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2005年9月

2005年9月30日 (金)

ロシュフーコー小泉を斬る(下)

昨日に引き続き彼の言葉を集めた『ラ・ロシュフーコー箴言集』(二宮フサ訳 岩波文庫)から現在の日本に当てはまりそうなものを抜粋して私の感想を付記する

【岡田民主党の敗北理由】
◎断じて媚びは売らないと標榜するのも一種の媚びである
◎自分は人に好感を与えるという自信は、えてして人を不愉快にする決め手になる
◎あまりにも厳しい食餌療法で健康を保つのは厄介な病気である
・岡田克也前代表の「いちず」「真面目」という面のPRに努めた時点で「媚び」だったのか。それとも「不愉快にする決め手」だったのか。いずれにしても嫌われて「健康を保」てなかったのだ

◎われわれは、自分と同じ意見の人以外は、ほとんど誰のことも良識のある人とは思わない
・似たようなことを小誌は民主党取材拒否問題で言われているぞ

◎ありのままの自分を見せる方が、ありもしないものに自分を見せかけようとするよりも、本当は得になるはずなのだ
・わかったか民主党。「政権担当能力」「政権準備政党」なんて「ありもしないもの」だったんでしょ

◎切れ者らしく見せようという色気が邪魔をして切れ者になれないことがよくある
・むしろ前原誠司新代表に贈るべき言葉かな

◎恋においては、ほとんど常に、騙しの手管の方が警戒心よりも一枚上手である
9.11総選挙で小泉首相が仕掛けてきたのは「恋」だった。そこに真面目な岡田民主の「警戒心」の訴えはかき消された

◎人を失って悲しいよりも惜しむ気持ちのほうが強いことがある。その一方で、悲しいがその人を惜しいとはほとんど思わないこともある
・読者諸賢よ。数十人の前職が今回落選したわけだが一人でも「惜しい」と頭に浮かぶ民主党前職議員がいますか?

◎自分の内に安らぎを見出せない時は、外にそれを求めても無駄である
・むしろこれまでごちゃ混ぜ集団だった民主党が選挙という「外にそれを求めて」少しずつ勝ってきた方が例外だったのかもしれない

◎弱さは悪徳にも増して美徳に相反する
・民主党にもいえるはいえるが一桁の獲得議員数で「維持」「前進」といってはばからない共社両党により当てはまる

【自民党内の造反議員】
◎武勇は、一兵卒にとっては、食うために就いた危険な職である
・民営化法案に反対したのも刺客を送られたにも関わらず首相指名選挙で小泉と書いたのもすべて「食うため」。そしてそうしているうちは「一兵卒」。むろん綿貫先生は違う

◎あまりにも急いで恩返しをしたがるのは、一種の恩知らずである
・だから手のひらを返したように小泉首相に平伏するのはやめなさい

◎恩知らずに力を貸すのは大した不幸ではないが、人でなしに借りをつくるのは耐え難い不幸である
◎笑い物になることは不名誉以上に名誉を傷つける
・だから綿貫先生のところに行きなさい。いくら媚びても待っているのは「耐え難い不幸」なのだから

【今後の日本】
◎太陽も死もじっと見つめることはできない
・本当の問題は国と地方の1000兆円の「借金」。もう破産状態なのだ。でも選挙の争点にはならなかった。「見つめることはできない」のだね

◎大方の人に関しては、彼らに害をなすことは、彼らに恩恵を与えすぎることよりは危険ではない
・「3分の2」は明らかに「与えすぎ」だから必然的に「危険」がやってくる

◎大きな称賛をすでに勝ち得ている人が、その上なお自分の偉さを、つまらぬことによって認めさせようと懸命になるとは、まさにこれ以上の恥さらしはあるまい
◎人の偉さにも果物と同じ旬がある
・小泉自民が高転びするとしたらこの辺か。郵政民営化法案可決後に「その上なお」を「懸命に」しようとした時に国民は一転して「恥さらし」と見なすのかも

◎二人がもう愛し合わなくなっている時は、手を切るのも大そう難しい
・公明党の運命やいかに

◎恋も老衰期に入ると、人生の老衰期と同じで、人はなおも苦しむために生きるだけで、もはや喜びのために生きることはない
・以前に書いた「ニーチェの予言」に似ている。小泉登場に恋して4年以上。後に来るのは「苦しむために生きるだけ」の政策に決まっているのに

◎いかに世間が判断を誤りやすいとはいえ、偽の偉さを厚遇する例の多さは、真の偉さを冷遇する場合をさらに上回るものがある
・小泉劇場へのマスコミの対応ぶりはこの一語に尽きるであろう。今後は「真の偉さ」を探す努力をメディアに頼らずやっていこうよ読者諸賢

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2005年9月29日 (木)

ロシュフーコー小泉を斬る(上)

何度か告白しているように私は9月11日以降の日本のありようを理解しがたく感じている。こんな時は古典を読むといいと考えてひっくり返している最中である。
ラ・ロシュフーコー(1613-80)はフランスの貴族。当時の貴族がそうであったように軍人でもあり権謀術数を駆使する政治家でもあった。政局に関わった経験をもちつつモラリストという道徳的あり方を追求する特異な地位を占めていた。
彼の言葉を集めた『ラ・ロシュフーコー箴言集』(二宮フサ訳 岩波文庫)から現在の日本に当てはまりそうなものを抜粋して私の感想を付記したい。今日は

・自民に投票した有権者の心理
・なぜ郵政民営化一本で大勝したか
・小泉首相の魅力

を、明日は

・岡田民主党の敗北理由
・自民党内の造反議員
・今後の日本

と柱立てて試みたい

【自民に投票した有権者の心理】
◎人間は何かに動かされている時でも、自分で動いていると思うことが多い。そして頭では一つの目的を目指しながら、心に引きずられて知れぬまに別の目的に連れて行かれるのである
・ふだんは選挙に行かないのに小泉絶叫を聞いて自民に入れた惰民ゾンビの姿である

◎われわれの気質のきまぐれは、運命の気まぐれよりもさらにいっそう奇矯である
◎われわれは自分の情念が自分にさせることのすべてを知り尽くすどころか、およそ程遠い有様だ
・総選挙が終わった後の各調査では自民党に投票した有権者はもとより当選した自民党議員でさえもあっけにとられている旨の報道が相次いだ

◎世間は偉さそのものよりも偉さの見掛けに報いることが多い
・現首相が「命を懸ける」と叫び中身はない「見掛け」だけでも改革といえば報いようと思うのだ

◎何人も悪人になる強さを持たない限り善良さを称えられるに値しない。それ以外のあらゆる善良さは、おおむね、怠惰か意志の無力に過ぎない
・この「善良」な「怠惰か意志の無力」による自民票は800万票以上とも数えられている

◎世の中には馬鹿たるべく定められた人がいて、彼ら自身が進んで馬鹿なことをするだけでなく、運命そのものが否応なしに馬鹿なことをさせるのである
・惰民ゾンビよよーく聞け。「馬鹿たるべく定められた人がい」るんだってよ

【なぜ郵政民営化一本で大勝したか】
◎人は自分の偉大な功績を鼻にかけるが、その功績は偉大な志の賜物ではなく偶然の結果であることが多い
◎伝染病のように感染る狂気がある
・なるほど。そういわれてみるとそれだけの現象のような気がしてくる

◎凡庸な素質を上手にひきたてる器用さは、人々の尊敬をまんまとせしめ、しばしば本当の偉さ以上に声価を高める
・その「器用さ」がワンフレーズだったり戦闘服然としたクールビズだったり女性刺客だったり髪型だったり

◎もし誰かが賢者に見えるとしても、それはただ彼の狂気振りが年齢と立場に釣り合っているだけなのである
・郵政民営化一本槍の政治生活で63歳の現首相。この釣り合いがないと確かに「狂気」に過ぎず間違っても「賢者」とは感じないはず

◎立派な行為を心から誉めたたえることは、いわば自分もそれに一枚加わることである
・郵政民営化がいつの間にか「立派な行為」になっていた。だから「一枚」ならぬ一票を加えて「誉めたたえ」てみたとさ

◎自分が欲することについて完全な知識があったなら、われわれはめったに何かを熱望したりしないだろう
・何しろ郵政民営化関連法案は首相自身が読んでいない。賛同した有権者は「完全な知識」がないからこそ「熱望」したのだ

【小泉首相の魅力】
◎世間の付き合いでは、われわれは長所よりも短所によって人の気に入られることが多い
◎自分の利益を諦める方が自分の趣味を諦めるよりもむしろ易しい
・ということは小泉首相の短所を「ワンフレーズ政治」といい「郵政民営化は首相の道楽(趣味)」などと批判したつもりになっていたのは逆でワンフレーズや趣味を有権者に「気に入られる」役割を果たしたか

◎すぐれた面を持ちながら疎んじられる人がおり、欠点だらけでも好かれる人がいる
・日本共産党の言っていることの方が小泉首相よりずっと「すぐれた面を持」っているもんなあ

◎自分の職務ではない職務の適任者だと思わせる方が、実際に果たしている職務の適任者と思われるよりもたやすい
・首相の椅子など大して興味がない変人宰相ということにしておいた方が楽なんだ

◎大きな欠点を持つことは大きな人物にしか許されない
・そのはずだから「大きな欠点を持つ」が明らかな小泉首相は大人物だ、と

◎剛胆とは、大きな危難に直面した時に襲われがちな胸騒ぎ、狼狽、恐怖などを寄せ付けない境地に達した、桁はずれの精神力である
◎偉大な人物になるためには、自分の運を余す所なく利用する術を知らねばならない
◎戦場の危機に際して必要な度胸は勇敢さだけで充分こと足りる
・考えてみれば郵政民営化法案の参議院否決という事態は首相にとって本来は「大きな危難」だった。でも彼は笑っているようにみえた

◎真の雄弁は、言うべきことをすべて言い、かつ言うべきことしか言わないところにある
・それもワンフレーズでとなれば究極の雄弁なのか

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2005年9月28日 (水)

サッカー報道の紋切り口調

いうまでもなく「サッカーは11人でやる」スポーツである。一応のポジションが決められているが、いったん試合が始まれば、ゴールキーパー(GK)を除いて、すべての選手が敵ゴールを目指し、同時に味方のゴールを守る。
改めて何故こんな当たり前のことをいうかというと、サッカー報道ではしばしば、「点取り屋」「司令塔」「守備の壁」「守護神」などというポジションに合わせた専業の仕事があるかのように伝えられるからだ。

まず「点取り屋」は主にフォワード(FW)に冠せられ、十年一日のようにその能力が不十分な日本のFWをしばしば「決定力不足」などと嘆いている。たしかに一人で局面を打開してしまうようなスーパーFWはまれにいるが、むしろいない方が世界レベルでも珍しくない。
そうしたチームではFWが点をとりやすいような展開を11人全員でいかに作るのかが中心テーマであって、その責任をFWの個人的な能力の問題にするのは「サッカーは11人でやる」という原則を忘れた伝え方である。シュートを放つまでの11人全員の動きが決定力を生み出すのであり、今の日本代表が「決定力不足」だとすれば、そこに問題がある。

「司令塔」とは一般にオフェンシブなミッドフィールダー(MF)の中心にいて、後続からの配球を受けて前線に効果的な球出しをする役割を担う選手を指し、日本代表では専ら中田英寿選手に冠せられてきた。しかし、少なくとも1990年代に入ってからのトップレベルのサッカーシーンでは、一人の「司令塔」がゲームの全般を組み立てるという図式は過去のものになりつつある。

「守備の壁」はディフェンス(DF)の中心で、敵の来襲を食い止める役割を担う選手を意味し、「アジアの壁」「世界の壁」などと俗称されている。「守護神」はほぼGKを意味する。トルシエ前日本代表監督の時のDFの「フラット3」に関する弱点指摘の際に「フラット3」が破られるとピンチに陥るという下らない解説が流布した。今のジーコ監督になっても4バックだ3バックだと騒ぎ立てる。

DFが守備に大きな責任を持つのはいうまでもない。しかしサッカーは「DFだけが守備を担当する」のではなく危うい局面を事前に11人全員が察知し、必要とあれば極端にいえば「10バック+GK」で守るスポーツである。それが臨機応変にできないことを課題とすべきだ。

つまり、日本のサッカー報道は、

攻撃では「司令塔」がゲームを作って「キラーパス」とやらを「点取り屋」に配球してゴールする

守備では「壁」が芸術的にクリアし、それでもダメなときは「守護神」が「ファインセーブ」する

といった、まるで将棋の駒のように役割が分担されていて、それぞれの役割をみごとに果たすスポーツという切り口が常套で、観戦者もその論理でみている場合が多いが、「サッカーは11人でやる」大原則に照らせばそんなサッカーは現実には存在しないのだからナンセンス。

おそらくこうした報道の仕方はプロ野球報道をアナロジーにして発生したのであろう。だが野球とサッカーはプレースタイルが全然違う。Jリーグ発足当時、多くの視聴者が「サッカーは攻守の切替が早い」と、主にそれまで国民的スポーツだったプロ野球と比較して感想をもらしていた。この辺の感覚がいまだに抜けきっていないようだ。サッカーは「攻守の切替が早い」というよりは「攻守の区別がない」スポーツで、それを野球的に分析してみても意味のない行為となる。そこが何年たっても変わらない。私は密かに「キャプテン翼症候群」と呼んでいる。

相も変わらぬ「ジーコジャパン」なる呼称もプロ野球のアナロジーであろう。やれ「オレ竜」だの「長嶋ジャパン」だの。サッカーと野球では試合中に「采配」が介入できる度合いが違う。そもそも裁量が大きいとされる野球でさえ監督がプレーしている訳ではない。大リーグで「トーレヤンキース」などと呼ばわることはない。「長嶋ジャパン」に至っては本大会に本人は病気療養中で不在。にも関わらず「長嶋ジャパン」だというからオカルトだ。日本風オカルトが外国人に通用するはずもなく結果は無惨な3位であった。野球でさえ変な呼称なのにサッカーに当てはめるのは不当とさえいえる。

スポーツ取材に関して私はかつてベテランのスポーツ記者から「ボールを追うな」と教えられた。現在どこにボールがあるかを追っかけるのではなく、最初はある1人の選手をずっと見つめ続けながら、ついでにボールのありかを確認するという手法である。そうすると、選手が試合の各局面でいかに11人の1人として機能しているか、ないしは機能していないかがわかる。それを繰り返すうちに全体の把握ができるようになる、と。もっともテレビ観戦では、カメラ自体がボールを追ってしまうので大変不満である。

大リーグや欧州サッカーの中継を観ていて本当にうまいなと感じ入ることがある。そこにボールが来て決定的な瞬間になることを予測していたような絵を何種類もの角度から収めてあるのだ。「ボールを追うな」を叩き込まれた手練れによる特ダネ映像であろう。振り返って日本ではボールを追っているはずなのに決定的な場面を撮り落としている場合さえある。

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2005年9月27日 (火)

教育基本法見直しの賛否両派とも不純

現在は連立与党の公明党(というより池田大作先生)が消極的なので表だっては論じられていないが教育基本法の見直しは01年11月に当時の遠山敦子文部科学大臣が「新しい時代にふさわしい在り方」を中央教育審議会に諮問した時点から自民党内で脈々と進められていていつ顕在化するかわからない。

いうまでもなく教育基本法は「教育憲法」などと呼ばれる日本の教育制度の根幹で全部で11条からなる短い法律だ。読んだことのある人には釈迦に説法なのだがこの法律のどこに問題があるのかわからないほど立派な内容である。強いていえば立派すぎるのが問題かもしれない。

改正論議は「伝統・文化の尊重」「国際化や生涯学習社会への対応」「家庭教育の役割と学校の関係」などの視点を視野に入れているようだが、条文を読む限りでは、それらが排除された法律だとはいえないし、「基本法」にあえてそうした概念を明示する必要性があるのかという疑問もある。そもそも基本法とは立派すぎるぐらいでちょうどいいともいえる。また書いたから実践されるというものでもなかろう。という見方もできよう。

先述のように「立派すぎる」に関してはむしろ同法擁護派が唱える「基本法の精神が骨抜きにされてきたから現在の教育の荒廃がある」という意見から改正派に力を与える擁護派にとっては皮肉な結果になりかねない。すなわち「骨抜き」ではなくて内容が立派すぎて具体性が乏しいために具体的な方針を定めることもできないのだと改正派に反論の余地を与えるのだ。

どのような方向で改正するかという議論も盛んである。擁護派は戦前の国家主義的な方向への改正を懸念し、改正側は現実に教育に大きな問題がある以上、その根幹である基本法を見つめ直すには当然だと主張している。どちらも一理あるが擁護派にも反対派にも私が肩入れできない理由は「教育を受ける側」つまり子どもの実態をどちらの陣営も最優先して考えていないという点にある。

擁護・改正派が本当に気にしているのは「日本国憲法改正」への懸念や興味ではないかという疑いを入れざるを得ない。先に「教育憲法」という言葉を紹介したように、1947年の教育基本法の制定は、前年に制定された憲法の主旨を踏まえた内容である。憲法が最高法規である以上、その主旨を踏まえた立法を施すこと自体は実に当然だが、「教育憲法」にまで祭り上げられたがゆえに、擁護派はその改正が憲法改正への一里塚に感じられて反対し、改正派の一部には基本法改正を憲法改正につなげようと意図が見え隠れする。

いずれにせよ「教育を受ける側」をないがしろにしているという理由はここにあるといっていい。憲法改正に賛成か反対かを問わず憲法論議が主目的で、それを達成するための一里塚として基本法改正に賛成または反対するという姿勢である。双方とも結局は教育基本法をダシにしているといわざるを得ない。
教育基本法に関わる議論は、まず憲法改正論議との関連を遮断して、教育問題を主として行われるべきである。そうでないと、いつまでたっても「本当の目的」のための不純で不毛な議論になってしまう。

まず現状分析を綿密にして「教育を受ける側」が切実に求めている問題点を挙げ、その解決のために基本法の改正が必要であれば行う。他の目的はないとはっきりさせれば、真に意味のある議論が可能なはずである。

私は「伝統・文化の尊重」などよりもずっと改正論議に挙げるにふさわしい問題があると常々感じている。たとえば教育基本法6条には「学校」は「国又は地方公共団体の他、法律に定める法人(学校法人のこと)のみが「設置」できるとしているが。ここを変えて、一定の条件下で民間にも学校設置を開放したらどうであろうか。「特区」ではなく普遍的に認めるのだ。活気づくと思いませんか。

擁護派は擁護派ゆえに、6条改正も言い出さず、改正派も憲法改正を視野に入れている勢力は6条などあまり問題にしていない。しかし、「立派すぎる」基本法にあって、この条文は最も具体的な規定の一つであり、ここを変えると劇的に学校制度を変えることが可能である。民間が学校を設立できるようになっても、教育を受ける権利を保証した憲法26条に直ちに触れることもあるまい。
今の教育基本法改正論議は抽象的で不純で不毛であって「教育を受ける側」にはさっぱりわけがわからない。擁護派が本当に擁護したいならば自ら「教育憲法」の呪縛を解いて基本法の精神をより鮮明に具体化できる改正案を携えて打って出るぐらいの気概がないと「守旧派」「サヨ」のレッテルを貼られて葬り去られよう。

一方で改正を支持する人はそれを唱える面々の経歴を調べてみるといい。文教族とか何とかいわれている人達だ。彼らに「新しい時代」「国際化」「家庭教育の役割」などと主張する権利があるのかという歴々ががん首を並べている。改正の議論はいい。でもアンタにだけは言われたくない人々と言い換えてもいい。彼らが主導権を握った改正など不愉快である。

本当は実名を挙げたいところだが名誉棄損がこわいので止めておく。最近の名誉棄損(民事の方)は簡単に認定される上に損害賠償額が異様に高騰しているのだ。この件に関しては表現の自由を脅かす事態なのでいずれ徹底的に批判する予定である。

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2005年9月26日 (月)

私の始末書2

私のような40歳をすぎた独身「もてない男」に「彼女」ができた場合に相手の女性を第三者に対してどう呼ぶべきか。今回はこの呼称問題を指摘したい。

「付き合っている女性」と紹介してもいいのだが40歳をすぎた独身男がこの言葉を使うと「結婚を前提とした」と暗黙のうちに第三者に感じさせる危険がある。本当にそうならば問題ないが頼み込んでやっと付き合ってもらったのに第三者が「結婚を前提としてるの? 本気かよ」みたいな視線を女性に投げかけると当該女性は「とんでもない」と逃げていってしまう恐れが大である。

あるいは正反対に「割り切って付き合っている女性」というニュアンスに響く可能性もある。これはこれで相手の女性に粘っこい視線が注がれて当該女性は「とんでもない」と逃げていってしまう恐れがやっぱり大である。

では通例にしたがって「彼女」とするか。一応最も妥当とされているが人によっては「40代独身が『彼女』だってさ。キモーい」と受けとめられる危険がこれまた発生する。いったいに付き合っている女性を「彼女」と称していいのはせいぜい30代前半までではなかろうか。だれも決めてはいないが「空気」がそう決めさせているフシがある。40代でもし許されるのならば「もてる男」であろう。「もてない男」にはそこかかしこに言論統制の壁がある。

いっそ開き直って「恋人」と呼んだらいかがであろうか。激しくキモい攻撃を受けそうだ。といって「女」と呼んだらお仕舞い感が全面に発光する。「オレの女」「私の男」という表現はカタギでない人か「もてる」陣営でないと通用しないであろう。もてない男が「女」と呼びなわらした2人の行く末・・・・なんて並べてみると「黒い報告書」行きの雰囲気だ。殺さなくちゃあいけなくなる。

浦沢直樹の「モンスター」には「名前のない怪物」が出てくるが40代「もてない男」は「名前のない相手」がいるということになる。

中年にさしかかった「もてない男」が僥倖を得てお付き合いをいただいた場合の相手側の呼称をどうするかはもっと議論になるべきだ。そんなの無価値だって? そうですか。でもそうである者はそうなのだ。新井白石にでも聞いてみたい。

ちなみにいわゆる「不倫」をしている既婚女性は男性をどう呼ぶかというと「彼」「彼氏」が大半であることが小社出版の『妻の恋』でわかっている。夫は大半が「旦那」と呼ぶ。こう呼んで彼女らに屈託はない。不倫女性にさえ名前があるのに中年男性にはないというのは悲しむべきことである。にもかかわらず誰も同情してくれない。

いっそ公募したらどうだろうか。全然反響がないか、正反対に中年男性を徹底的に揶揄するような発明品が殺到するかだろうな。ジェンキンスみたいな。「この女性は私のジェンキンスです」なんていえるかバカ野郎。

いったいもてるかもてないかはどこで決まるのであろうか。なんて答えはわかっている。生まれつきの容姿である。私は20代で着ていた服が今でも着られる。要するに中年太りはしていない。ではと肉体を鏡でみると(あまり深く想像しないように。キモいから)やっぱり変わっていない。ということは

40代の今でも20代の肉体を保っている

ということになるのだろうか。いや違う。そうだとしたらもてるはずだ。正確には

20代の頃からすでに40代の肉体だった

であろう。これが50代になってもそうだとしたらいよいよ深刻である。年を追うごとに自分の若かりし頃がいかに老いていたのかがわかる。寒いじゃないですか。

若い頃、もてる少数の同性を目にして何故自分は「青春の傍観者」のような位置づけにあるのか不可解であったが最近になってようやく謎は解けた気がする。

ただ外見から年齢不詳になりつつあるのは事実だ。しかしそれは多分に職業が影響している。仕事柄若い世代や女性と接することも多く流行り廃りを追うのが職務だけにみるみるオッサン化する様子はない。最近では実年齢より若く見られることもあるから驚く。しかしそれは取りも直さず精神的に大人になりきれていないという証左でもあろうから喜ぶほどのことではない。

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2005年9月25日 (日)

戦後60年8月15日靖国神社24時(4)

4日間にわたってお届けした8月15日の靖国の模様も今日が最後。閉門から日付が変わるまでの前日分とは打って変わった静かな時間帯をもって締めとさせていただく。

●「彼」を見ぬまま日付は変わった
 午後19時00分。神門が閉まる。閉まる少し前から、会社帰りに参拝に来た人などが駆け込むように中に入っていく。門が閉まると同時に、小さい机のような賽銭箱が門の前に置かれる。閉まった後も、会社帰りらしいスーツを着た人達が次々と来て、門の前で参拝していく。しばらく参拝者はとぎれなかった。

 午後19時33分。売店横のベンチは、小さな宴会場となる。

(編集部注:午後19時46分。小泉首相が事実上参拝しないと表明したニュースが流れる)。

 午後21時36分。雷鳴がとどろき、雨が大降りになった。勘弁してくれよ。さすがに参拝客の足が途絶える。

 午後22時13分。雨がやみ雨宿りしていた人が帰りはじめる。

 午後23時33分。特に変わったことはなく、売店内のベンチでは、深夜にもかかわらず熱く語り合っていたり、待ち合わせなのか女の子が1人座っている。

 8月16日午前0時00分。無意味としか思えないが編集長が日付が変わるまで小泉首相を待てというから待った。もう昼間の騒がしさとはうって変わり、あたりは静けさが漂い、約1日前と同じ状況になっている。ベケットの戯曲と同じ。不条理劇の主人公はゴドーだろうが小泉だろうが来る来るといって来ないのであった。

実は私はニュースが流れてなお靖国に小泉首相が来る可能性を否定できなかった。実際には官邸番が消えた時点でありえないと頭ではわかっていたが彼は予想外である。
それにしても大変な騒々しさであった。こうなってみると右も左も真面目もひやかしも全てまとめて一場の喜劇でもあるといえよう。いったい靖国は誰のための何をする施設かという根本的な問いかけが消えているような気がしてならない。それを消している張本人が小泉首相だともいえよう。

余談を一つ。ひっきりなしに車が入ってきてマスコミがチェックしていた頃、「長岡」ナンバーの車が通り抜けていった。すると取材陣から「あれは誰だ」「中村喜四郎だったら怖いな」などというブラックジョークが出たという。

そうナガオカを自殺した永岡洋治元衆議院議員に引っかけ、彼の妻と選挙区で争って9月11日に勝利した中村喜四郎衆議院議員を意味している。永岡氏と中村議員は同選挙区のライバルだっただけに真夏の怪談話めいたブラックが飛び出したというわけだ・

最近では金正日総書記並みに肉声を聴くことができないとされる中村喜四郎議員と支持者の皆さん。要するにあなた方はそういうことなんですよ。

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2005年9月24日 (土)

戦後60年8月15日靖国神社24時(3)

さあ本日は白眉。続々と登場する国会議員とマスコミの神社内でやっていいのかという喧噪と幕間の「終戦六十年国民の集い」やら軍服爺さんやら有象無象が一挙に登場。閉門まで。

 午前10時18分。民主党の 西村真悟衆議院議員が「日本真悟の会」約800人を引き連れて参拝。到着殿より手前にある参集所入り口に多数ののぼりが立つ。とりあえず絵を押さえようと、各社が西村氏に突撃。大勢の人で道路を完全にふさいだことから、氏の車は遊就館側を回ることになった。
「まさか議員呑んでないだろうな、いっぱいぐらいならいいけれど、ベロベロだったらニュースだぜ」という声で、数人の記者が笑った。

 午前10時30分。「終戦六十年国民の集い」が始まる。国歌をものすごい大音量で2回も斉唱。なんともいえないすごさに、軽くカルチャーショックを受けていたら、20代の男性が奇声を上げながら連行されていた。

 午前10時32分。平沼赳夫前経済産業大臣が靖国会館に入る。亀井静香氏とともに郵政民営化反対派の中心人物だったこともあり、各社がマーク。姿を確認した途端、新聞記者が一斉に携帯電話を取り出し、「官邸番記者の○○です。今、平沼議員が靖国会館に入りました」と電話をする。

 午前10時40分。靖国参拝の急先鋒、安倍晋三自民党幹事長代理が到着殿に姿を現す。首相を除けば最大のスター登場に本日、最高の盛り上がりを見せ、姿をカメラに捉えようと各社殺到。英霊の前でほとんど肉弾戦の様相を呈す。

 午前10時50分。参拝を終え出てきた安倍議員に記者が殺到。ついにロープを飛び越えて取材する者が現れ、「ルール通りにね、ルール通りにー!」と叫ぶ神社関係者の声もむなしく、到着殿前は大混乱となる。スター安倍はさすがにスターだった。記者のために脚をとめ、数分の取材に答え、手を上げて車に乗り込んでいった。さすが。目立つ位置、そぶりを考えている。これもスター安倍の才能かと感心する。今日は感心することが多い。

 午前11時00分。「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」が古賀誠元自民党幹事長を先頭に靖国会館から到着殿へと歩いてくる。「よくぞ参拝してくれたー」との声と拍手がわき起こる。自民党と民主党の47人が集団参拝した。

 午前11時32分。爆弾三勇士のレリーフがはめ込まれている大灯籠の裏で日本兵の軍服を着た高齢者が、同じく軍服を着た若者に日本刀の使い方を教えていた。役者と軍人の刀の使い方の違いを教えた後、何度かだめ出しをする。「口で言ってもダメだから、体で覚えること。家で何度も練習すれば、そのうちうまくできるようになるから。以上」と高齢者は最後に大声をあげた。

 午前11時37分。大仁田厚参議院議員登場するが、何の騒動も起こらず。私は、しんぶん「赤旗」のアグレッシブな取材姿勢と、かっこいいルックスにみとれていた。

 午後12時31分。もう1人の靖国スターである石原慎太郎都知事が来る。「うれしーよー」の声が上がる。

 午後12時49分。都知事の出待ちをしている最中、突然「朝日(新聞)は帰れー。産経(新聞)はがんばれ。週刊金曜日も帰れー」という声が上がる。うち(『記録』)にも帰れぐらい言ってくれ。

 午後12時54分。石原コールがわき、車が去っていく時に国旗が振られる。車が出た直後、一般客同士で「(コールを上げていた)俺の写真を撮った撮らない」というケンカが始まる。

 午後13時24分。尾辻秀久厚生労働大臣が参拝に来るものの、「誰だっけ?」の声が記者側からあがる。

 午後14時00分。神社内はどこも人が多く、中でも行列が絶えないのが参拝と遊就館。能楽堂前あたりでは、お年寄りの話に熱心に耳を傾ける若者がところどころに見られる。

 午後14時15分。都知事が帰ったあと散らばっていた報道陣が、また到着殿脇に集まりはじめる。

 午後15時14分。神戸ナンバーの濃紺のシーマが来る。車から現れたのは小池百合子環境大臣兼刺客。この日最後の大物政治家の登場。

 午後15時30分。参拝を終え出てくる。やはり美人でビックリした。5分ほどの取材を終え去っていく。記者同士でコメントのすりあわせをしていたが、こういうことをするんだな、と感心してしまった。

 午後16時00分。「集い」の最後に、午後15時の段階で、8月15日の参拝者が15万人を超えたと報告される。

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2005年9月23日 (金)

戦後60年8月15日靖国神社24時(2)

昨日に引き続くドキュメント。本日は開門から大物政治家登場までのジリジリした時間帯を追う。

●開門!韓国KBSから親切右翼まで
 午前6時00分。ついに開門。参拝者が中に入っていく様子を一斉に撮影し始めるが、その後、取材陣は中門鳥居まで進み撮影。各社のカメラが参道を埋めたため「お参りではないじゃないか」と参拝者から怒られるカメラクルーもいた。

 午前6時12分。神社正面から見て右側の遊就館前にある到着殿の向かって左側の砂利に、各社のカメラマンがはしごを置き始める。代議士が車をここに付けて、この入り口から中に入って参拝するためなのだろう。

 午前6時30分。参道の取材をしていた記者およびテレビクルーが到着殿へ集まり始める。その数は約20人。

 午前7時35分。参道で国立追悼施設建設反対の署名を行っていたので、とりあえず署名をする。朝7時だというのに、途切れることのない人の波。ヤクザや右翼も多く、みんな早起きだ、と感心してしまった。

 午前8時46分。遊就館が開館した模様で、大勢の人が入場していた。到着殿へ向かう報道関係者がひっきりなしに訪れる。

 午前9時05分。「靖国神社に参拝する地方議員の会」メンバーが旗を持ち、拍手を浴びながら中へ入っていく。

 午前9時41分。神門前で高齢者が転ぶ。警備員とともに駆け付けたのは、つなぎをきた右翼の数人。「大丈夫か」と声をかけ、警備員とともに参道脇まで運ぶ姿は善人そのもの。これがいつもマイクで怒鳴っている人物と同じ人たちなのかと感動する。さすが右翼、靖国の神門に掲げられた菊の御紋の前では神妙そのもの。

 午前9時43分。韓国KBSニュースのキャスターが、神門内側で撮影を始める。深刻そうな顔での中継が印象的であった。

 午前9時50分。靖国神社が設けている取材申し込み受付で、記者2名の取材を申し込む。「終戦六十年国民の集い」の取材者には緑のリボンを、境内用には首にかける取材許可書、境内内の取材には緑色のリボンを菊型に織ったものが渡され、プレス気分に浸ってしまった。

●緊張感と不快感がジリジリ高まる
 午前9時52分。本日、初めての政治家到着。ダラダラとしていたカメラマンの顔つきが変わり、政治家の顔を撮影しようといきなり脚立をのぼり始める。新聞記者は『国会便覧』で人物の確認を始める。「誰だ、誰だー、あれ」の声が報道関係者からわき起こる。「橋本派の佐藤だ、佐藤!」という声が上がり、顔見知りの記者同士で情報の確認を始め、佐藤信二元衆議院議員と判明。

 午前9時59分。参道の段差で中年の男性が転ぶ。普段は気にならない段差も、参道が狭くなると凶器に変わるのだと実感する。

 午前10時00分。「車が通ります~」の声が頻繁に聞こえるようになり、そのたびに各社に緊張が走る。ただしほとんどが議員ではない。降りてきた人を見て「なんだー」、「不発だよー」の声が記者席に満ち、ため息が漏れるようになる。いつ議員が来るのかわからないため、報道陣はとにかくロープの前を死守する。気温は上昇し、不快指数は最高潮に達する。さらにヘリコプターも飛び始める。

 午前10時11分。道路に出る記者が多くなってきたので、警備員がさらに長いロープを使って規制を始める。いよいよ本命議員到着か、と緊張感が高まっていく。

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2005年9月22日 (木)

戦後60年8月15日靖国神社24時(1)

さて今日から4日間にわたって小誌が今年の8月15日に24時間態勢で張り付いた靖国神社の様子をお届けしよう。結果「小泉来たらず」だったのはご承知の通り。でも24時間のドキュメントは右も左も英霊もマスコミも入り乱れての騒ぎだった。以前の靖国レポートと同じく文中で「私」と出てくるのは編集部の奥津裕美。では今日は午前0時から開門の6時まで

●小誌以外メディアはゼロの未明
 2005年8月15日。去る8日に衆議院が事実上小泉純一郎首相によって解散されており終戦記念日に靖国神社に参拝する危険性?大との判断から24時間張り込みの愚挙を編集長の命令で決行した。社の総力を挙げて(といっても4人)の愚挙である。

 午前12時00分。さあ始まった。小泉よ。来るなら来てみろ。目に物をみせてやる……って別に何もみせるものはないか。駐車場に大型バスが4~5台止まっていた。もう参拝客かと思ったら、バスのフロントガラスには、「巨人VS阪神観戦ツアー」なる文字が。運転手に「大型車はここの駐車場を使うんですか?」と聞くと、「そうですね」と解答。

 午前12時22分。ベンチにはホームレスの男性2人と、携帯電話で電話をしているガードマンが一人。報道関係者は誰一人としていない。どうやら『記録』編集部が一番乗りである。パンを食べながらあたりを見回すと、夜中にもかかわらず靖国を訪れる人が結構多いことがわかった。夏休みのせいもあるだろうが、中高生あたりのグループがやってくるのである。次いでカップルも訪れては去っていくのだ。

 午前12時46分。違う若者グループがまた訪れ、神門前でウロウロしている。さらに、私たちのベンチ付近には猫が3匹集まり集会を開く。猫の姿に癒される私。

 午前1時30分。若い男の子2人組がジュースを買い、ベンチで喋りはじめる。さらにカップルも現れジュースを買いベンチで飲んでいる。

 午前2時10分。売店からおいしそうなにおいが漂ってくる。なんのにおいだろうと考えながら癒されていると、売店横の道路に赤いランプを回したままのパトカーが止まった。駐車場にも別のパトカーが止まっていたし、護送車も止まっていた。準備万端いつでも来い! というような体制である。夜中から騒ぎがはじまると思って警備しているのだろうか。どの日よりも8月15日は靖国にとっても重大な日なのだろう。

 午前3時39分。一度去ったパトカーが売店脇の道路に再び駐車する。小誌以外のメディアはいまだゼロ。これまでに首相が来てくれていたら大スクープを世界中に放てたのに。小泉なんて大嫌いだ。

 午前4時10分。神門前でカメラマンが三脚をセット。小誌取材陣に次ぐ、2番手メディアの登場だ。Tシャツ姿の小太りの男性に近づくと、背中に「チャンネル桜」の文字が!「日本の伝統文化の復興と保持を目指し、日本人本来の『心』を取り戻すべく創立された」と標榜する衛星報道だけに、意気込みが違う。つまり靖国への「愛」が他社とは違うと。もっとも我々よりは4時間ほど「愛」が足りないが……。

 午前4時35分。「駐車場はどこにあるの?」とパトカーの警官にたずねる色い車が登場。「静岡から来たんだ」と大声で警官に説明していた。地方からの参拝客を本日初めて確認。

 午前4時48分。濃紺の背広姿の男性が到着し、神門前で参拝を行う。正装の参拝者は本日初。神妙な面持ちで頭を下げた後、静かに靖国神社を去る。

 午前4時50分。白い街宣車到着。パトカーの後に停車し、警官と話し合いをしている模様。数分停車ののち、九段下方面に靖国通りを下っていった。本日初の街宣車は、5時前の到着であった!

 午前4時51分。黒塗りのハイヤー到着。地味であか抜けない服装は、いかにも新聞記者のいでたち。映像系メディア以外としては、我が取材陣の次に到着したことになる。

 午前5時01分。青山からタクシーに乗って参拝に来たという老女(81)に、「いつ開くのかしら?」と声をかけられ、そのあと世間話をする。

 午前5時31分。「労農党」のはちまきを締めた老人が、巨大な日本国旗をささげ持ち神門前に現れる。横幅2メートルはあるかと思われる国旗を、3メートル以上ある国旗棒で支える。地面に付けないよう両腕で支える姿に「大丈夫かな、あのおじいさん」という声がマスコミ陣から上がっていた。数分後には仲間と思われる男性が海軍旗を持って登場する。2人で旗を掲げる姿にカメラマンが動く。今日初めての人気被写体は旗を掲げた参拝者だった。

 午前5時35分。カメラ8台が神門前に集結し、開門を待つ。主要テレビ局は全てそろっていた。

 午前5時41分。神社側よりアナウンスが入る。午前6時開門であること、境内の参拝者には取材しないこと、など放送する。靖国が少しずつ話題になり始めたころから取材規制の看板を出すなど、このところの靖国は取材に対してピリピリしているのだ。

 午前5時51分。チャンネル桜が神門前の参拝客にうちわを配り始める。表に日本国旗、裏には「草莽崛起」「日本文化チャンネル桜」の文字が。この「草莽崛起」とは、吉田松陰が唱えた変革の組織論のことだそうだ。

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2005年9月21日 (水)

松下政経塾のHPは笑えるよ

前原誠司衆議院議員が民主党の代表となった。彼とは学齢が同じ「タメ」であるから応援したいと思ったが松下政経塾出身というのが気になってHPを見て驚いた。
いやはや笑うしかない。皆さんもぜひご覧あれ。同塾は22歳から35歳のまでを対象とした歴とした大人の教育機関である。「魁!男塾」よりも年長者を育成しているのである。そこにこんな教育が必要とは・・・・

とくに楽しめるのは「カリキュラム(抜粋)」である。
1年目はまず「人間を創る」から始める。先ほど言ったように大のおとなが「人間を創る」んだってさ。じゃあ今まで何を創って来たのかいな。

・松下幸之助研究
松下電器産業のHP「松下幸之助物語」によると幸之助は「宗教団体の見学で、その繁栄ぶりに感嘆し」た結果として「生産人の使命について深く考えたこと」を「話した」。それは「水道の水のごとく、すべての物質を無尽蔵たらしめよう」だったという。名高い水道理論である。
彼の経営者としての能力をけなす気はない。だが「すべての物質を無尽蔵たらしめよう」は時代遅れも甚だしいと識者の多くが指摘している。その結果が何をもたらしたかは我々が日々感じている。今さら彼から何を学んでどうするのだ。

「精神修養・体力増強」には以下の課目が並ぶ。何度もいうが大のおとなが真面目に取り組むなんて信じられないことばかり。しかも「宗教団体」「の繁栄ぶりに感嘆し」た御仁の考えそうなメニューである。

◎早朝研修(早朝、塾内の庭掃除とランニングをし、規律ある一日を開始する)・・・・今時気の利いた人ならばフィットネスしてるよ。少なくとも早起きしてもすることがない編集者には関係ないな。
◎茶道・宗家研修/書道・・・・かつてあった花嫁修業か? はたまた皇族にでもなるつもりか
◎剣道・・・・警察官になるのですか?
◎坐禅研修/関西研修2(永平寺での参禅や、文楽鑑賞など)・・・・禅と文楽という脈絡のない体験で触れる「日本の伝統文化」って何さ。だいたい曹洞禅は只管打坐だから座禅で何かを学ぼうという考え方がおかしい。
◎体育/100km行軍・・・・大のおとなが「体育」だってよ。100km行軍? 防衛大学校にでも行きなさい

「現場体験実習」は大切だと思う。でもやっていることがへんてこなのだ
◎政治研究講座・・・・内容がわからないので批判は慎む
◎営林実習・・・・もはや破たんした日本の営林行政から何を学ぶのか
◎製造実習・・・・ここで来るのか水道理論
◎自衛隊体験研修・・・・何の必然性があるの

「志の確立」も「人間を創る」と並ぶ重要目標。大学出ている年齢の人が改めて志を確立しなければならないんだったら、その時点でダメ人間であろう。やることも「目標設定と活動計画の作成」「人間観・歴史観・国家観の探求」「コミュニケーションスキルの修得」など青年期に終えているべき要素がズラリ。
◎儒学講座・・・・朱子学を学ぶのか。それとも古学や陽明学も含めてやるのか。意味がないとはいわないが近世の支配層の価値観を改めて学ぶ理由を教えて
◎英会話・・・・NOVAの方がいいでしょう

これが1年目。大卒時点の私でさえ入塾した初日で爆笑して帰っちゃうぞ。それを「全寮制で、寝食を共にしながら3年間の研修を行」うというから古くせー。

だがしかし。こうしたカリキュラムが魅力的に思える人がいっぱいいて塾生の多くは前原氏が京都大学を出ているように偏差値エリートがズラリと並ぶのだから深刻といえば深刻だ。彼らはエリート大学を出ていても「人間を創る」も「志の確立」もできていないわけだ(でなければ入塾する動機もない)。要するに思春期や青年期にやっておくべきことをなおざりにして勉強ばっかりしていた人がカリスマ幸之助にすがりつくわけね。
小社から出版している『カルトにはまる11の動機』という本がある。著者は元オウム真理教古参信徒の加納秀一さんだ。その11の動機をズラッと示そう。

1)ヨーガやチベット密教に興味がある
2)絶対的存在についていきたい
3)弱い自分の内面を鍛えて克服したい
4)今の社会に不満がある
5)わずらわしい人間関係から逃れたい
6)よく生きるマニュアルがほしい
7)体験によって知識を確かめたい
8)若者組織でワクワクやりたい
9)よりよい男女関係を築きたい
10)社会と地球の役に立ちたい
11)ユートピアで共同生活をしたい

松下政経塾と同じだとはいうまい。といってまるきり共通していないともいわせない。松下政経塾のHPと『カルトにはまる11の動機』の内容を比較してみるとうそ寒いものがあるのである(と最後はさりげなく商魂)。

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2005年9月20日 (火)

Springsteenの新作と枕草子

遅まきながら今春発売されたBruce Springsteenの新作アルバムDEVILS & DUSTを聴く。これまで聴く気になれなかったのはやはり昨年の「反ブッシュ」を鮮明にした「変化のための投票ツアー」(Vote for Change Tour)を大統領選での激戦州で行い、にもかかわらずブッシュが大勝したことが引っかかっていたからだ。単一の賛否がわかれる問題(大統領選ならばイラク戦争継続の是非)に対して人は野蛮でも断行する者を支持するのか。その前にBruceでさえピエロになってしまうのか。自分でもわからなかった。

聴かなければならないと思い返したのは05年9月の衆議院議員総選挙で自民党が圧勝したからだ。「単一の賛否がわかれる問題に対して人は野蛮でも断行する者を支持する」を日本でも如実に示された。もう対岸の火事ではいられない。

当ブログをお読みいただいている皆様はご承知であろうが私は今回の総選挙をどう考えていいか悩んでいる。あれはいったい何だったのか。

Vote for Change TourはBruceがニューヨーク・タイムズ紙やローリング・ストーン誌などで「反ブッシュ」を掲げて始まる。1975年のデビュー以来の言動を多少とも知る者はこの行動に驚いた。
まず彼はすでに大御所の位置にあって今さら政治的パフォーマンスをする必要がない。ビジネスだけでいえばむしろ損であるはずだ。実際に55歳になるこの日までBruceが政治的活動をしたこともなかった。それどころか「Bruceは実は共和党寄り」との推測さえあった。代表曲の1つである“Born In The U.S.A.”を以前の大統領選挙で共和党候補が支持者集会に使用したり、9.11テロの後に開かれたチャリティーコンサートで未発表だった新曲“My City Of Ruins”(廃墟となった私の街)を冒頭で歌い“Come on rise up”(さあ立ち上がれ!)と連呼している。

彼のデビュー以来の曲の歌詞を読んでいると、他の作詞家が決して使いそうもない言葉が多数出てくる。“union card”(労働組合員証)“D.A.”(地方検察局)“gamblin'commission”(賭博委員会)“V.A.”(退役軍人管理局)“penitentiary”(刑務所)“foreman”(工場長)などなど。そして歌詞の主人公は主に“construction”(建設会社)“refinery”(製油所)“textile”(繊維工場)などで働く、ないしは働いていた労働者で、育ったふるさとは“My City Of Ruins”の状態で職はなく、仕方なしに“getting out”してきて大都会に出てきたものの失業したり“lookin'for a job”(仕事探し)もうまくいかなかったりして“loser”(敗北者)“deep”(借金漬け)となってしまう、一生懸命だけれども寂しくて、上手くいかなくて、それでも精一杯生きようとして・・・・という人たち。

裏通りでだけ許されるヒーローやヒロインを訴えるような声質や荒っぽいけれども精力的なメロディで歌い上げると、まさに主人公たちが生活の舞台としている「現場」感が鮮やかに浮かび上がる。決して悲壮ではなくて娯楽性のある楽曲としても高い質を保っている実に珍しい、おそらくBruce以外では作り出せない独特の空間が広がる。

彼が政治活動をしてこなかった理由を次のように推測していた。自分の曲で主人公とする人の多くは彼の曲を聴いて癒される。何しろBruceがいなければ誰も主題としないのだから。おそらく彼自身もそれで十分と考えていたのであろう、と。
それが昨冬の大統領選で翻したのはなぜか。ニューヨーク・タイムズ紙には「(ブッシュ政権は)米国の価値観からあまりにかけ離れたところにある」と批判し、ローリング・ストーン誌には「誤った方向に導かれたと感じている。現政権は基本的に不誠実であり、脅したり、ごまかして米国人をイラク戦争に駆り立てた」と述べたとされる。

Bruceの曲に出てくる労働者階級や低所得者層はしばしばアメリカのつらい現実に正面から向かい合わなければならない。ベトナム戦争で“kill the yellow man”(黄色人種を殺した)経験や“my high school ”(私の高校)で“there was a lot of fights between the black and white”(黒人と白人の間で多数のケンカがあった)思い出の持ち主などが多数登場。それでも、いわば「自己責任」のような形で問題を問い返すのがBruceの世界の特長だったのだが、彼らを「イラクには大量破壊兵器がある」「ごまかし」で戦争に「駆り立てた」ことは許せない。もはや「自己責任」や癒しのレベルを超えたと考えたのだろうか。

でも彼の政治活動は敗北し翌年春にDEVILS & DUSTを出した。結論からいうとアコースティックギター中心のシンプル極まるこのアルバムに商業的成功は望めそうもない。損を承知でやった政治活動の結末を自ら付けているようである。詩も表題作以外は裏読みしない限りブッシュ政権へのあてつけは感じられない。ただただ象徴的で原点に戻ったように静かに裏通りのヒーローとヒロインを優しく拾い上げている。まるで一文無しの若手のアルバムのように。
こうした方法こそ最も有効かもしれない。泣き言も恨み節もなく象徴的にシンプルに。全部捨て去って何もないところから足下を見つめてみよう、と。

清少納言の『枕草子』は仕えていた中宮藤原定子とそれに連なる藤原伊周陣営がライバルの藤原道長-彰子陣営に決定的な差をつけられ、なおかつ味方のはずの伊周陣営にまで疑われるという四面楚歌の中で書かれた。だが内容に恨み節は一言もない。みごとなぐらいに見当たらない。政治活動に敗れた表現者は泣きもしなければ恨みもしない。ただただ真っ直ぐに曇りのない目で現実をみる。

私も立ち戻ろうと思う。小誌は「弱者・少数者の側に立つ」が編集方針だ。自民が圧勝しようがどうであろうが彼ら彼女らの生活が劇的に変わるわけではない。ヒステリックに叫ぶだけというのは止めよう。ただ私はBruceのような大御所ではないから静かにはしないつもりだ。奴らが嫌がる音がするものがあれば所構わずガンガンやってやる。

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2005年9月19日 (月)

QUEENという名の商売

「WE WILL ROCK YOU」という名のミュージカルが新宿コマ劇場でやっていた(05年5月27日から8月24日まで)。S席12,600円、A席9,450円 で全席指定の超強気路線でバックに日本テレビが付いていた。
コマ劇HPの惹句によると「本作品はQUEENのメンバーであるブライアン・メイとロジャー・テイラーが構想、ステージデザイン、全役者とミュージシャンのオーディションに至るまで全面的に監修。まさにQUEENによるQUEENのミュージカル」だったそうだ。
この「構想」「監修」というのがわからなくて結構調べた。結論からいうとBrian May自身はこのミュージカルには参加しないということであり、荒唐無稽の筋書きと相まって観にいかなかった。

いくら「構想」「監修」なるものがあったにせよ故Freddie MercuryもBrianもいないのに「QUEENによるQUEENの」はだまし討ちであろう。

などと思っていたら今度は10月25日から11月3日まで「QUEEN来日」だという。今度はBrianもRoger Taylorも来るが(John Deaconは引退だそうな)死人のFreddieは来るはずもない。戦死じゃないから靖国神社から呼び出すこともできないし。
今度のバックはフジテレビ。「新生クイーンとして20年ぶりの来日を果たす」んだって。でもFreddieはあの世。どうするのかと思っていたら「QUEEN+Paul Rodgers」と来た。05年3月から英国でライブ活動をしていて9月14日には「RETURN OF THE CHAMPIONS」というライブアルバムが発売された。
まあ聞くしかない。ライブである上に新曲はないから正規の「QUEENのdiscography」には加えられない。アルバム発売自体もフジテレビの商魂の影が感じられなくもない。

で来日して聞く価値があるかというとありそうだ。ただし「新生クイーン」ではない。正確には「QUEEN-Freddie Mercury+Paul Rodgers」でしょう。

Brianが「オレがいればQUEENだ」といいいたい気持ちは理解できる。QUEENの誕生の過程を振り返っても彼がギタリスト、作曲家、ボーカリストとして果たした役割を考えても自負するのはわかる。

一方のPaul RodgersがFreddieの代役として適切かというと適切どころかよくこんなフェイクな役割を引き受けたと驚くほどの大物だから文句はない。Free時代にALL RIGHT NOWを大ヒットさせたのは1970年でQUEENの出世作BOHEMIAN RHAPSODYのヒットした75年より5年も早い先輩だ。その後も泣かず飛ばずでは決してなくBad CompanyでもCAN'T GET ENOUGHの大ヒットがある。この時点でBad Company自体がスーパー・グループとみられていたわけだから偉大さが知れよう。
ボーカリストとしてのPaul RodgersはあのRod Stewartが「イギリス最高のシンガー」と激賞した才能の人物だ。サザンロック風にリズム&ブルース系を伸びやかに歌わせたら右に出るものはなかなかいない。ちょっと演歌のこぶし回しのような芸がある。倍音の揃いが美しく衰えは感じなかった。「RETURN OF THE CHAMPIONS」を聞いた第一印象は「Paul Rodgers節を楽しめた」であった。ALL RIGHT NOWもCAN'T GET ENOUGHも入っていたし。これでQUEENですかね。

ただFreddieの代わりとなるとどうか。リズム&ブルースっぽさでは共通してもFreddieは音質が加藤典洋の言葉を借りればタイルのように「つるつるしたもの」に類する。対してPaulはオーク材のようなどっしりさとしなやかさが魅力だ。
何よりもQUEENが誰かさんそっくりバンドと揶揄されBrian自身もある人の物まねとみなされていたフェイク感あふれるバンドであり、そこがまた魅力でもあったのだがPaulはバッチリ本格派である。でもその組み合わせもまたフェイクだとしたら合格点か。

さて前述の疑問。堅実で地味とロック界にあるまじき(?)人格とされるPaulが何でまたQUEENなのか。案外と本人はBad Companyと同じスーパー・グループのつもりなのかもしれない。
もう一人の主人公であるBrianは先ほど書いたように何でもできる。でもEric Clapton のようにバリバリのソロでは行けない。かといって「Brian Wilsonさえいれば他が死に絶えてもThe Beach Boys」(ファンの人ゴメンね)とまでも行かない。「ものすごくレベルの高い器用貧乏」ともいえよう。
それにしてもFreddieなしでも商売になる日本市場ってのは何なんでしょうね。コマの近くに銅像作ったんだって。変なの。

そうそうClaptonといえば昨年末に来日していたが今年5月にCreamを再結成してロンドンのロイヤル・アルバート・ホールでライブをしたという。こっちはGinger BakerとJack Bruce という旧仲間の救済と伝わる。ワンパターンしか歌えないClaptonがその素朴さゆえに泣きまくりのギターと相まってソロでうまくいったんだから世の中わからない。Brian Mayも意外ともう少し歌が下手だったらソロで大成功していたのかな。

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2005年9月18日 (日)

本山彦一と「編集権と経営権」

正直にいうと朝日新聞は嫌いだ。読売も嫌いだ。社会人のスタートが毎日新聞記者だったという事実が我ながらバカだと思うが重い。この2紙はライバルだったので、とっくの昔に離れた今でさえ敵対心があるのだ。毎日記者には嘲笑されるだろうね。「脱走元二等兵が妙なプライドを持つな」って。
朝日の「サヨ」は芸風であると以前に書いた。ゆえに「サヨ」だから好きとか嫌いとかではない。だいたい各紙とも記者クラブで同一のソースを中心に記事を仕立てコメントをすり合わせているのだから朝毎読に根本的な違いはないのである。
ただなくなってほしくはない。「馬に乗れなければ牛に乗れ」である。牛でもないよりましだ。だからまったく期待はしていないが滅亡は阻止したい。

朝日新聞が本当におかしいと感じたのは武富士事件であった。これは2000年から翌年にかけて『週刊朝日』が消費者金融の武富士から5000万円の「編集協力費」を受け取って「世界の家族」と題するルポを53回にわたって連載しながら「編集協力」「PRのページ」などの形で武富士のクレジットを入れていなかった問題である。
この問題を『週刊文春』は「人はそれをブラックジャーナリズムと言う」と刺激的な文言で告発したがブラックジャーナリズムとは少々お気の毒だ。小誌も企業の告発記事などを書く際に企業側からブラックではないかと詮索されて「違います。ご安心下さい。お宅の問題は1円も受け取ることなく正直に書きますから」と妙な返事をしたものである。

主にブラックジャーナリズムと呼ばれる者のやり口は「トリヤ」である。ゴシップ記事を掲載しない代わりに広告費などの名目でカネを受け取る総会屋のジャーナリズム版みたいなものだ。「世界の家族」の場合は仮に武富士のゴシップを書かないことを条件に連載させたとしたら文字通りのブラックだが恐らくそうではあるまい。
「恐らく」と留保したのはそう疑われても仕方のない脇の甘さが『週刊朝日』にはあったということだ。具体的には編集権と経営権が一体化して編集権がねじ曲げられている可能性があるとみられることだ。

さまざまな識者が解説していることで気が引けるが一応その意味を復習しておこう。
一般に編集権は記者が書いた内容が広告主や読者など経営を支える側の存在と利害相反状態になっても守り抜くべきとされる。だから武富士がもたらした「編集協力費」という利益(経営)で武富士の利害と相反する記事を書く(編集)ことをためらったとしたら編集権が犯されたということになる。
トリヤを代表とするブラックジャーナリズムはこの論理を逆手にとってカネをむさぼる。この世界では最悪と深く深く軽蔑される類である。
では編集権と経営権は分離が可能なのか。この素朴な疑問に格好の素材がある。他ならぬ小誌である。

私は今、零細版元の編集権と経営権を一手に握っている。文章の扱いも経営判断も私がずば抜けているから当然の人事だ。威張っていると取らないでほしい。数人で支えている版元のトップだと威張っても仕方がないといえばわかってもらえよう(我ながら情けない説得工作)。

いわばミニミニミニミニミニミニミニミニミニミニミニミニミニミニミニミニミニミニミニミニミニミニミニミニミニミニミニミニミニミニミニミニ渡邊恒雄である。

こんな立場にいると「編集権と経営権」問題がまるで『世界がもし100人の村だったら』風に分かってきてしまう。わが一身が経営者兼労働者兼資本家兼記者兼編集者兼営業なのだ。

小誌の広告はすべて交換広告なのでおもねる理由がない。読者はそもそも少ないので好き放題書いていい。したがって編集権は独立しているが経営は破たんしている(買ってくれ!)。小誌連載をまとめた単行本の売り上げやら広告・編プロ仕事(マグロ船と小社では呼ぶ)などで糊口をしのぐ。普通あってはならない形態だ。本来ならば読者を増やして有料広告をかき集めるべきである・・・となるが本当か。

もともとジャーナリズムの経営の原型は19世紀末から20世紀初頭に活躍した毎日新聞社長の本山彦一が「新聞の独立を保つため」=編集権の独立には「経営の独立」が必須と考えて「新聞商品主義」の立場から広告収入を増やし、記事広告の場合は署名とするスタイルを確立したことにみることができる。つまり編集権を独立させるために本紙に広告を入れたのであって逆ではない。ジャーナリズムの価値観は別なのだ。

となると私のマグロ船作戦は「『記録』商品主義」からは外れるが編集権の独立のための「経営の独立」という論理立ては本山論に沿っていることになる。すごいな。本当か?

『週刊朝日』が武富士のクレジットを入れないまま事実上の記事広告を記事のように見せかけて出した理由はさまざまに分析されている。朝日の主張を信じるならば単なる不幸の連続による錯誤で誤解を与えたということになるらしい。でも仮に「世界の家族」のスポンサー名を最初から付けることを武富士側が遠慮したとしても断じてクレジットすべきだった。しなかったにはしなかった相当の理由があるに違いない。だって「記事広告の場合は署名とする」は本山時代からの常識中の常識だったから。

誌勢が落ちているとはいえ『週刊朝日』は約30万部の部数がある。小誌の比じゃないんだから卑屈になるなよ。なってないか。むしろ尊大だから問題を起こしたのかね。社員記者を使って高コストだとしても箱島信一体制(当時)では過去最高の決算を出したじゃないか。カネがあるならば編集の「独立を保つため」にジャブジャブ使えばいい。普通の会社と違うって?だって普通の会社じゃないだから仕方ないでしょう

もし『週刊朝日』が独立採算的にやっていきたいと考えての結果ならば武富士だろうが何だろうがバシバシ堂々と「記事広告の場合は署名」で行けばよろしい。包茎手術の記事広告だっていいじゃないか朝日人。
それが嫌ならば広告をあきらめてマグロ船に乗りなさい。ただ新聞記者のキャリアは記者クラブと社名に依存している限り社を飛び出したら恐ろしいほど使えない。似たようなものと思われがちな出版とも作法がまったく違うからなあ。マグロ船に耐えられるかな朝日人。

考えてみれば記事広告を記事と偽ると第三種郵便認可の条件の一つである広告量と記事との割合に抵触する恐れもある。ちゃんとしましょう。

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2005年9月17日 (土)

朝日新聞「検証 虚偽メモ問題」を検証

05年9月15日付「朝日新聞」の「検証 虚偽メモ問題」を深い想いで読んだ。
まず知らなかったことの訂正から。「総局」というから支局よりも上の位置づけだと勝手に思い込んでいたが朝日新聞は04年1月から都道府県庁所在地の支局を総局と改称している。要するに「親支局」を朝日は独自に総局と呼んでいるのであって実態は読売・毎日の「親支局」と同じ位置づけであった。

1)政治部からの「お願い」メール
政治部の政党担当デスクから与党キャップ、当番の内勤デスクを通して長野総局に当てられた「お願いメール」は確かに検証のようにあいまいさをはらんでいた。ただ総局員の印象は濃淡が出る。
「淡」は「総局長は『東京の話だからね』と(N記者に)答えた」に代表される。切迫感がないのは総局の役割が基本的には県版の作成にあるからだ。
だが「濃」もある。「政治部」が発信元になって「亀井静香元政調会長が・・・・模様です」とあれば相当な確度で政治部より細かくいえば「平河クラブ」が情報を握っていると総局員は考える。「模様」という表現は最終的な確認が取れないまま記事にする際に使用する語尾なので疑ってもおかしくないともいえるが後に「昨日夜、『亀井氏周辺』への取材で情報を把握しました」は皮肉にも決定的な印象をメールを受け取った人間に与える。当事者のうち片方を「平河クラブ」が押さえているんだという安心感だ。

2)N記者による虚偽メモの作成
少し驚いたのは「政治部出身」の「総局長が当番のデスク」だったこと。私は毎日新聞浦和(現さいたま)支局で働いた経験があるが支局長(政治部出身だった)は「デスク」の実務には携わらずデスクと三席が担当していた。県版の出稿先には地方版編集デスクがいて校閲や整理本部にもつながっていた。
しかし「検証」によると「朝日新聞では96年春から段階的に本社内の校閲部門をスリム化した。総局から出稿された地域面の記事はすべて総局の記者がチェックする体制になっている。長野総局でも校閲作業は泊まり勤務の重要な仕事の一つで、デスクが目を通して出稿した記事を印字し、執筆者がファクスで送ってきた資料などをもとに点検する」とある。これは重大な任務である。

当ブログで私はかつて泊まり勤務など重要な案件を抱えていれば交代できるはずと指摘したが「校閲作業は泊まり勤務の重要な仕事」となれば話は別だ。「午後5時までに総局に戻ることが決められていた」ら守らなければなるまいし「泊まり勤務席」まであるならば単なる事件警戒では収まらない。私の経験では「泊まり勤務席」など決まっていなかった。「デスク席のほぼ正面」ということは三席のポジションだ。

本社に上がる前の総局(支局)員とて願わくば自分の記事を本紙で扱ってほしい。だから政治部からの「お願い」はチャンスである。しかし県版の校閲作業まで総局の役割とすると一転「荷が重い」と感じても仕方がない。そこに虚が生じたのではあるまいか。「N記者との一問一答」の「校閲作業などで忙しいこともあり、ちょっと取り繕っておけばという気持ちの方が強かった」に感じるものがある。

政治部出身の総局長から「政治部のメモのこと、なんか言ってた?」と声をかけられたN記者は「はい」と答えて冒頭のメールの「模様」情報を「ほぼ裏付けられた内容だと思い込んで」「これまでの定例知事会見での発言を念頭に」「わずか10分ほどで」「虚偽メモ」を作成して「与党キャップにメールを送信、総局長と県政キャップにも同時に送った」。「総局長は問題のメモをまだ見ていなかった」段階で「さっきのメモ、書いてもいいよな」と確認、N記者は「ええ」と答えた。「N記者のメモを初めて読んだ」後の総局長も「田中知事、意外としゃべってるじゃないか」と指摘して「ええ、まあ」というN記者の発言でよしとしている。

ここに5年生記者の立場と本人および周囲の油断がある。「検証」にある「取材体制」では総局記者のうち「指導役の中堅記者」と県政キャップの次がN記者であろう。63歳の嘱託記者を除く7人のうち上から3番目で下から4番目となる。新入りの記者からみると5年生は仰ぎ見るような存在だ。総局長もかなりの信頼を寄せていたと思われる。本人もそれは無意識にわかっていたはずだ。

やはり総局長はデスクワークをすべきでない。長野総局長にその能力がなかったという意味ではなく兼務していると重みが違う。これがデスクだったら「なんか言ってた?」といわれて「あれは聞かなければいけなかったんですか?」ぐらいの会話で止まったかもしれない。後輩からは仰ぎ見られる5年生が総局長から「なんか言ってた?」と聞かれるとそうは答えにくいものだ。逆に新入りならば信用されていないし「わずか10分ほどで」「虚偽メモ」を作ること自体ができない。できてしまう程度の能力が備わっていたのが不幸であった。

3)虚偽メモを使った記事の掲載
「もっとも、政治部が作ろうとしていた原稿は、田中知事を党首に担いだ新党結成の動きだ」。この時点で「お願いメール」を出した時とすでに意味合いが決定的に異なっている。だが「虚偽メモ」は前提条件の変化に関わらず存在して違った意味合いを持ち始めた。
このことが「虚偽メモ」にはいったん幸いする。「記事の末尾に添えられる小さな扱いとなった」からだ。「長野県内で」という記載だけが問題となった。ところがその記事が「新しいシステム」では総局に自動的にはバックしてこないという。ここは痛かった。ここで確認しておけばメモの信頼性は見破れたし「長野県内で」を削除しただけで記事も成立したからだ。機械やシステムに頼る恐さをみる。

N記者は泊まり明けから解放されないまま翌日の勤務についた。驚いた。毎日新聞ならば当たり前でも(ゴメンね毎日)朝日もそうだったとは。明けのままの勤務はつらい。そこに「虚偽メモ」内容満載の大刷りが今度は届く。N記者は「頭が真っ白になった」が事実を打ち明けなかった。その理由として「社会面の記事と地域面の記事を執筆してヘトヘト」というのは正直なところであろう。
何度も告白するが私は駆け出しで逃亡した元二等兵記者である。泊まり勤務明けをもろともしない屈強な毎日の先輩にはかなわないと心底思った。今でも泊まりの際に電話がなる「悪夢」を見る。

とはいえ問題の本質はメールという形で総局長や総局デスクの頭越しで記事が政治部にわたったことだろう。「N記者との一問一答」の「これまでは原稿をくれと言われて自分で書いてデスクを通して送ることが多かったです。紙面に掲載される前に、本社から必ず確認のファクスなどが送られてきて、不安だったら、もう一度電話取材などをしました。事前に政治部から確認が来るとも思っていました。まさかメールひとつが(本社と)やりとりしないまま丸々使われるとは、知りませんでした」は本心で核心でもある。

それは記事ではなくメモであった。「デスクを通し」た「原稿」でない。総局長や総局デスクにも同じことはいえてメモならば「業務の範囲外」とまでは思っていないにせよ曖昧であったのは間違いあるまい。
「政治部の原稿作成の慣行で、同僚のメモの性格を細かく問い合わせることはほとんどしない」とあるがそれは政治部記者同士の場合であろう。しかも政治部自身が「亀井・田中会談の事実を確認できていなかった」「場所や会談内容までを詰めることはできなかった」わけだから総局員のメモに頼ったアンカーの責任は大きい。
私はむしろ「大刷りを見たとき、政治部がきちんと取材をして、何らかの確認をしているだろうと勝手に思っていました」とするN記者の方にシンパシーを感じる。亀井氏側に裏を取ら(取れ)ないまま総局員のメモで記事化したところに決定的な錯誤があった。その罪に比べればN記者の「虚偽メモ」作成はむしろ軽いのではなかろうか。

4)検証を終えて
「総局の若い記者たちにとって、本社編集局は『顔の見えない遠い存在』との声が検証の過程で多く聞かれました。この風通しの悪さも、背景にあったように思われます」とあるが私はそうは思わない。本社編集局が「顔の見える近い存在」であっていいわけなかろう。「顔の見えない遠い存在」とは偉大だということである。事実として「本社編集局」は特に本社に上がる前の総支局員にとって偉大であるべきだ。今回の問題は「本社編集局」が偉大でなかったから発生した。少なくともそうであれば未然に食い止められた。

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2005年9月16日 (金)

本当に靖国に英霊はいるのか(下)

●英霊は常駐していない!?
 さらに霊能者のA先生は続けた。
  「通常の神社では、天からシャワーのように御霊が降ってきてサッパリします。でも、ここでは地からゆかりのある御霊が上がってくる感じですね。下から暖かい気が、どんどんのぼってきました。あと、本殿に巫女さんのような女性が見えましたよ。英霊をお世話する女神のような存在でしょうか。
 それにしても参拝したら、朝からの肩こりがスッキリ抜けました。すごいですね」と、先生はニッコリ。

 しかし私は気になった。約246万余柱の英霊を、どうして先生は見ないのだろうか? 大量の英霊が神社を走り回っている図を、私は期待していたのだが……。
  「いや、簡単に説明すれば、靖国神社は玄関なんですよ。幽界にいる英霊が、参拝の声に応えて神社まで降りてきてくれるんです。もちろん自ら降り来てくださる英霊もいらっしゃるとは思いますが」

 なんと、英霊は24時間、靖国神社に常駐しているわけではないのだ。つまり呼ばなければ、東條英機や板垣征四郎などのA級戦犯は出てこないのである。
 これは大変な発見である。A級戦犯が合祀されているという理由で諸外国から参拝が批判されている点について、たとえば参拝した首相などの要人は「A級戦犯の英霊はお呼びしていませんから」といえばいいということになる。だが、そうするとなぜA級戦犯の英霊を呼ばなかったのかとか、だったらいったい誰を呼んだのかとか、オレの親父をなぜ呼んでくれなかったのかという新たな問題が発生する可能性もある。

 こんな難問に果敢に取り組んでいる私をよそに、一行は招魂斎庭があった駐車場へ。この招魂斎庭、英霊を神祭として本殿に合祀する前に、心霊を迎え入れる招魂式を実施した場所だという。そんな聖なる場所を駐車場にするなんてけしからん、と一部メディアに批判された場でもある。
 私も何となく罰当たりな行為だと思っていたが、先生は「問題ありません」と頷いた。
  「ログハウスが手狭になり、新しいログハウスを建設しても、普通、誰も文句を言わないでしょう。いきなり昔の施設を壊したならともかく、きちんとお祓いをしていますし、神様も怒っていないようです」
 どうやら怒ったのは、人間だけだったらしい。

●千鳥ヶ淵戦没者墓苑との意外な関係
 さて、靖国神社を出て千鳥ヶ淵戦没者墓苑へと向かった。第2次世界大戦で亡くなり、遺骨が収集されたものの、氏名の特定ができなかったり、引き取り手がいない無名戦士の遺骨を納めている場所である。
 門をくぐった途端、先生が深呼吸をした。やや顔をしかめ、目をつぶる。靖国に入ったときとは違う緊張感が漂っていた。納骨施設が視界に入ってくると、先生がボソッと一言。
  「ヘタにさわれない」
 普段は何かを感じることが少ない私でも、入った瞬間体が怠くなり下半身が重くなった。だからといって、足腰が疲れている訳ではありません。
 4人で献花し、門に向かって歩き出すと、今度は先生が首を振り始めた。
  「重い……。個別に霊がいるような状況じゃありません。エネルギーの集合体が、ドーンとある感じです。近づけませんでした」

 首を左右に振りながら、先生は言った。
  「ここは4時閉門で正解だわ。夜は来ない方が良いですよ。どうなっても知りませんから」
 先生、怖すぎます! 夜、トイレに行けません……。
  「足元から下に吸われるような感じがしませんでした? あくまでも私個人の意見ですが、千鳥ヶ淵は霊的にもう少しちゃんとした方が良いかもしれません。あらゆる宗教者が慰霊のために訪れるようになれば、霊も喜ぶと思います。
 ただ靖国も千鳥ヶ淵も、両方必要な施設なんです。千鳥ヶ淵は荒ぶる御霊であふれ、靖国はそれを鎮める『招魂社』。その2つのバランスが大切ですから」
 そうだったのか! 靖国と千鳥ヶ淵の関係はいろいろと議論されてきたが、こうした新解釈も可能なのである。

 先生の肩の痛みを払うためにも、再度、靖国神社をお参りすることになった。道々、先生から霊媒師から見た靖国神社像について教えてもらう。
  「政府や上の論理は、国威のために戦死者を利用し、『祀るから安心して天に昇ってくれ』という考え方。遺族や現場の倫理は、『死んだのだからせめて神に祀ってくれ』というものでした。どちらが正しいではなく、そういう考え方、思いがあるということでしょう。
 ただ靖国神社は、荒ぶる霊をしずめています。A級戦犯などが処刑された池袋で幽霊が目撃されるのは、死者に怒りがあるからでしょう。靖国神社がなければ、誰が荒ぶる霊を諫めるのでしょうか」
 靖国問題の根幹を解決すべく組まれた取材は、左右両陣営に加え、「英霊の主張」という新たな座標軸を発見することとなった。

ここからは筆者(月刊「記録」編集長)と奥津裕美による総括である。

要するに靖国神社とは祇園社や北野神社がかつて果たした「魂鎮め」の役割を果たすとみなすことができる。すなわち怨念を持つ御霊を靖国や千鳥ヶ淵に封じ込めるとともに和霊となるよう儀式をとりおこなうと。考えてみれば人神を祀る風習は東アジアではかなりみられる習俗である。
だから「人はみな死んだら神様仏様になるという日本ならではの思想は中国人にはわからない」などという平板な物言いで片づけるのではなく以下のように説明したらどうか。

1)戦地で死んだ将兵や処刑された戦犯はいずれも多少の差はあれ怨念を抱いて死ぬ
2)日本兵や戦犯の怨念は中韓の国民にとっても侵略者のそれだから恐るべき存在である
3)したがってそれらを社(やしろ)に封じ込めて鎮める儀式を適宜行うのは有意義である
4)関羽のように怨みを抱いた武将が祀られる例は中国にもみられる
5)関帝廟の主神が武神から財神に、北野神社のそれが雷神から学問の神になったように時を経るごとに当初の目的が薄れて祈りの形式だけが残って主神の意味も再定義されることは日中にみられる。靖国はその過程にあって現に財神の意味合いをすでに持ちつつある。あの辺の会社(わが社もそう)は商売繁盛を靖国に祈ったりするのだ

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2005年9月15日 (木)

本当に靖国に英霊はいるのか(上)

改めて読んでみると我ながら総選挙関連ばかり最近書いていたと気づかされる。本来の私は政治のような新聞界でいうところの「硬派」は得意ではない。よほど焦っていたのだろう。カレンダーをみるとすでに9月も半ばに差し掛かっている。
政界は肝を抜かれたような形で郵政民営化関連法案は可決しよう。で、その後はどうなるかというと忘れちゃいけないのが首相の靖国参拝である。9月半ばということは今年は後3ヶ月半しか残っていない。その間に小泉首相は参拝するはずである。
えっ、正月に行ったって? それは去年。8月13日に行ったのは01年のこと。デジャヴしそうだが今年は行っていない。

その件に関して当ブログは8月5日に「靖国に行きたい小泉首相への助言」を述べた。うち「『A級戦犯を呼び出さない』と明言する」は割合と評判がよかったので過去の小誌の記事を2日に分けて詳報する。03年1月号の「究極の謎に挑戦 靖国に『英霊』はいるのか」という記事である。
文中で「私」と出てくるのは小誌編集部の奥津裕美。連載陣に加わるまでは「ヤ」の字も知らなかった20代前半の若者である。

【以下本文】

 それはふとした、しかし非常に根源的な疑問だった。「もし靖国神社に英霊がいなかったらどうなるのか」だ。何しろ目に見えない存在なのだから、いない可能性もあるわけだ。
 いなかったら大変だ。靖国神社護持派は、その根拠を失ってしまう。もっと深刻なのは批判派だ。そこが大きな鳥居があるだけの空間だとしたら、国家護持や要人の参拝を批判する根拠がなくなる。政教分離以前に、英霊なき靖国は宗教法人なのかという問題だって出てくるだろう。
 とくにA級戦犯の英霊が眠っているのかどうかは大問題だ。1986年8月14日に「公式参拝」を見送ると発表した後藤田正晴官房長官は、「昨年夏の公式参拝は、A級戦犯への礼拝ではないかとの批判を近隣諸国に生んだので」と語っている。ならばA級戦犯が実際にいるのかどうかはどうしても確かめねばなるまい。
 問題は、それを科学的に実証する方法がないことだ。なぜならば霊という存在があることを前提にした議論自体が超常的だからだ。超常現象はそれがわかるとする人に調べてもらうしかない。そこでメディアでも活躍中の霊能者のA先生にお願いした。
 誤解されると嫌なのであらかじめはっきりさせておくが、編集部は大まじめである。霊能者に依頼する以外の方法はどう考えてもなかったからである。A先生も決死の覚悟だ。霊能者にとって「靖国に英霊がいるか否か」というテーマは途方もなく重いそうである。

●編集部による公式参拝
 年の瀬も押し迫った12月某日、無理を言ってお願いしたA先生と編集部メンバー3人は、北風吹きすさぶ中、靖国神社へと出発したのだった。
 「参拝する時は、真ん中を歩いてはいけません。端を歩きましょう」
 靖国の大鳥居に向かう歩道橋の上、先生はおごそかにつぶやいた。どうやら神社参拝の作法らしい。不思議に思ってたずねてみると、先生は霊視のみならず、神社関係にもかなり詳しい方だったのである。しかも先生の叔父様に当たる方が靖国神社に合祀されており、今回、本殿での参拝まで行い、英霊とのコンタクトを取っていただけるという。
 小誌実働部隊のほぼ全員が正式に参拝するとなれば、これぞ『記録』の“公式参拝”ではないか。唯一の30代である古参編集部員にその旨をたずねると、「玉串料は先生がお支払いするので、編集部としての公式参拝ではない。私的参拝である」と、笑いもなく答えるではないか。

 私的・公的はともかく、正式な作法に則った参拝をすべく、私たちは行動を開始した。「参拝は鳥居から始まるんじゃない、歩道橋から始まるんだ」と、踊る大捜査線風に言ってみたが、そう、歩道橋から参拝は始まっていたのだ。先生の注意に従って、私たちがミミズのように一列になって歩いたのは言うまでもない。
 鳥居をくぐるときは、一礼して入る。大村益次郎像を越え、休憩所を横目に見ながら第二鳥居へ差し掛かったとき「ここからは無駄話をやめましょう」と先生からお言葉が。穏やかな先生の表情が、徐々に引き締まってくるのがわかる。
 それなのに古参編集部員は、取材ノートをブラブラさせ、「ノートはしまってくださいね」と先生から優しく注意されていた。

 第二鳥居を潜り、すぐ左手にある大手水舎で手と口を清める。もちろん作法もバッチリ教わった。
  「柄杓に水を汲み、左掌に水を掛け、次に右掌に水を掛ける。口を漱ぐときは、柄杓に口をつけてはいけません。左掌で水を受けてから口をゆすぎます。最後に、柄杓を立てて柄を洗います」
 知らなかった! 神社へはよく行くが、正しい手水のやり方なんて聞いたことさえない。口の漱ぎ方まであったとは。手を拭き、神門の前でまた一礼。更に奥へ進むと中門鳥居があり、また一礼。そこを抜けると拝殿だ。
 何はともあれ、拝殿でまず参拝。ここでも作法がある。まずコートやマフラーを外し、賽銭箱に賽銭を入れる。先生によれば、「賽銭は2枚、4枚と2で割れる数がいいと言いますが、気持ちで結構です。賽銭は願いを託すものなので、5円玉一枚というのはちょっと……」とのこと。私も奮発。10円玉2枚を賽銭箱を投げ入れる。拝礼は、二拝二拍手一拝。見よう見まねで礼儀を尽くした。

 さて、いよいよ昇殿参拝のために祭儀所へ。美しい巫女さんに迎えられ座敷に通された。所定の用紙を先生が書き込み、しばらくすると宮司が登場。改めて手と口を清め、祓所でお祓いをしてもらい、いざ本殿へ。
 中央には、大きな鏡とカブやリンゴなどの神饌が置かれている。その鏡の前に正座をすると、外から小鳥のさえずりが聞こえてきた。そして神主による祝詞の奏上が始まる。深く息を吐いた先生がゆっくりと頭を垂れ、お辞儀をしていた。
 祝詞が終わり玉串を納めた後、二礼二拍手一礼して黙祷し、その後に廊下で神酒をいただいた。飲む際には、本殿に向かって「頂くゼ」という感じで挨拶した後に飲んでみる。もともと神と会った後の祭りを儀式化したものらしいから、威勢が良いに越したことはないだろう。中味は至って普通の辛口の日本酒だ。とはいえ昼間から飲めるのはありがたい。

 さて、祭儀所を出てすぐ、英霊との遭遇について先生にたずねてみた。
  「本殿に上がる前と、本殿から出てきたときに、『Aちゃん』と呼びかけられました。英霊の叔父様でした。ご遺族の方の中には、英霊が呼びかける声を聞き取れる人も多いのではないでしょうか」
 う~ん、やっぱり英霊はいるらしい。

以下は明日。A先生は本文にもあるようにテレビでもおなじみの人で本当は実名で出てもらいたかったが断られた。霊能者にとって靖国を実名で語ることは生命にさえ関わるんだって。

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2005年9月14日 (水)

川島武宣論から「官公労ガン」説を追う

(前略)一ばん面白いのは、第二次大戦中、「公物と思う心が既に敵」という標語が郵便局の壁にはってあった、という事実である。民法の所有権の考え方を前提とするなら、「公物」--国民個人の所有物でなくて、「公け」すなわち政府や府県市町村の所有物--と思うことは、それを国民個人の私的利益のために使ってはならない(他人の所有権を侵害してはならない)ということを意味するはずであるのに、この標語は逆に、公物と思うだけで「既に敵」だと言うのである。言うまでもなくその理由は、「公物」だと思うとむだに使う、という傾向があるからで、「むだ使いは敵だ」という戦争中の標語を特に「他人の所有物」たる公物について言ったまでのことである。(川島武宣著『日本人の法意識』岩波新書)

日本国憲法15条1項 公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である
日本国憲法15条2項 すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない

公務員を野放しにしておくと犯罪者になるのは古今東西を通じての真理である。現にわが国も明治政府が武士階級が担っていた官僚組織を公務員に置き換えていく過程で腐敗がいきなり露呈して1901年の涜職(汚職)法を定めるなどして押さえ込んだ。
基本的には武士が倫理規範としていた儒学を彼らにもあてはめた。江戸時代まで8割が農林漁業に携わっていたはずの日本人が「武士道」を持ち出すのもこうした由来であろう。

一方で「官吏」は文官分限令や文官懲戒令の制定によって政党すなわち民主政体の主人公の手が出せないようにもなる。ハプニング的に登場した日本初の政党内閣である1898年の第一次大隈重信内閣の成立に懲りた軍官複合体の体現者である山県有朋が後を襲って首相になった1899年に成立した。
現在は上記憲法の規定により公務員の選定と罷免は「国民固有の権利」のはずだが具体的にダメダメ公務員を「国民固有の権利」でリストラする権限は特別職の国会議員など少数の例を除くと方策がない。

まとめると以下のようになる

1)公務員は野放しにすると犯罪者になる
2)そのために汚職罪や倫理意識の徹底などで職務をまっとうさせる規範はある
3)同時にその身分は高いレベルで保障されてもいる

ここに川島が指摘した日本独自の風潮が加わる。国民自身が「公物」とは「むだに使」っていいと思いがちで「公物」を扱う公務員はイコールむだな存在だと思いがちだということだ。
事実として公務員のむだは多く指摘されている。公務員自身が「公物」を「むだに使」っていいと考えてしまってはお仕舞いである。そういう意味での指摘は厳しく行われてしかるべきであろう。
ただ国民自身の「公物」は「むだに使」っていいという意識自体も変えなければならない。

自民党が総選挙の最中に民主党のバックにいる労働組合を抵抗勢力の象徴、むだの温床、諸悪の根源として指弾した。結構効果があったと思う。郵政民営化をやってのけた後は官公労、もっとはっきりいえば自治労(全日本自治団体労働組合)攻撃を始めるであろう。地方自治体職員は暇すぎるほどなのに高給をはんでいるからリストラと賃下げを「国民固有の権利」を行使して敢行しようと。おそらく郵政民営化以上の好反響を得るに違いない。それを三位一体改革の枠内で行うか単独でするかはわからないが。

労働組合がこれほど嫌われるようになったのはいつからか。1989年に現在も最大のナショナルセンターである連合(日本労働組合総連合会)が成立して同年の参議院議員選挙で多数の「連合」候補を当選させて自民党を参議院で過半数割れに追い込んだ。これ以来今に至るまで過半数割れが続いているのだから歴史的快挙であった。自民党総裁の「ピンクザウルス」宇野宗佑首相は退陣に追い込まれた。
少なくともこの頃までは組合が政治の表に出ても拍手喝采される風土はあったわけだ。だが1990年代から今日までの期間に労組とくに官公労は逆風につぐ逆風となった。この期間はちょうど民間でリストラや賃下げが吹き荒れた時期だった。雇用と賃金を守るのが労組の役割だから官公労が抵抗するのは正しい。しかし実態として民間に比べて厚遇される結果となった。

だから本来ならば官公労自身が「オレたちは正しい」と主張すべきなのだ。確かに猛反発を受ける。「税金で食っていて偉そうに」とリストラ・賃下げ組は怒るに違いない。それでも「それは逆ギレだ」と言い放つべきなのだ。すると苦しんでいる民間の労働者が勇気づけられて立ち上がるか国民の反発を利用した政府・与党の攻勢にさらされて自治労が崩壊するかのどちらかだ。面白いじゃん。やってみればいい。
なあんて。そんな勇気はこれっぽっちも連合にはなかろう。だから隠す。隠すからよけいに「奴らには後ろめたい何かがあるに違いない」と疑われる。そして結局は解体されるのだ。

労組は私の主要な情報源でもあるので本当はメチャクチャ言いたくはない。とくに公務員は守秘義務があるので彼らからネタを取るのは厳密には犯罪スレスレだ。だから労組というついたてはありがたい。
しかし一方で憤懣やるかたない思いもある。官公労や連合本体にいる「ダラ幹」である。私は労働畑を駆け上る過程でひそかに「ダラ幹試験」というのが国家公務員1種試験並みに存在していて、それをクリアしないとダラ幹・・・・じゃなくて幹部になれないのではないかと妄想している。それぐらい指導部にはみごとにダラ幹がそろっているのだ。
彼らは途中まで威勢のいいことをいう。いって安全な相手や安全な程度にまでは威勢よく攻めるふりをする。性根が真っ直ぐな末端の組合員や「組合もいいかな」と考えている非正社員・職員なども一度は耳を傾けるほど格好いいセリフを吐く。
ところが先に「面白いじゃん。やってみればいい」と書いたような行動をいざしようと盛り上がるといきなり止めにかかるのである。組合員の口を封じ、時には分断したり切り捨てさえする。そして「現実的対応」の「苦渋の選択」をする。その陰で使用側トップと一緒に鍋をつついたりしているのである。

川島武宣の前掲書は主に「役得」について述べているくだりである。官公労の「ダラ幹」は税金と組合費と多分その他の「役得」でホクホクしている労働界のトロイの木馬である。これを追放するか一掃すれば労組をみる国民の目はかなり変わってくるはずだ。

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2005年9月13日 (火)

「死んだふり解散」との類似点

小社から2冊の単行本を出しているJR東日本の車掌さんである斎藤典雄氏からファクスあり。「たしか国鉄民営化時の選挙は自民304議席の圧勝だったのです」とあってハッとした。そういえばそうだった。さっそく調べてみると気味が悪いくらい似てはいるのだよ。

まず靖国神社参拝問題で揺れていた点が似ている。それにレーガン米国大統領と「ロン・ヤス関係」なる不気味な密着度を示したのも小泉-ブッシュ関係をほうふつとさせる。そもそも近しいメンタリティーなのであろう。

さて本題。斎藤さんの指摘通りの国鉄の分割民営化だ。正確にいえば1986年7月の上記「自民304議席の圧勝」の衆参同日選挙で中曽根康弘内閣が訴えたのは国鉄民営化を含む行政改革だった。選挙後に内閣記者会と行った会見で中曽根首相は「国鉄改革は行革の天王山だ。この法案を審議する臨時国会の召集は9月の初めごろになる。成立までにどれぐらいの期間が必要かは分からないが、来年4月の分割民営化が決まっており、この最終ゴールを考えながら進めたい」と語っている。国鉄を郵政と置き換えるとそっくりそのまま小泉フレーズだ。
選挙間際の5月7・8日に朝日新聞が行った世論調査で「こんどの選挙で各政党に、特に取り上げてほしい問題は何ですか」という質問に対する答えは「税金」が39%、「景気・円高対策」が23%で「国鉄の分割民営化」は3%に過ぎない。「税金」を「年金」に、「国鉄」を「郵政」に置き換えれば今回の選挙の構図とほぼ同じである。

まだまだある。当時の野党第1党で同日選で大敗する日本社会党は後に実態がないと批判された「ニュー社会党」なるものを標榜していた。当ブログがヘビの如くつきまとう民主党の「政権担当能力」とやらと空っぽの度合いはいい勝負。
にもかかわらず選挙直前には「ニュー社会党」なるものの手応えを感じたらしい社会党の田辺誠書記長は「大義名分のない解散を仕掛けてきた中曽根首相に対し、われわれは3年半の中曽根政治が暮らしや経済より軍事を優先し、国民に何の利益も与えていないことを明らかにし、中曽根政治の総決算を求めて戦った。当面の政策課題について明確な争点を隠そうとする首相の姿勢も厳しく批判」などと語っている。
「大義名分のない解散」「争点を隠そうとする首相の姿勢」などは習ってきたのかと疑うほど今回の野党の主張と似ている。

「大義名分」とは86年の場合が「死んだふり解散」だったことに由来する。朝日の国正武重編集委員による当時の分析では

野党側は、首相の政治姿勢や権力行使のあり方に比重を置きすぎた。その象徴が衆院解散―同日選をめぐる「ウソつき」「死んだふり」「ホラ吹き」論議であり、その中に肝心の政策論争や政権への取り組み方が埋没してしまった

となる。こうなると恐いくらいの類似であろう。

つまり当時の中曽根政権は日米首脳同士の蜜月関係と靖国神社参拝問題に代表される近隣との緊張を背景にしつつ「死んだふり」で不意に衆議院を解散した。彼の売り物は「国鉄民営化」を「天王山」とする「行政改革」だった。事前の国民の世論調査では大した争点になりそうもないテーマだった。
野党は「大義がない」とこの解散そのものを徹底的に批判した。一方で野党第一党は「何でも反対」から脱した「ニュー」路線なるものを打ち出して野党共闘や自民党の一部との連合も辞さない政権獲得の意欲を選挙で示してみせた。

一方の小泉政権は日米首脳同士の蜜月関係と靖国神社参拝問題に代表される近隣との緊張を背景にしつつ参議院の法案否決を受けて不意に衆議院を解散した。彼の売り物は「郵政民営化」を「本丸」とする「構造改革」だった。事前の国民の世論調査では大した争点になりそうもないテーマだった。
野党は「大義がない」とこの解散そのものを徹底的に批判した。一方で野党第一党は「何でも反対」を否定する「政権準備政党」路線なるものを打ち出して単独で過半数を取っての政権交代の意欲を選挙で示してみせた。

こんなそっくりの例があったにも関わらず私はなぜ気づかなかったのであろう。少なくとも新聞各紙が自民大勝の予測記事を流し始めた時点で比較すべき対象だった。こうした健忘症は私に限らず日本人に共通した弱点なのであろうか。正直言って寒気がする。というのは同じような健忘症で卑近な例があるにも関わらず見落としている重大な錯誤がまだまだある気がするからだ。というより絶対にあるはずである。探さなくてはなるまい。

寒気ついでにいえば「死んだふり解散」を中曽根政権が打った背景には当初は「田中曽根」とまでいわれた田中角栄元首相の影響力を排除する目的があったとされる点だ。「田中の影響力」排除という目的は時空を超えて中曽根政権にも小泉政権にも共通する。

さてここからは余談。

【その1】綿貫先生おめでとうございます。大勢が判明した時点でNHKの党首討論での先生の小泉首相への舌鋒の鋭さは格別だった。改めて郵政民営化法案の再提出を明言する小泉首相に対して「法案には反対する」とあの時点で、暴風雨のような郵政解散勝利の報が沸き返っているなかで断固として迷いなく口にしたコケの一念には圧倒された。テレビ画面を通しての討論でなかったらつかみかからんばかりの勢いはとても78歳のそれとは思えない。

【その2】保坂展人さんおめでとうございます。今度は自民党の名簿搭載者の不足と名簿上位の重複立候補者の得票不足で議席が転がり込んできましたね。
そういう運命ってあるのか。内申書裁判の昔より訳ありになりたいわけではないのにそうなってしまう。小誌1996年12月号に寄せていただいた記事は「『供託金没収で当選』で何が悪い」というタイトルだった。そうだった。あの時も訳ありになってしまった。そんな人が1人国会にいても面白い。社民党は支持しないけど。

【その3】中村喜四郎候補と支持者の皆さん。あなた方はいったい何なのですか? どういう風にするとそうなれるんですか? 後学のために教えて下さい。

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2005年9月12日 (月)

民主党に贈る河上丈太郎晩年の姿

この記事をUPしている段階で当選・当確(当確はNHKによる)は自民267人で民主90人。民主は改選前を大幅に下回ることが確実となった。

私は小選挙区は民主党候補に、比例代表も民主党に入れた。だが投票所で手が震えた。まるで自民党に入れるような気分であった。
とにかく自民党はもう勘弁という人にはわかってもらえると思うが対抗できそうな反対党候補に取りあえず入れるものである。旧日本社会党でも共産党でも無所属でも、もし野党ならば手が震えまくっても公明でも、であった。最近では民主党がその役割を担っていた。

今度の選挙を自民大勝・圧勝とするであろう。小泉首相の鮮やかな政略が奏功したといおう。それは正しい。だがそれ以上に民主党の一人負けであった。本気で今回は棄権しようとさえ思った。常々棄権者を「惰民」と罵っている当の私自身が、である。そこを鼓舞して投票所に行き、勇気を振り絞って、下品きわまる表現を許していただければ人混みでパンツを下ろすぐらいの覚悟で、震える手で民主と書いた。「蟷螂の斧。蟷螂の斧」と自分を励ましつつ。

最近このブログを読み始めて下さっている読者諸賢にはぜひ8月10日と28日および翌日の記事を読んでいただきたい。私はこのいきさつで民主党に愛想が尽きた。正直いって涙が出るほどくやしかった。小誌は文字通り小さな雑誌であるが大政党から小政党に至るまでこんな仕打ちを受けたのは初めてだったからだ。現に同時期に同様の申し込みしたが他に取材を拒否する政党はなかった。「こんな(民主党のような)政党が二大政党になって政権を取ることがありうるのだろうか」と真から疑った。そして今回の選挙で痛打を食らった。

「有権者の絶妙なバランス感覚」などという常套句を私は使う気はない。やはりこれだけ自民党を勝たせる国民はあまり使いたくない言葉ではあるが「民度が低い」としかいいようがない。だが今回だけは民主ではなく自民に入れた人の気持ちがわかる気がする。
もちろん有権者のほとんどが小誌の体験したような仕打ちを民主党から受けたわけではない。むしろ甘い言葉を受けていたはずだ。だが天網恢々疎にして洩らさずである。内側に隠し持っている傲慢な体質は何となくわかるものである。

私はマスコミが書くような小泉首相による「郵政民営化に賛成か反対か」の土俵に有権者の大半が乗ったとは思わない。むしろ岡田克也民主党代表の「政権を取れなければ代表に止まるつもりはない」という言葉も案外と真剣に受けとめていた気がする。ならば民主党に政権を取らせるか否かと判断を迫られた。郵政の賛否の裏側に確実にあったもう一つの選択であった。そして民主よりは自民の方がましだと判断した。残念ながらその判断を間違っているといえる材料が私にはない。

もっと直裁にいおう。私は民主党の大敗に「ざまあみろ」と言いたい気分を隠しきれない。直裁じゃないか。あなた方は自分が掲げた大義の説明を乞う小さな雑誌を足蹴にした。首相が仕掛けてきた「郵政民営化に賛成か反対か」の土俵に最初から乗って戦う気概もなかった。代わりに「日本をあきらめない」という妙なフレーズを唱えはじめた。
「・・・・しない」という表現は雑誌の特集などを考える際に編集者が「今月は何もないなあ」と行き詰まった際に「失敗しないダイエット」のように使う。本当は「成功するダイエット方法」の方が引きがあるのはわかっているが材料がないと補集合をかき集めればでっち上げられる「・・・・しない」で急場をしのぐ。
あなた方には「政権担当能力」「政権準備政党」なる「成功する」看板があったんじゃないの!「・・・・しない」は現状維持ができれば、つまり「失敗しないダイエット」は試みても太りさえしなければ、つまりやせなくても構わない程度の材料で構成できる。あなた方はそんな無責任な表現の主語に「日本」を選んだのだ。

マックス・ヴェーバーは『職業としての政治』で「情熱」「責任感」「判断力」を政治家の資質として「とくに重要」と挙げた(脇圭平訳 岩波文庫)。そのうち1つでも「日本をあきらめない」から感じ取ることができるとでもいうのか。

でも。それでも私は民主党に投票した。本当に死ぬ思いで支持した。負けて気づいてほしいことがたくさんある。気づいてくれるといちるの望みを託してもいる。それを自民に期待できないことだけは確実なので。どうか「地に塩」のような政党になってほしい。

民主党の皆さん。あなた方が毛虫のように嫌っている「抵抗野党」「何でも反対」の旧日本社会党のエピソードを最後に述べよう。小誌1996年3月号で取り上げた55年の社会党再統一に大きな役割を担った河上丈太郎の話である。話してくれたのは子で衆議院議員も務めた河上民雄さんだ。

「実は(父の丈太郎が)死ぬ前の数年前、一段と精力的に全国遊説を行っていた。社会党の行く末を案じての切迫感が最晩年の父を駆り立てたのだろう。最近の社会党のように、まるで党が不滅であるかのように信じて疑わない様子であるのとは大きく違う。不滅のものなどない。常に訴え続けなければ滅びてしまう。父はそう考えたのだと思う」

まだ野党のくせに与党になった後のことを夢想していた「政権準備政党」よ。あなた方は「抵抗野党」社会党幹部だった河上丈太郎を笑えるか。

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2005年9月11日 (日)

郵政民営化は現代の天皇機関説問題

郵政民営化関連法案を読み終えた。我ながらバカらしいと思ったが読んだ。感想を一言でいうと異様に複雑なのに内容が空虚。こんなもののために総選挙をやるのかと脱力感さえ感じる。
というよりも誰か通読して一貫性を持たせる努力をしたのか疑問を感じる。ただ単に「真ん中」と書けばいいところを「真ん中より右とする。ただし適宜左に向けて圧力を加える」みたいにボケとツッコミを一緒くたにしたような奇妙な文が並んでいる。用語にも不統一がある。私が編集を任されたら相当に赤を入れたい。

何より読んで不思議だったのは「この法案に反対した人はどういうつもりだったのか」という素朴な疑問。いろいろと解釈はできるが大方のところこの法案が通っても郵政は実質的な民営化にはならない。今より大きく変わるのは名前だけである。「郵便局が地方からなくなる」云々も様々な方法で回避できる。逆に様々な方法を用いても回避できない場合も考えられるが、それは現在の公社でも同じことである。変わらないならば何故反対したのかがわからない。同様に賛成した人の理由もわからない。

すでに今年から日本は人口減少に入ったと報道されている。2017年の完全民営化の時点ではその度合いは一層加速しているであろう。その時に過疎地の郵便局がどうこうという議論が必要だろうか。過疎地自体がなくなっている可能性の方が高い。

意外と知られていないが「世襲公務員」などと悪名高い地方の特定郵便局長も最近は跡継ぎがいないという問題をすでに抱えている。渡切費などのメリットが薄れたこともあるがいくら事実上「世襲」できるにしても田舎の特定郵便局長に収まって一生を終えるなんてゴメンだという人がドンドン増えているのだ。
親父が60歳で特定郵便局長を定年になったとする。25歳で息子をもうけたとしたらこの時点で35歳だ。ニートにでもなっていない限り何らかの職に就いて10年以上経っている。結婚して家族がいる可能性も高い。そこにいきなり故郷とはいえ田舎の郵便局長を継ぐかというとNOと答える人が現時点で相当数いるのだ。だって開業医でさえ田舎(都会ですら)で跡継ぎがいなくて『日本医事新報』などに縁談募集をする時代なのだ。

都会に雨後のタケノコのように増殖している特定郵便局は実は隠れ天下りが多いから淘汰されよう。その意味だけはあると思ったが公明党の反対で都会の郵便局も減らさないと政府が答えているから世話がない。

分社化され株式会社となった郵便貯金会社と簡易保険会社(法案の正式名は違うがこの方がわかりやすいのでこう表記する)の持ち株会社は2017年までに全株を放出するが買い戻してもいいし郵便貯金会社も簡易保険会社も持ち合ってもいいという条文はまさに「真ん中より右とする。ただし適宜左に向けて圧力を加える」に等しい。

あのさあ。純粋民営の株式会社ならばどこの株を買おうが売ろうが証券取引法や商法などの定めに反しない限り自由でしょう。それをわざわざ持ち合ってもいいという文言を加えると「持ち合う」と意思表示したとしか読めない。でも「放出」だともいう。支離滅裂だが要するに2017年までに「完全民営化」から「持ち株会社100%所有の実質一体化」まで自在に選択できるという正式には「郵政民営化から実質公社化まで選択可能法案」なのである。

だから郵政民営化に反対の人が賛成してもいいし反対してもいい。逆に郵政民営化に賛成の人が賛成してもいいし反対してもいい。そういう内容なのである。これを通してどうするの。逆に通らなかったらどうだっていうのか。

結論。まったくの空騒ぎである。人は空騒ぎに熱狂できるのかというと少なくとも日本人にはそうする才(?)があるらしい。1935年に起きた美濃部達吉の天皇機関説問題が代表的だ。すでに定着していた説に「天皇は天皇であって機関ではなく全部であるから機関ではない・・・・」などとすでに笑い飛ばされていた説が亡霊のごとく復活して果てしない空騒ぎの末に「国体明徴声明」を政府が出すに至った。さらに1回目の明徴声明は明徴性に欠ける云々の枝葉末節の論議が「国体を揺るがす」大問題として沸騰した始末である。
この頃から天皇自身が顔を赤らめてしまうような馬鹿馬鹿しい神格化を皆が先を争って始めた。今から振り返ると生産性がまったくない営為に上から下まで狂奔したのである。

以前に小泉首相のマインドコントロールを受けると段々と頭が悪くなってくるような気がするといったことを書いた。空騒ぎが空騒ぎを生む果てしなく空虚な時間を無意味な議論と熱狂で埋め尽くす気は私には毛頭ない。取るに足らぬ私の人生でさえそれに割くのはもったいないと確信する。でもきっと続くんだろうなあ。今日は衆議院議員総選挙の投開票日。

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2005年9月10日 (土)

野党にいいところはないのか

タイトルを付けた瞬間に萎える自分がいる。奮い立たせる要素がなさすぎるのだ。でも頑張る。自公圧勝などみたくない。そのために綿貫先生をほめる原稿まで書いたのだ。もう日にちがない。
自公を負かすには野党を増やすしかない。この簡単な仕組みに政治を真面目に考えている人がどれほど苦しめられていることか。どうしても野党の魅力(嗚呼!)を探さねば。

1)民主党
本当は応援したかったのに当ブログで紹介したような顛末があってほめるにほめられない。あえていえば「政権交代」というものを味わってみること自体に意味があるといわばいえる。最後(最期?)の1日は「民主党の岡田です。1年後に必ず解散しますからダメもとで投票してみたらどうですか」と場外馬券場や車券場で宣伝してみたら。

昨日も書いたように惰民ゾンビは特別国会での茶番がもう一度見たくて投票に行くのだ。それよりも政権がガラッと変わった方がエンタテとして楽しめるんだと訴える。
あるいは「代表を辞める」をエスカレートさせて「負けたら民主党をぶっ壊す」と選挙民を脅してみたら。「未来永劫あなたの選挙区は『自共対決』になるぜ」って。

2)日本共産党
どうしてよりにもよって公明党出身者が自公統一候補になっている選挙区に候補者を送り込むのだろうか。宿敵を利するだけなのに・・・・じゃあない。「いいところ」だった。
討論会風の政見放送の出来は一番だった。ただ台本棒読みに近い質問者役は収録までに何とかならなかったか。

それより何よりすごいのは今や逮捕されるのを覚悟しなければならないビラ配りを果敢にこなしている点だ。民主党のマニフェストは1度も入っていないけれども共産党のビラ配り決死隊による配布物は私の郵便ポストにも何回も投函されていた。最近はエロチラシか共産党かという争いである。その情熱の根元がマルクス主義でさえなければなあ。

3)社会民主党
この党は一度きちんと国民に詫びるといい。村山富市政権での裏切りだ。敵と組んで御輿に乗ったのは「あぜん」ぐらいでいいとしてもそれまでの政策を一夜にして覆したのは「わが党の政策など全部信用するな」と満天下に明らかにしたほどの衝撃だった。

辻元清美候補にもきちんと詫びてほしい。小誌もあなたに言いたいことがある。ピースボートの歴史の集大成をと意気込んで始めた連載を引き受けて下さったことには感謝している。でも国会議員に当選してからのブッチは何だったのか。2回も議員会館に足を運んで継続を依頼しましたよね。「忙しい」という理由で連載未完という恥をしのんであきらめたが何故直後に別の雑誌の連載を引き受ける余裕があったのか。あなた方は口先では弱者の味方というが本当は踏み台ぐらいに考えているんでしょう。

・・・・違う違う。「いいところ」だった。ああ難しい。前身の日本社会党を慕っている人はまだまだいる。彼ら彼女らが許せないのは村山政権の裏切りが大きい。それでも5人ぐらいは当選させてくれている。そうした支持者に真から報いるための誠実な謝罪をすれば少しは何とかなる。

4)新党日本
アメリカでは当たり前の地方自治体の首長がリーダーを務める政党の嚆矢となった歴史的な党である・・・・うーん。これ以上は浮かばない。国民新党と争うのはやめなさい。

5)国民新党
綿貫先生がんばれ。生まれて初めて国民的知名度を得た選挙で落ちてはいけません。亀井静香負けるな。悪代官を体現したようなご面相だったのに最近では地蔵様に見えますよ。願わくば東京ブロックに出してほしかった。ならば私も綿貫先生のために1票が投じられたのに。

6)新党大地
・・・・

やっぱりこれっていう内容は書けない。

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2005年9月 9日 (金)

小泉独裁への足跡

音楽のこともマンガのことも「自我自虐」も書きたいことはいっぱいある。今はコンゴ民主共和国について調べている。以前に別の媒体で書いた続報が結構あって面白い。でもやっぱり総選挙が気になって仕方がない。こればっかり書くと読者諸賢が食傷気味になるのはわかっている。編集者としては避けねばならぬ振る舞いだ。でも今書かなくてどうするという思いも強い。

当ブログが懸念していた通り惰民がゾンビ化して投票所で「自民」と書きに行きそうな今度の総選挙で自公が圧勝したとしよう。すると来年の自民党総裁選挙まで小泉自公政権が続くのは確実だ。きっと惰民は特別会(特別国会)での郵政民営化関連法案の採決が再度見たいだけだろう。ここで参議院で否決されたらどうなるかって?解散でしょう。皆が皆「そうなったら総辞職だ」などと言っているがあのライオンが退くとは思えない。惰民はそれも楽しみなんじゃあないの。

林銑十郎内閣というのが戦前にあった。陸軍出身のこの首相は予算案を通してくれたら言うことを聞くと野党政党勢力と妥協をはかって成立と同時に裏切って解散した。世にいう「食い逃げ解散」だ。結果は政府与党の惨敗だったが対決姿勢を崩さず「言うことを聞くまで何度でも解散だ」といわんばかりの姿勢をみせた。この時はさすがに母体の陸軍が引きずり下ろしたが小泉純一郎には鈴をつける陸軍がいない。だから何たって小泉内閣は続くのである。

郵政民営化関連法案の成立が何が何でもの小泉コケの一念で果たされた後に国民は「改革」でも何でもないバカ騒ぎだったと知るに至る。郵貯が買っている国債を紙くずにするっていうなら話は別だがありえない。といって代わりもいない。この解散劇までに小泉首相は次を狙うであろう人物をあらかた駆逐するか深手を負わせるのに成功した。手口順に見ていこう。◎は自民党総裁選で小泉候補の対立候補になった経験者

【郵政民営化法案反対で追放】
・綿貫民輔先生(78)・・・・何と選挙区で苦戦の模様。がんばれ先生!
・堀内光雄(75)・・・・これで堀内派にも「旧」が
・野田聖子(45)・・・・勝って復党しようにも刺客のゆかりタンが比例の上位で戻れない
◎藤井孝男(62)・・・・勝って復党しようにも元コスタリカ仲間の金子一義が同一選挙区なので不可能
・平沼赳夫(66)・・・・盟友亀井と歩調を合わせたのか出し抜こうとしてミスったか
◎亀井静香(68)・・・・取材でえらく高飛車の対応をされた経験のあるこの人をまさか応援したくなる気分になるとは思わなかった

【大恥かかせて男を下げさせる】
・加藤紘一(66)・・・・加藤の乱でダメ男を立証済み。演出は盟友だったはずの森派の小泉会長(当時)
◎高村政彦(63)・・・・法案棄権・復党組。わびを入れてひれ伏すのみ
・古賀誠(65)・・・・法案棄権・復党組。下げ度合いは加藤の乱の紘一さん以上

【取り込み・祭り上げで骨抜き】
・谷垣禎一(60)・・・・「今の財務相を選びなさい。①竹中平蔵②奥田碩③谷垣禎一」で③と答える人いる?
・中川昭一(52)・・・・重責のあまりか「酔っぱらい大臣」の名が定着。酔い潰すつもりか
・河野洋平(68)・・・・衆議院議長に祭り上げて一丁上がり
◎麻生太郎(64)・・・・解散の際の閣議で反対してみたものの沈没。だったら最初からおとなしくしていればよかったのに
・二階俊博(66)・・・・一部で声望あるも出戻り感は否めない
・野田毅(63)・・・・いくら裂帛の気合いを気取っても保守党からのあの逃げっぷりは語り草
【その他】
◎橋本龍太郎=終了
・山崎拓(68)・・・・選挙で大敗したければ首相にどうぞ
・松岡利勝(60)・・・・この人がいまや側近で「改革派」っていうのは本当?

改めて眺めると見事に消し去ったものだなあ。まだまだ出番は先の小渕優子(31)まで棄権・復党組に追い込んで手傷を負わせる周到さだ。

山拓・松岡に加えて森喜朗・武部勤あたりが側近といえば側近だがいずれも「首相にだけはしてはいけない」と世論のコンセンサスが取れている人材?で固めてある。竹下登が次の世代を7人も選んで分断したのとは違って小泉は消すのである。

残っているのは「地味自慢」の額賀福志郎(61)と「フッフッフ」の福田康夫(69)と長州藩の「ラストサムライ」安倍晋三(50)くらい。小泉首相自身が63歳であることを考えると「フッフッフ」の長期政権は考えにくく小泉総裁任期切れ後に控える参議院選挙(しかも小泉フィーバーで膨れ上がった01年の組)に「地味自慢」では戦えない。

結局は「ラストサムライ」が出てくるんだろうなあ。これがまた小泉並みの人気となったら都合6年ぐらい「小泉-安倍」で暮らすことになる。もう小泉で4年半も過ごした上で、である。

待てよ。この論理でいくと小泉の残り任期はもしかしたら「ラストサムライつぶし」劇場かもしれない。そうなったら面白い。本当に自民党はぶっ壊れるぞ・・・・おっとっと。まだ選挙前だった。

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2005年9月 8日 (木)

ゴーンとニーチェの「予言」

昨日の今日であるが箱島信一氏が日本新聞協会会長を辞めた。取締役も退くというが「相談役」はどうするのか。

閑話休題。2人の外国人の言葉が気になってしかたがない。
1人は2002年2月にアメリカの「世界経済フォーラム」に出席した際に共同通信などとのインタビューに応じたカルロス・ゴーン日産自動車社長(当時)の言葉である。

正しいプランと指導者を持てば日本人は不可能にみえることを可能にする力がある。日産はその好例

もう1つはニーチェの『善悪の彼岸』(信太庄三訳)である。

悲劇へと突進する今日の日本人(中略)これらすべての者たちが享楽し、ひそかな欲情を燃やして飲みこもうとねがっているものは、「残忍」という大魔女キルケの美酒である。
この場合もちろんわれわれは、残忍とは他人の苦悩を眺めるところに生ずるものだとしか教えることのできなかった従来の愚劣な心理学を、追いはらわなければならない。自分自身の苦悩、自己自身を苦しめるということにも、豊かな、あふれるばかり豊かな快楽があるのだ

『善悪の彼岸』の原著は1886年年刊。まだ日清戦争(1894年)で世界をアッといわせる前の日本史でいえば明治維新後の新政府の模索がようやく終わって内閣制度(1885年)が始まったあたりだ。極東の小国のどこにニーチェは「悲劇へと突進」を感じたのだろうか。

いずれにせよニーチェによれば「悲劇へと突進」する力の源に「自分自身の苦悩、自己自身を苦しめるということにも、豊かな、あふれるばかり豊かな快楽がある」「残忍」性があると推察している。
ゴーンの言葉は日産自動車の立て直しという肯定的な部分を除いて一般化して考えると示唆的である。すなわち「正しいプランと指導者」で「日本人は不可能にみえることを可能にする」という。

「正しい」とは何だろう。それは民主政治においては多数が正しいと感じることとなろう。それを掲げると日本人は不可能を可能にする。「プロジェクトX」のような陳腐な例が思い浮かぶ。あの番組は「最後で成功した」という事実があって遡っていく。だが本当は「正しいプランと指導者」と信じて不可能を可能にしようとして失敗した「プロジェクトY」の方が圧倒的に多いはずだ。ゴーンの言葉にしたがえばそうした失敗は「プランと指導者」が正しくなかったとなろう。だが正しいかどうかは正しい結果が出るまでわからない。

では多数が正しいと感じる正しさとは何なのか。ニーチェの言葉にしたがえば「自己自身を苦しめる」「豊かな快楽」を味合わせてくれる残忍性の持ち主をそれと選ぶ可能性も大いにあるということだ。
斎藤孝明治大学教授がしばしば指摘するようにわが国の民草には上機嫌の文化があるのは間違いない。だがニーチェ説を採るといったん日産自動車が味わったような蹉跌に遭うや「正しい指導者」に残忍な者を選んで「悲劇へと突進する」性質があるという。故なきとはいえない。

太平洋戦争敗戦までの「悲劇へと突進」する過程を政治の立場から読む第一歩が『西園寺公と政局』および以後を補完する『木戸孝一日記』であるのは定説である。私は史学科の学生だったので大学時代に義務として一読した。今読み返してみて改めて感じるのは先の大戦、とくに対米戦争に勝機をみていた政治家は誰もいなかったという事実である。まともな感覚とまともな判断が最後まであったにはあった。でも「突進」してしまった。ここは昭和史の大いなる謎というしかないが「自己自身を苦しめる」「豊かな快楽」を追ったとすれば合点がいく。

先の大戦は中国戦線というどうにもならない泥沼の桎梏があった。何度でも書くが先の大戦で日本が真に敗北したのは中国にである。この桎梏を打ち破るために意識したかどうかはともかく好んで「悲劇へと突進」したのではなかろうか。
近衛文麿は「誰の意見でも聞いて決断しない」で東条英機は「誰の意見も聞かずに決断する」と評された。東条が対米戦争に踏み切る過程はある意味でフニャフニャして言葉を左右させる近衛らより論理的であった。だが彼の、というより彼が属する陸軍に中国戦線の桎梏を吹き飛ばしたい何かがあったのは間違いない。東条の大命降下の背景に主戦派の東条陸相(近衛内閣当時)をトップに持っていけば却って戦端を開くことに慎重になるのではないかとの宮中の意思があったことは広く知られている。

自民党は大きく分けると「腐ったハト」と「清潔なタカ」の両派があってどちらかが首班の座を射止めると主義主張はおとなしくするという暗黙の了解があった。権力と主張の交換である。タカ派が首相になれば軍縮に、ハト派が首相になれば防衛力増強に力を注ぎがちであった過去が証明している。この当たりが国民にわかりにくく「美酒」に酔えない不満を抱えつつも何だかんだと持ってきた。きっと小泉純一郎にも「腐ったハト」側は期待した論理であろう。
だが彼は権力と主張の交換に応じずに権力こそ主張の源泉と打って出た。爽快な「美酒」である。太平洋戦争開戦の報を聞いた多くの文学者から民草に至るまで書き残している言葉が爽快感に裏付けられているように。

だがその「正しいプランと指導者」をはやす心理が「自己自身を苦しめる」「快楽」にあったとしたら。我々はきっと「悲劇へと突進」することになる。

今の日本には国と地方を合わせて1000兆円ともいわれる信じがたい「借金」がある。先の中国戦線に匹敵する桎梏で最大のテーマでありながら「どうしようもない」ために誰も争点としない。というかできないのだ。民主党がいうような歳出削減をやっても政府税調が出した増税を実行してもダメなのである。そうなってみると人は「悲劇へと突進」する「快楽」に身をやつすのか。
大新聞の9月11日総選挙の予測はいずれも「自民大勝」である。こうした予測はしばしば外れるが内情をいろいろ聞くと記事にした「大勝」の度合いは取材した結果よりも控え目だそうだ。つまり「世論調査」と「全国の取材網」から上がった数字はもっと自民優位であるらしい。120年前にニーチェがみた光景が広がりつつある。1世紀以上前のこのドイツ人の予言に耳を傾けるべきだ

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2005年9月 7日 (水)

朝日新聞「虚偽メモ」問題を推察

朝日新聞が総選挙をめぐる新党結成報道で「虚偽のメモ」があったとする不祥事の続報がなかなか出てこない。「信頼される報道のために」委員会とやらが「徹底的に点検」するというので待ちたいが現時点で不可解な点を述べる。

当ブログの8月31日の原稿で書いたが「宿直勤務のため」「切り上げ」たというのは私の体験からしてもおかしい。もしや時代が変わったのかと現在支局勤務をしている記者に聞いたところ、やはり泊まり勤務を優先させて重要な取材を打ち切ることはなく「誰かに代わってもらう」という。
泊まりは主として事件の発生に備える勤務である。おおよそ2ヶ月に1回の割合で県警記者クラブの幹事社が入れ替わる。幹事社の時には県警の広報当直から発生の一報を受けて他社に連絡する。幹事社でない場合は幹事社からの一報を受ける。その後にキャップやデスクに連絡して取材が始まるわけだが、この仕事自体は難しいわけではなく新入りでも務める。5年生でないと務まらないというわけではない。

「虚偽のメモ」を送ってしまった28歳男性記者は静岡支局を経て長野総局に来た5年生で県政を担当していたようだ。ここまでは私の予想通り。静岡-長野という総支局のわたり方は決して脱線した路線ではなくむしろエリートに近い。
メモは政治部の依頼で総局長が当の記者に取材を命じたという報道もあった。総支局長がデスクの頭越しに総支局記者を動かすというのはイレギュラーである。総支局長はふだんは現場に介在しないで対外的な役割を果たすのが常だからだ。
もし長野総局長が政治部閥であったならばエリート街道を走っていて本社に「上がる」寸前の記者に武勲を立てさせてやろうと考えたのかもしれない。もしそうならば合点がいく。と同時に当の記者が取材をためらいながらも「虚偽のメモ」を提出せざるを得なかった事情も推測できる。

高校野球が終わって総支局が一息つくべき時に起きた真夏の総選挙でそうでなくても総局員はかけずり回っていたことであろう。朝日は毎日などより人員に余裕もあろうが総選挙となればヒマではない。そこに政治部からの御用達で総局長の下賜モノとあれば疎かにはできないけど・・・・云々といった感覚か。

ただ解せないのは記事を出稿したのではなくてメモだという点だ。いちどきにパーッと記者を走らせて各方面から取材をしてメモを集めてデスクなりキャップなりが出版界でいうところのアンカーを務めるという方法は新聞でも珍しくない。となると文責はむしろ政治部の方にあるのではないか。メモをみせればデスクやキャップはああだこうだと突っ込みを入れてきて甘い取材はもちろん意図せざるでっち上げ(思い込みなど)などを看破していくのが常だ。
まして「虚偽のメモ」は本社に上がる前の記者による。プライド高き朝日政治部が総局員ごときのメモを鵜呑みにするというのはなかなか信じられない。特に今回の記事は田中康夫長野県知事と亀井静香氏の2人がいた。前者は「虚偽のメモ」で信じたとしても亀井氏に「当てる」行為を政治部本体がなぜしなかったのかが不思議でならない。

8月31日付朝日新聞社説によると「虚偽のメモ」は「政治部記者にメールで送った」という。詳細はわからないが普通は総局のデスクを通すものだ。ねつ造とまではいかなくても誤報の類は常に発生する危険が新聞社にはあるので二重三重のチェック態勢になっている。政治部の、しかも現場の記者に取材メモを直接送るというのは珍しい。
「メールで送った」に関しては別の臆測も可能だ。共同通信記者に聞いた話だが最近はデスクへの出稿もすべてメールになっていてデスクも片端からさばいていく。共同は全国の地方紙などに記事を配信するのが大きな仕事だがメール時代になって手書き時代よりも配信記事がドッと増えて地方紙デスクから「もっと絞ってほしい」という注文があるようなないような話だった。その時は「地方紙とはいえ新聞社が通信社に記事を絞れというのはナンセンスだよね」と笑い話で終わったが考えてみれば手書きからメールに代わって便利になった分だけ作業量が増加してチェック態勢をくぐり抜けている恐れがないとはいえない。
8月31日付朝日新聞社説には「こうも続いて(不祥事が)起こると、何か構造的な問題があるのではないかと感じざるをえない」ともある。今年6月まで続いた経済部の箱島信一社長(現取締役相談役)の経営優先の手法を暗示しているのか。

朝日新聞が「サヨ」であるというのは一種の芸風である。この芸風があるからこそ朝日を「サヨ」と批判して産経や週刊文春、週刊新潮などは売れるのだ。ネットをみていると朝日を極左扱いして喜んでいる人が大勢いるが芸風に乗せられているだけなのだよ諸君は。
実際には官僚的組織であり(これは大新聞にはいずれも多少いえるが)政治部と経済部という「硬派」が社長をたすきがけで務める。現に箱島社長の後任は政治部出身の秋山耿太郎氏である。本社に上がる一歩手前の総局員が政治部へのみやげになるかもしれないという取材で勇み足をした。8月31日付社説でいう「社内外での競争がもたらす重圧や焦り。朝日新聞という伝統と看板」の重みである。

以上のような経緯を考えると28歳男性記者を即刻クビにするという手法は苛酷にすぎよう。平たくいえばかわいそうだ。「こうも続いて」が指す不祥事の多くは箱島社長時代に起きているのに彼は今では日本新聞協会会長である。「セクハラを起こした」という理由で日本共産党が筆坂秀世政策委員長を解任させて議員辞職させたニュースを思い出した。せめて処分は「信頼される報道のために」委員会の報告を待ってからでもよかったのではないか。何だか人身御供にされているようである。28歳の記者を浅野内匠頭みたいに問答無用の即刻切腹にするのは気の毒である。

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2005年9月 6日 (火)

宇野正美氏の反論

前日に掲載したアーネスト・サラモン理事長の発言中に何度か宇野正美氏の名が登場した。そのため小誌は1995年8月号編集の段階で公正を期すために宇野氏から反論をいただき要約して併記した。本日はその部分を紹介する。

-日本ユダヤ教団に取材はしていないのか。それでいいか

宇野氏:取材をしていないことは事実だが、米国にいるさまざまな立場のユダヤ人の友人らから限りなく取材できる。

-教団は日本語をきちんと話せるユダヤ人を用意したにも関わらず取材を拒否されたとしているが本当か
 
宇野氏:そのような連絡を受けたことは一度もない。『週刊文春』で日本語のできるユダヤ人であるデーブ・スペクター氏と対談し、掲載されたことはある。すべて裏付けのあることだ。

-イスラエルに寄付していることについてはどうか

宇野氏:私が『ユダヤが解ると世界が見えてくる』などを執筆した当時は限りなく親ユダヤであり、苦境にもめげずに頑張るユダヤ人の心を書き続け、日本人もそこに学ぶべしとした。ところが、全く日本語を知らない『ニューヨーク・タイムズ』のへーバーマン記者が誰かから聞いた部分訳だけを頼りに私を反ユダヤと騒ぎ立てた。
ベギン元イスラエル首相らと親しく、イスラエルに30回以上も訪問していた私が反ユダヤであるはずはなく、イスラエルにいる多くのユダヤ人の友人達に寄付し続けたことは何等矛盾しない。

-阪神大震災はイスラエルからのミサイル攻撃によるものだと講演したのは本当か
 
宇野氏:全くそのような事実はない。私の講演はすべて記録と録音が証拠として残っている。

この件についてアーネスト・サロモン理事長に再度聞いたところ「日本ユダヤ教団と親しい2人の日本人が宇野氏の講演会に出席して、イスラエルのミサイルが阪神大震災を引き起こしたとの説明を聴いている。1人は講演中テープを回していたが、宇野氏の関係者に力づくで奪われた上、2人とも強制的に会場から追い出された。以後、宇野氏の講演への入場を断られている。宇野氏に何も隠すことがないなら、なぜ入場を拒否するのだろうか」とした。

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2005年9月 5日 (月)

日本ユダヤ教団理事長に聞いた

またぞろオカルトブームである。
オウム真理教によって引き起こされた事件の直後は自粛していたテレビ局も細木何とかなぞを引っ張り出して荒唐無稽の番組作りに余念がない。スピリチュアル・カウンセリングなんてのもある。信じている人にははっきりいおう。見下げ果てたバカである。
郵政民営化に関してもさまざまな取りざたがあるが、その一つに「ユダヤ資本が日本を乗っ取る」というのも出てきた。またかとイヤになる。
実は小誌は1995年8月号で日本ユダヤ教団のアーネスト・サラモン理事長に恐る恐る「ユダヤ世界乗っ取り説」などは本当かと質問している。当時は「ユダヤ世界征服は冒険活劇」のタイトルで紹介した。いまでも通じる点が多々あるので紹介しよう。

●他の民族と同じ
-ユダヤ人の陰謀説が書かれている本がずいぶんと出版されているようですね。

 日本で出回っているユダヤ人陰謀説の本は、まるで冒険ものだ。ものによっては、侵略に来た火星人がユダヤ人に化けている話まで載っている。全くお話にならない。オウム真理教も、ユダヤ人が世界を支配しているかのような言動で終末思想を煽っていたようだが、これもセンセーショナルな話題を狙ったものだろう。

-ユダヤ人に対する迫害としての危機感はありますか?

 ユダヤ人陰謀説の本が売れているといっても、日本国民の1%も読んでいない。まして内容を信じる人は、読者の1%未満だろう。陰謀説が一人歩きする心配はしていないし、危機感もない。読む側も冒険ものとして読んでいるのだろう。

-ユダヤ陰謀説は、ユダヤ人が一枚岩のように書かれていますか。
 確かにユダヤ人は世界各国に散らばっており、宗教的には国を越えたつき合いがある。例えば、私達は旅行で訪ねた地方のユダヤ教徒と共に祈り、共に宗教的儀式をとり行うことができる。しかし、ユダヤ教を信仰しているといっても、生活している場所によって言葉は違う。ユダヤ人が世界を支配するために密接に連絡を取り合っているような誤解もあるようだが、言語の壁がある。
 またビジネスにおいては、ユダヤ人なのかそうでないのか分からない。それは、カトリックでもプロテスタントでも同じだろう。例えば、米国の銀行にもユダヤ人はいる。しかし、互いに同じ民族だということで協力することはない。銀行同士が張り合っており、銀行マンも競争をしている。

●取材もせずにでたらめを書かれる。
-日本でユダヤ人陰謀説が広がり始めたのはいつ頃ですか?

 そもそも、ユダヤ人と日本人は、第二次世界大戦中でも敵対関係になかった。あらぬ噂が広がり始めたのは、およそ10年ほど前(著者注:1980年代)に、宇野正美氏が興味本位にユダヤ人のことを書き始めたことに始まる。日本ユダヤ教団は、宇野氏に取材を受けたことはない。
 さらに日本語をきちんと話せるユダヤ人を教団で用意したにも関わらず、宇野氏から、「会う時間もなく、興味もない」といわれた。当事者に取材をしないでどこからネタを仕入れているのか疑問だ。宇野氏と同様に、陰謀説を扱った本の著者からの取材申し込みは全くない。もちろんオウム真理教が取材に来たこともない。

-このような状況を、増長させたものは何ですか?

 日本では出版社の大小に限らず、金儲けのためなら本の内容の善し悪しを抜きにして出版する傾向がある。米国の大きな出版社は、会社の権威を落とさないために、悪い内容の本を発行しない。そのため、書店に行って出版物を見れば、内容がどれだけ信用に足るものかが分かる。日本との大きな違いだろう。
 出版社だけでなく宇野氏をはじめとした著者も、金目当てで出版しているのは間違いないだろう。宇野氏などは、著作で儲けた金をイスラエルにせっせと寄付している。よく分からない行動だ。一方で、阪神大震災はイスラエルからのミサイル攻撃によるものだと講演会で話している。そのためかどうかは知らないが、講演後は商工会議所の使用を断られている。450人ほどの観客がいたそうだが、さすがに信じた人はいないだろう。

-オウム真理教事件でも、ユダヤ人の名前がささやかれましたね。

 サリンが騒がれた時、サリン製造の裏にユダヤ人がいると言った人もいたようだ。何か事件があるたびに、あるぬ噂を立てられる。ユダヤ人をスーパーマンだと考えている人がいるようだ。もっとも、私達は世界を制服したくもないし、スーパーマンになりたくもない。第一、たった2000万人未満のユダヤ人がどうやって世界を支配できるのか?

当時の宇野氏の反論は明日に掲載する。宇野氏はどうやらご健在で相変わらずの御意見を説かれているらしい

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2005年9月 4日 (日)

私の始末書

たまにはつぶやきらしきことも書いてみよう。42歳独身子なし借家住まいの零細企業主。ふむ我ながら立派な負け犬である。

鏡で我が身体を見る。頭髪の後退は今のところないが42年付き合った顔は相変わらず間が抜けている。妙に眼光が鋭いのもかえってマイナスである。その上身長を10センチは縮めてみせる猫背も健在だ。太ってもいないが別にスラッとやせてもいない。
皮膚はもとから白い上にひげが濃くてやわらかい。しかも汗っかきである。なかなかここまでみっともない造作を組み合わせるDNAの出会いもあるまい。やわらかいから電気では剃れない。カミソリで剃ると皮膚が弱いのですぐ血を噴く。といって伸ばすとホームレスさながらとなる。いずれをとっても大層なご面相が出来する。
元来の口臭もある。これは幼少からで極度な胃弱が原因と幼い頃に医師にトドメを刺されている。取材対象者に失礼なのでいろいろ対症療法は試みている。しかしそろそろ加齢臭や死臭が陣営に参加してくるお年頃だ。化け物の完成は間近い。

加えて努力というものができない。生まれてはじめてそれらしきことをしたのはマスコミの試験を受けた時だったが、それとて1日2時間と続かない。やっと潜り込んだ新聞社からは二等兵のままアッという間に逃げ出した。以前に毎日新聞の労働組合から「会社を去った人に聞く」みたいな企画で(成り立つ時点ですごい企画!)取材されたが赤面するのみ。厳しいから脱走しただけなのに。
それからコロコロと転がってわずかな文才と話術の才で地表スレスレの低空飛行人生を続けて今日に至る。

「何で結婚しないんだ」と聞かれることもあるが「誰にも相手にされないんだ」と真実を告げても何故かなかなか信じてもらえない。妻がいないから当然子もいない。孫はまだかと親に詰め寄られて参る。生物学的に私は男であるによって子どもを産むことはできないんだよ。

私より才能があった多数の知り合いは今たまに集うとグチのオンパレードである。私には付いていけない世界がそこに広がる。上司や仕事上のトラブルを延々とグチる者が「どう思う」と振ってこられても困る。「辞めれば」と返答すると「でもオレは組織を内側から改革するんだ」なんていう。ヤレヤレ面倒な方程式である。
「妻や子がいるから云々」ともいうが私が頼んで誰かに結婚してもらったことは一度としてないから「僕は頼んでないよ」というと「お前は無責任だ」「半人前だ」と罵られる。「無責任」「半人前」という指摘自体は実に正確なので黙っていると「お前がうらやましい」などとも言う。私をうらやんだらお仕舞いである。
家庭を運営するのは大変なことらしい。ただ話を聞く限りでは零細企業を切り盛りするほどでもなさそうなのが不思議だ。しかし手に入れていないものは軽蔑できないので独身の私は聞き流していると一渡り不幸な家庭を嘆いた後で「お前も結婚すればわかる」などとのたまう。おいおい。いくら自分が不幸だからといって私まで引きずり込むのはよそうよ。

彼らが子をなしてしばらくは年賀状にどでかく子の写真が貼られていた。私は年賀状を出さない主義なので名簿から削除するといいのに肉の塊にしか思えぬ赤ん坊の写真が送られてくる。それが数年続くとだいたいが決まって消える。子の写真がなくなるのだ。やっと肉の塊が物心ついてこちらも興味を持とうとした瞬間に彼らは隠す。「ここから一歩も出ようとしない娘の部屋」とか「金属バットを振りまわす息子の勇姿」みたいな写真をぜひ送ってよ。そうしたら絶対に返事を書く。

そういえば私には友達もいない。一人もいない。取材対象者やら取次仕入様やら日々お付き合いのある人々は無数にいるが友達はいない。「何でも心から打ち明けられる」といったって打ち明けるほどの内容を背負っていないので不要である。より正確にいえば苦労はズシンとあるが大半は誰かに打ち明けたところでどうにもなりはしない。

趣味は読書。ただし日垣隆さんのご説によると文筆を生業としている者が趣味を読書とすることは警察官が趣味は詮索というのと同じでタブーだそうである。となると私には趣味さえないことになる。

自分でもよくわからないのは社交性である。いわゆる「もてない男」「オタク」のカテゴリーに私は間違いなく入るが、どうしたわけか社交性だけはあるのだ。だから女性と話ができないとかアガるといった経験はまったくない。どこで身についたのか天賦のものかわからないが備わっている。だから歴とした「もてない男」「オタク」の仲間にも入れない。

どうやら42歳まで生きた男性の余命は40年ぐらいあると聞く。まだ半分だ。残りの半分をどうやってごまかして生きればいいのか不透明にすぎる。

ただどんな社会が訪れるかは想像がつく。おそらく「貧しさ」が多くの庶民にのしかかる時代が再来しよう。私の生家は決して貧しくはなかったが小学校を「父親の仕事の都合で」5回も転校せざるを得ないような程度ではあった。
生まれた1960年代は日本から急速に「貧しさ」が消えていった時代だが幼少時にその匂いはかいだ。貧しき者は「ボロは着てても心は錦」でありたいが実際にはより貧しい者や弱き者を叩いて相対的な優位を実感する傾向にある。そこにつけ込む奴もいる。「物言う弱者」に社会は攻撃的でさえある。
願わくばそこに立ち向かいたい。その過程で死んでしまいたい。武器は憲法21条の「表現の自由」。私の「護憲」は9条ではなくて21条なのだ。とりあえずはこの条文を脅かす勢力に蟷螂の斧を振りかざしたい。

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2005年9月 3日 (土)

人ごとではない米国の大水害

大型ハリケーン「カトリーナ」によって千人単位の死者が危ぶまれるニューオーリンズの水害だが他人事とは思えない。日本を襲う台風とハリケーンは発生場所が違うだけで同質だからだ。

まだ詳細はわからないがニューオーリンズ水害は「世界一長い橋」のコーズウェイブリッジが架かるポンチャートレイン湖の一部と同湖とミシシッピ川とをつなぐ運河の二ヶ所が決壊したらしい。湖の方は詳細がまだわからないが日本ならば一級河川に相当するであろうミシシッピ川本流の決壊でない点を注目したい。

かつて日本では大河川の決壊が大水害を繰り返してきたが近年の治水対策により姿を消しつつあった。
代わりに問題となってきたのが中小河川の氾濫である。2000年の東海大水害の時には本体の庄内川は大丈夫でも支流の新川が決壊、ないしは決壊させないよう放流を止めたための内水氾濫が発生した。04年の台風23号に基づく豊岡水害は氾濫が事前に心配されていた円山川がやられた。

現在の都市住民の多くは中小河川の氾濫に直撃される低い海抜地帯に住んでいる。一級河川は100年に1度を想定した治水が進んでいるが中小河川はそこまで行き届かない。地方自治体の財源も乏しい。そもそも「100年に1度」も単なる概念に過ぎない。イチロー選手の名言を借りて言えば今年100年に1度の水害が起きた翌年に次の「100年に1度」が来たっておかしくないのである。
ニューオーリンズ水害もハリケーンをやり過ごすまでは首尾よくいったが翌日の氾濫にまったく備えなかったがための大惨事のようである。水害はこれがこわい。いわゆる「台風一過」でホッとしている時に襲いかかるのだ。

趣は異なるが1998年に神奈川県玄倉川で発生した水難事故を思い出す。再三の避難勧告にも関わらず中州で「キャンプ」をしていた家族連れなどが濁流に押し流された。後で子細を批判されるものの勧告する者はやるべきことは一応やっていたし被害者もキャンプの常連だったという。それでも油断する。思うに台風の恐ろしさは学ぶまでもなく皆が知っているが後の河川氾濫の危険性はあまり啓蒙されていなのではないか。考えようによっては、というより命に関わるという点で考えるまでもなく郵政民営化などより重要で喫緊のテーマであろう。

何とか大災害を命からがらやり過ごしたとしても後が大変である。日本の場合は被災者生活再建支援法が適用されようが家屋の解体などの制限があって支給金で家の修理や新築は許されていない。日本は私有財産制度だから公金を私有財産(家など)に投入してはいけないそうだ。アホらしい。同胞が明らかに何の罪もないにも関わらず何もかも失っているのだよ。それでも同法ができただけでも進歩(1998年成立)というから暗たんたる思いである。しかも地震と違って水害は家は実質的にはもう使いものにならないが見かけ上は半壊もしていないという場合も多々あり得るから同法の適用を個々には受けられない可能性もある。

小誌1995年3月号に寄稿していただいた歴史学者の秦郁彦氏の文章によると阪神大震災の「避難所になっている体育館の温度が、夜半には0度以下まで下がっていた」という報道から「がく然とした」とし、その理由として以下を挙げている。

「苛酷きわまるシベリアの抑留生活を経験した人に聞くと、零下20度の戸外で労働させられたが、夜はそれなりの暖房のきく部屋で寝ていたという。極言すれば、被災地の避難所はシベリア以下の寒冷地帯なのだ」

阪神大震災から時も経ち被災者生活再建支援法ができたといってもスズメの涙の様相は変わらない。生活拠点と同時に営業や経営の拠点でもある自営業者の場合は一刻も早く拠点整備をしないと生活できないが被災者生活再建支援法では救われないので融資に頼るしかない。いいですか。拠点が壊滅してただでさえ休業を余儀なくされているのに融資を受けたらどうなるか。しかも他に選択肢はない。あるとすれば町を棄てるだけだ。それも棄てた先に目途がある人しかできない。

2004年の新潟中越地震が発生した後に避難所暮らしを続けたり自動車で寝泊まりする人々の姿が何週間も映し出された。私が不思議でならなかったのはそうまでして避難所に居続ける心理である。あのような難民キャンプさながらを黙認する国のあり方にも激怒したが私が避難民ならばサッサと逃げ出す。特に自動車があるならば止めておかずに近隣の都市に多少が定まるまで逃げ出せばいいのにとも思った。それでエコノミークラス症候群にかかって死んだら元も子もあるまいと。
しかしこうした発想は私のような風来坊だからできるとわかる。地震社会学者の和田芳隆氏が小誌05年2月号で報告した内容によると車中避難の理由は①自宅から離れたくない②避難所で誰だかわからない人たちと暮らしたくない③ペットを飼っており避難所での共同生活が難しい--だった。
最多の①は自営業者など商売を営む人に多く泥棒を見張ったり避難所が自宅から遠いなどが理由であった。
なお新潟中越地方の場合は「一家に1台どころか、家族1人に1台が当たり前」のクルマ社会ゆえに車中泊を選択できたという東京にいると想像が付かない実情もわかった。

余談であるがジャーナリズムに携わる者とて被災地にいれば水難や地震の被害に他と平等に遭う。なのに案外と死なずに取材活動に転じているような気がしてならない。単なる思い込みかなあ。以前にNHKが関東大震災直後の映像がみつかったと報道しているのを見た。悲惨な光景の中に今でいうロケバス風の車が左から右へ堂々と走り去った。車体には大きく『萬朝報』の名が・・・・。当時の大新聞である。あああの頃からそうだったのかと感慨にふけった次第。

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2005年9月 2日 (金)

小泉が先かマスコミが先か

マスコミがブームを作るのか。ブームをマスコミは追っているだけなのか。

小泉ブームである。くノ一だ刺客だホリエモンだカリスマ主婦だ改革の本丸だなどと1つ1つを吟味してみればどうでもいい現象をおもしろおかしく報道しているうちに「小泉=改革者」というイメージが定着してしまって当ブログに書いたような民主党のていたらくも手伝って自民圧勝の雰囲気である。

それを後押ししているのがマスコミであるのは間違いない。これをもってマスコミがブームを作っていると評する向きがある。一理なきとはしないが違和感があるのは事実だ。
例えば投票前から当確を打ってもいいような福田康夫候補がいる群馬4区と聖子ちゃんvsゆかりタンの岐阜1区のどちらに報道する価値(ニュースバリュー)があるかと考える。もちろん視聴者や読者がほしがる情報がどちらかという観点である。となるとどうしたって後者ということになろう。

9月1日の朝日新聞は社会面トップで綿貫先生の選挙を取り上げていた。先生の富山3区は福田候補の選挙区とともに本来ならば何のバリューもない。綿貫先生の金城湯池だからだ。しかし先生のおとこ気でさざ波が立ち始めた。だからバリューを持ち始める。
こうした意味ではブームをマスコミは追っているだけともいえる。古舘伊知郎キャスターが報道ステーションで民主党に小泉流の仕掛けに同党は少なくとも実質的な選挙戦の前半はしてやられたのではないかと迫っていたがマスコミ側にいるとそうみえる。仕掛けに乗って大衆が動き始めた。それを受けて立ったりすかさず打ち返したりできなかった民主党は何なのかと。これはあくまでもマスコミはブームを追っているだけで小泉ブームを自らが作り出しているのではないという自負心からであろう。

だがこの論理は実はタマゴが先かニワトリが先かというのに等しい。

昭和天皇の不例の際にお祭り・イベントの主催者に自粛ムードというのが漂い始めた。これ自体は大衆による自発的ブームであったといっていい。そこでブームを追うマスコミは取材を始めた。例えばイベントを企画している商店街などに取材をするのである。すると最初は自粛も何も考えていなかった人達から「やっぱり自粛した方がいいんでしょうかねえ」と取材者に逆取材される。むろん取材者は答えられようもなく答える立場にないと告げる。だが彼らの多くはその後に何らかの自粛を行った。かくして全国規模に自粛ムードは広がりをみせることとなる。

この現象は「マスコミがブームを作る」とも「ブームをマスコミは追っているだけ」ともいい得る。「天皇の御不例に自粛は当然だ」と考える人がいることはおかしくない。そうした行為は「天皇不例」という大ニュースに付随する出来事として取り上げるバリューがある。だから取材者はそうしただけだ。だがその報道に接して何も考えていなかった人まで悩み始める。当初に自発的に自粛を始めた人は天皇への尊崇の念が人一倍高いなどの理由が確固としてあったのだが「自粛ムード広がる」との報道に接して自粛を考え出した人は「こうしたご時世はどうやら自粛が適当らしい」という状況対応で踏み切る。彼らをそうしたのは「自粛ムード広がる」報道そのものに原因がある。「広がる」という報道が広げてしまったのだ。

マスコミ側、つまり送り手に悪意や誘導があってブームを作り出そうというならば実はまだいい方である。深刻なのは送り手が真っ当な価値判断で取材して報道した結果が1方向で少数にすぎなかったブームを加熱させかねない危険性だ。
いったんブームが燃えさかると理屈ではなく情念となるから怖い。自粛ムードの時も「うちは一切そんなことは考えません」などとマスコミに答えたら大変な目に遭いそうな雰囲気が途中から漂った。ムードを後追いする人は確固たる理由や理念がない分だけ一層熱心に形式を追う傾向がある。元来が理念に発する行為ではないから理詰めで云々するは無意味である。

それにしても。小泉首相が推し進める郵政民営化に賛成か反対かという戦略はクラウセヴィッツが考案しレーニンが取り入れたとされる「一点突破・全面展開」そのものだし「構造改革」はかつての社会主義用語だった。首相自身が「どっちが与党か野党か分かんなくなっちゃった」(大津市での街頭演説)と言っているのだから世話はない。かつて野党の十八番だった闘志風が当の野党から消え去って保守の与党総裁が革命家のようになっている。その倒錯にマスコミも国民も付いていけない。本当は情念には情念をもって応えるのが一番の戦略だと思うのだがケンカの仕方を忘れた野党にはできない。

本当は本稿で「野党が勝つ方法」として「岡田代表が死ぬ」を挙げようと思っていた。「改革に命を懸ける」首相の情念に勝つには「弔い合戦」にまさるものはないからだ。だがこれはあくまで冗談で通じるレベルでしか書けない。叩いても逆さづりしても岡田代表は死にっこないという前提でないといけないのだ。しかし昨今のテレビ討論会やニュースでみる岡田代表は顔面蒼白で般若の風情。体力が衰えたとの妻の発言もあり冗談ではなくなったので書くのをやめた。どうぞご自愛を。

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2005年9月 1日 (木)

重複立候補復活当選問題を忘れるな

まずは以下の文章を読んでほしい

 また小選挙区の候補者が選挙区の属する比例代表区の名簿にも登載できる重複立候補を認め、さらに比例名簿で同一順位となった重複立候補者の名簿順位が、小選挙区での最多得票者の得票数にどれだけ迫ったかを示す惜敗率に応じるとしたために、得票数のすくない候補がより多い他政党の候補を差し置いて復活当選するといった常識では理解しがたい現象が多発する。

 実際、九六年一〇月の総選挙では、五六六人の重複候補者から八四人もの復活当選者が生まれた。さらに小選挙区において得票数が自分よりも多かった落選者がいたにも関わらず、比例区で当選した候補者は二三人もいた。なかには有効投票の一〇分の一にも達せず、小選挙区の供託金三〇〇万円を没収される「当選者」すらあらわれる始末だ。
 これらの常軌を逸した制度は、当選後にも大きな影響を残している。
 奈良四区で落選し、比例代表区で復活当選した自民党の田野瀬良太郎氏は、みずから当選辞退を表明した。一〇月二三日の読売新聞は、「小選挙区選の当選者と重複立候補により比例選で救われた敗者復活組とでは、発言力にちがいがある。との見方が、さっそくでてきた」と報じている。復活当選した本人でさえ、民意をうけた代表なのか疑問をもつことになる制度なのだ。選挙終了直後に読売新聞に掲載された復活当選者の声には、当惑が浮きでている。

 東北ブロック四位・二田孝治氏「落ちたり上がったりと、まるでエレベーターみたいな選挙だった」

 東海ブロック五位・栗原裕康氏「墓場の中からよみがえった。小選挙区でも比例選でも、議員は議員。けっして幽霊ではございません」

 南関東ブロック四位・佐藤謙一郎氏「小選挙区で敗れ、とてもバンザイしようという気持ちになれない」

 東京ブロック七位・石井紘基氏「小選挙区制でどうしても勝ちたかったので感激は半分だ。しかし、けっして引け目を感じません」

 選挙後に朝日新聞がおこなった世論調査によれば、「重複立候補はよかったか」という質問に、なんと七〇パーセントのひとが「よくなかった」と答えている。国民の大半から支持されていない制度が、そのままでいいはずはない。(鎌田慧著『壊滅日本』アストラ刊・講談社文庫)

この問題はいったいどこへいってしまったのか。もはや誰も問題にしないが小選挙区比例代表並立制での第一回選挙ではこれだけの問題点が示され当選者本人も有権者も大いに問題ありとしていた。それを受けて政府・与党でさえ改善の姿勢をみせたはずである。

今回の選挙ではこの「常識では理解しがたい」が当然になりつつある。それは決して定着ではなくマヒといった方が正しい。自民・民主両党ばかりでなく全党にいえる問題だ。

まず自民。比例名簿の上位に選挙区で「刺客」として放った女性候補を並べた。これは比例順位が惜敗率に優先する制度である以上、郵政民営化関連法案に反対して無所属になった「刺客相手」に大惨敗しても、つまり選挙民にノーを突きつけられても当選確実という途方もない矛盾を生み出す。

その点で民主党の重複立候補を1位に並べるという戦法は一見すると正しそうだが実はそうでもない。むしろ比例は鎌田氏の指摘するような当選者ばかりになるという結果になるからだ。それを比例票の掘り起こしに有効だと積極的に推進するやり方は「常軌を逸した」としかいいようがない。

公明党は小選挙区に候補者はほとんど立てずに自民候補を応援して見返りに「比例は公明」と書いてもらう戦術である。まことに巧みなやり方だが選挙制度の本来の趣旨からいえばおかしい。

結局はカカシ、といって悪ければ小選挙区では当選が客観的にほとんど見込めない候補をズラッと並べる従来の方式に戻ってしまった日本共産党も小選挙区候補が自身の当選を訴えるというよりは比例区での上積みを狙っているという点で選挙区軽視といわれても仕方がない。そもそも共産党がかつて全選挙区で候補者を立てていた理由は過半数を得て政権を取る前提が成立しないからだったはず。それが「確かな野党」じゃあおかしい。過半数を取って野党でいるというのも変な話だ。

社民党は沖縄の1小選挙区を除くと選挙の目的ははっきりいって辻元清美候補を比例でも救済するか彼女が小選挙区を握れば彼女と土井たか子候補の個人票で比例で1人オンできるかという目的としか思えない。国民新党や新党日本は比例での救済自体が結党目的の1つである。

要するに初の小選挙区比例代表並立制選挙で国民の7割がおかしいと感じた重複立候補制度は改善されるどころか各党の数獲得の主要戦略になっているのだ。そのことを声を大にしておかしいという人はいまやほとんどいない。約10年。たったこれだけの間に知らぬうちにおかしいことが当たり前になった。そんな例は他にもたくさんあるはずだ。

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