちも格好よかった。
正式名称はその後も変わりはした。

1947・・・・大日本東京野球倶楽部を読売興業と改め、東京巨人軍は「東京読売巨人軍」と改称
1992・・・・読売興業を「株式会社よみうリ」と改称

それでも警視庁を東京都警察本部と呼ばないように巨人を読売とは呼称しない。その点が「阪神」とも「ヤクルト」とも違った。別格の趣があった。
ところが2002年「株式会社よみうり」の一部門である東京読売巨人軍が「株式会社読売巨人軍」として独立したのに際してビジター用ユニホームの胸章を「TOKYO」から「YOMIURI」に変更してしまった。私はこれこそが人気凋落の致命傷であったと信じて疑わない。

巨人ファンは全国にいる。一つは東京圏の人達で、彼らは「東京人」という尊大さをやや含む誇りを球団名に託していたはずだ。他方で負けず劣らずに地方に熱狂的なファンがいた。それは私のような多分に東京へのあこがれがそうさせた。セントラルの他の5球団の本拠地球場以外は年に1回来るか来ないかのビジターとして地方に来る時は胸章に輝く「TOKYO」の文字。素敵だったなあ。

それをいきなり「YOMIURI」に変えてしまったのだ。

読売新聞は全国紙だが地方にはその地域だけ暴風雨のように購買層を持つ地方新聞やブロック新聞が強い勢いを持つ。そんな人達に「YOMIURI」の呼称を見せつけるのは「あこがれの東京」の象徴だった巨人が実は読売新聞という私企業の宣伝に過ぎないのだとゴツンとわからせるような行為で皆がしらけて当然である。「新聞だったら要らないよ」というわけだ。何しろ地方では巨人の子会社が読売新聞だと思っている人も結構いるのだから。

実は「『YOMIURI』に変えたら視聴率約10%」とはとても論理的な数字だと感じ入ってもいる。
簡単な試算をしてみる。読売新聞は自称1000万部の発行部数を誇る。日本の人口1億2000万人で単純に割ると約8~9%となるからだ。もちろん読売新聞の読者皆が巨人ファンではないだろうが少なくとも「TOKYO」が「YOMIURI」になっても違和感を抱かない層と推定することは可能である。「視聴率10%」とみごとに符合するではないか。

こうした変化は当の巨人の選手に何らかの影響を与えていないのか。有名な記事が2002年11月7日付のスポーツ新聞『報知新聞』に載っている。前述のようにこの年の初めから「YOMIURI」に変えた。タイトルは「巨人・松井秀喜[移籍決断の裏側]《6》先輩たちの熱い思い…伝統を大切に」で同紙松井勲記者の署名記事である。抜粋して紹介しよう。

 公の場で批判めいた言葉を発しない松井が、珍しく漏らしたことがある。「あれはちょっとな…」今シーズン開幕前(中略)ビジター用ユニホームの胸のロゴも「TOKYO」から「YOMIURI」に変更された。
 (中略)松井は「なぜ(経営者は)伝統を大切にしないのだろう。巨人のユニホームを着たことに誇りを持っている先輩たちは、果たしてあれで喜んでいるのだろうか」と話した。親会社の社名をロゴにすることは禁じられているわけではなく、採用しているチームは多い。しかし、球界の盟主・巨人には「やって欲しくなかった」というのが、松井の本音だったようだ。
 (中略)ユニホームのロゴを変えたことは、松井のメジャー決断と直接かかわった訳ではない。だが、松井の心に何かを沈殿させたように思えた。

この年を限りに松井はニューヨークヤンキースに移籍した。「伝統」「誇り」を人一倍重んじた主軸が去る動機になっていたとしたら現在の選手の士気がいかほどか想像がつく。

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2005年10月 3日 (月)

プライバシー保護の風潮を罵る

この際、世の流れに棹さして非難囂々の物言いをしよう。「あなたのプライバシーなど保護するには当たらない」だ。「あなた」には無論私自身も入る。私も含めて民草のプライバシーなど何ほどのものかといいたいのである。

ピンク映画館や風俗店で失火があったとする。その様子を写真なりビデオで収めたとしよう。失火の程度や原因によっては重要なニュースである。そこに映り込んでいた客の顔はプライバシーなのか。
最近ではサッカー場や野球場の観客席の様子をくっきりと見せることさえプライバシーの侵害に当たるという主張がある。サッカーや野球を観ていることが恥じ入るべき暴かれてはならぬプライバシーなのか。
街をどんな格好で歩こうが自由である。甚だしきは刑法に触れるがそれ以外は勝手である。それを写真やビデオで撮られたとしても、その出で立ちと場所を選んだのは当の本人なのだから「いるべき人がいるべき場所であるべき姿で存在した」という以外の何ものでもあるまい。だが今ではそれでもプライバシーを侵すことになりかねないのだ。

差別やわいせつにつながるプライバシーの暴露はいけないとしても、ここまでやるのは行き過ぎである。そもそも私を含めた民草に大層な個人情報などありはしない。風俗店の客だったと知れるのは確かにまずかろうが自分が選んだ行為である。それで仕事なり付き合いなりで不利益を蒙ったとしてもやむを得まい。
本来の自由な社会は自分の名前ぐらいは堂々と名乗ってでないと自由な発言をする資格はない。ファッションも同様でその格好をしていると知れて困るならば止めるがいい。もちろん内部告発など名乗れぬ理由が明らかにある場合は例外だ。そんなことは赤子でもわかる論理であろう。

個人情報保護法に引き続いて人権擁護法案が用意されている。同法案は自民党の中から「表現の自由」とは無縁の思わぬ方向で反対が巻き起こって先の国会ではお釈迦になったが、いつ復活するかもわからない。

民草ふぜいが有名人気取りに「それは個人情報だ」などというようになったのはいつからだろうか。一部では同窓会などの会員名簿も作れなくなった。住民基本台帳の閲覧が禁止になればダイレクトメールを打ってのセールスプロモーションも大いに制約されよう。そうなれば確かに不気味なDMや電話セールスからまぬがれることはできる。正直いって私自身もまたこうしたセールスには迷惑している。いったいどこから調べたのか不審でもある。でもそんなこんなも含めて「自由」なのではないか。自由とは本来、混沌として猥雑である。ウッとくる臭いがあって濃密である。
個人が「個人情報」なる武器を手に自分の回りに高い高い壁を作る。それで何を守れるのかが知りたい。夫婦や親子の間でさえ最近ではプライバシーの侵害が問題視される。こうなると人間関係を断ち切る道具にさえなりかねない。
民草ふぜいのプライバシー保護の訴えは自己愛と被害妄想と、それの裏返しにある誇大妄想が引き起こしているとにらんでいる。「あんたのことなんて誰も興味はないんだよ」と言ってやりたい。何度も繰り返すが「あんた」の中には私自身も含まれる。

我慢がならないのはこうした民草の愚かな自己愛から発した「空気」を政治家などの公人が利用して身を隠す手段にしようとしている策動だ。個人情報保護法や人権擁護法案などは典型である。民草でさえ保護されるプライバシーならば我々もと悪乗りする。それをプライバシー保護という甘いキャンデーにして示すと自己愛満タンの民草ももろ手を挙げて賛同するという仕組みだ。それに反対するものはすべて「人権意識が足りない」となる。待て待て。「表現の自由」を大いに侵してまでして存在する基本的人権とは何だ。それは家畜の権利と同様ではないのか。

かつて警察発表が「プライバシーに配慮して」匿名になっていたりすると記者クラブ側は「すべてを示せ。プライバシーを配慮するのは我々であって警察ではない」と迫った。少なくとも私はそう教えられた。メディアのあり方すべてを肯定する気はないが、この姿勢に限っては正しかったと信じる。プライバシー保護とやらが行き過ぎると市場も言論も萎縮してしまう。

最も怖ろしいのは、その結果としてプライバシーを一手に握るのは公権力だけとなる点だ。端的にいってプライバシー保護の美名のもとで個人情報のすべてを公権力のみが把握して漏れなくなるのが怖いのだ。誤解を恐れずにいえば(すでに十分恐れていないが)個人情報が企業なり役所なりから漏れる不祥事が起こっている限りはまだ安心である。完璧なブロックが出来上がったらお仕舞いである。それを閲覧できる者は間違いなく恣意的に利用する。閲覧できない者は、その結果として表れるあらゆる事態を仕方がないと受けとめるしかなくなる。刃向かったらお縄である。かくしてプライバシーを守るつもりがプライバシーの消滅という結論を招こう。民草の自己愛は馬鹿と同義で犯罪に近い。乞う反論。

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2005年10月 2日 (日)

本田靖春集を読んで

旬報社刊の『本田靖春集』(全5冊)を読み終えた。正確にいえば既に皆読んだことがあったので読み返したというべきか。
私は編集や取材・執筆の上で資料になる本を除いて本を読み返すという習慣がない。それよりは新しい本が読みたいからだ。でも本田さんは読み返した。
ノンフィクションの分野では大好きな書き手だった。崇拝していたといっても過言ではない。

彼が『小説新潮』に『警察回り』(本田靖春集では5巻に収録)を連載していた頃、私は就職活動を考え出していた大学卒業の年次だった。そしてこの作品を読んで「新聞記者になりたい」と強く願った。だって格好いいんだもん!本田さんみたいに「警察回り」をやって弱者のためのキャンペーンを張って、深代惇郎みたいな親友を得て(あわよくば深代になって)、格好良く社を去りたい・・・・なんてところまで夢想した。
確かに『警察回り』は過ぎ去った黄金時代を書いているから今から新聞記者になってもかなわない環境であるとは思った。だが同時に「決して、戦後の良き時代に捧げる″挽歌″ではない」ともあったから本田さんが「養分」としたような環境はまだあるに違いないと信じた。

それまでの私は出版社志望だったが『警察回り』で志望順位が変わってしまった。内定を下さった出版社を袖にしてまで毎日新聞社に入ってみたものの本田さんのようにはとても行かない。
入社してしばらく記者クラブで同期の何人かと話したら皆『警察回り』を読んでいた。「本田さんには騙されたなあ」なんていう者もいた。でも誰も恨んでなんかいない。むしろ騙されて心地よかった。
当の私はというと本田さんになるどころではなくダメ記者のまま逃げるように社を去った。巡り巡って出版の世界に身を置くことになったが『警察回り』にはいまだに感懐がある。

第5巻は『警察回り』と『不当逮捕』が収まっている。どちらも新聞記者が主人公だ。多分新聞記者を1週間でも経験したら涙が止まらない作品である。私は良くも悪くも泣かない性質だが第5巻を読んでいる間は泣けて泣けて仕方がなかった。『警察回り』の解説を書いている大谷昭宏さんも泣いていた。

「ペンは剣よりも強し」は嘘だと思う。武力を意味する「剣」はもとより権力の「権」にもかなわない。それでも「強し」と呼ばわって戦った人達がいた。彼らを温かく見守っていた先輩がいた。その意気やよしとの気風も社会にあった。弱者や少数者をペンの力で紹介し場合によっては救うという営みが尊かった時代があった。

本田さんの作品を本質からしばしばずれると評する人がいる。だが筋だけを追っていてはわからないストーリーは貴重である。そこに一貫して流れるのは単純な二元論では決して語れない人の深い心のひだである。強くて弱い。悪くて悲しい。正しいけれども疑問を感じる。そんな多層を事実の積み重ねで細かく証明していく。その背景には切ないほどやさしい一方で因循とも非難できそうな人と人との濃密な関係である。

本田さんが『月刊現代』で連載していた「我、拗ね者として生涯を閉ず」が未完のまま昨年末に亡くなられた時に調べて驚いたことがあった。単行本はおろか文庫までほとんど絶版になっていて『疵-花形敬とその時代』だけが新潮文庫でかろうじて出されていたくらいであった。『誘拐』さえもないのである。
ノンフィクションを主に出版している私にとってこの事実は重く悲しいと同時に何をどうしていいのかわからなくなった。絶版になっているということは売れないのであろう。『誘拐』や『不当逮捕』は時代が違うからといって色あせる内容ではない。ということは今の時代に本田靖春を得て彼の代表作に比肩するような作品を世に送り出したとしても売れないということか。「本田靖春を得る」こと自体がほとんど不可能なのに、それでもダメだとなるとノンフィクションはどこに活路を見出したらいいのだろうか。
旬報社のそれも『本田靖春集』であって『本田靖春全集』ではない。彼の作品の多くはもはや図書館か古本屋に求めるしかなくなった。しかも旬報社が『本田靖春集』を出すのも赤字覚悟の心意気だったと聞くと暗然とせざるを得ない。

だがそれでも私はノンフィクションの可能性を追求しておこう。おそらく一生貧乏版元のままであろう。でも弱者や少数者の立場で事実を記録していくという「弱きを助け、強きを挫く」心意気がなくて何のノンフィクションであろうか。昨日も書いた通り今やノンフィクションの書き手そのものが食うや食わずやの状態にある。多くの才能がすでに現実の艱難に屈して去っていったりゴーストなどで糊口をしのいでいる。本田さんの言葉を借りれば「決して、ノンフィクション受難の時代における″挽歌″ではない」と突っ張っていたい。いいものは必ず売れる。売れないのは編集者(つまり私)の責任だと自分を鼓舞しているところである。

ある日会社に行ったら(自分の会社をこう表現するのも変だが)鎌田慧さんが立ち寄って下さっていた。ちょうど『本田靖春集』1巻を読んで鎌田さんが『誘拐』の解説を書かれていたのでその話をした。同じ巻には『村が消えた』が収まっていて「鎌田さんの経歴ですと『村が消えた』の解説の方がピッタリ来ますよねえ」などとつい思いつきを言ってしまって「しまった。失礼だ」ととっさに気づくも遅かった。でも鎌田さんは「そうだねー。『誘拐』の方が来ちゃったんだよねー」と悠然と流して下さった。すいません生意気を言いまして・・・・。鎌田さんや本田さん、さらに立花隆、澤地久枝、柳田邦男、沢木耕太郎といった各氏、いわゆる「ノンフィクション第一世代」(鎌田さんは「ルポライター」だが)には頭が上がらない。それは尊敬の念ばかりでなく自らの非力を痛感している裏返しでもある。

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2005年10月 1日 (土)

表現の自由を脅かす司法と郵政民営化

「表現の自由」がいかに大切か。日々の騒動に隠れて声高には叫ばれないものの私はこの権利以上に重要なものはないとさえ思っている。

私は『週刊文春』と『週刊新潮』の愛読者だ。株式会社文藝春秋は最後まで、というより今でも個人情報保護法に反対している。この姿勢を強く支持する。『週刊新潮』は文章表現のお手本だった。「何という脳細胞の並び方だ」なんて表記でうなれるのはこの雑誌しかない。両誌とも小泉政権には批判的である。比較的まともな保守系雑誌と私個人は感じている。
もっとも編集者という立場は基本的には思想に関わらずに広く渉猟すべきであるから特に保守系だから愛読しているわけではないが。

個人情報保護法の反対運動を国民はどう感じていたか。最初に適用除外になっていたので大新聞や放送局はヤレヤレという消極的な姿勢に終始した。彼らは「表現の自由」が文字通りの自由権であって法によって適用除外になればいいという姿勢が根本的に間違っているということさえ忘れ去っているようである。

なぜ「表現の自由」が大切か。それはこの自由を規制したり禁止してきた特権勢力による支配からの脱却過程において最大の威力を発揮した国民主権の原点だからだ。言いたいことを言いたい放題に言える自由は当然のこととして反論をも容赦なく受ける権利も保障するしかなくなる。すると言論の戦いはより正当とみなされる方向に収斂するはずである。そうならなかったとしたら「表現の自由」に何らかのバイアスがかけられた場合である。だから絶対に許してはならない。

個人情報保護法以外でも最近「言論弾圧」としか思えないさまざまな傾向がみてとれる。まず民事の名誉既存裁判における損害賠償金額の高騰だ。
民事で名誉毀損とみなされるのは「公益」に反しているか「真実または真実と信じるに足る相当な証拠」なない場合だ。「公益」に反した「私怨」などで表現するのは論外としても「真実または真実と信じるに足る相当な証拠」の方は難しい。それを法廷で立証するには情報源を明かさなければならないことがしばしばあるからだ。
情報源自身が出てもいいという場合を除いてジャーナリズムはそれを秘匿するのが最高にして最低の倫理である。すると立証できなくなって結局は敗訴する。その金額がつい最近まで何十万円の安いところで済んでいたのに最近では何百万円から千万単位の判決が出るようになった。

この傾向に関しては最も批判的な論陣を張っている『週刊新潮』にも文句をいいたい。新潮社の記事で高額の損害賠償をともなう判決が出たものの中には明らかに情報源がわからなくてもわかっても怪しい内容がある。あなた方は大版元なので何とかなるかもしれないが、こうした傾向を作られたら中小版元は大変迷惑である。情報源の秘匿という倫理を守れば会社がつぶれるような高額請求が来る。かといって倫理を破れば誰も信用してくれなくなる。これを「表現の自由」への挑戦と言わずして何と言おうか。

話題の郵政民営化にも「表現の自由」とくに小誌のようなミニコミの死命を制しかねない内容が含まれているのでこの際ぜひ訴えておきたい

郵便は実は4種類ある。1種が手紙、2種がはがき。ここまでは誰でも知ってるが3種はどうか?「第三種郵便」は新聞・雑誌などの定期刊行物でいくつかの条件をクリアすれば認可される。「第四種郵便」は通信教育・点字郵便物・学術刊行物など。3種を認可されると2種よりも手間をかける分だけ安く届けることができるために500部以上のミニコミなど小規模な雑誌や新聞が利用している。ちなみに4種は通信教育や点字や録音物を必要とする障害者、学術刊行物は性質上小規模であり、やはり料金的に優遇されている。3種は「知る権利」を4種は弱い立場の人や向学心のある人のためにあるといえよう。
民営化されればこの3・4種は間違いなくなくなる。なぜならば現在でも赤字だからだ。4種の消滅は明らかな弱い者イジメであるが3種は言論弾圧だ。すでに02年4月の段階で総務省が廃止の方針を一時は打ち出している。
そうでなくてもミニコミ誌紙はどこも風前の灯火である。ネットがあると言う人もいようが閲覧できない人や使えない人も多数いる。たとえ私のごとく編集者が未熟であったとしても一冊の雑誌として掲載されて対価を得るルポライターやジャーナリストの活動の場をさらに縮めることにもなる。そうでなくてもフリーランスで食べていける人がどんどん減っているのだ。

ミニコミが多く使っている郵便振替もピンチになる。民間金融機関の手数料はATM(現金自動預け払い機)を使っても210円から420円といった金額を払わなければならない。一冊何十円から何百円の安い方でだいたい販売しているミニコミにとってはバカ高い金額だ。その点郵便局の郵便振替は安価に集金できる。一般振替口座を作って、そこに振り込んでもらうと1万円以下ならば窓口処理で70円、機械ならば60円の手数料ですむのだ。ミニコミばかりでなくNPO活動や小さな会社の決済、学生の打ち上げパーティや同窓会費など少額の振り込みを集めるには大変便利で弱者の味方だ。これらを一掃しようという動きは何としても阻止あるのみだ。そこさえ合意できれば私は右でも左でもイエローでもエロでも、ブラック以外のすべてと連携する

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