私の始末書2
私のような40歳をすぎた独身「もてない男」に「彼女」ができた場合に相手の女性を第三者に対してどう呼ぶべきか。今回はこの呼称問題を指摘したい。
「付き合っている女性」と紹介してもいいのだが40歳をすぎた独身男がこの言葉を使うと「結婚を前提とした」と暗黙のうちに第三者に感じさせる危険がある。本当にそうならば問題ないが頼み込んでやっと付き合ってもらったのに第三者が「結婚を前提としてるの? 本気かよ」みたいな視線を女性に投げかけると当該女性は「とんでもない」と逃げていってしまう恐れが大である。
あるいは正反対に「割り切って付き合っている女性」というニュアンスに響く可能性もある。これはこれで相手の女性に粘っこい視線が注がれて当該女性は「とんでもない」と逃げていってしまう恐れがやっぱり大である。
では通例にしたがって「彼女」とするか。一応最も妥当とされているが人によっては「40代独身が『彼女』だってさ。キモーい」と受けとめられる危険がこれまた発生する。いったいに付き合っている女性を「彼女」と称していいのはせいぜい30代前半までではなかろうか。だれも決めてはいないが「空気」がそう決めさせているフシがある。40代でもし許されるのならば「もてる男」であろう。「もてない男」にはそこかかしこに言論統制の壁がある。
いっそ開き直って「恋人」と呼んだらいかがであろうか。激しくキモい攻撃を受けそうだ。といって「女」と呼んだらお仕舞い感が全面に発光する。「オレの女」「私の男」という表現はカタギでない人か「もてる」陣営でないと通用しないであろう。もてない男が「女」と呼びなわらした2人の行く末・・・・なんて並べてみると「黒い報告書」行きの雰囲気だ。殺さなくちゃあいけなくなる。
浦沢直樹の「モンスター」には「名前のない怪物」が出てくるが40代「もてない男」は「名前のない相手」がいるということになる。
中年にさしかかった「もてない男」が僥倖を得てお付き合いをいただいた場合の相手側の呼称をどうするかはもっと議論になるべきだ。そんなの無価値だって? そうですか。でもそうである者はそうなのだ。新井白石にでも聞いてみたい。
ちなみにいわゆる「不倫」をしている既婚女性は男性をどう呼ぶかというと「彼」「彼氏」が大半であることが小社出版の『妻の恋』でわかっている。夫は大半が「旦那」と呼ぶ。こう呼んで彼女らに屈託はない。不倫女性にさえ名前があるのに中年男性にはないというのは悲しむべきことである。にもかかわらず誰も同情してくれない。
いっそ公募したらどうだろうか。全然反響がないか、正反対に中年男性を徹底的に揶揄するような発明品が殺到するかだろうな。ジェンキンスみたいな。「この女性は私のジェンキンスです」なんていえるかバカ野郎。
いったいもてるかもてないかはどこで決まるのであろうか。なんて答えはわかっている。生まれつきの容姿である。私は20代で着ていた服が今でも着られる。要するに中年太りはしていない。ではと肉体を鏡でみると(あまり深く想像しないように。キモいから)やっぱり変わっていない。ということは
40代の今でも20代の肉体を保っている
ということになるのだろうか。いや違う。そうだとしたらもてるはずだ。正確には
20代の頃からすでに40代の肉体だった
であろう。これが50代になってもそうだとしたらいよいよ深刻である。年を追うごとに自分の若かりし頃がいかに老いていたのかがわかる。寒いじゃないですか。
若い頃、もてる少数の同性を目にして何故自分は「青春の傍観者」のような位置づけにあるのか不可解であったが最近になってようやく謎は解けた気がする。
ただ外見から年齢不詳になりつつあるのは事実だ。しかしそれは多分に職業が影響している。仕事柄若い世代や女性と接することも多く流行り廃りを追うのが職務だけにみるみるオッサン化する様子はない。最近では実年齢より若く見られることもあるから驚く。しかしそれは取りも直さず精神的に大人になりきれていないという証左でもあろうから喜ぶほどのことではない。
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