« Gwen Stefaniは今後もソロか | トップページ | 「負けた」がすべてに優先する »

2005年8月16日 (火)

写研書体が使いたい!

新聞と出版では出力のシステムが全然違う。私が毎日新聞に入社した頃は杉山隆の『メディアの興亡』が話題になっていて活字がCTS(コールドタイプシステム)に変わる過程だった。毎日ではまだ活字が生きていて円盤を作っていた。いずれにせよ独自の書体を持っていて組版から印刷まで自社で行うのが大新聞の基本だった。

出版に転じてまず驚いたのはデザインから製本までは基本的に外注という点だ。すでに活版は写真植字(写植)に変わっていて新聞社よりも素早かった。平成に入った頃から電算写植が普及して手書き原稿にデザイナーの指定紙を添えて写植屋さんに入稿するのが編集部でワープロ専用機で原稿を電算化して入稿するようになった。そのために編集部にワープロ専用機が導入されてブーブーと編集部員が言うので編集長が掛け合ってくれて打ち込みの派遣さんを雇ってくれたりした。

しかしその段階でも写植の地位は揺るぎなかった。その王様が株式会社写研の書体だった。写研は書体のみならず原稿やレイアウトの指定方法や級数(Q)や歯送り(H)などの組版の単位もまた写研の写植機に適応できるように統一した。編集部はレイアウトこそデザイナーに任せればよかったものの送り、アキ、大きさの作法がわからなければ作業はできず熟練が要求された。

しかし何よりも苦労したのは多種多様な書体を把握することだった。書体にはそれぞれ「石井太明朝」「ナカフリー」「ゴナDB」「ナール」などと名前が付いているがデザイナーの指定はコード名で示される。散々使った「ゴナDB」ならばDBNAGとなる。MM-OKLと指定すると「中太明朝でオールドスタイルの大カナ」を示す。そうした記号が読み解けて主要な書体はイメージできるようでないとバカにされた。最初の頃は意味不明の言葉が行き交うなかで見本帳を手に必死で覚えた。

そこまでして写研の書体を使ったのは実に実にすぐれていたからだ。写研の技術者は芸術家であった。日本語を飾りにする名人の集団だった。ゴナDB、イノフリー、ナール・・・・。文字の並びや一つ一つの文字の完成度などで他の追随を許さなかった。あえていえばモリサワがライバルだったが基本的に写研で作ってモリサワはタイトル文字で遊びに使うといった補助的な要素が特に雑誌では強かった。私はナカミンダとかキッラミンといった奇抜な書体を好んでいて時折怒られた。
写研の技術者はきっと遊ぶようにして書体を次々と考案したんだろうな。見本帳が更新されるたびに楽しみで大日本印刷や図書印刷の営業の人に更新があるごとにせがんだ。

DTPがMacintoshのコンピュータ上で主にQuarkXpressというレイアウトソフトで行えるようになったのも電算写植の普及時に重なるが本格化したのは90年代前半だった。電算写植普及からほんの2・3年遅れで、しかしいったん登場したら信じられないほどのスピードで一挙に出版界を席巻する。レイアウト-入稿-写植打ち-修正までを会社にある1台のパソコン上でできるから便利この上ない。だがこの神速ともいうべき普及速度が写研時代を一気に終わらせることにつながった。
DTPはコスト上の優位さももちろんあるが何といってもデザイナーさん、写植屋さん、印刷屋さんとの行ったり来たりをしなくて済む便利さが大きい。E-MAILによるデータのやり取りがこれを加速させる。

だが写研は動かなかった。写植機は電算にせよ手動機にせよ大変高価である。しかも前述のようにがんじがらめの独自仕様だ。しかも原則として書体使用料金をリース払いにしなければならない。だから写植屋さんはリース代を上回る受注をしなければならないがDTPに写研は対応しないから一部のこだわり派を除いて続々と撤退せざるを得なくなる。
反転攻勢をかけてきたのがモリサワだ。初期のDTPは書体にろくなものがないために商業印刷にはためらわれたがモリサワは写植時代にすでに「写研の次」の地位があった。そこで人気書体を中心に次々とDTPフォントとして売り出したのだ。値段が高いのには閉口したが(今もそう)モリサワならば読者に届けても恥ずかしくはない。今やリュウミンやじゅんといったモリサワ書体を持たない出版社はないであろう。

でも本当は写研を使いたいのだ。本心ではリュウミンやじゅんではなくて写研のあれやこれが使いたいという思いは現在30代後半以上で写研全盛を知っている出版界の人には多数いるに違いない。だってレベルがずば抜けているんだもの。
株式会社写研はホームページすら持たない。過剰適応という言葉があるが一時代を築いた勢力はそれゆえに次の時代には残れないということもあろう。だがこのままでは写研の文化財とさえいっていい書体はすべて消えてしまう。現に若い編集者やデザイナーはもう知らない。味もそっけもない(あえてそう言う)書体が当然となっている。
仮想フォントでどうこうという裏技でなくDTP時代に正しく適応した形で写研書体が使えるようになることを切に願う。写研の関係者に是非お願いしたい。どうしても無理だろうか。何が無理なのか。教えてほしい。

写研の書体見本帳は「愛のあるユニークで豊かな書体」の言葉でさまざまな書体を示していた。その通りで「愛のあるユニークで豊かな書体」に私は飢えている。

この記事に関する株式会社モリサワ様からの反響についてはhttp://gekkankiroku.cocolog-nifty.com/edit/2007/06/post_834d.htmlにて紹介しています

|

« Gwen Stefaniは今後もソロか | トップページ | 「負けた」がすべてに優先する »

文化・芸術」カテゴリの記事

コメント

月刊「記録」編集長様、初めまして。
デザイン関連のサイトを趣味として運営しております、「designg.info」のニックネームtakkaと申します。

実は先日、私のサイトの1つのコーナーとして、「写研フォントについてのコラム」をまとめまして、
写植機や写研フォント、モリサワフォントなどのような用語に関しての
記事や参考資料の解説になさっているページを検索いたしまして、
そちらさまのページの記事を拝見させていただきました。
非常に参考になり、意味深い文章でしたもので、是非とも「このページは参考にさせていただきたい」と思い、
今回、「参考リンク」をさせていただきました旨、報告に訪れました所存にてございます。

まずはご一報という形で、連絡をさせていただきました。
そちらさまのお返事を頂戴できれば、幸いでございます。
また、お時間がありましたら、確認も含め、一読していただければ嬉しく思います。

いきなりのメッセージで大変失礼しますが、宜しくお願い申し上げます。

それでは、失礼いたしました。

投稿: takka | 2005年8月26日 (金) 19時17分

トラバ、ありがとうございます。
ねこめは出版物が好きだという程度のものでしかありませんが、字体や行間から醸し出すものの存在を信じるものです。
パソコンの書体、特に明朝系が好きになれないでいます。
どうしてもゴチになります。
すると書く文章も違うんですよね。
今後ともよろしくお願い申し上げます。

投稿: いえねこ | 2005年11月25日 (金) 15時36分

1970年代の数年間写研にいました。
電算写植の普及初期に当たります。まだ電植は一般的ではない時代にそのセールスを担当し,売り上げ1位になってやめました。
新人の人件費赤字を考慮しても給与分は貢献したと言うのが私の言い分です。
創業社長(故人)の娘が社長です。公然とおべっかを使う人がかなりいまして入社1月で「やめたい」と思いました。当時の社長がおべっかに振り回されていたわけでは無いのですが,年をとると客観的な判断はますます無理でしょう。株式と言っても圧倒的なオーナー社長であり,当人は墓場まで持って行くつもりのようです。著作権がきれるまでいかんともしがたいのが現状です。
写研書体がすべてでは無いわけですが,出版業界全体に「読書」を下支えする組版を軽視する風潮を残念に思っている一人です。

投稿: すずき | 2005年12月28日 (水) 11時30分

結局、ユーザーのことは何も考えてない。
この粉飾決算やった会社は。
て動機に書体はあっても、電植機には無く出力できないとか・・・中途半端だった。
単なる個人経営の零細企業が殿様商売で大企業を気取っていたように思う。

投稿: 振分け+縦中横 | 2007年2月10日 (土) 13時48分

写研の写植機で写植オペレーターを始めたから、組版の仕事が大好きになったのに、残念でしょうがありません。
サザンナでの入力はとっても楽しかった。レイアウトが見えない画面でファンクションだけを頼りに、組み上がった形を見る(努力をする)のも楽しかった。写研があんな風にならなかったら、ずっと写植オペをやっていたかったな…と思います。 一寸ノ巾か…。

投稿: らいおん | 2008年6月25日 (水) 20時35分

一寸ノ巾順に文字を拾いまくる姿は編集者から見て神業でした
サザンナは出版界におけるCTSつまり電算写植の到来で正に新時代を予感させましたよね。それまでの手打ち時代、編集者は手書き原稿を死ぬ気で指定・整理していました。少しでも間違うと編集長から「よけいなカネがかかる」と怒られるので。
それが電算になって打たれた校正紙が出てくるようになり夢心地だった半面で写植屋さんが暗にFD入稿を望まれるようになり「打つ手間が増えたじゃねえか」とブツブツ言ってもいました
ところでサザンナは「レイアウトが見え」なかったのですか!うかつにも知りませんでした。よくそれで校正紙とはいえ出せたものですねえ。これまた神業です

投稿: 月刊「記録」編集長 | 2008年6月25日 (水) 21時17分

編集長さま

コメントありがとうございます。

サザンナのSPという機種はレイアウトが見えたのですが、私はその前のSWというのを使っていました。これは見えなかったです。最初の頃は普通紙の出力機がなかったので、印画紙で出すのが怖かったです(紙が高いので)。
一番楽しかったのは数式です。合体ロボみたいな数式をファンクションだけで組んで、印画紙で出力するのはドキドキしたものです。
熟練してくると、崩れた組版をみてどのファンクションが抜けているのかがわかるようになってきて本当に楽しかったです。
一度やってみてほしかったです(笑)。

投稿: らいおん | 2008年7月24日 (木) 21時37分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 写研書体が使いたい!:

» 細かいことはわかっていませんが・・・ [ねこ部屋ブログ-つらつらと]
写植の普及で、味のある本が減ったような気がします。 凝ったことをしてくれなくなった、というのもあるのかもしれないけど。 [続きを読む]

受信: 2005年8月18日 (木) 09時59分

» テレビからも消える「写植」 [ANNEX]
TBSが生番組に使用するテロップ(字幕)の書体(フォント)が徐々に変更されている [続きを読む]

受信: 2007年4月28日 (土) 22時38分

« Gwen Stefaniは今後もソロか | トップページ | 「負けた」がすべてに優先する »