人ごとではない米国の大水害
大型ハリケーン「カトリーナ」によって千人単位の死者が危ぶまれるニューオーリンズの水害だが他人事とは思えない。日本を襲う台風とハリケーンは発生場所が違うだけで同質だからだ。
まだ詳細はわからないがニューオーリンズ水害は「世界一長い橋」のコーズウェイブリッジが架かるポンチャートレイン湖の一部と同湖とミシシッピ川とをつなぐ運河の二ヶ所が決壊したらしい。湖の方は詳細がまだわからないが日本ならば一級河川に相当するであろうミシシッピ川本流の決壊でない点を注目したい。
かつて日本では大河川の決壊が大水害を繰り返してきたが近年の治水対策により姿を消しつつあった。
代わりに問題となってきたのが中小河川の氾濫である。2000年の東海大水害の時には本体の庄内川は大丈夫でも支流の新川が決壊、ないしは決壊させないよう放流を止めたための内水氾濫が発生した。04年の台風23号に基づく豊岡水害は氾濫が事前に心配されていた円山川がやられた。
現在の都市住民の多くは中小河川の氾濫に直撃される低い海抜地帯に住んでいる。一級河川は100年に1度を想定した治水が進んでいるが中小河川はそこまで行き届かない。地方自治体の財源も乏しい。そもそも「100年に1度」も単なる概念に過ぎない。イチロー選手の名言を借りて言えば今年100年に1度の水害が起きた翌年に次の「100年に1度」が来たっておかしくないのである。
ニューオーリンズ水害もハリケーンをやり過ごすまでは首尾よくいったが翌日の氾濫にまったく備えなかったがための大惨事のようである。水害はこれがこわい。いわゆる「台風一過」でホッとしている時に襲いかかるのだ。
趣は異なるが1998年に神奈川県玄倉川で発生した水難事故を思い出す。再三の避難勧告にも関わらず中州で「キャンプ」をしていた家族連れなどが濁流に押し流された。後で子細を批判されるものの勧告する者はやるべきことは一応やっていたし被害者もキャンプの常連だったという。それでも油断する。思うに台風の恐ろしさは学ぶまでもなく皆が知っているが後の河川氾濫の危険性はあまり啓蒙されていなのではないか。考えようによっては、というより命に関わるという点で考えるまでもなく郵政民営化などより重要で喫緊のテーマであろう。
何とか大災害を命からがらやり過ごしたとしても後が大変である。日本の場合は被災者生活再建支援法が適用されようが家屋の解体などの制限があって支給金で家の修理や新築は許されていない。日本は私有財産制度だから公金を私有財産(家など)に投入してはいけないそうだ。アホらしい。同胞が明らかに何の罪もないにも関わらず何もかも失っているのだよ。それでも同法ができただけでも進歩(1998年成立)というから暗たんたる思いである。しかも地震と違って水害は家は実質的にはもう使いものにならないが見かけ上は半壊もしていないという場合も多々あり得るから同法の適用を個々には受けられない可能性もある。
小誌1995年3月号に寄稿していただいた歴史学者の秦郁彦氏の文章によると阪神大震災の「避難所になっている体育館の温度が、夜半には0度以下まで下がっていた」という報道から「がく然とした」とし、その理由として以下を挙げている。
「苛酷きわまるシベリアの抑留生活を経験した人に聞くと、零下20度の戸外で労働させられたが、夜はそれなりの暖房のきく部屋で寝ていたという。極言すれば、被災地の避難所はシベリア以下の寒冷地帯なのだ」
阪神大震災から時も経ち被災者生活再建支援法ができたといってもスズメの涙の様相は変わらない。生活拠点と同時に営業や経営の拠点でもある自営業者の場合は一刻も早く拠点整備をしないと生活できないが被災者生活再建支援法では救われないので融資に頼るしかない。いいですか。拠点が壊滅してただでさえ休業を余儀なくされているのに融資を受けたらどうなるか。しかも他に選択肢はない。あるとすれば町を棄てるだけだ。それも棄てた先に目途がある人しかできない。
2004年の新潟中越地震が発生した後に避難所暮らしを続けたり自動車で寝泊まりする人々の姿が何週間も映し出された。私が不思議でならなかったのはそうまでして避難所に居続ける心理である。あのような難民キャンプさながらを黙認する国のあり方にも激怒したが私が避難民ならばサッサと逃げ出す。特に自動車があるならば止めておかずに近隣の都市に多少が定まるまで逃げ出せばいいのにとも思った。それでエコノミークラス症候群にかかって死んだら元も子もあるまいと。
しかしこうした発想は私のような風来坊だからできるとわかる。地震社会学者の和田芳隆氏が小誌05年2月号で報告した内容によると車中避難の理由は①自宅から離れたくない②避難所で誰だかわからない人たちと暮らしたくない③ペットを飼っており避難所での共同生活が難しい--だった。
最多の①は自営業者など商売を営む人に多く泥棒を見張ったり避難所が自宅から遠いなどが理由であった。
なお新潟中越地方の場合は「一家に1台どころか、家族1人に1台が当たり前」のクルマ社会ゆえに車中泊を選択できたという東京にいると想像が付かない実情もわかった。
余談であるがジャーナリズムに携わる者とて被災地にいれば水難や地震の被害に他と平等に遭う。なのに案外と死なずに取材活動に転じているような気がしてならない。単なる思い込みかなあ。以前にNHKが関東大震災直後の映像がみつかったと報道しているのを見た。悲惨な光景の中に今でいうロケバス風の車が左から右へ堂々と走り去った。車体には大きく『萬朝報』の名が・・・・。当時の大新聞である。あああの頃からそうだったのかと感慨にふけった次第。
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