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2005年8月23日 (火)

この際、綿貫先生をほめてやる!

8月17日、綿貫民輔前衆議院議長を代表とする国民新党がしめやかに?結党を宣言した。さっそく「綿貫民輔 Official-WEB」を見たが22日の時点で全然更新されていない!神職姿の写真も凄い。
綿貫家といえば物流のトナミ運輸の実質オーナーである。ここから郵政インフラとの癒着を疑ってみる手もあるが民営化されても業務委託は可能だし「パンサー宅配便」のように事業としては郵政と対立してもおかしくないものもある。
私は小泉首相の「郵政解散」のレトリックに乗るのだけは嫌である。小泉のマインドコントロールに乗っかっていると段々バカになっていく気がするからだ。だから今回は心を鬼にして?綿貫民輔氏をほめてみる。死ぬ気で心にもないことを書いてやる。
覚悟を決める上で本稿では綿貫氏を「綿貫先生」と呼称する。何って中曽根康弘元首相を「大勲位」と呼ぶのと同じニュアンスさ。

1969年の衆議院議員総選挙に初当選以来、綿貫先生は連続11回の当選を果たしている。1927年生まれの御歳78歳。親分だった竹下登元首相より3つ年下で初当選は4期下。案外と初当選が遅かったのが後の人生と微妙に関わるとみられる。
竹下元首相の下にいたいわゆる「7奉行」の生年と初当選の年を生年順に並べてみよう。◎は首相経験者。

・梶山静六・・・・1926年-1969年
・奥田敬和・・・・1927年-1969年
・渡部恒三・・・・1932年-1969年
◎羽田孜・・・・1935年-1969年
◎橋本龍太郎・・・・1937年-1963年
◎小渕恵三・・・・1937年-1963年
・小沢一郎・・・・1942年-1969年

こうみると綿貫先生は故梶山静六、奥田敬和両氏とほぼ同世代だとわかる。また当選年次も決して七奉行よりも遅くはない。というか1969年は当たり年である。なのに七奉行になれなかった。海部俊樹内閣の91年に自民党ナンバー2の幹事長に就任したが「首相も幹事長も軽量」などといわれた。
その間に何もしなかったわけではない。国土庁長官&北海道沖縄開発庁長官と建設大臣の2回大臣になっている。この間にトナミ運輸関連はもちろんのこと、土建関連などをガッシガシに固めて選挙は無敵の強さを発揮し続ける。64歳の幹事長はやや遅いとはいえ見劣りがするというわけではない。

ところがこの後が不遇なのだ。「綿貫民輔 Official-WEB」でも佐藤栄作内閣から宮澤内閣までは内閣名を明記した上で自身の経歴を紹介しているのに宮澤内閣以降の細川護煕-羽田非自民連立政権、村山富市自社さ政権、橋本-小渕-森喜朗政権は内閣名を明記せずに「以後の国会活動」になっている。その間に「7奉行」のうち10歳近く年下の羽田、橋本、小渕が首相になった。同じ竹下派から彼が幹事長以上、つまり首相になる可能性は完全に消えたのだ。
この間の93年から2000年まで綿貫先生は自民党道路調査会長であった。はまり役ではあるが後輩にドンドン追い抜かれていくのは耐え難かったに違いない。旧竹下派はこの間に後輩の青木幹雄と野中広務が牛耳りはじめていた。それに抵抗した形跡は見あたらない。

ところが2000年7月、綿貫先生は3権の長である衆議院議長に就任する。実際には「上がり」という程度の意味しかなかろうが綿貫先生はここで変わったのだ(独断と偏見)。「綿貫民輔 Official-WEB」の「以後の国会活動」の次には華やかに「議長就任」と色を変えて表示してあることからもわかる。
議長としての綿貫先生は「衆議院改革に関する調査会」を発足させ本気で衆議院改革を行おうとしていた。少なくとも相当熱心に議会制民主主義のあり方を追求していたのは当時の政見から十分にうかがわれる。基本的に利権政治家とみられていたが祭り上げられてみて自らの人生の最後から逆算して純粋に政治を考え始めたのではないか。

似たような例に同年代・同期・同派閥の梶山静六がいる。彼の人生もまた大半が政略まみれであったが98年の総裁選頃から急激に変化し、いまだに評価の声が高い梶山論文を次々と発表。総裁選には敗れたものの真の政治家という称号を得た。その後は無派閥で通し2000年6月6日、つまり綿貫先生が議長になる前月に死去した。綿貫先生の胸にも何かが点火したはずだ。
橋本龍太郎元首相が派閥の領袖を退いた時にも綿貫先生に後継の依頼があったが先生は断った。もっと大事なことがあると。以前の先生ならば大喜びで引き受けたはずの領袖ポストをソデにしたのだ。相手は先生が晩年(になるんだろうなあ)に精力を傾けた立法府を軽視して独断で自分の法案を通そうとする小泉純一郎首相である。郵政にさほどの利権がなかった(少なくとも経歴上は)綿貫先生だがそんなことは関係ない。独裁者許すまじ!

国民新党に参加して綿貫先生にいいことは何もない。無所属ならば選挙には勝つのである。しかし新党の代表となれば自動的に自民党員ではなくなるから富山3区といえどもさざ波は立つであろう。事実として当初は綿貫先生も及び腰であった。ところが小泉首相の「刺客」作戦に心底頭にきたのだろう。仲間を助けるために綿貫先生は自らの損得を捨てて新党の代表になった。趣味の習字を生かして会見場で何かを書き始めた時には「遺言か」とも思ったが新党名だった。

議会制民主主義を守り抜く鬼と化した綿貫先生。梶山静六のように近々鬼籍に入られるやもしれない挑戦ではあろうがご自愛を賜りたい・・・・と冒頭に述べたように私の方も鬼籍に入りそうな覚悟でほめてみた。

ところで。鳩山由紀夫氏のホームページって凄いね。もうイッちゃってますね。一見の価値あり。彼は彼で何かを目指しているのかも。綿貫先生と同様によくわからないのが難だが。

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