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2005年9月14日 (水)

川島武宣論から「官公労ガン」説を追う

(前略)一ばん面白いのは、第二次大戦中、「公物と思う心が既に敵」という標語が郵便局の壁にはってあった、という事実である。民法の所有権の考え方を前提とするなら、「公物」--国民個人の所有物でなくて、「公け」すなわち政府や府県市町村の所有物--と思うことは、それを国民個人の私的利益のために使ってはならない(他人の所有権を侵害してはならない)ということを意味するはずであるのに、この標語は逆に、公物と思うだけで「既に敵」だと言うのである。言うまでもなくその理由は、「公物」だと思うとむだに使う、という傾向があるからで、「むだ使いは敵だ」という戦争中の標語を特に「他人の所有物」たる公物について言ったまでのことである。(川島武宣著『日本人の法意識』岩波新書)

日本国憲法15条1項 公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である
日本国憲法15条2項 すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない

公務員を野放しにしておくと犯罪者になるのは古今東西を通じての真理である。現にわが国も明治政府が武士階級が担っていた官僚組織を公務員に置き換えていく過程で腐敗がいきなり露呈して1901年の涜職(汚職)法を定めるなどして押さえ込んだ。
基本的には武士が倫理規範としていた儒学を彼らにもあてはめた。江戸時代まで8割が農林漁業に携わっていたはずの日本人が「武士道」を持ち出すのもこうした由来であろう。

一方で「官吏」は文官分限令や文官懲戒令の制定によって政党すなわち民主政体の主人公の手が出せないようにもなる。ハプニング的に登場した日本初の政党内閣である1898年の第一次大隈重信内閣の成立に懲りた軍官複合体の体現者である山県有朋が後を襲って首相になった1899年に成立した。
現在は上記憲法の規定により公務員の選定と罷免は「国民固有の権利」のはずだが具体的にダメダメ公務員を「国民固有の権利」でリストラする権限は特別職の国会議員など少数の例を除くと方策がない。

まとめると以下のようになる

1)公務員は野放しにすると犯罪者になる
2)そのために汚職罪や倫理意識の徹底などで職務をまっとうさせる規範はある
3)同時にその身分は高いレベルで保障されてもいる

ここに川島が指摘した日本独自の風潮が加わる。国民自身が「公物」とは「むだに使」っていいと思いがちで「公物」を扱う公務員はイコールむだな存在だと思いがちだということだ。
事実として公務員のむだは多く指摘されている。公務員自身が「公物」を「むだに使」っていいと考えてしまってはお仕舞いである。そういう意味での指摘は厳しく行われてしかるべきであろう。
ただ国民自身の「公物」は「むだに使」っていいという意識自体も変えなければならない。

自民党が総選挙の最中に民主党のバックにいる労働組合を抵抗勢力の象徴、むだの温床、諸悪の根源として指弾した。結構効果があったと思う。郵政民営化をやってのけた後は官公労、もっとはっきりいえば自治労(全日本自治団体労働組合)攻撃を始めるであろう。地方自治体職員は暇すぎるほどなのに高給をはんでいるからリストラと賃下げを「国民固有の権利」を行使して敢行しようと。おそらく郵政民営化以上の好反響を得るに違いない。それを三位一体改革の枠内で行うか単独でするかはわからないが。

労働組合がこれほど嫌われるようになったのはいつからか。1989年に現在も最大のナショナルセンターである連合(日本労働組合総連合会)が成立して同年の参議院議員選挙で多数の「連合」候補を当選させて自民党を参議院で過半数割れに追い込んだ。これ以来今に至るまで過半数割れが続いているのだから歴史的快挙であった。自民党総裁の「ピンクザウルス」宇野宗佑首相は退陣に追い込まれた。
少なくともこの頃までは組合が政治の表に出ても拍手喝采される風土はあったわけだ。だが1990年代から今日までの期間に労組とくに官公労は逆風につぐ逆風となった。この期間はちょうど民間でリストラや賃下げが吹き荒れた時期だった。雇用と賃金を守るのが労組の役割だから官公労が抵抗するのは正しい。しかし実態として民間に比べて厚遇される結果となった。

だから本来ならば官公労自身が「オレたちは正しい」と主張すべきなのだ。確かに猛反発を受ける。「税金で食っていて偉そうに」とリストラ・賃下げ組は怒るに違いない。それでも「それは逆ギレだ」と言い放つべきなのだ。すると苦しんでいる民間の労働者が勇気づけられて立ち上がるか国民の反発を利用した政府・与党の攻勢にさらされて自治労が崩壊するかのどちらかだ。面白いじゃん。やってみればいい。
なあんて。そんな勇気はこれっぽっちも連合にはなかろう。だから隠す。隠すからよけいに「奴らには後ろめたい何かがあるに違いない」と疑われる。そして結局は解体されるのだ。

労組は私の主要な情報源でもあるので本当はメチャクチャ言いたくはない。とくに公務員は守秘義務があるので彼らからネタを取るのは厳密には犯罪スレスレだ。だから労組というついたてはありがたい。
しかし一方で憤懣やるかたない思いもある。官公労や連合本体にいる「ダラ幹」である。私は労働畑を駆け上る過程でひそかに「ダラ幹試験」というのが国家公務員1種試験並みに存在していて、それをクリアしないとダラ幹・・・・じゃなくて幹部になれないのではないかと妄想している。それぐらい指導部にはみごとにダラ幹がそろっているのだ。
彼らは途中まで威勢のいいことをいう。いって安全な相手や安全な程度にまでは威勢よく攻めるふりをする。性根が真っ直ぐな末端の組合員や「組合もいいかな」と考えている非正社員・職員なども一度は耳を傾けるほど格好いいセリフを吐く。
ところが先に「面白いじゃん。やってみればいい」と書いたような行動をいざしようと盛り上がるといきなり止めにかかるのである。組合員の口を封じ、時には分断したり切り捨てさえする。そして「現実的対応」の「苦渋の選択」をする。その陰で使用側トップと一緒に鍋をつついたりしているのである。

川島武宣の前掲書は主に「役得」について述べているくだりである。官公労の「ダラ幹」は税金と組合費と多分その他の「役得」でホクホクしている労働界のトロイの木馬である。これを追放するか一掃すれば労組をみる国民の目はかなり変わってくるはずだ。

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