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2005年8月

2005年8月31日 (水)

朝日新聞の謝罪と鬼熊事件

「もし記者が3人が集まれば」という話
「朝日が3人集まれば人事の話。読売は女の話。毎日は給料の話。産経は転職の話。共同は組合の話。時事は3人集まらない」というオチが付いてたなあ確か。

ある意味言い当て妙である。人事の話が筆頭に来る社会といえば何といっても官僚組織だが朝日はそれに近い。無謬性というのを信じているフシがある。彼らは自らを「朝日人」というのだよ。毎日もいろいろ問題はあるが少なくとも自らを「毎日人」などと自尊することはない。旧石器人骨じゃあるまいし。

取材現場で間違いを犯さないなんてことはないのだ。そもそも速報性と信頼性を両立させるのは本来的に矛盾しているのだから。だから無謬を押し通そうとすると高慢になるか下手を突かれてうろたえるかになってしまう。
2005年8月に朝日は2回謝罪した。1回目はNHKの番組についての朝日新聞の記事に関して自民党の国会議員やNHKの松尾元放送総局長への取材記録(おそらくは録音テープ)が月刊『現代』に掲載されたことで

「社内調査の結果、記者が取材した内容を整理した資料が社外に流出したと考えざるを得ない。信義に反するもので痛切に責任を感じている」と謝罪するとともに、関係者を近く処分することを明らかにした。

ええっ。となると本田雅和記者は「処分」されちゃうのかな。彼は私の知る限り「極左記者」(クレジット・バイ・週刊新潮)でも何でもなく上司にぶつかっても自説を主張する硬骨漢である。むしろ官僚社会の朝日では傍系だと思う。NHKと朝日が上記記事をめぐってドンパチしていた頃に心配になって一度だけ彼の携帯電話にかけてみた。

「大丈夫ですか」「大丈夫です」

この程度の会話だったが、とりあえず携帯がつながる程度に自由だったという点でホッとした。

取材記録が外部にもれて問題だという。その根拠は広く知られているように04年夏に東京慈恵会医科大学の補助金流用疑惑の取材で、記者が取材対象者との約束に反して無断録音したものを第三者に渡し、その記者が退社処分となった際に、朝日独自の規定として「取材内容の録音は相手の了解を得るのが原則」との見解を掲載したことによる。仮にそうだったとして考える。「録音は相手の了解を得る」など愚の骨頂だ。

録音を大新聞の記者が行うようになったのはいつ頃からだろうか。おそらく1990年代であろう。それまでは新聞記者は主にメモで済ませていた。録音機器の発達や軽量化、普遍化で使われるのが当たり前となった時代に符合する。メモももちろん裁判の証拠になり得るがこれだけ録音が普遍化するとやはり弱い。それを自ら縛ってどうするんだ朝日人。
本田記者が録音をしていたのか、月刊『現代』の記事がそれに基づくのかはわからない。仮にそうだったとしても記者は会社のバカげた内規を無視しただけの話で「処分」の代わりに「録音は相手の了解を得る」の撤回が先であろう。
朝日人よ。新聞記者なんてネタを取るためなら本来は何でもするものじゃあなかったか。少なくとも私はそう教わった。朝日は違うのか。

1925年といえば戦前である。今よりずっと言論統制が厳しかった時代に「鬼熊事件」は発生した。「鬼熊」こと岩淵熊治郎(当時35)が愛人や恋敵を殺したり放火した上さらに残りの恨みある者の命をねらって約40日間千葉県内に潜伏した。朝日は鬼熊の旧主を東京日日(現在の毎日)は鬼熊の旧知の者をそれぞれネタ元に追跡する。
当時の東日の記者で当事者でもあった坂本斉一記者の文章によると約40日の逃避行の末「鬼熊が自決する」との情報を旧知の者から仕入れて「自殺する2・3時間前に引き合わせて下さい」と頼む。

「この特ダネを内報、本社も愕然としたが、また大きな期待に(中略)欣然(中略)自殺の速報の電話打合せもぬかりなく、本社社会部は正副部長が(中略)徹夜勤務」であった。

その後もいくらかの、というよりアッと驚く大波乱もあったものの記者は鬼熊の自殺の一部始終と直前インタビューをものにして坂本記者は

「熊最期の急便を派した。本社特派員は総出動の活躍となった。(中略)東日陣三昼夜ぶっつづけ徹夜の活動はこうして遂に特ダネ戦の栄冠をかち得たのである」と結ぶ。

どう読んでも坂本記者らは罪を犯している。逃亡中の殺人犯の居場所を知りながら警察にも伝えず自殺直前の取材をして自殺の実況中継までいているのだ。これを社を挙げて「欣然」と行った。記者魂とはそんなもんだったのだ。私の如きそこから脱走した元二等兵に言われたくもなかろうが・・・・。

そして2つ目の謝罪が30日に出された。総選挙をめぐる新党結成報道で「虚偽のメモ」があったとする謝罪である。現時点でわからないことが多い。特に

「記者は(田中康夫長野県知事が参加した)車座集会の取材に行ったが(ここで行うべき知事への事実確認を怠った。その理由は)宿直勤務のため集会の終わる前に取材を切り上げ」たという点だ。

28歳といえば通常の採用試験で合格したならば本社に上がる直前の年齢だ。県政キャップかキャップは本社を踏んだ記者で本人はサブキャップか。それぐらいの位置にいる。宿直勤務ということは夜勤ではなく泊まりである。ならば夜勤にギリギリまで引っ張ってもらえばいい。未明をすぎても車座集会とやらが続いていたとは思えない。泊まりが実質的な体制に入る降版時間(午前1時半頃)まで続いていたのかいな。

しかも朝日の「調査内容」によると取材は政治部からの要請だという。これは総局・支局にとっての一大事だ。キャップクラスが知事に記事内容を「当て」にいく時間を「宿直勤務」を優先して切り上げるとは到底思えない。だいたい記事が上がるまでデスクや支局長はギンギラギンになっていそうな「特ダネ」なのだ。支局長なんて泊まりローテに入っちゃいないんだろうから存分に当ててこられたはずである。不可解だ。続報を待とう。

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2005年8月30日 (火)

DTPと写研の関係

写研の書体を使うことは扱っている写植屋さんに頼めばいいから可能である。ただし現実には難しい。

単行本の場合はカバーならばふんだんに使ってもさほどカネはかからない。しかしそれはすべてが編集部ペースで進むと仮定しての話である。偉いデザイナーさんを拝み倒して依頼すれば何種類かをサンプルとして打ってきてしまう。偉い先生に著作を頼んだ場合は「編集権は編集部に」云々のうんちくが通用しない時もある。「このデザインは気に入らない」といわれたら最後である。

本文に至ってはコストの点で比較にならないほどDTPが優位になる。まず初稿・再校といった過程やプロ校正の朱入れ、著者校正のたびごとに写植の打ち換えをしなければならない。一文字いくらで取られたら大変だ。しかしDTPならば画面上で下手をすれば編集者自身が直してしまえる。こうしたいわば内製化ともいうべき変化は中小や我々零細に止まらず大手にまで広がっている。

そして本文書体に使えるものは現状ではほぼモリサワのみといった惨状である。他の書体にもいいものはある。ヒラギノやモトヤも悪くはない。だが書店に行って他の版元の本を開くとDTPで作ったとみられるものの大半がモリサワである。

ただ単に好みの問題ではなくデータ入稿をした先の印刷屋さんが対応しているかどうかという問題も大きい。最近はお付き合いをしていないのでくわしくないが大日本印刷や凸版印刷のような超大手ならば大丈夫なのであろう。ただ超大手は豪華ホテルのようなものでサービスも精度も抜群だが値段が高い。出張校正室もあれば弁当も出る(まずいという記憶しかないが)。バイク便も出し放題である。だが高い。そこで零細版元は己に合った値段でやってくれる印刷屋さんを探す。その大半が「Macのデータ入稿でモリサワはOK」なのだ。

私はつくづく出版界にいる不運を嘆く。MacintoshのPCがWindows対応機種よりも競争力を持つ業界って出版以外どこにあろうか。医療分野ぐらいしか思いつかない。何でもガリガリ攻めてくるゲイツも来ない。お陰で割高なMacでレイアウトする羽目になる。
それを見越した設備投資をしてきた大手でない印刷屋さんは容易にMacから離れられない。しかもOSのヴァージョンアップにも即応できない。現在のMacOSは10であるが「9以下でないと保証できない」とよく言われる。
DTPのデータ入力は出す側(版元)にミスがなければデータ通りに反映させる義務が印刷会社に生じる。したがって未知の危険がある新OSで容易にOKとはいえないのである。

広告のSP(セールス・プロモーション)になるともっと深刻である。仮に32ページオールカラーのパンフレット争奪戦に参加したとしよう。

まずプレゼンでDTPに勝てない。「写研で打ちます」といった上で文字部分を記号で指定したレイアウト用紙を持っていっても素人さんの広告主には本文部分のZ型が目にとまる程度である。それよりも色つき文字見本付きのMacの32ページ全レイアウトの方が圧倒的に説得力があるのである。プレゼンは全か無かの世界なので32ページを写研で打って4色分解して持っていって負けたら大損をしてしまうから怖くてできない。見積もりの勝負でもDTPに勝てる見込みは薄い。

仮に写研を前提としたレイアウトでプレゼンを勝ったとしても見積もりを大幅に上回る実費がかかったり(つまり赤字)時間がかかって納期に遅れてアウト!という危険がある。とくに素人さんの広告主は過程をみせている段階では不気味なほど「これで進めて」となる。版下を見せたりCMYKの分解見本をみせたりする過程だ。ところが最終段階の色校正になって「これはダメだ」と言い出すのだ。
文章くらいカラーでない段階でチェックしてほしいし先方にも散々頼むのだが色校になってやっと本腰となって真っ赤にし始める人が実に多い。こうなると作業は一からやり直しに近くなり経費はかかるは時間切れになるはでメチャクチャである。といって広告主様には逆らえない。

要するに今や写研は版元が著者やデザイナーに編集権をタテに押し切れるほど強く、言い換えれば大版元でなければ使えない。SP広告の世界では絶望的である。

確かにDTPが普及して本作りはラクにはなった。出版点数も増えた。しかし書店をのぞくとMacで作ったと一目でわかる雑誌や単行本のカバーばっかり。開くとツメてもベタでもQ数が大きくても小さくても美しく、かつ別の味わいを出すことさえできた写研書体とは似ても似つかぬ野暮な風景が飛び込んでくる。残念ながら小社の本も同列である。

出版物販売額は04年にようやく8年ぶりに前年比プラスになったとはいえ落ち込みを続けてきたしプラス要因も『ハリー・ポッター』の貢献が大きい。8年という年月と写研の退場を重ね合わせるのは間違いであろうか。
最近の単行本は「タイトルの良し悪しで売れるかどうか決まる」「字数が少なくて文字が大きいほど売れる」傾向があるし情けないことに大版元まで追従している。字をギッシリ詰め込んだ厚い本は売れないのだ。でも字ばかりビッシリでも写研書体だったらどうだろう。単行本の場合は使える書体は限られている。だからこそ重要ともいえる。
株式会社写研様。どうか何とかして下さい。以上のような理由でもう手動機はおろか電算写植では競争力を持てない。モリサワの21書体パックはメーカー希望価格で45万8640円である。おなじものを写研が出したら(印刷業界が対応すると仮定すれば)100万円・・・・いや200万円出しても買う。そういう人はまだ多数いるはずだ。

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2005年8月29日 (月)

続・「総選挙は民主党」に待った!(下)

さてそろそろ締めよう。もう選挙は間近なので今さら「貴党の『政権担当能力』とはなにか、そして、どうやって存在をアピールするのか」といった「どうやって存在を国民にアピールするのか」という意図の質問は意味を持たない。そこで政策について聞いた。

答えは実にあっけなく「民主党の政策については党のホームページで見ていただければお分かりかと思います。郵政、イラク、財政面などにおいての党の方針がそこに示されているので」。ホームページを見ろということだ。それが悪いとはいわない。しかし同様の回答をした政党が共産と社民で、自民と公明は小誌の質問のために文書でわざわざ回答してくれたという事実は付記しておく。

もう1つ聞いたには「なぜ3月と6月に小誌の取材が拒否されたか」だ。そのときの質問の内容は散々述べているように民主党への嫌がらせの要素は決して含まれていないはずだ。それでも取材は断られたのだ。役員室の答えは「スケジュールの折り合いがつかなかった」である。

これをよい方向にとらえたとしてもこうなる。ファクス送信後の岡田事務所の対応は先述のように大変すばらしかった。きっと代表以下の皆さんに共通した誠実さであろう。ところがそうだとわかるまでに紆余曲折がありまくった。つまり民主党には誠実さやていねいさといった美点を備えている人物がいるにも関わらず「そうだ」とわかるまでに時間がかかるのだ。小誌もヘビの如く執拗に「取材に対応できる人がいない」という態度にこだわったから美点もあるとわかったが取材拒否の時点であきらめていたら「あそこは不親切な党」という印象だけを残したであろう。

その取材拒否も誠実さのゆえであったならば、つまり代表レベルを小誌ごときに用意しなければならないが「スケジュールの折り合いがつかな」いから断るというのであれば政治の人気商売部分の要素を欠くきらいが大きい。誠実が「たらい回し」「無視」と受けとめられると誠実が呼ぶべき共感の代わりに「たらい回し」「無視」がもたらす激怒へと印象が180度違ってしまう。

「即答」は言葉を武器とする政治家や政党には不可欠の能力ではなかろうか。ムチャクチャやってるだけなのに即座に答えることだけで小泉首相は支持を保っているじゃない。『記録』程度は適当にあしらっておけばいいのさという不真面目さがあってもいいんじゃないの?ねえ役員室の皆様。

そこで我らがテレビや大新聞であったならば、取材に応じたのかと聞いたら「それはない」と言う。謎はますます深まる。取材を受けるか受けないかは「こちら(民主党)の考えに基づいて」決めているとおっしゃった。では、それはどういう「考え」かというと「それは、こちら(民主党)とそちら(取材する側)の要求や趣旨が合致すればこちらも取材に応じることができる、と言うことになります」。

まとめよう。
1)「政権担当能力」は民主党が自ら好んで訴えてきた概念である
2)小誌は民主党の「政権担当能力」とは何で、どうやって存在をアピールするのかなどを聞いた
3)民主党が取材を受けるか受けないかは党と取材者との要求や趣旨が合致するかどうかで決まる

この三段論法の答えは誰が考えたって同じだ。そういうこと。もう幕にする。

中島みゆき作詞作曲の『幸せ芝居』をもじって書けばこうなる

支持政党がいます 民主党がいます 投票用紙に綴りたい…
支持政党がいます 民主党がいます けれど綴れないわけがある

私みんな気付いてしまった 幸せ芝居の舞台裏
電話してるのは私だけ あの党からくることはない

私みんな気付いてしまった 幸せ芝居の舞台裏
逢いたがるのは私一人 あの党からくることはない

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2005年8月28日 (日)

続・「総選挙は民主党」に待った!(上)

8月10日における当ブログ記事の続報を2回にわけて書く。詳細は小誌9月号(本日発売)に掲載する。

民主党に彼らが唱える「政権担当能力」の説明を求めたところ「取材に対応する者を用意できない」という門前払いを党本部(役員室)にされたことに小誌は疑問を感じた。そこで岡田克也代表と菅直人前代表には8月9日に2度目の質問状を送った。実は似たような内容を岡田・菅代表には7月上旬にも送っているのだがナシのつぶてであった。
内容は主に政権担当能力について「取材に対応できる人がいない」との対応を受けたことに大幹部としてどう考えるかを問うたものだ。

以下は目前に総選挙という国民の政権選択がかかっているからあえて書く。民主党をおとしめる気は毛頭なく、ただただ「政権担当能力」の実態を知って読者諸賢に紹介したいだけだ。

小誌編集部は17日午後2時頃と5時頃に両氏事務所に電話で催促をした。
岡田事務所の回答は「届いていない」という。郵便で送ったというと「わかんないですねえ」。そこで「ファクスで送れば目が通せるので返答する」と確約してくれた。菅事務所の方は「忙しすぎて把握できない。郵便物も多すぎる」という。明日(18日)にもう一度連絡してくれとのこと。ちなみに菅事務所は前回の質問状も把握できていないそうだ。
18日に再び菅事務所に電話。前日とは違う女性が出る。前日の方からの引き継ぎはなかったらしく、もう1度いきさつを説明して再び封筒を探してもらったが、女性は「これ以上探すことは難しい」。要するにこちらからの郵便物は届いたかどうかも確認できないのですね、ときくと「はい、そうですね」。
ではファクスで送ったら質問に答えてくれるのかときくと、「お答えすることはわからないが、目を通すことはできる」と言う。そのようにしたが返答はないまま今に至る。

「ファクスを」との返答だった岡田事務所は速やかに電話を小誌編集部にくれた。回答は「党役員室に聞いてほしい」というものだ。どうやらそれが民主党の組織原則らしい。
それはわかる。ただ小誌は当の役員室から「取材に対応する者を用意できない」といわれたのである。ここでハイといったら堂々巡りになってしまう。役員室に門前払いされて取材できなくて困ったから岡田さんに泣きついたのですよと申し上げたら先方も理解してくれたようで「役員室に話しておく」と言ってくれた。そこで明日以降に改めて役員室に連絡することになった。

驚いたことに? 本当に話しておいてくれていた。この岡田事務所の方は「政権担当能力」問題では唯一といっていいほど親切な対応をしてくれた。17日の対応で「岡田もそれなりに忙しくて・・・・」というニュアンスの話もされたが小誌ごときに岡田代表が出てきてもらう必要はない。もしや「取材に対応できる人」とは岡田代表を指していたのか。そんな大それたことは考えてはいない。もしそうだとしたら生真面目と評判の岡田代表だとしても生真面目すぎる。

話は変わるが今回の出来事でまったく別の問題点に気づいた。岡田事務所は郵便が「届いていない」といい菅事務所は「郵便物も多すぎる」とした点だ。これまで両氏に2度づつ計4回封書で出しているが、1度も届いたことが確認できていない。宛先は目に穴が開くほど繰り返し確認したし小誌に封筒が戻ってきてもいない。
これは郵便物には未達の危険があったり大政党幹部の事務所でさえ管理できない爆発的な量があることを意味する。すなわち郵政を民営化するかどうかは別にして郵政三事業の郵便の機能には重大な欠陥がある可能性があるのだ。現に岡田事務所には2度の郵送では反応がもらえなかったのにファクス(つまり電話機能)ならば速やかな対応をしてもらえた。これが「郵政公社の徹底的な縮小」で解決できるのか。

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2005年8月27日 (土)

アフガニスタン戦国史

04年11月の大統領選挙が終わったら急に昔のように忘れられた土地になりつつあるアフガニスタン。でもイラクほどではないけれども相変わらず戦国時代の様相から抜けてはいない。現段階をまとめてみた。

●略史

◎1992年 ソ連の操り人形だったナジブラ政権がムジャヒディン(イスラム聖戦士)によって打倒される

◎92~96年 ムジャヒディン政権(ラバニ政権)の対立が激化

◎1996年 オマール師率いるタリバーン(神学生)がアフガニスタンの大半を制圧

◎2001年9月 米国同時多発テロ発生
◎同年 10月 同時多発テロの首謀者ウサマ・ビンラーディンをかくまっているとみなされたタリバーン政権がアメリカ・イギリス軍および北部同盟(後述)によって攻撃され始める
◎同年  12月 タリバーンをほぼ駆逐した北部同盟中心の暫定政権発足。議長はカルザイ

◎2002年6月 緊急ロヤ・ジルガが開かれてカルザイ議長を大統領とする移行政権発足

◎2003年12月 憲法制定(制憲)ロヤ・ジルガが開かれる

◎2004年11月 大統領選挙が行われてカルザイ移行政権大統領が当選。カルザイ本格政権始まる

●ローマ・グループ
かつて王政だった時代の最後の国王で、ローマに亡命していたザヒルー・シャーを中心としたグループ。緊急ロヤ・ジルガでは元国王を元首とする「王政復古」を企てて失脚したようだ。

1)ザヒル・シャー
最後の国王。03年末の憲法制定ロヤ・ジルガ(国民大会議)では開始を宣言する役割を演じた。最大民族パシュトゥン人出身でいまだに国民の声望も厚く一部には「王政復古」を望む声もあったが、何しろ90歳を目前とする高齢で、かつ国王時代の政権運営が優柔不断だったとの評もあり、元首に選ばれることはなかった。04年2月初めからはインドの首都ニューデリーに胃腸病の治療を兼ねて滞在中と伝わる。

2)カルザイ
暫定政権時にすい星のように登場。緊急ロヤ・ジルガで移行政権の大統領に選ばれた。その際にローマ・グループと暗闘があったようで以後同グループと一線を引いた。もともとは元国王政権下で国会議長を務め、タリバーンに暗殺されたとみられる反タリバーンの父親の後を継いだ人物。現地では当初父親の声望が高く、その七光り的な部分があった。パシュトゥン人であり、旧北部同盟とも友好的で、父親の声望と米国の支持もあるということで、非常にバランスのいい位置にいたのも大きい。その後04年10月の大統領選挙も勝ち抜き実力者の階段を駆け上がっている。

●旧北部同盟
主体は旧ラバニ政権を支えた二番目に多いタジク人勢力。旧ソ連軍を敗北に追いやった名将マスードの流れをくむ。タリバーンを駆逐した代表勢力で、駆逐後からしばらくは政権の中枢を握っていたが04年の大統領選挙で敗れて事実上下野。今後の波乱要因になる可能性もある

1)ラバニ
カブール国立大学神学部教授でイスラム協会の代表としてソ連の勢力に対抗し、ソ連撤退後の大統領となるも、前述のように四分五裂になってタリバーンに追い出される。もともとが学者なので清廉だとの評もあるが、何しろ「失敗した指導者」というレッテルは覆い難く、移行政権では役職についていない。ただし前大統領という肩書きはそれなりに重く、本人も現在の処遇に不満とも伝えられる。03年の制憲ロヤ・ジルガには座長会議の一員として参加し修正法案が会議の内容とはまったく違うと告発した。

2)故マスード派
マスードとはタリバーン時代に唯一国内に留まり、抵抗を続けた軍人である。ムジャヒディンとしてもソ連軍に対して機略縦横の戦いで勝利を収め、「パンジシールの獅子」の異名を取った。本来ならば反タリバーンの一番手だったが、同時多発テロの直前に暗殺された。今でも大変な人気を誇るアフガン随一の人気者。
移行政権ではマスードの愛弟子ともいえるファヒーム副大統領兼国防相、アブドラ外相、カヌーニ教育相の3人が政権の中枢を担った。

カヌーニは暫定政権時代の内務大臣でそれなりの実績を残しており教育相という「軽量閣僚」には不満があったとされる。04年の大統領選挙ではカルザイの対抗馬として次点に迫る。その直後に記者会見してカルザイ大統領から国防大臣の打診があったが「議員として政府を監視する立場に立ちたい」として断ったと暴露した。05年の総選挙では政党を結成し反カルザイ色を強める。

ファヒームはマスードから後継を指名された軍人でタリバーン掃討の中心人物だった。ゆえに移行政権では副大統領兼国防相に就任したのだが同時に最大の軍事グループでもあり続けるという矛盾を抱えていた。本格政権移行後は無役となって完全に下野。今後の動きが注目される。

アブドラ外相は一貫してその職にあり続けて現在に至る。旧北部同盟とカルザイ本格政権の橋渡し役が期待されている。

●各地の軍事グループ
前述のようにマスード派も軍事グループの一つであり、逆に以下に紹介する勢力には北部同盟に参加したものもあるが、勢力が大きいために別に示した。

1)ドスタム
アフガン北部の都市マザリシャリフを中心とした勢力をもっている。少数民族ウズベク人で、ウズベキスタンやトルコの支援を受けているとされる。軍人としての評価は高いが、アフガン歴代政権の一種のトラブルメーカー的存在であり近隣のアタ・モハマド(タジク人)バルク州知事と内戦まがいを続けている。となるとかえって手なづけた方がいいと判断したのか移行政権ではカルザイ大統領の北部治安担当顧問(笑)だった。04年の大統領選挙に出馬するも惨敗。ところが05年3月には参謀総長に返り咲く。世渡り上手なのもこの人の特長

2)イスマイル・カーン
強いか弱いかわからん人物。元々アフガン西部のヘラートを中心とした勢力をもっている。謎の多い人物だがタジク人とみられ、ソ連との戦いでは一時マスードと並び称される存在だった。イスラム教少数派のシーア派に属するとみられ、同派が主流の隣国イランの支援を受けているとみられていた。何しろかつては人気ナンバーワンのマスードに匹敵するカリスマだったし、ドスタムのような悪評も聞かれない。
移行政権に息子を航空観光相として送り込む。カルザイ側の取り込み政策であろうが04年3月に暗殺されてからヘラートは不安定化する。本格政権ではカーン本人がエネルギー相で入閣したが利権などとの絡みが注目される。

3)ハリリ
アフガン中部の都市バーミヤンを中心とした勢力をもつ。少数民族ハザラ人の代表で、タリバーンに殺害されたとみられるマザリーの後継者。イスラム教少数派のシーア派に属し、同派が主流の隣国イランの支援を受けてきた。移行政権からは副大統領として現在に至っており一応は波乱要因から除外されている。

4)東部パシュトゥン勢力
アフガン東部の都市ジャララバード一帯に勢力をもっている。タジク人主体の北部同盟がタリバーンから首都カブールを陥落させ、さらに東部に進軍しようとした際に、一歩先にジャララバードを落とし、北部同盟と友好的関係を保ちながらも、一定の支配権を確保した勢力。反タリバーンのパシュトゥン指導者で、カブール陥落後に「東部シューラ」を結成したハジ・ザマンや、タリバーンに暗殺されたパシュトゥン指導者アブドゥル・ハクの兄であるハジ・カディールが挙げられる。

当初はカルザイ政権に融和的とみられていたが、カルザイ父、ハク、ザマンはもともと反タリバーンのパシュトゥンとしては同格だったので、「何でカルザイの子だけが・・・・」と不満に思っていてもおかしくない。ハジ・カディールもまた暗殺されたが背後関係がいろいろ取りざたされている。一方で03年にUNHCR(国連高等難民弁務官事務所)の車両が襲撃されたのはハジ・ザマンの根拠地であった。ザマンは最近になって反カルザイ色を強めているともされる。

5)グル・アガ
アフガン南部でタリバーンの本拠地だったカンダハールを攻略した有力パシュトゥン人勢力。カルザイが名を上げたのはもとはこのカンダハール攻略戦だったが、同等以上の活躍をしたとみられる元カンダハル州知事。移行政権では公共事業相、本格政権では念願のカンダハル州知事に返り咲く。カンダハルはもともとタリバーンの本拠地だけにカルザイ政権も強力な軍事グループを手元に引き寄せたいと考えているのだろうが逆の目が出ないとも限らない。

●反体制
1)アル・カイーダとタリバーン残存勢力
タリバーンはムジャヒディン政権(ラバニ政権)の対立激化に乗じて台頭した。そして今もまた同じような顔ぶれが軍事グループを作ってかなり好き勝手をしている。カルザイ政権はグループ解体と国軍強化にやっきだが、その過程では軍事グループの協力を得ざるを得ないという矛盾が生じている。
アメリカがにらみを効かせている以上オマール師自身が勢力を回復することはありえないが、タリバーン台頭と同じような下地がある以上は、別の人が別の方法で同じことを成功させる恐れもある。

アル・カイーダの場合は、もはやウサマ・ビンラーディンが大手を振って復活するなどあり得ない。だいたいアル・カイーダ自体が機能しているのかさえ不明だ。だがそもそもビンラーディンはアル・カイーダの独裁者というよりは、持株会社の社長みたいな存在で、実際の活動は傘下の実働部隊がやっていたから、彼の生死に関わらず、またアルカイーダであるかないかに関わらず同様のテロ活動を続ける危険性大。
カルザイ政権は軍事グループの取り込みと同時に残存タリバーン勢力も「穏健派」から吸い込む構えをみせている。庇を貸して・・・・にならなければいいのだが。

2)ヘクマチアル
おっと忘れるところだった。ラバニ政権をダメにしたA級戦犯ともいえる同政権の首相。ラバニとマスードと対立して、マザリーやドスタムとも反目。政権崩壊の引き金を引いたといっていい。パシュトゥン人である彼に一番援助したのはパキスタンで、それがタジク人のラバニとの反目を生んだともいわれる。その後はタリバーンに追われて一時は北部同盟に与するなど無節操な展開を続けたが、現在はどうやらパキスタンにも見放されたようだ。

ただし、一時はパシュトゥン最大勢力のトップにあり、過激なイスラム原理主義を唱えてタリバーンとの共闘を訴えるなど、危ない人物には変わりはない。「逃亡先のイランから追放された」「パキスタンにいる」「いや、アフガンにとどまっている」など、諸説が入り乱れている状態。
05年5月9日、アフガニスタン政府和解委員会はオマール師やヘクマチアルを恩赦の対象とすると発表した。ということはやっぱりそれなりにおっかないわけだ。ヘクマチアルでさえ。

●政権を支える外国勢力
国連が派遣した国際治安支援部隊(ISAF)と米軍ということになる。しかし、米軍の目標はあくまでもウサマ・ビンラーディンを捕らえることであって、アフガニスタンの安定のために大軍を駐屯する気はない。ISAFは全国各地の軍事グループを抑える兵力はなく、せいぜい首都カブールの治安維持どまり。

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2005年8月26日 (金)

小泉に勝つ方法

小泉首相を許せないのは彼がマインドコントロールを仕掛けてくるからだ。端的にいえば

問題 郵政民営化について以下の2つの選択肢から正解を選べ

  ①賛成 ②反対

で終わり。このテストは国権の最高機関を最長で4年間担うものでありながら問題を1問に絞り込む。
もっともそのこと自体は許してもいい。郵政民営化がそれだけの価値を持つと首相が考えているならばやむを得ない。がまんならないのは①が正解だと最初から教えておいた上で試験(投票)に誘う点だ。「①を選べば100点満点だよ」と。
大半の人は児童・生徒・学生時代を通して100点満点を取れたテストは数少ない。卒業して社会人になっても仕事の評価は100点満点に遠く及ばない。そこに行政府の長が100点満点のチャンスをくれた。

より深刻なのは①にマルをする行為自体は強制されていない点だ。選挙民は表面的には自発的に投票所に足を運び自分の判断で①にマルをして帰っていく。すべて自分の判断で選んだようにみせかけて実はイカサマが仕込んである。マインドコントロールでなくて何なの。

民主党の戦術は例によって拙劣だ。当初「もっと大事なことがある」と問題数を増やすと宣言した。受験生はブーイングである。そこで郵政にも触れ始めたが「選択肢から『③その他』を選べ」というもの。そんなテストはみたことないよと○×式に慣れ親しんでいる国民はピンとこない。

今回の選挙が郵政民営化法案の是非を問う解散に基づいているのは疑いない。それが通れば解散しない。否決されれば解散すると解散権を事実上掌握している首相が事前に明言してその通りにしたからだ。しかも反対に回った与党自民党の前議員を全員公認せず対抗馬を立てた。単に数合わせをしたければ絶対にやりっこない選択である。それを国民は知っている。だから問題が1問しかないのはやむを得ない。
まったく聞こえてこないのは「反対」の理由である。「その他」の理由でもいい。

ポイントになるのは「郵政民営化賛成」ならば改革が一歩でも進むという小泉側のアドバンテージである。「反対」「その他」の側は改革を鈍らせる抵抗勢力だという図式である。「非国民」時代から日本人が好む対決構図だ。だったら「反対」「その他」の方が改革につながり「賛成」する者こそ抵抗勢力だと訴えるわかりやすい根拠がほしい。「首相の土俵に乗らない」なんて言ってはいられない。売られたケンカも買えないようでは民主党に政権を取る資格はない。

それが難しければ1つだけ別の問題にすり替える方法がある。それは小泉政権の好き嫌いを問うという方法だ。具体的にはなぜ民主党は公明党批判や小泉首相の人格攻撃をしないのか不思議でならない。

自民党と連立を組む公明党は日本共産党とともに好き嫌いが明白に分かれる「拒否度」も高い政党だ。理屈抜きで好きな人と嫌いな人がいる。後者に訴えかけない理由がわからない。菅直人前代表がやり始めたが岡田体制になって沙汰やみになった。将来の連立相手としてアテにしているのか。だとしたら選挙をする前に負けである。だって自民の方は仲間でさえ切り捨てているのだから。「公明とも共産とも組まない」というのは大きなアドバンテージなのになあ。

人格攻撃をしない理由もわからない。うってつけの人物がいるではないか。「横須賀のアンちゃん」「一種のサーカス。帽子からハトを出し、口から火を噴いたりする大道芸人」と一人人格攻撃を行ってヤンヤの喝さいを浴びている田中真紀子前衆議院議員である。他のことはともかく小泉の口先とタイマン張れる口の持ち主は彼女しかあるまい。
ところが真紀子氏は無所属で民主党に所属していない。公職選挙法の規定によって選挙報道は各党が公正になるように時間が配分されるから公示以降は「民主党の時間」が必ずある。だから真紀子氏を副代表でも代表代行でも何でもいいから代表に次ぐ地位を用意して迎えればいい。岡田代表は戸別訪問などバックアップに回ってNO.2の位置に着いた真紀子氏に散々街頭演説してもらえば「民主党の時間」で必ず紹介される。
それで勝ったら真紀子氏を重要閣僚に処遇しなければなるまい。だからどうよと二の足を踏む向きもあるようだが民主党にはこの「逆杞憂」ともいうべき妙な取り越し苦労癖がある。ゴタゴタ言う前に実際に勝ってみろよ。

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2005年8月25日 (木)

竹島問題解決策

小誌は1979年から92年までは別の版元から出されていた。当時は韓国の民主化運動やら北朝鮮事情などをやたら取り上げている。というわけで先代版元に敬意を表して竹島問題解決策を探りたい。
なお本稿においては1897年に国号を「大韓帝国」と改めてから1910年の韓国併合まで朝鮮半島にあった国家を「大韓帝国」と、現在の大韓民国を「韓国」と表記する。ただし歴史文書はそのままとした。

1)竹島を「本邦所属」とした閣議決定がなされた1905年1月28日に絞って議論する
いうまでもなく日本が竹島を領土だと主張する根拠。それがおかしいならば大韓帝国が何らかのクレームをつけてきておかしくないのになかった以上は日本領だと主張する。
それに対して韓国は05年1月28日はすでに日本の植民地支配が事実上覆っていて「おかしい」と反論する余地はなかったと主張する。
そこで問題をここに絞って論議するのだ。すると面白いよ。

まず日本側は05年1月28日時点での大韓帝国は「日本の主張にクレームがつけられるほどに堂々たる独立国家だった」と証明しなければならない。
日本が公然と大韓帝国の外交権を奪ったのは05年11月17日の第2次日韓協約によってである。すると日本の「大韓帝国は堂々たる独立国家だった」論はたった10ヶ月後には翻っていることになる。

さらにいえばこの協約を結ぶ以前の05年7月29日の「桂・タフト協定」で韓国の日本支配をアメリカに、8月12日の日英同盟改訂で日本が大韓帝国で「指導,監理及保護ノ措置」をとることをイギリスに承認させた。9月5日日露戦争講和条約(ポーツマス条約)では「露西亜帝国政府ハ日本国カ韓国ニ於テ政事上、軍事上及経済上ノ卓絶ナル利益ヲ有スルコトヲ承認」させている。日露開戦は04年2月である。

つまり日本は以下のことを証明しなければならない

・「本邦所属」発表から第2次日韓協約による保護国化までの「たった10ヶ月」は「大韓帝国は堂々たる独立国家だった」
・「本邦所属」発表から桂・タフト協定までの「たった半年」は日本が「大韓帝国は堂々たる独立国家だった」を脅かす気も事実もなかった。
・「本邦所属」発表以前に始めて「日本国カ韓国ニ於テ・・・・利益ヲ有スル」とロシアに認めさせた日露戦争は結果的にそうなっただけで「本邦所属」発表時点で「大韓帝国は堂々たる独立国家だった」ことを否定しない

まだある。04年8月には第1次日韓協約で「韓国政府ハ日本政府ノ推薦スル外国人一名ヲ外交顧問トシテ外部ニ傭聘シ外交ニ関スル要務ハ総テ其意見ヲ詢ヒ施行スヘシ」との条文をのませている。「外国人」は駐日米国公使館のスチーブンス顧問が就任。「日本政府の推薦といったって就任したのはアメリカ人だったから堂々たる独立国家じゃん」と言い募れるか。

難易度高いね。でも韓国だって難易度のハードルは変わらない。何しろ日本側が言い募る理由を覆す方法はただ1つ。「その頃の我々はとにかくダメダメだった。弱かった」を曇りなく証明することだ。これを日本人に言われたら腹も立つだろうが韓国側が自ら立証していく過程はつらかろう。

よってこの議論は日本側は論理的なハードルから韓国側は精神的なハードルからどちらも超えられずに疲れ果てて妥協点を見出そうとするに違いない。

2)韓国に宣戦布告をしてもらう
「領土問題の究極の解決法は戦争である」との万古不易の法則にしたがう。とはいえ日本国憲法の規定があるからこちらから戦争は仕掛けられない。向こうが激怒して宣戦布告をしてくれないとまずい。そこまで怒らせる役割は安倍晋三にしかできない。彼を首相にすれば韓国の腹の立つことを自在に言ってくれるだろう。回りもそういう環境に持っていく必要がある。何しろ田中真紀子の分析によると「心臓の弱い安倍晋三」だそうな。いざとなると怖じ気づいたりして。
で、韓国が激怒して宣戦布告をする。その瞬間に問題は解決だ。何しろ日本の負い目は韓国を植民地支配したことだ。しかし当の韓国が「戦争で日本を攻める」と発言した瞬間にその正当性が消えてしまう。

いうまでもなく実際に戦闘行為をなすのは愚の骨頂だ。宣戦布告に即刻応じてはならない。実際問題として向こうの方が強い気もするし。ここから「心臓の弱い安倍晋三」になってもらう。やめてもらって綿貫先生に代わってもいい。そうやって日時を稼げばアメリカが黙っていない。日韓の戦争をアメリカは絶対に許さない。もう強引に解決を図ろうとする。その際に「竹島はこうだ!」とアメリカが決めれば幕。従米路線の日本と反米感情高まる韓国。アメリカがどちらに軍配を上げるかは明らかだ。
・・・・韓国だったりして・・・・・

3)北朝鮮に領有権を放棄させる
1897年に国号を大韓帝国とした段階で現在の韓国と北朝鮮は同じ国だった。「本邦所属」時点の1905年も同様。だとすると北朝鮮にだって竹島の領有権を云々する資格があると解釈できぬでもない。

日本と韓国が国交を回復した1956年の日韓基本条約第3条には「大韓民国政府は国際連合総会決議一九五号(Ⅲ)が明らかに示されているとおりの朝鮮にある唯一の合法的な政府であることが確認される」とある。1948年の決議一九五号(Ⅲ)は韓国の施政権が及ぶ地域を北緯38度線以南に限定するという内容だ。要するに「38度より北の旧大韓帝国の領土」になにがしかの政権があることを暗示している。
日韓基本条約締結時に解釈がわかれたまま現在に至っている部分である。韓国はこれをもって全朝鮮半島における唯一の合法政権は韓国だと日本が認めたと解釈し、日本側は38度線より南を実際に韓国が管轄している事実を確認しただけと説明する。

この際は日韓基本条約はどうでもよろしい。北朝鮮が1991年に国連に加盟しちゃった時点で「唯一」論は意味を失っているので。決議一九五号(Ⅲ)によると韓国が持つのは施政権つまり使用権なのだ。では領有権は誰が主張できるかと考えれば韓国にはもちろんできる。だから彼らが「独島(竹島)我が領土」と訴えるのは正当だ。だが北朝鮮にはないとはいえない。

コメのいくばくかでも送ってバーターで北朝鮮には竹島の領有権がかつてあったが今はないことを認めてもらう。むろん将軍様のことだから日本がそんな話を持ちかけたら「瀬戸際カード」に使おうと正反対に領有を主張してくる可能性もある。だがそれならばそれでいい。韓国が国際司法裁判所での決着をのまないのは「わが国の領土に決まっている竹島を領土問題として裁判にかけること自体がナンセンスだ」という発想にあるのは明らかだ。でも南北間ではそうはいかない。

4)フィフティ・フィフティ原則を採用する
朝日新聞2005年2月19日付東京朝刊に紹介された岩下明裕北海道大学スラブ研究センター助教授の見解(ただし北方領土に関して)。ロシアと中国が抱えていた国境問題を「最終決着」させた方法だという。採用された方式は「フィフティ・フィフティ」原則と呼ばれ「これまでの歴史的経緯や法的な論議をすべて横において、係争地を『およそ半分にする』というものだ」そうな。
やってみたらいいじゃん。竹島の真ん中に線を引いて日本側を日本領、韓国側を韓国領とするのだ。男島と女島を分け合ってもいい。しばらくの間は両国から粘着君が来てへばりついていようが一旦解決してしまえば日韓ともに急速に興味を失うだろうから「単なる絶海の孤島」になってジエンドさ。

5)「竹島国」として独立させる
フィフティ・フィフティ原則の変形版。「独島(竹島)我が領土」と叫ぶ人は竹島が我が領土であればいいわけだから竹島国でも問題ないでしょう。現在のアンドラ公国に似た存在。独立すればバチカン市国を下回る(って表現で正しい?)世界最小の独立国になる。そんなのを作ってみるのも一興。
しかしそうなったらなったで国名を「竹島国」か「独島国」にするかで果てしない議論になりそうだから怖い。こだわり方が実は日韓は似ている。もしかして本当は仲良しなのかも。

6)「界を分たす」方式を採用する
1954年の日露和親条約で使用された方法。「カラフト(樺太)島ニ至りては、日本国と魯西亜国との間ニ於ゐて、界を分たす。是迄仕来の通たるへし」というもので要するに両国が二重支配して雑居しようという方法である。
国境線をビシッと定めるのは元々ヨーロッパの方式である。一方で東アジア文化で日本と朝鮮半島にあった歴代国家とが密接な関係にあったのは揺るぎない事実である。何もヨーロッパ方式をまねることはない。「界を分たす」で決着したと発表すれば欧米はきっと驚くよ。東アジアの知恵ここにありと奴らに見せつけて互いにスカッとしましょうよ。

7)爆破する
日韓基本条約が暗礁に乗り上げかかった頃に当時の韓国中央情報部(KCIA)部長の金鍾泌元首相が言ったとか言わないとかされているアイデア。確認できる比較的確かなソースでは共同通信1997年7月9日配信がある。ソウル電で以下のような内容だ。

韓国の野党、自民連の金鍾泌総裁は九日、共同通信などとの会見で、日韓条約締結交渉で、日韓間の領土問題になっている竹島(韓国名・独島)について、金総裁が「竹島爆破論」に言及したとされる背景などについて明らかにした。
金総裁は交渉で「池田さん(当時首相)も大平さん(当時外相)も(竹島は)絶対に日本の領土で、あれ(竹島)だけは譲れないと言った」と日本側が強硬だったと紹介。
金総裁は「私も血気盛んな時だったから『何を言いますか、爆破することはあっても、あなたたちには渡さない』と応じたが、これが爆破論を展開したと誤って伝えられた」と説明した。
金総裁は「私がそう言ったので、日本側はそれ以上この問題を出さなかった。その結果、厳然と独島(竹島)には韓国の旗である太極旗が翻っているではないですか」と述べ、爆破も辞さないとの強硬姿勢で韓国側の実効支配が実現していると指摘した

まあいろいろな解釈ができようが爆破論って比較的グッドアイデアだったんじゃないですかね

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2005年8月24日 (水)

アジア・アラブ・イスラム・東洋

日本は疑いもなくアジアの一員でアフガニスタンやイラクもアジアも同様。そんなことは誰でも知っている。ところがアフガン戦争やイラク戦争で「同じアジアのお隣さんの出来事」としてとらえる日本人は少なく、むしろ見知らぬ遠い国の出来事というイメージとなっている。

ではどこか。アラブ(アラビア)やイスラムだと答えよう。両者とも日本が属するゾーンではない。ではアラブとイスラムは同一なのかというと、世界一イスラム教徒の多いインドネシアはアラブではないという一例でもわかるように、そうではない。

そこで今回は使われる割には明確でないこれらの言葉の関係を押さえてみたい。

1)アジア
一般にアジアとは地理上の概念ととらえられているが、他のアメリカ・アフリカ・オセアニアと比べると、境界線がはっきりしない。とくにヨーロッパとの境がわかりにくい。そこで両者を合わせてユーラシアと呼ぶ場合もある。
たとえばロシアはアジアとヨーロッパの両者にまたがる。かつてヨーロッパからみてアジアの代表的存在だったトルコはEU(ヨーロッパ連合)に加わる意思を示す。トルコとイスラエルはサッカーのワールドカップ(W杯)予選ではヨーロッパで出場している。もっともイスラエルがアジアのW杯予選に出場すると試合ごとに血の雨が降りまくる恐れがあるから仕方ないか。
アジアとヨーロッパの境は、一般に15世紀頃の大航海時代に地理上の概念を明確にするためにヨーロッパが名づけたとされる。したがって「ヨーロッパとされる地域より東側」という総称で、かつその地に住む者にとっては他称ともいえる概念でもある。
あえていえば境は以下のようになる。

「ウラル山脈を南下してその姿が消える頃に現れるウラル川がカスピ海に注ぎ込む。カスピ海の西湖岸をたどって大カフカス山脈にぶつかった時点で尾根づたいに黒海に出る。黒海の南海岸を沿ってボスポラス海峡をくぐってダーダネルス海峡を出て地中海に突入。地中海の東側海岸をたどってスエズ運河を抜ける」

面倒くせー。ヨーロッパが勝手気ままに作った概念であることがよーくわかる。

2)アラブとイスラム
「アラブ」の定義は諸説あって一言ではいいにくいが、「アラビア語を母国語とし、地理的には中東を中心としたグループ」と考えるのがほぼ一般的。
一方の「イスラム」とはいうまでもなくイスラム教を指し、アラブの大多数がイスラム教を主な宗教としてるが、アラビア語を話すキリスト教徒などの異教徒もいる。

アラブ⊂イスラム

とは言い切れない。

また中東地域にあるイランはペルシャ語を、トルコはトルコ語を使うのでイスラムが主流ではあってもアラブとはいわない。アフガニスタンは多民族国家で、使用言語もアラビア文字表記のパシュト語やペルシャ語などを民族に応じて使い分ける。やはりイスラム圏であってもアラブではない。
アラビア語を母国語とする人は約1億5000万人とされる。イスラム教徒は10億人以上と推定されているので、アラブは数としてはイスラムのごく一部である

3)アジアとアラブ
まず、アラビア語を母国語とするアラブにはアフリカに位置するエジプトなどの北アフリカの国々の一部もアラブとなるため、「アジアにアラブは含まれる」というのは正しくない。
アジア圏に位置するアラブ人の印象としても、アラブはアジアであるという認識は薄い。その点で共同通信が1994年6月26日に「サウジは『アラブ』代表? 28年ぶりのアジア1勝も」と題して配信した記事は興味深い。当時開かれていたW杯サッカー米国大会で勝利をあげたサウジアラビア選手の印象をAP通信電を引いて紹介した記事によると、全員が「アジア」ではなく「アラブ」の代表として、勝つことの意義を考えていたようであった。

決勝ゴールを奪ったアミンは「われわれはサウジアラビアだけではなく、アラブ全体の代表として、勝ちたかった」と胸を張り、「アジアの代表」という言葉は聞かれなかった。

4)日本とアジア
ある意味で、アラブとアジアの距離感に近いものが日本とアジアにもある。よく「アジアと日本」とか「アジアを旅する」といった言葉が聞かれるが、考えてみれば日本は地理的にはアジアの一部なのだから、家の周りを歩いていたって「アジアを旅する」ことになるはず。おそらく、多くの日本人は

「日本はアジアだがアジアではない」

という矛盾した感覚をもっているのだろう。

5)日本と東洋
その理由は以下のようなものではなかろうか。
かつて日本人は「アジア」よりはむしろ「東洋」という言葉に親近感をもっていた。東洋とは日本・中国・インドあたりまでを含み、宗教・思想・歴史の共通性を強調する概念とされる。「東洋一」という言葉や「東洋」を冠した企業が多々あるのはそのなごりである。つまり

「地理上はアジアだが思想信条は東洋だ」

という価値観が形成されて「日本は東洋であってアジアではない」となった。もっとも東洋との結び付きはアラブよりはずっとあいまいであり、最近ではあまり耳にしなくなった。だからといって「東洋」の後退が「アジア」への親近感には変換せず「日本は東洋であってアジアではない」の後半部分だけが残っていると推測する。

アジアという言葉に、そこに住む者自体がピンとこないという最大の理由は、おそらくそれがヨーロッパによる他称であり、かつ「ヨーロッパより東」という、いわばその他大勢的なネーミングであったところが大きい。アラブの多くと日本が、同じアジアにありながら、疎遠な感覚を禁じ得ないのも、その当たりに原因がありそうである。

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2005年8月23日 (火)

この際、綿貫先生をほめてやる!

8月17日、綿貫民輔前衆議院議長を代表とする国民新党がしめやかに?結党を宣言した。さっそく「綿貫民輔 Official-WEB」を見たが22日の時点で全然更新されていない!神職姿の写真も凄い。
綿貫家といえば物流のトナミ運輸の実質オーナーである。ここから郵政インフラとの癒着を疑ってみる手もあるが民営化されても業務委託は可能だし「パンサー宅配便」のように事業としては郵政と対立してもおかしくないものもある。
私は小泉首相の「郵政解散」のレトリックに乗るのだけは嫌である。小泉のマインドコントロールに乗っかっていると段々バカになっていく気がするからだ。だから今回は心を鬼にして?綿貫民輔氏をほめてみる。死ぬ気で心にもないことを書いてやる。
覚悟を決める上で本稿では綿貫氏を「綿貫先生」と呼称する。何って中曽根康弘元首相を「大勲位」と呼ぶのと同じニュアンスさ。

1969年の衆議院議員総選挙に初当選以来、綿貫先生は連続11回の当選を果たしている。1927年生まれの御歳78歳。親分だった竹下登元首相より3つ年下で初当選は4期下。案外と初当選が遅かったのが後の人生と微妙に関わるとみられる。
竹下元首相の下にいたいわゆる「7奉行」の生年と初当選の年を生年順に並べてみよう。◎は首相経験者。

・梶山静六・・・・1926年-1969年
・奥田敬和・・・・1927年-1969年
・渡部恒三・・・・1932年-1969年
◎羽田孜・・・・1935年-1969年
◎橋本龍太郎・・・・1937年-1963年
◎小渕恵三・・・・1937年-1963年
・小沢一郎・・・・1942年-1969年

こうみると綿貫先生は故梶山静六、奥田敬和両氏とほぼ同世代だとわかる。また当選年次も決して七奉行よりも遅くはない。というか1969年は当たり年である。なのに七奉行になれなかった。海部俊樹内閣の91年に自民党ナンバー2の幹事長に就任したが「首相も幹事長も軽量」などといわれた。
その間に何もしなかったわけではない。国土庁長官&北海道沖縄開発庁長官と建設大臣の2回大臣になっている。この間にトナミ運輸関連はもちろんのこと、土建関連などをガッシガシに固めて選挙は無敵の強さを発揮し続ける。64歳の幹事長はやや遅いとはいえ見劣りがするというわけではない。

ところがこの後が不遇なのだ。「綿貫民輔 Official-WEB」でも佐藤栄作内閣から宮澤内閣までは内閣名を明記した上で自身の経歴を紹介しているのに宮澤内閣以降の細川護煕-羽田非自民連立政権、村山富市自社さ政権、橋本-小渕-森喜朗政権は内閣名を明記せずに「以後の国会活動」になっている。その間に「7奉行」のうち10歳近く年下の羽田、橋本、小渕が首相になった。同じ竹下派から彼が幹事長以上、つまり首相になる可能性は完全に消えたのだ。
この間の93年から2000年まで綿貫先生は自民党道路調査会長であった。はまり役ではあるが後輩にドンドン追い抜かれていくのは耐え難かったに違いない。旧竹下派はこの間に後輩の青木幹雄と野中広務が牛耳りはじめていた。それに抵抗した形跡は見あたらない。

ところが2000年7月、綿貫先生は3権の長である衆議院議長に就任する。実際には「上がり」という程度の意味しかなかろうが綿貫先生はここで変わったのだ(独断と偏見)。「綿貫民輔 Official-WEB」の「以後の国会活動」の次には華やかに「議長就任」と色を変えて表示してあることからもわかる。
議長としての綿貫先生は「衆議院改革に関する調査会」を発足させ本気で衆議院改革を行おうとしていた。少なくとも相当熱心に議会制民主主義のあり方を追求していたのは当時の政見から十分にうかがわれる。基本的に利権政治家とみられていたが祭り上げられてみて自らの人生の最後から逆算して純粋に政治を考え始めたのではないか。

似たような例に同年代・同期・同派閥の梶山静六がいる。彼の人生もまた大半が政略まみれであったが98年の総裁選頃から急激に変化し、いまだに評価の声が高い梶山論文を次々と発表。総裁選には敗れたものの真の政治家という称号を得た。その後は無派閥で通し2000年6月6日、つまり綿貫先生が議長になる前月に死去した。綿貫先生の胸にも何かが点火したはずだ。
橋本龍太郎元首相が派閥の領袖を退いた時にも綿貫先生に後継の依頼があったが先生は断った。もっと大事なことがあると。以前の先生ならば大喜びで引き受けたはずの領袖ポストをソデにしたのだ。相手は先生が晩年(になるんだろうなあ)に精力を傾けた立法府を軽視して独断で自分の法案を通そうとする小泉純一郎首相である。郵政にさほどの利権がなかった(少なくとも経歴上は)綿貫先生だがそんなことは関係ない。独裁者許すまじ!

国民新党に参加して綿貫先生にいいことは何もない。無所属ならば選挙には勝つのである。しかし新党の代表となれば自動的に自民党員ではなくなるから富山3区といえどもさざ波は立つであろう。事実として当初は綿貫先生も及び腰であった。ところが小泉首相の「刺客」作戦に心底頭にきたのだろう。仲間を助けるために綿貫先生は自らの損得を捨てて新党の代表になった。趣味の習字を生かして会見場で何かを書き始めた時には「遺言か」とも思ったが新党名だった。

議会制民主主義を守り抜く鬼と化した綿貫先生。梶山静六のように近々鬼籍に入られるやもしれない挑戦ではあろうがご自愛を賜りたい・・・・と冒頭に述べたように私の方も鬼籍に入りそうな覚悟でほめてみた。

ところで。鳩山由紀夫氏のホームページって凄いね。もうイッちゃってますね。一見の価値あり。彼は彼で何かを目指しているのかも。綿貫先生と同様によくわからないのが難だが。

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2005年8月22日 (月)

奇書・奇ビデオ&DVD

05年7月23日午後4時半頃に関東地方を地震が襲った。その時に私は出先にいて「たいした規模ではない」と思っていたが帰宅して部屋に入ってビックリ。そこら中に本が散乱している。私は仕事柄実に当然だが本を死ぬほど所有している。しかも整理整頓が苦手なので棚に入りきらない本を二重三重に詰め込んだり産業廃棄物のタイヤみたいに部屋中に野積み?にしてあるのだが、これが一挙に崩れ去って部屋中を覆っていた。マンションの上層階というのは思ったより揺れるものであろうか。

やむを得ず何の脈絡もなく混じり込んでしまった本の洪水をそれなりに分ける作業を開始したのだが改めて分類してみると結構面白いものがあった。近年の作品は会社の方に多く残してあるので少々古めだが「こりゃ凄いわ」と感じた「奇書・奇ビデオ&DVD」をご紹介。

【本】
●北朝鮮
①『どん底の共和国』『凍土の共和国』『暗愚の共和国』(亜紀書房)
②『偉大な指導者金正日』(未来社)
①は北朝鮮をけなすことにかけては日本一だった亜紀書房の記念碑的三部作。②は北朝鮮をほめることにかけては日本一だった未来社が繰り出したほめまくり本の決定版

●そうだったのか!人文・社会科学系編
③松田薫著『血液型と性格の社会史』(河出書房新社)
④玉利勲著『墓盗人と贋物づくり』(平凡社選書)
⑤南浦邦仁著『ロバのパン物語』(かもがわ出版)
⑥平澤正夫著『日本の牛乳はなぜまずいのか』(草思社)

③は血液型占いのルーツを探ると、なんと人種差別に行き着くという驚くべき内容を詳細に追う。その後いろいろと物議を醸した。④は文化財は墓泥棒によってこの世に送り出され、その多くは偽物だという信じがたい事実を立証。⑤はうれしいCD付き

●そうだったのか!自然科学系編
⑦篠沢哲・林晃史著『虫の味』(八坂書房)
⑧大場秀章著『誰がために花は咲く』(カッパサイエンス)

⑥は防疫学のまじめな先生がまじめに書いている。「ハエ、非常食となるか」「ゴキブリは珍味となるか」「ユスリカのふりかけご飯」「虫粥」「あおむし、青いことはよいことだ」など、タイトルを並べるだけで茫然自失。カッパサイエンスには『タコはいかにしてタコになったか』などの自然科学系奇書を連発

●自伝系
⑨古今亭志ん生著『なめくじ艦隊』(ちくま文庫)
⑩『太郎に訊け!―岡本太郎流爆発人生相談』(青林工芸舎)
⑪ブルームバーグ著『ブルームバーグ』(東洋経済新報社)

⑨は自伝のなかで、これほどハチャメチャなものは、日本人では他には『高橋是清自伝』ぐらいとされている。徹頭徹尾メッチャクチャな人生。⑩の内容はタイトルのまんま。ガッツ石松的問答だが岡本太郎自身の人間性や美意識も色濃い。⑪は自己陶酔の決定版。堀江貴文の大先輩

●エロ系
⑫山本明著『カストリ雑誌研究――シンボルに見る風俗史』(中公文庫)
⑬週刊新潮編『黒い報告書』(新潮社)

⑫は目次の項目だけを並べるだけで凄さが垣間見える
1 接吻 接吻と日本の「民主化」
2 ストリップ ヌードからストリップへ
3 ズロース エロチシズムの象徴
4 猟奇 その栄光と残光
5 有閑マダム モダニズムへの憧憬
6 自慰 タブーとしてのオナニー
7 没落 中産階級の女の哀しさ
8 パンパン それ自身が風俗として
9 未亡人 性的人間の象徴
10 貞操 姦通罪の廃止をめぐって
11 姉弟の愛 近親相姦をめぐって
12 エロ その大義名分主義
13 阿部定 性を極限まで押しすすめ……
14 復員兵 戦争の傷痕をせおって

⑬も同じ。以下列挙。
・尼僧二人と逃亡した大僧正の色と欲
・女たちを操縦した偽パイロット
・死期の迫った女性患者の「不倫診断書」
・愛欲のタコ足配線(すばらしすぎる!)
・教師と教え子 愛の連立方程式
・教え子の母親に魅せられた体育教師の激突心中
・絶倫老人達の恋の終着駅
・七十男ジェラシーの柳刃包丁・・・・

●言語・出版関連
⑭『シゴダス』(学研)
⑮アンドレ・バーナード著『まことに残念ですが』(徳間書店)

⑭は使われなくなった言葉=死語を執念深く分類。例えば今使うとその場が凍り付く「白骨語」には「いいとも」「おにゅー」「つっぱり」「なーんちゃって」「のっぽ」「はっする」「はれんち」「ふぃーばー」「んちゃ」などが並ぶ。確かに寒い
⑮今や揺るぎなき名作を受け取った編集者が作者に出した不採用通知だけを集めた本。パール・バック「大地」、フォークナー「サンクチュアリ」、アンネ・フランク「アンネの日記」、メルビル「白鯨」、コナン・ドイル「緋色の研究」、フローベール「ボバリー夫人」、ハーディー「テス」ジョイス「ユリシーズ」、ウエルズ「宇宙戦争」、ホイットマン「草の葉」がボツになっていたなんて(ジョイスはわからなくもないが)信じられる?

●その他
⑯薬害エイズ訴訟の安部英被告に対する東京地裁判決文
究極の討論ともいえる刑事裁判における正反対の意見のせめぎ合いがすさまじいばかりに見え隠れする

【ビデオ・DVD】
①『長崎犯科帳』(キングレコ-ド)
私は1本しかもっていない。平松忠四郎という主人公は長崎奉行ながら「闇奉行」として登場して悪を叩き斬る。萬屋錦之助主演。本物の奉行のくせに闇奉行と名乗る不可解さに加え鯨打ちのモリのようなもので悪人を刺しまくるという想像を絶する展開
②『金日成のパレード』(パレードキネマ社)
ポーランドの記録映画で、いわゆるクソリアリズムの名作。最初から最後まで徹頭徹尾抱腹絶倒兼茫然自失疑いなし
③アニメンタリー『決断』(にっかつビデオ)
私が遅れてきた軍国少年になったきっかけの一つ。太平洋戦争での将官らの「決断」を中心に構成したアニメとドキュメンタリーの融合作。テレビ放映当時から右傾と問題視されビデオも長らく絶版になっていたはずだが何と05年6月に竹書房からDVDとして復活発売

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2005年8月21日 (日)

左か右か

私と私の雑誌は「左」とみなされている。かつて右翼的といわれ今でも旧帝国海軍の戦艦と戦闘機の名前が全部いえる私がねえ。
確かに小誌の広告には左系のものが多い。だが大半は交換広告といってお互いの紹介をし合っているものである。どこが交換して下さって大歓迎で右も左も頼んだが右らしき出版物からは反応がなかった。要は左とみなされたのであろう。結果として左な出で立ちとなった。

本当に「左」ならば隠すことは何もない。堂々と名乗ってやる!でも左からも嫌われている。むろん右などでもない。じゃあ何かって!と問われれば反問する。「右か左じゃないといけないのか」と。

1)「エセ左翼」「背後に何かがある」
旧社会党系の人からはいきなり「エセ左翼」と呼ばわれた。エセも何も最初から左翼の予定はないから「エセ宇宙人」といわれたも同様。でも先方は言い放ってしたりとしている。「機会主義者」と批判した方もいたなあ。オポチュニストというわけだ。左とは右の反対といい右とは左の逆と解説するトートロジストならばともかく元から左や右といった観念を信じていないので日和ると言われても困る。

多分本物の左翼に違いない革マル派に至っては厳しい抗議を突きつけてきた。小誌の連載中に作者の思い込みから間違えた記載があり謝罪せよと迫られたのだ。間違っていた上は謝ったのだが革マル派は作者の「思い込んでいた」「まことに迂闊」「軽率のそしりを免れない」という言葉で納得してくれない。「背後にあるものは何か」と何やら我が社の背後に怖い組織があるがごとくに想像力を巡らす。ないない!そんなのないって革マルさん。
それにしても驚いたのは革マル派が小誌を読んでいた(でないと謝罪要求も来ない)という事実である。自慢じゃないが小誌は1979年に創刊以来30年近くにわたって「幻の雑誌」であり続けている。どこでどうやって手に入れたやら。

2)零細企業経営者は左になれない
そもそも私は零細出版社の経営者である。この時点で左翼にはなり得ないのだ。だって普段から銀行(資本主義の権化)に土下座し取次様(出版界の最高権力)に平伏しているのだよ。社員から外注さんに至るまでの支払額も決して高くはない。もっと払ってあげたいけれどもカネがないのだから仕方がない・・・・という考えこそ資本主義であるそうで仕事に比して小額の報酬しか与えられなかった外注さんは私に搾取されているということになるらしい。だとしたら私は「搾取」し続けなければならない。だってないものはないんだもん。
この構図にはまらない零細経営者がいたら拝みたいほどだ。零細企業経営者は自動的に資本主義の権化というか鬼と化すしかないのである。

3)何をもって左とするか
小誌は創刊以来「弱者・少数者の立場」からの編集を方針として掲げてきた。1994年7月から以前の発行元から発行権を譲渡されて今に至っているが編集方針の維持が雑誌の生命なのはオピニオン誌だろうがエロ本だろうが同じはずだ。「弱者・少数者の立場」とは対象によって違ってくる。ホームレスは社会的弱者であるが彼らのなかでも強弱関係がある。だからどこをとらえて弱者と見なすかといわれれば時々の判断と答えるしかない。ここにオポチュニスト批判の源がある。真の左(何度もいうが私は左でさえないが)たるものは何だか知らんがブレてはいかんそうである。
どうも最近の風潮では「右」でなければ左という力学が働いている気がしてならない。その上でサヨとして叩く。本田靖春さんが『我、拗ね者として生涯を閉ず』に書いているように以前には「ニューライト」とさえされた本田さんが「左と見做されているらしい」という。
小誌の巻頭はたいてい鎌田慧さんだが鎌田さんも「最近は左になっちゃったよ」とおっしゃる。本田さんや鎌田さんが「左」だったら本物の左翼は顔を真っ赤にするはずだ。

「左」の根拠はどうやら憲法9条への立場が大きく作用するとの説がある。鎌田さんのような「護憲」は「左」なそうだ。でも本田さんは「自衛隊を合憲とする」こと自体は「護憲のための改憲論」で述べている。私もほぼ同意見だが本田さんでさえ「賛否いずれの反応も皆無であった」というのだから声望も筆力も取材力も精神力も雲泥の差の低レベルにある私などが訴えても「皆無」なのは仕方がないのかもしれない。

4)執筆した雑誌によって決まる
本田さんが前掲書で推察していた。だがそうなると一応右のカテゴリーに入る新潮社の『フォーサイト』に署名記事を書いたことがある私の位置はどうなる。『記録』でも『週刊新潮』の名物コラム「ヤン・デンマン」がなくなった時に追慕の記事を載せたし『文藝春秋』が言論弾圧を受けた時には応援した。「右」とされる方々にも多く執筆を願った。私自身もう右だ左だという不毛な議論に終止符を打ちたくて仕方がないのだ。
私が信じているのはただ一つ。表現の自由を絶対的に守ることである。右も左も大いに結構。誰もが好き放題論じ合える環境こそ真の民主主義だと信じて疑わない。私は「表現の自由原理主義者」である。

最近気になるのは「右」のなかに表現の自由を抑圧する動きに賛同する論調がある点である。かつてはむしろ「左」の側に感じた「嫌なにおい」を発散している。お互いにそれをやったらお仕舞いでしょう。
冒頭の話題に戻る。私は右か左かと問われれば「下」と答える。薄田泣菫は『茶話』で「貧乏人は何でも知っている」と喝破した。常に無名の立場にありたいと願う。

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2005年8月20日 (土)

隠したニュースの主語を特定

かつて日本の非核三原則の見直しを示唆したとされる「政府首脳」の問題発言があり、その趣旨を福田康夫官房長官(当時)が否定し、さらに福田官房長官自身が「政府首脳」だったことを認めるという出来事があった。このような茶番は国民の知る権利をさまたげる。そこで主な「ニュースの主語」と、それに該当する一般的な役職を一覧にして暴露しておくのでマスコミが妙な主語を使ってきたら、以下のように置き換えてほしい

1)政府首脳
内閣官房長官。首相を「政府首脳」とはいわない。

2)政府筋
たいていは内閣官房副長官。政務と事務の2種類があって複数いるが、担当している分野でだいたい誰かがわかる。場合によっては首相秘書官も。

3)省首脳または内閣府下の庁首脳
省の大臣か庁の長官(国務大臣)。または事務方のトップである事務次官を指す。副大臣は「首脳」とまでは呼ばれていない様子。一部では事務次官の下の審議官を首脳とする場合もある。外務省はそのようだ。

4)省幹部または内閣府下の庁幹部
事務次官の下の局長クラス。副大臣がここに含まれる可能性もある。

5)省筋または内閣府下の庁筋
局長クラスのより下で役職がある官僚。おおむね課長以上。政務官がここに含まれる可能性はあるが実例は少ないようだ。

6)与党首脳
現在の自民・公明でいうならば、自民党総裁=首相は含まれない。自民党3役といわれる幹事長、政務調査会長、総務会長の役職にある者と、公明の党首ないしは幹事長までがおおむね該当する

7)自民党首脳
自民党3役の幹事長、政務調査会長、総務会長。とくに幹事長の発言は代表的な「自民党首脳」として大きく扱われがちである。ただ今の場合は幹事長代理の方をそう扱ってもおかしくない情勢ではある。

8)自民党幹部
だいたい大臣経験のある当選約6回以上のベテラン議員で、党内の部会や派閥、また国会の委員会などでそれなりの発言力がある国会議員を指す。

9)派首脳
自民党の派閥の領袖(トップ)とその次に位置するとみられる人物あたりをさす。派閥は公的な存在ではないので、ややあいまいな扱い。自民党最大派閥の旧橋本派は今では青木幹雄氏が該当するのは間違いない。森派首脳ならば森喜朗氏か福田康夫氏あたり

10)長老
「自民党長老」などという言い方をして現在は派閥を後進に譲った首相経験者に主に用いられる。少し前までは中曽根康弘氏や宮沢喜一氏が該当したが橋本龍太郎氏が今度の総選挙で事実上引退するので「自民党長老」のなかで現職続行の可能性があるのは海部俊樹氏だけとなったが海部氏とみられる「長老」記事を読んだことがないのは何やらお気の毒。ちなみに森喜朗氏は前述のように「森派首脳」の方を優先する。

11)消息筋
「アメリカの消息筋」といえばたいてい在米日本大使館で他の国も同じ。他の消息筋とわけるために「信頼できる・・・・」という言葉をかぶせることもある。

こうした区分は、取材記者が記者会見とは異なる非公式の「懇談」で、オフレコを条件に聞いた場合に用いられる。冒頭に紹介したの出来事も記者は自分が聞いているのだから、福田官房長官=政府首脳であることは百も承知なのにぼかし続け、結果として奇妙な報道になったので、官房長官に「あなたが政府首脳ですか」と質問して、福田氏が認めるという茶番劇をやってのけた。
こういうことがあると「オフレコでは公式の記者会見で聞けない情報を聞き出せるので、国民の知る権利を結果的に擁護しているから仕方がない」という反論が必ずあるがごまかしだ。本当に知る権利を擁護したいのならば、記者会見そのもので聞き出す技術を記者が磨けばいい。

ところでこの「政府首脳」問題に関し、小泉首相が「政府首脳って誰? 私はそんなことは言ってない。首脳と言うのは首相でしょ。誤報じゃないの」と述べたという報道があったのは興味深い。「官房長官=政府首脳」という駆け出し記者でも知っていることを、国会議員歴が長い首相が知らないはずがない。ということは「首脳と言うのは首相でしょ」という発言には、「福田官房長官を私は政府首脳とは思っていない」という意図が含まれていると解釈することが可能である。小泉-福田間には微妙な不和ないしはすきま風があると想像できる。そういえば今回の政局に不気味なほど福田は出てこない。

ただし変人首相だ。もしかしたら「首脳と言うのは首相でしょ」は本気で「駆け出し記者でも知っていること」さえ知らない可能性もあるからこの人は怖い。いまだに「小泉にオフレコなし」だそうだ。「オフレコでは公式の記者会見で聞けない情報を聞き出せる」も何もオフレコがないそうである。これもすべてを明らかにしている新時代の情報開示型首相と評価できる半面でオフレコで話す内容さえない中身のない首相である危険も捨てきれないからやっかいだ。やっかいな首相を我らはかついでいるのだ。

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2005年8月19日 (金)

電話での「うまい話」勧誘

不景気がいつまでも続き、中小・零細企業が資金繰りに困ったり倒産するのは当たり前という時代。厚生労働省のまとめによると1998年から年間の自殺者数が3万人を超えている。
ところが追いつめられていく人がいる一方で、それらの人を標的としたハゲタカがいる。彼らはうまい話を持ってきて、ワラにもすがりたい人にワラ以上にみせかけ、結果的にさらにその人を追いつめる。
零細企業経営主の私が経験した「うまい話」の主な特長は以下の通り。

1)「社長いますか」と電話をかけてくる
「金を貸す」系の電話に多く、なかには社長の苗字までていねいにつけてくる。大会社の本社にいきなり電話して「社長いますか」と聞く金融業者はきっといないから彼らの手元には

・社長自らが電話口に出てくるほど零細である
・社長自らが金策にかけまわっているほど零細である

に該当する会社という名簿があり、そこにわが社もありがたくも掲載されているに違いない。
残念ながら私のところはその通りの会社だ。そこから借りるか借りないかは相手が法を順守した条件を出している限りは自己責任だが弱みにつけ込んだような商法であるのも事実だ。

2)個人名でかけてくる
毎日新聞にいた頃に通信部に電話して面白いことを発見した。通信部とは地域に置かれている取材拠点兼社宅で、たいてい記者1人とその家族が住んでいる。そこにかけると記者がいないときには子どもが出て「はい、毎日新聞です」と答えた。なんてかわいそうなんだろう。この子は自宅にいながら、自分の苗字で電話に出られないのだ・・・・と。
個人名でかけてくるというのはその反対で会社名を名乗らず、個人の名前でかけてくる。会社名を聞かれるとたちまち切られてしまうからだ。名乗れない名前を掲げる会社はむろん信用できない。

3)必ず値上がりします
先物など金融派生商品に目立つ方法。トウモロコシなどの市況を挙げ、昨年の実績などを示しつつ「必ず値上がりします」と胸を張る。おいおい、農業に「必ず」があれば徳川幕府はつぶれなかったのだよ。たいていは不都合なデータを切り捨てて都合のいいデータだけを並べる。良心的な先物を扱う会社は、総合的なデータをきちんと提供してくれるし、「必ず」とはいわない。

4)今が底値です
不動産売買で目立つ方法。「必ず値上がりします」の親戚だが、「底値」の方は真剣に分析して本気で提案してくれる良心的な会社も数多くあるだけに悪徳組を見分けるのは難しい。ここ10年間、土地は一部を除いて下落してきたにもかかわらず、同じような物件を毎年「今が底値です」と訴えていたらあやしい。

5)選ばれた人です
いまにも倒産寸前で、金が足りないに違いないという会社だけを「選んだ」というならばわかるが、彼らの口調は全然逆で、なかには「これから伸びるごく少数の会社だけを小社の独自のシステムを使ってリサーチし・・・・」などと密やかな口調で迫ってくる。いわゆる「M資金」といわれる手法の中小・零細企業版。
「選ばれた」と聞くと、私などは「うそいえ。私が経営しているうちはわが社が伸びるわけがない」と切り返したくなるが、そこをがまんしていると。少数を選んだにしてはパンフレットが妙に立派。私はこれでも出版の世界にいるので、パンフの作りをみれば、どの程度のお金をかけてどの程度刷ったか想像がつく。で間違いなくお金もかけて大量に印刷したものなのだ。「選ばれた人」用に大量のパンフはいらない。

それにしても、私の会社がある神田神保町は、私と同業の出版関係者が多いのだから、あんな立派なパンフレットを使ったら同様に見抜かれるだろうにと不思議に思って知り合いの印刷会社の社員に聞くと、彼は「そうでしょう?」とニヤリと笑って、「だからね。最近はわざと手書きっぽくしたり、少部数しか刷っていないように見せかける印刷をしてほしいとの要望があるようですよ」と続けた。思わず「そんな商売を君のところはやってるの?」と聞きそうになって止めた。知らぬが仏。

6)金(GOLD)が買い時です
円もドルも株も土地も信用ならない。だからこそ金だと。金の売買そのものは正当な商売だが日本の金はドル建て。つまり支払いはドルと決まっていて円に換算した数字で買うから円、つまり日本で住むことを前提とした資産形成をめざしているならば、円とドルとの為替レートが常に価格に反映されるので、「円もドルも信用できないから金だ」というのは「妻も子どもも信用できないから家族だ」というに等しい根本的な間違い。少なくとも為替リスクを熟知した人でないと扱いにくい商品のはずだ。

7)あなたを信用しなくて無担保で貸せると思いますか
これはかなりの高等戦術。倒産してしまえば貸した金は返ってこない。にもかかわらず担保なしで貸すのだから信用している証拠だという論法である。わが社に限っていえば、私を信用した時点で相手が信用できないので論外ですが、他の多くのまともな人間はひょっとしてこのトークを信じるかもしれない。

この論理はいわばババ抜きの論理。仮に利息15%で100万円貸すとする。A社は100万円貸して115万円の回収。借りた会社に返す力がなければB社から115万円を借りてA社に返す。B社の利息も15%だから期限までに133万円をC社から・・・・という具合に借金は雪だるまのようにふくれ上がりH社でついに借り手が破産してしまったとしたら、H社はババをつかんだわけで大損だが、A社からG社まではもうかる。
したがって「私はH社にならない」というノウハウがある、ないしはノウハウがあると信じ込んでいる会社は果敢に?無担保で貸してくる。

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2005年8月18日 (木)

『ちびくろ・さんぼ』と『ブラック・ジャック』

1988年に絶版となった岩波書店版の『ちびくろ・さんぼ』が瑞雲社から復刊された。『文藝春秋』05年6月号に「『ちびくろ・さんぼ』が帰ってきた」と題して井上富雄瑞雲社社長が経緯を説明している。その説明によると岩波の絶版理由は「登場人物の名称が差別的」であり井上氏らの調べによると作中の「さんぼ」「まんぼ」「じゃんぼ」などの人物名は舞台である北インドやチベットではよくあるもので肯定的な意味を持っているという。またイラストの「インド人にしては顔が黒すぎる」という指摘も「大胆な色使いでデザイン化されている・・・・ともいえる」との解釈を示す。
井上氏は「イギリス人がインド人をモデルにして書いた絵本が、世紀を超えて読まれたことで、現代アメリカにおけるアフリカ系黒人の解放運動に関連づけられてしまったきらいはあるだろう」と類推し「一日も早く人種差別はなくなってほしい」と吐露する。絶版から17年で「社会状況も成熟したのではないか」と観測もする。

確かに当を得た主張である。出版界の人間にとって絶版は仮に売れ行き不振が理由であっても断腸の思いだから支持されている作品の絶版はあってはならないし復刊しようとする出版人には拍手を送るべきだろう。

だが岩波版『ちびくろ・さんぼ』の絶版にはそれこそ未「成熟」な「社会状況」があったのも事実だ。井上氏は「ある団体」による抗議が絶版につながったと書いているが「ある団体」とは「黒人差別をなくす会」である。同会結成の中心人物の有田利二副会長には小誌1996年5月号に「気づいていない差別」と題する文章を寄せてもらった。

それによると有田氏は88年7月22付『ワシントン・ポスト』の“Old Black Stereotypes Find New Lives in Japan”の見出し記事で日本で多くの人種差別的な商品が売買されていることを知って家族で該当するような商品を探してみたところ「わずか2・3日で百数十点も集まった」という。主に4つのグループに類型化でき、いずれも「黒人をステレオタイプ化して商品製造している」と分析する。そしてそうしたステレオタイプの共通の名称として「土人」「黒んぼ」「サンボ」があったという。

ここは言語学者でない私にはわからないところだ。しかし井上氏の分析も有田氏の調査もどちらも正しい可能性がある。つまり「サンボ」「さんぼ」は井上氏のいう通りだったとしても当時は同時に黒人をさげすむ言葉としても使われていたということだ。

有田氏の小誌での文章によると日本人は「欧米の白人中心文化を学んできた」際に「黒人差別の中身と態度をも吸収し」てしまった。「黒人差別をなくす会」結成は「偏見と差別の問題に気づいたときに」「気づいていない人達に伝え、共に現実を改善していく姿勢」を重視したからだという。『ちびくろ・さんぼ』への抗議もこの一環だった。
すると問題なのは井上氏が「抗議に、当時、編集に携わった人々に相談することなくわずか四日間で絶版を決めた」と指摘する岩波経営陣の姿勢だ。先述のように「どちらも正しい可能性がある」かどうかは『広辞苑』が作れる岩波ならば審査できたはずだ。井上氏の指摘通りだとしたら岩波は編集権の侵害という出版社がやってはならぬことをしたことになる。
ただ有田氏も指摘しているように『ちびくろ・さんぼ』はともかく当時まぎれもなく差別的としかいいようのない商品や商標が他に露出していたのは事実だから冷静な審査をしているつもりでも時を費やすうちに「差別だ」との声が爆発するおそれはあったであろう。

となると果たして井上氏のいうように17年で「社会状況も成熟した」かが問題となる。有田氏は「いまなお問題」として「マンガによる黒人差別」を挙げた。例えば手塚治虫作品には「驚くほど多くの黒人差別表現が含まれている」と指摘した。
最近になって手塚の代表作『ブラック・ジャック』がアニメ化されたり最近の作家によってリメイクされたりしている。私も実はこの「黒人差別表現」も含む差別表現一般が気になって秋田書店版の『ブラック・ジャック』単行本の初版(最初は「恐怖コミックス」と銘打たれていた)と講談社版の全集を読み比べてみた。すると秋田版初版にあって全集にないものや表記が書き換えられているものが多数みつかった。

さてこの行為はどう判断すべきか。文芸で名作とされている作品には今日では不快・差別用語とされている言葉も多数使われているが書き換えはしないのが原則だ。手塚が確信的な、ないしは無意識でも差別主義者であったならば書き換えや不掲載はやむを得ないという判断もあろう。だが手塚をそう評する者はごくわずかである。否、仮に差別主義者であったとしても作品は作品だという判断もできよう。正反対に真から差別を手塚が憎んでいた人だと証明されたとしても不快・差別用語は許すべきではないとの反論もできる。
私見では手塚の醸し出すヒューマニズムは安易で好きではない。そこが安易だから用語に意を払いきれなかったのではないか。また当時の彼の殺人的なスケジュールが検討を甘くさせたのかもしれない。今では美談にさえなっている編集者とのやりとりも「取って出し」では校閲の間もなかったに違いない。

井上氏の文章の最後に「よく議論もなされないままに『言葉狩り』が行われ」ることこそやはり最大の問題だ。むろんそれ以前に差別肯定論の撲滅があるのはいうまでもない。議論を尽くすしかない。

この問題は小誌に連載中で既に2冊を単行本化している『ホームレス自らを語る』でも散々悩んだ。中心はホームレスへの聞き書きなのだが彼らの口から出る不快・差別用語をどう扱うかだ。あえて書くと「以前は土方をしていて・・・・」を「以前は建設作業員をしていて・・・・」と書き換えると言葉の力を失うのだ。このことについては機会をみてまた論じてみたい

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2005年8月17日 (水)

「負けた」がすべてに優先する

8月15日、小誌は24時間靖国神社張り込みの愚挙を敢行した。午前0時から4時頃までは人影なし。4時前後に小誌以外に最初に来たメディアは桜テレビ(さすが)。それから幾山河ありまして雷鳴とともに終了。詳細は小誌で発表する。当ブログの読者諸賢には申し訳ないながら有料購読者を優先せねばならないので波瀾万丈の内容公開はしばしお待ちを。

さて。その終戦記念日をはさんで様々なメディアが主に日中や日韓に横たわる諸問題について取り上げている。だがすべて空しい。結論はどう考えても以下のようなことにしかなり得ない。

1)日清・日露戦争から1945年8月15日までの断続的な戦争は自衛戦争であったと同時に侵略戦争だった
帝国主義全盛期において日本が生き残るために必要だと信じて行った戦争だから自衛目的だったとはいえる。しかし攻めてこられた側には侵略でしかあり得ない。

2)1910年から45年までの韓国併合はすべて日本の極悪非道ばかりでなかったに決まっているがコリアンにとっては屈辱以外の何物でもなかった
日露開戦前夜はロシアの勢力が朝鮮半島を覆おうとしていた。これは当時の日本の戦略の根幹を揺るがす。だから乾坤一擲の勝負をしてロシアを退けて他の欧米列強と話をつけて併合にこぎ着けた。だがこの背景はコリアンにとっては関係ない。強盗同士の決闘で勝った側が強盗に入ってきたとしか思えない。

3)教科書問題は国内問題であると同時に国際問題である
4)靖国神社参拝問題は国内問題であると同時に国際問題である
だって中国や韓国が「問題だ」と言ってきた時点で論理はどうあれ国際問題になる

5)極東軍事裁判は不当であると同時に正当である
不当な点は多々あるがやらずに済ませられはしなかった。

6)主に日中戦争で中国国民に多大な被害を与えたのは反省すべきであるが反省は被害者が許してくれない限り果たせない
殺人事件の被害者遺族の多くは加害者が「心から反省」を何度表明しても反省を信じない。許されるのは死んだ人を生き返らせるか加害者が自殺してみせるかである。前者はできようもなく後者はいわば日本国を解散して領土を中韓に差し上げるに等しいがこれまたできっこない

要するに論点とされている1つ1つはどちらもそれなりの正当性があるのだから一方向に決められない。こういうことを書くと両方の陣営から批判されるか無視されるかで損なのだがそうなんだから仕方ない。

ただ一つだけはっきりしていることがある。それは先の大戦で日本が負けたという事実だ。負けた国が何をいっても無駄なことは戦勝国の経験もある日本人は知っていたはずだ。
国家の役割は「国民の生命と財産を守る」である。戦争とは「国民の生命と財産を犠牲にして国民の生命と財産を守る」という非常に矛盾した営みだ。だからこそ勝たねばならない。

この際「戦争は悪だ」という概念をあえて捨てて考える。先の大戦のうち満州事変からタンクー停戦協定まではまだ一貫性がある。だが日中戦争と太平洋戦争は勝算があっての作戦とは到底思えない。当時の指導者は「国民の生命と財産を犠牲にして国民の生命と財産を守る」どころか「国民の生命と財産を犠牲にして亡国の憂き目を国民に味合わせた」のだ。誰が何といったってボロ負けしたのは事実で指導者は万死に値する。特に東条英機の責任は断じて免れ得ない。あるいは政治的責任は東条より近衛文麿の方が大きいとも分析できる。
私が不思議でならないのは亡国を導いたダメダメ指導者に激怒する国民が意外なほど少ない点である。現在の中韓の主張を仮に不当だとしよう。だが戦後60年経ってもそうした主張がなされるのは負け戦を主導した者達の責任だ。極東軍事裁判の不当性を訴える声には了解できる点も多々ある。だが「誰も悪くなかった」はずはない。負け戦の責任が誰にもないなどという論理はありえない。「一億総懺悔」という発想もわからなくないがそれを認めれば未来永劫日本人は「一億総懺悔」し続けなければならない。

私が子どもの頃の教育は総じて「一億総懺悔」的であって強烈な不快感を覚えた。私の祖父は懺悔する立場にない。愚かな指導者によって駆り出されて殺されたのだ。先生に食ってかかる私は「右翼的」とみなされた。一方で戦前の軍歌を大音量で流している連中も大嫌いだった。そんな風潮の末に我らは負けたんだぞ。負けた時のスタイルを真似て粋がっているセンスが理解できない。先の大戦を欧米からのアジア解放戦争だったとか朝鮮への植民地支配にもいいところがあったということを唱える人にも違和感がある。そうだったか否かではなく仮にそうだったとしてもミジメな敗北によって何もかもチャラになってしまった方がずっと問題だということだ。

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2005年8月16日 (火)

写研書体が使いたい!

新聞と出版では出力のシステムが全然違う。私が毎日新聞に入社した頃は杉山隆の『メディアの興亡』が話題になっていて活字がCTS(コールドタイプシステム)に変わる過程だった。毎日ではまだ活字が生きていて円盤を作っていた。いずれにせよ独自の書体を持っていて組版から印刷まで自社で行うのが大新聞の基本だった。

出版に転じてまず驚いたのはデザインから製本までは基本的に外注という点だ。すでに活版は写真植字(写植)に変わっていて新聞社よりも素早かった。平成に入った頃から電算写植が普及して手書き原稿にデザイナーの指定紙を添えて写植屋さんに入稿するのが編集部でワープロ専用機で原稿を電算化して入稿するようになった。そのために編集部にワープロ専用機が導入されてブーブーと編集部員が言うので編集長が掛け合ってくれて打ち込みの派遣さんを雇ってくれたりした。

しかしその段階でも写植の地位は揺るぎなかった。その王様が株式会社写研の書体だった。写研は書体のみならず原稿やレイアウトの指定方法や級数(Q)や歯送り(H)などの組版の単位もまた写研の写植機に適応できるように統一した。編集部はレイアウトこそデザイナーに任せればよかったものの送り、アキ、大きさの作法がわからなければ作業はできず熟練が要求された。

しかし何よりも苦労したのは多種多様な書体を把握することだった。書体にはそれぞれ「石井太明朝」「ナカフリー」「ゴナDB」「ナール」などと名前が付いているがデザイナーの指定はコード名で示される。散々使った「ゴナDB」ならばDBNAGとなる。MM-OKLと指定すると「中太明朝でオールドスタイルの大カナ」を示す。そうした記号が読み解けて主要な書体はイメージできるようでないとバカにされた。最初の頃は意味不明の言葉が行き交うなかで見本帳を手に必死で覚えた。

そこまでして写研の書体を使ったのは実に実にすぐれていたからだ。写研の技術者は芸術家であった。日本語を飾りにする名人の集団だった。ゴナDB、イノフリー、ナール・・・・。文字の並びや一つ一つの文字の完成度などで他の追随を許さなかった。あえていえばモリサワがライバルだったが基本的に写研で作ってモリサワはタイトル文字で遊びに使うといった補助的な要素が特に雑誌では強かった。私はナカミンダとかキッラミンといった奇抜な書体を好んでいて時折怒られた。
写研の技術者はきっと遊ぶようにして書体を次々と考案したんだろうな。見本帳が更新されるたびに楽しみで大日本印刷や図書印刷の営業の人に更新があるごとにせがんだ。

DTPがMacintoshのコンピュータ上で主にQuarkXpressというレイアウトソフトで行えるようになったのも電算写植の普及時に重なるが本格化したのは90年代前半だった。電算写植普及からほんの2・3年遅れで、しかしいったん登場したら信じられないほどのスピードで一挙に出版界を席巻する。レイアウト-入稿-写植打ち-修正までを会社にある1台のパソコン上でできるから便利この上ない。だがこの神速ともいうべき普及速度が写研時代を一気に終わらせることにつながった。
DTPはコスト上の優位さももちろんあるが何といってもデザイナーさん、写植屋さん、印刷屋さんとの行ったり来たりをしなくて済む便利さが大きい。E-MAILによるデータのやり取りがこれを加速させる。

だが写研は動かなかった。写植機は電算にせよ手動機にせよ大変高価である。しかも前述のようにがんじがらめの独自仕様だ。しかも原則として書体使用料金をリース払いにしなければならない。だから写植屋さんはリース代を上回る受注をしなければならないがDTPに写研は対応しないから一部のこだわり派を除いて続々と撤退せざるを得なくなる。
反転攻勢をかけてきたのがモリサワだ。初期のDTPは書体にろくなものがないために商業印刷にはためらわれたがモリサワは写植時代にすでに「写研の次」の地位があった。そこで人気書体を中心に次々とDTPフォントとして売り出したのだ。値段が高いのには閉口したが(今もそう)モリサワならば読者に届けても恥ずかしくはない。今やリュウミンやじゅんといったモリサワ書体を持たない出版社はないであろう。

でも本当は写研を使いたいのだ。本心ではリュウミンやじゅんではなくて写研のあれやこれが使いたいという思いは現在30代後半以上で写研全盛を知っている出版界の人には多数いるに違いない。だってレベルがずば抜けているんだもの。
株式会社写研はホームページすら持たない。過剰適応という言葉があるが一時代を築いた勢力はそれゆえに次の時代には残れないということもあろう。だがこのままでは写研の文化財とさえいっていい書体はすべて消えてしまう。現に若い編集者やデザイナーはもう知らない。味もそっけもない(あえてそう言う)書体が当然となっている。
仮想フォントでどうこうという裏技でなくDTP時代に正しく適応した形で写研書体が使えるようになることを切に願う。写研の関係者に是非お願いしたい。どうしても無理だろうか。何が無理なのか。教えてほしい。

写研の書体見本帳は「愛のあるユニークで豊かな書体」の言葉でさまざまな書体を示していた。その通りで「愛のあるユニークで豊かな書体」に私は飢えている。

この記事に関する株式会社モリサワ様からの反響についてはhttp://gekkankiroku.cocolog-nifty.com/edit/2007/06/post_834d.htmlにて紹介しています

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2005年8月15日 (月)

Gwen Stefaniは今後もソロか

昨年10月にリリースしたGwen Stefani初のソロアルバム『Love Angel Mmsic Baby』が好調に売れている。彼女は言うまでもなくNo Doubtのボーカリストだがソロアルバムの成功によって独り立ちしてしまうのか。それともあくまでもNo Doubtの一員に戻るのか。

有名バンドのボーカリストがソロを出す場合にはしばしばバンドの他の有力者によって制約されている音楽性を爆発させる。『Love Angel Mmsic Baby』もこの傾向が強くて早い話が「イッちゃっている」のだ。
1985年にリリースされた2人の超大物バンドの超有名ボーカリストの初ソロアルバムを思い出した。Rolling StornsのMick Jaggerの『She's The Boss』とQUEENのFredie Mercuryの『Mr Bad Guy』である。それぞれJust Another Night、I Was Born To Love Youというヒット曲も生まれたが、これを機にバンドから独立したわけではない。I Was Born To Love Youなど今では「QUEENのヒット曲」みたいに思われている。
Just Another NightやI Was Born To Love Youを聴き、PVを見てつくづく感じたのは「やりたいようにイッちゃいたい」という暴走にも似た欲求であった。バンド内でも好き放題に振る舞っているようで案外と我慢していたんだなあと妙に感心するほどムチャなはじけ方だった。FredieのPVなど前半はドリフの舞台装置のようなところでたくさんの部屋中で女性を追いかけて後半はヒトラーが大群衆に演説しているような場面が写り込んでいた。

Gwenの場合も似たように爆発していて「私はこんなことまでできるのよ」の大自慢大会のようなアルバムだ。ヒット曲Hollaback Girl(タイトルの翻訳からして不可能)のPVもFredieのそれに劣らぬ無茶苦茶な自己顕示欲の噴火状態で「分かった分かった」の連続である。英文の詩を写研のENAのような書体で紹介していて格好いいけど読みにくい。まるでシェイクスピアのクオート版だ。
ただし『Love Angel Mmsic Baby』はアルバムとしてMickやFredieに比べてはるかに完成度が高い点が大きく異なる。兄貴が死んだり失恋したりで知らぬ間にNo Doubtのワンマン(ワンウーマン?)的存在にのし上がった以上は「バンド内遠慮」がさほどなくて計画的にソロアルバムをきっかけに独立を果たそうとしているようにも思える。「バンド内遠慮があった」ような発言をしているので余計に怪しい。FredieにはBrian Mayのジャラジャラギターが、MickにはKeith Richardsの割り切りギターが、それぞれ不可欠なんですよといわれるのが多分一番嫌であるだろうから口には出さない。

計画的独立のためのソロといえばPoliceのStingの『The Dream Of Blue Turtles』が思い浮かぶ。そういえばこれも85年か。『Love Angel Mmsic Baby』のメロディが80年代を意識していることを考え合わせると意味深長といえなくもない。

Gwenは大好きなのでソロで成功してもらいたい気もする。あんな女性が彼女だったら3日ぐらいで全精力を吸い取られて死ねそうだ。ただ女優の方に行こうとするのは止めてほしいな。Cyndi Lauperみたいにこける姿はむろん見たくないがMADONNAのようにラジー賞の常連になるのもどうかと思う。

ところで男性が構成の中心になっている有名バンドの女性ボーカリストでソロとしても大活躍した例って意外と少なくないか?「女帝」といえばJefferson AirplaneのGrace Slick が頭に浮かぶがバンド名がJefferson Starship、Starshipと変わると同時に音楽性も同じバンドとは思えないほど変わった。Graceはソロも出したが大ブレークとはいかなかった。「これが典型的成功例だ」という人を知っていたら誰か教えて下さい。

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2005年8月14日 (日)

8月15日までの中国戦線

一般に「先の大戦」の主舞台だった中国での出来事は伝えられていない。
「先の大戦」は

・1931年9月の柳条湖事件に発して33年5月のタンクー停戦協定に至るまでの「満州事変」
・1937年7月の盧溝橋事件に始まる「日中戦争」
・1941年12月の真珠湾攻撃からスタートの米英相手の「太平洋戦争」

に一応分類できる。ただしタンクー停戦協定から盧溝橋事件の間も単なる「停戦」の域を越えず「満州国」建国やら華北工作やら日中間の険悪なムードは持続していた。日中戦争と太平洋戦争は敗戦の1945年8月で終了とみなしていいので中国とは文字通り「十五年戦争」をやっていたと解釈していい。

この間に起きた出来事は何故か南京事件だけが突出して扱われる。後は45年8月9日のソ連軍の侵攻だ。前者は以前は日本の残虐行為の象徴であったが現在では「大虐殺」がどの程度だったかという論争に変わってきた。後者はソ連の不法(日ソ中立条約の破棄)を唱える者の根拠だった。
どちらも大切だ。だが「十五年戦争」を見渡した時にそれと同等以上の衝突や謀略、攻撃は多々ある。以下のような項目である。

1)田中メモランダム
2)西安事件の疑問
3)第二次上海事変と南京事件の経緯
4)盧溝橋での一発目は誰が放ったか
5)関東軍特種演習の本当の目的
6)重慶爆撃の全容
7)汪兆銘の真意

これらの項目は少しは知っていないと「先の大戦」の中国戦線はほとんど理解できないはずだが大半はまったく知られてないことが小誌の調べでわかっている。これは「先の大戦」の解釈の方向性がどちらであっても必要なはずだ。
一方で「識者」は十分に知っていて論じるが数は稀だ。両者のギャップは途方もなく大きい。「太平洋戦争」に比べると数段大きな差である。

小社から『8月15日からの戦争』を出版した今冨昭氏は終戦の5日後に中国で自爆した元陸軍少尉の兄の形跡を40年訪ね続けた。編集していて「なるほど」と思った部分がいくつかある。

1)中国戦線での戦死者の遺族は死に場所などにおそろしく無頓着
実は私の祖父も中国戦線で戦死したのだが母(つまり祖父の子)も「中国で死んだ」しか知らない。今冨氏も兄や姉に自爆した少尉の兄の自爆した場所を聞いたがわからず「どうして知らないままですごしてこられたのか不思議であった」の記す。
ここは靖国神社の意味と密接に関連してくる。どこでどのように死ぬのか形跡さえわからない可能性がある戦地に赴いたからこそ「靖国で会う」という虚構が現実味を帯びているとは考えられないか

2)「勝利か死か」しかない罪作りな選択肢
今冨氏の分析によると当時の出征は

・勝って死ぬ
・勝って生き残る

しかなくて

・負けて死ぬ
・負けて生きる
という選択は最初から排除されていた。敗色が濃厚になった頃には「勝って生き残る」可能性は限りなく低く「勝って死ぬ」しか残らなかった。厳密には死ねば勝ったかどうかはわからなくなる。
したがって敗色が深めれば死ぬしか選択肢がなく出征した本人も家族も死ぬことが当然となる。となれば死に場所などの細かいことは文字通り些事になる。おそろしいことだ。
8月15日の昭和天皇による敗北認定は「勝って死ぬ」しかなかった価値観にいきなり「負けて生きる」という正反対の選択肢を与えた。今冨氏の兄はそれに逆らって自爆するが多くの戦友は「負けて生きる」を選ぶ。人間として当然だが戦友は今でも今冨氏の兄にいくばくかの呵責の念を持つという。
戦時指導者の最も罪作りな点は負けるという選択を最初から除外して勝負を挑んだ点であろう。それは要所要所に錯誤を生み出し生命を究極まで軽んじる退廃を作り出した。

3)特攻は「自爆テロ」とは違う
今冨氏の兄は特別攻撃(特攻)を行う予定だった。自らの命を引き替えに敵に一撃を与える戦法である。ポイントはそれはあくまでも戦術だという点だ。だから特攻をやり遂げるために訓練も入念に行った。軍事作戦である以上は狙いは敵軍だった。
命を捨てて攻撃するという戦法を強いたのもまた戦時指導者のとんでもない誤りではある。ただあえてそこを外して考えれば戦闘行為の一環としての戦術であって民間人を巻き込んでの昨今の自爆テロとは思想が根本的に異なるとわかる。

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2005年8月13日 (土)

Kelly Clarksonとロック40年史

Avril_LavigneやHilary Duffといったガンガンロックする若手女性ボーカリストが続々登場の米国ポップス界だがKelly Clarksonのセカンドアルバム“Breakaway”には心底驚いた。
Kellyといえばオーディション番組『アメリカン・アイドル』初代優勝者のアイドルというイメージが強くてファーストもブルース色を織り込んだ歌自体はうまいけれども商業っぽいなと感じていた。
ちなみに『アメリカン・アイドル』は日本でいうならば「モーニング娘。」を生んだ「ASAYAN」みたいなもの。もっとも娘。は平家みちよに敗れた残党の寄せ集めであったが・・・

ところがアイドル然としたイメージは“Breakaway”で全面的に覆される。HeartのAnn WilsonとJanis Joplinを足し合わせたような本格派に変容していた。もっともこのことはライナーノーツにも書いてあったが写したわけではない。誰だって思い浮かぶはずだ。さらにBruce Springsteenを女性にしたような一種のすごみと暗さを加えたといってわかるかどうか。
1982年4月生まれというから23歳と私よりも20歳も若い。子どもの世代なのだがむしろ私の子どもの頃に爆発的に人気があった人達を想起させる。そういえばHeartも出てきた頃はLed Zeppelin女性版と言われていた。あのころの音楽が23歳によって歌われている。しかもほぼ完璧に。

唯一違うのは当然のことながらスタイルやルックスがすっごく可愛いこと。Ann WilsonやJanis Joplinには教祖とかカリスマという言葉は向いていてもアイドルとは言いにくい。今の20代はかつての私がそうだったようにそれが当然として聞いていて違和感もなかろうが40代から眺めると「そんな可愛い顔で何でそんな声が出るの」と不思議になってしまう。Hilary Duffにもそれはいえなくもないが“Breakaway”の出来はその落差を感じずにはいられない。

ただ意図的な演出ではないかとの疑念は残る。アルバムにあるSINCE U BEEN GONEという曲からHeartを、MISS INDEPENDENTのライブバージョンのエンディング部分(国内版のみ)にJanisを連想するなという方が無理だ。しかし「Janisをパクる」という行為自体が超人的な能力を有するので演出であったとしても価値を減じるものではあるまい。やってのけた方が偉いのである。そういえばどちらもテキサス出身なんですね。

それにしても・・・・と考える。リスナーの実年齢とミュージシャンの実年齢の関連はいったいどういう関係でとらえればいいのか。私はKelly Clarksonでさえ20歳年下の女の子という感覚が持てない。Gwen Stefaniだって7つ年下だが何やらお姉様のような気がする。
ただしルックスは全然別。自らと比較しても20以上年下に見える。視覚と歌声の落差が今回のテーマである。
逆に約20歳年上のJanis Joplinがうんと年上だと歌声では感じなかった一方で彼女の生きた映像をみているとその最高齢が27歳(この年齢で死亡)であったということもまた信じられない。もっとずっと年上だと感じていた。いまだにそうだ。上とも感じず下とも思えないという不思議な感触。年齢を超越した何かが歌声にはあるのだろうか。

余談になるが“Breakaway”を聞いて宇多田ヒカルが何故全米デビューに失敗したか深ーく理解できたような気もした。もともとネイティブ並の英語力を持つ宇多田ゆえにネイティブそのものの世界で勝負すること自体がハンディではないかとの逆説を抱いていたが問題はそんな些事を大きく超えている

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2005年8月12日 (金)

さらばニフティサーブ

2006年4月に1987年から続いていた商用パソコン通信「ニフティサーブ」が終了する。1995年の阪神大震災では新型の情報通信として有名を馳せE-MAILやチャット、データベース検索、オフ会などの先達だった。90年からのユーザであった私も感慨深い。どんなものであったのか止めておこう。

1)会員が名乗り合っての情報交換
インターネットと根本的に違うのはニフティサーブの多くは任意とはいえ実名ないしはハンドル名で会員登録をして必要ならば会員検索もできた点だ。ネットのプロバイダは原則つなぐだけの仕事だがニフティサーブはそれ自体が会員制の巨大なホームページだったといっていい。
会員検索はすでに02年 7月に終了している。個人情報保護などの成り行きであろう。逆にいうとそれまでは名乗り合った上でのパソコン通信上のやりとりに一種の安心感があったんだね。

2)電子メールの創始者
現在ではE-MAILで通っている「電子メール」のやりとりがニフティサーブ会員内でできた。ただ当時は従量制で課金され電話通話料に加えて1分10円の通信料がかかった(95年時点)。小誌1995年6月号特集での試算では10人にメールを送った場合の料金は140円。相手IDの打ち込み(これが必要だったのだ)を1人20秒と仮定しての試算だ。今考えると高いのだが当時はどんな遠隔地でも最寄りのアクセスポイントつまり3分10円の電話料金で済むというのが大いなる魅力だった。
ポケットベル(これも懐かしい)への電子メール着信通知サービスも当時は信じられないほど便利になったと感動したものだ。

3)チャットの元祖
フォーラム/ステーションが05年 3月に終了した際には皆が懐かしんでリアルタイム会議に参加したなあ。
「フォーラム」とはそのなかに掲示板あり自己紹介あり役立ちソフトのライブラリありと趣味や興味に応じた楽しい広場だった。参加の最初にハンドル名を登録すればOK。ただしフォーラムによっては審査もあった。シスオペという管理人もいて秩序が維持されていた。
そのフォーラムのサービスの目玉が「リアルタイム会議」で現在のチャットのようにあらゆる地域の人が同時に会話できるのが当時すごく新しかった。上へ上へとスクロールするのが今のチャットと大きく異なっていて会議から中座する時は「ちょっと落ちます」とあいさつするのが礼儀だった。

これとは別にCBシミュレーターという会員全員を対象にした今でいうチャットがあった。CBとは「市民無線」が語源であり無線やトランシーバを先駆とした時代の名残を感じさせる言葉だ。ちなみに無線は80年代までは新聞社でも主要な通信手段で「毎日一号から毎日ハンディ。感度ありますか。どうぞ」なんてやっていた。
自分が参加する会議室は「チャンネル」といって何人いるかなどがわかった。特定の人にささやいたりするい機能もあって好みの異性にささやいて無視されたなんて経験の持ち主も多くいよう。

4)電子マネーの先駆者
「アクセスギフト」というサービスがあった。これも05年3月にサービスを終了した。使用権などの贈呈や受領ができるサービスでシェアウェアの決済などに便利だった。今の電子マネーの先駆けといえよう

5)高かったけど便利だった検索機能
とくに新聞検索はでかかった。それまで図書館で縮刷版とにらめっこする時間がキーワードで絞り込むだけで素早くもれなく収集できる。ただし95年時点では記事数の課金ではなく1分いくらだった。見出し中のキーワード検索が1分80円で記事中が200円。それに従量制の通信料と電話料金がかかってくるから一刻も早く終わらせるために紙に入れるキーワードなどの計画を書き込み死ぬ思いで急いだ。途中で電話がかかってくると「今記事検索中と言ってくれ」と断ったものだ。

ちょっと話はずれるがこのころの日経テレコンはものすごく高かった。私が某組織(あえて名を秘す)にいた時に組織が日経テレコンを入れてくれたので私は使った。それはいいのだが切るのを忘れて帰ってしまった。翌朝というか昼というかともかく出社すると誰も気づかず着いたまま。私は青ざめた顔を察せられないようにして静かに切ったのだった。あのころは従量制だったから値段は・・・・

5)メーラー花盛り
秀Term、NifTerm、まいとーくなどが人気だった。皆ニフティサーブの特性を反映しやすい特色を競った。ニフティ本体からはニフティマネジャーがただで供給されたが当初は猛烈に使い勝手が悪かったのを覚えている。
久々にこれらのソフトを作っている人や組織のHPを見た。秀Termは「秀Term Evolution」という新ソフトでいまだに対応。さらにネット用のメーラーも発表していた。NifTermは通信終了後もNifTermライクに使えるメーラを出すらしい。コアだね。まいとーくは今は主にパソコンからFAXを送信できるソフトが主力のようだ。

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2005年8月11日 (木)

総選挙と小泉レトリック

解散・総選挙のことばかり書いていて気が引けるが今はそのことで頭が一杯なのでお許しを。もう止めるつもりです。

小泉支持派からは「郵政解散」と反対派からは「自爆解散」「ヤケクソ解散」などと呼ばれているが全部違う。郵政民営化のみを争点とする総選挙などありえないから「郵政解散」はそちらへ持っていきたい小泉支持派の思惑である点はすでに多くの識者が述べているが一方で小泉首相の「自爆」でも「ヤケクソ」でもなさそうだ。よくよく考えてみると小泉という人の独特のレトリックは冷徹であり「ヤケクソ」とは正反対とさえいえる

1)実は思い切り低い「潔さ」
小泉首相の「自公で過半数を割ったら退陣する」という発言を潔いと支持する声がすでに出ている。でもこの方法は負けを勝ちにすり替える巧妙な手段なのだ。
現時点で自民は過半数を握っていて公明と合わせると絶対多数である。結束の堅い公明が大敗を喫するとは考えにくいから「自公で過半数」とは自民党単独では過半数を大きく割り込んでもいいということになる。

長い間の自民党の常識は「単独過半数割れ=メロメロの敗北」だった。「自公で過半数」とはこのメロメロの敗北でも勝ちだといっているのだ。先の参議院選挙でも同じ手口で小泉政権は何となく勝ったようにみせかけた。
志だけで比較すれば「民主党単独で過半数を取れなければ代表を辞める」といった岡田克也代表の方が実は高い。でも世間はそうみなさない。それを小泉首相は分かっているから低レベルの目標設定をあたかも「潔い」ようにすり替える。この辺は本当にうまい。皮肉ではなく文字通り舌を巻く

2)「郵政法案に反対した議員は公認しない」は別に大したことではない
37人が反対して14人が棄権・退席した郵政民営化関連法案の衆議院採決は、それでも可決した。なのに参議院で否決されたから解散するのはおかしいという論調がある。違うって。合わせて51人が造反しても勝てた衆議院だからこそ解散できたのだ。
つまり反対37人が消えてなくなっても自公は過半数を悠々と維持できる。棄権・退席組まで公認しないとなれば話は別だがそうは言っていない。14人は次々と切り崩されよう。つまり現状維持でも「自公で過半数」なのだ。

37人のうち多くを占める亀井派は元々旧福田派から三塚-森-小泉(本人は領袖でないと言っているがこれもレトリック)と続く系譜から飛び出した亀井グループと旧中曽根派で山崎派に加わらなかったグループの連合体である。つまり小泉-山拓ラインの敵である。次いで多かった旧橋本派はYKK時代からの敵である。要するに敵を叩き出しただけだ。

3)「反対派に対抗馬を立てれば民主に漁夫の利」とは言い切れない
問題は比例代表がある点だ。もし単純小選挙区ならば「漁夫の利」論は正鵠(せいこく)を射ているが衆議院の選挙は比例を合わせた2票制だ
無所属になった反対派と自民公認と民主公認が争った場合、選挙区では確かに民主が得するかもしれない。しかし比例の票を選挙民はどう使うだろうか

・無所属造反-比例は自民
・自民公認-比例は自民
・民主公認-比例は民主

の3パターンは変わらない。問題は自民・民主対決になっていた選挙区で

・自民公認-比例は民主

の二股をかけていた人たちはどう動くのかである。
例えば造反組に小選挙区は入れた選挙民はこれまで比例で民主に入れてバランスを取ってきたが今回は自民を応援する片方がない。となると比例を自民にする可能性がある。しかも自民の危機となればなおさら「民主にも入れておくか」という意識が薄らぐ。

理由はまだある。自民が比例で民主に負けた理由は「コスタリカ方式」などで比例単独候補が名簿上位に鎮座していて名簿下位の小選挙区重複立候補者が比例に力を注ぐ気になれなかったことが大きい。ところが今回は比例単独だった小池百合子議員を東京の選挙区に立たせるという報道が象徴するように「鎮座」を消して重複競争を激化させて比例区を活性化させることができる。比例復活のパイが広がれば「同じ選挙区で当選2人」が増えて民主にはさしたる漁夫の利は回らない。

4)「惰民」が決起しても・・・・
選挙権がありながら棄権する惰民がわが国には約4割もいる。今回の総選挙が盛り上がるかどうか現時点で不明だが投票率が上がるとなればイコール「惰民の目覚め」ということになる。さて惰民が決起したらどこに投票するか。「純ちゃん」のような気がしてならない。

2005年7月2日付『東京新聞』によると民主党の五十嵐文彦衆議院議員が「郵政民営化に関する特別委員会」に提出した資料が紹介されている。それは郵政民営化の広報を契約した企業から政府へのプレゼン資料で冒頭「ターゲット戦略」と打たれたものだ。そこには「主婦層、シルバー層、具体的なことは分からないが、小泉総理のキャラクターを支持する層」は「IQ軸」では低いと見える配置になっている。
これが差別に当たるかどうかが委員会では問題視されたが図らずも郵政民営化推進に期待される支持層が浮き彫りになっている。ここではIQ云々の議論はあえてしないで書き進めることを了承願いたい。

もしその通りだとしたら「愚直に政策を訴える」岡田代表の戦略は「具体的なことは分からないが、小泉総理のキャラクターを支持」する惰民・愚民には無に等しい。彼らは分析では郵政民営化を支持する。そこに小泉ワンワン絶叫がワンフレーズ加わる。さあ普段は行かない選挙だが今回は・・・・なんてならないか

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2005年8月10日 (水)

「総選挙は民主党」に待った!

警告する。民主党は本質的なところでウソをついている恐れがある。
私は42歳。物心ついてから1年足らずの細川・羽田非自民政権を除いてずっと自民党主体政権だった。もううんざりである。そこで解散総選挙が来た。かつてなく自民党が負ける可能性が高い。それは裏返せば民主党主体政権に交代するという意味にならざるを得ない。では民主党に1票を投じるかとなると冒頭の疑念が心に重く引っかかるのである。具体的には

民主党には自党の政権担当能力を説明する人が用意できない

という驚きの事実があるからである。

1)看板の政権担当能力を説明する人がいない
そもそも野党は政権党を引きずり下ろして取って代わるのが仕事であるから別段「政権担当能力を見せる」必要はない。だが同党はしばしば「政権担当能力」があることをアピールし「政権準備政党と呼んでくれ」と訴えた。いわば同党の売り物であり看板でもある。

小誌『記録』はかねがねその「政権担当能力」が知りたかった。靖国の英霊と同じく見たことがないからである。そこで05年3月にこの言葉にまつわる事実を教えて下さるよう民主党本部に取材の要請をした。結論は「取材に対応する者を用意できない」であった。看板の内容を説明する人員を用意できないと言い放ったのだ。
6月に入って再び同様の依頼を行った。結論は前回と同じく「取材に対応する者を用意できない」である。
「30分でもいい」「電話取材でもいい」とこちらが頼んでいるのに「難しい」「対応できない」の一点張りということは時間がないから対応できないというわけではなく文字通り「取材に対応する者を用意できない」ということだ。

驚くべきことである。自ら看板に掲げた内容の「取材に対応する者を用意できない」ということは羊頭狗肉も極まった・・・・というよりも狗肉さえない空っぽということである。
民主党は1998年と2003年の別件の取材では小誌に答えてくれている。ということは小誌を取るに足らないミニコミだから蹴散らせと考えているようではないようだ。ということは映画のセットのように見かけは「政権担当能力」でも中身は空っぽなのだ。それをあるが如くに国民に見せているのはウソつきの仕業である。

2)自民・公明・共産・社民は答えてくれた
何しろミニコミのことである。こうした質問は他党も忙しくて「取材に対応する者を用意できない」のかもしれない。民主党のあまりの仕打ちにこんな疑問が生じた。そこで国会に議席を持つ自民・公明・共産・社民の4党にも似たような質問をしてみた。
結論からいえば全党とも答えてくれた。少なくとも「取材に対応する者を用意」することは全党ともできると確約してくれた。自民党など郵政民営化法案審議の胸突き八丁の時期にも関わらず政務調査会から丁寧な長文での返答であった。

要するに「政権担当能力」はそれを金看板にしている民主党だけが頑なに説明を拒み、大して重視していない他党の方がむしろ答えられるのである。これで確信した。小誌がダメ雑誌だから答えてくれないわけでない。見本誌を送っての取材依頼で小誌は反自民の色彩が強いから自民党が断ってきてもおかしくないと思っていた。それが全然違う。正直に民主は「取材に対応する者を用意できない」のだ。とんでもないことである。

3)岡田代表・菅前代表も音沙汰なし
だいたい「政権担当能力」などと吠えているのは岡田克也代表や菅直人前代表であった。彼らならば説明できないはずがない。そこで「取材に対応する者を用意できない」と明言した党職員の実名を記した上で「○○さんからはこう言われたが本当か」という質問状と取材依頼を両氏に送った。もう1カ月近くになるが音沙汰なしである。

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2005年8月 9日 (火)

郵政解散・・民主主義はいいなあ

タイトルが解散の報に接した最初の感想。やっぱり戦争してはいけないのだよ皆さん。
『ヒトラー~最後の12日間』を見たばかりなので彼の取り巻きと小泉政権が二重写しになって仕方がない。

ヒトラー・・・・小泉純一郎
ゲッペルス・・・・山崎拓
ゲーリング・・・・亀井静香
エヴァ・ブラウン・・・・首相の姉さん(民間人なので名を伏す)

なんてね。
独裁者ヒトラー演じる小泉首相は郵政民営化という少なくとも国民レベルではどうでもいいことに猛烈に執着して敗北が濃厚な解散総選挙に打って出た。「ユダヤ人虐殺」は妄執であり「ヒトラーの戦争」には何の利益も与えなかったという2点で「郵政民営化」と似てなくもない。
映画の内容を詳説するのはネットのマナーに反すると聞いたのでなるべく分からないように書くがヒトラーは最後の最後まで来るはずのない援軍が来ると叫んでいた。でも来なかった。「ベルリン市民などどうでもいい。我らを支持したのは彼らだから」といったニュアンスの発言もあった。お陰で無防備のベルリン市民は多数殺される。一方でヒトラーも最期は自殺するわけだ。小泉の今後を予感させずにはいられない。

ただヒトラーと小泉には巨大な違いもある。それはヒトラーが戦争や殺りくでの決着だったのに対して小泉の闘争はあくまでも民主主義のルールに則っているという点だ。郵政民営化の駆け引きは民営化反対派を「非公認」にはしても「虐殺」はしない。「我らを支持したのは彼らだから」公約である郵政民営化をゴリ押しして参議院否決との敗北を招いたがベルリン市民のような大量の犠牲者は出ない。あえていえば永岡議員か。一方で「9.11同時多発総選挙」で小泉自民党が敗北しても首相がピストル自殺するまでもない。

いいなあ民主主義。「民主主義は最悪の統治体制だ。ただし、これまで試みられたあらゆるもののなかではもっともましだ」とのチャーチルの名言に万金の重みを感じる。

そうそう。今国会が解散されてしまったために成立しなかった重大法案を挙げておこう。小泉構想の「郵政一色の総選挙」にはどうせならないので忘れてはいけないテーマだ。

1)憲法改正
本当はこれが政権交代の際の最大分岐点とみなされていたのだ。これなしに本格的な政権交代が起こるとしたら第二弾が待っている

2)共謀罪
消えてよかった。ネットの用語だと「逝ってよし」って言うんだっけ

3)サマータイム
遅寝遅起きの編集者と物書きにとっては命を救われたに等しい

4)障害者自立支援法
議論が煮詰まらないままの可決成立は文字通りの「死者」を出しかねなかったので仕切り直しになって当然。法成立で人が死ぬしかなくなるようなことはよそうよ

5)人権擁護法案
人権派と国家主義者という敵対する両端が図らずも反対していて立ち消えた。人権派は法務省=人権侵害省の外局にすることやメディア規制を問題視し国家主義者は委員に部落解放運動や在日本外国人の代表者が入る可能性を危険視するというリベラルとナショナルのタッグマッチになって(アイスクリームの天ぷらみたい)不成立となった。

こうやってながめてみると郵政法案が可決して会期末を迎えたり8月に臨時国会を開いたりしたら1)から5)までのメチャクチャ法案が軒並み可決してもおかしくなかったわけだ。寒い。小泉首相って案外といい人だったのかも。

『ヒトラー~最後の12日間』と大きく違うのは「ソ連軍」がいない点だ。配役としては民主党が適任のはずだが同党はとんでもないウソつき政党であることが小誌の取材で明らかになった。あまりにバカげたこの事実は日を改めて紹介する。

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2005年8月 8日 (月)

日の丸君が代賛否どちらもバカ

私に言わせれば公立学校での日の丸掲揚・君が代斉唱に集団で反対する者も集団で推し進めようとする者も両方ともバカである。

1)反対派はバカである
反対している側は「表現の自由を妨げる」「自由な表現ができない」「心の問題」という。それ自体は賛成だが、だったらなぜ徒党を組んで反対するのだ。集団で何かを動かそうというのはファシズムである。それを一番嫌っているのはあなた方でしょう。
1999年の国会で「日の丸」「君が代」は国旗・国歌とする法律が制定された時点で勝負は決まったのだ。確かに「強制するものではない」との表明はあったが条文に明記させなければ空手形になるに決まっている。そしてその国会での賛成勢力を選挙で選んだのは紛れもない日本国民なのだよ。

「強制は教育の妨げ」も笑っちゃうね。教育は強制そのものでしょう。音楽より国語の成績がいい方が、社会や国語より英語や数学の成績がいいことが何故一般に評価されるのか。「睡眠」「逆立ち」という科目がなくて「懸垂」があるのは何故か。全部が強制でしょう。
「起立・礼」や「斉唱」の強制がけしからんというのは私の皮膚感覚には合う。だが普遍化できまい。「起立・礼」は学校のあらゆる場面ではびこっているし音楽の授業ではしばしば斉唱しているじゃないですか。

教員に強いるなという主張にも強い違和感を覚える。あなた達は何様なの?日の丸掲揚・君が代斉唱どころではない差別・強制・理不尽が民間企業にはゴロゴロしているが大半のサラリーマンは耐えている。日の丸掲揚・君が代斉唱の教員への強制は要するに「ボスにしたがえ」ということだ。だってあなた方は公務員なのだから。反対運動するならば給料を返上して仕事も辞めちまえ。私は十分に申し分のある人生で人様にご披露できる栄光ある過去などないが嫌ならば辞めてきた。残ってグズグズいったりチャッカリ樹液は吸っているなどクズだと思う。
私は小学4年の時に嫌な思いをした。先生がある日来なかったのだ。聞けば日教組(日本教職員組合)のストだという。労働者の権利だという。ふざけるなと怒った。こっちも義務で(正確には親が教育を受けさせる義務を受けて)来ているのだ。その1年はずっと反抗していた。自分の主張(わがまま)を子をダシ(または人質)にして集団で通そうとするのはファッショ愚連隊である。

2)賛成派は輪をかけてバカである
たかが旗とへたくそな歌を掲げたり歌わせたりする権利を得たからといって気色満面で鬼の首を取ったように嫌がる者に「どーよ」といった感じで押しつけて隅でちょっとでも避けようとしている人を見つけるとこれみよがしに「さらし」て得意の絶頂という民度最低の大バカ集団である。

この集団は「国旗国歌法」という錦の御旗を得てからスクラムをなして君が代や日の丸に対する複雑な思いを快刀乱麻に切り捨てて酔っている集団辻斬りである。反対運動集団も全体主義的だが賛成集団は錦の御旗をもって酔っ払って攻めてくる分だけ危険度が高いファシストである。

この人達に耐えられない理由は「バカ」というより「アホ」に近い感覚が私にあるからだ。文字通り頭の悪い人(勉強ができないという意味ではない)や若い頃に社会主義風の論理を吹かす奴に圧倒されて黙り込んでしまった劣等感を抱いているおっさん、「ごもっとも、ごもっとも」のヒラメなどが数と権力をにわかに得てレジスタンスを追い回すゲシュタポみたいに狩りを行っている。実に醜悪である。

都教委の処分などを見ると管理側がなってないのがわかる。今時独裁者のいる暗い会社でさえ社旗や社歌で統制をはかろうなどと愚かな発想はないぜ。社員(職員)を気持ちよく働かせるのが管理職の仕事だ。

国際試合が行われているサッカー場を見よ。日の丸が掲げられて君が代が時に斉唱される。あれがあんた達の努力の結果だと思い込んでいたら救いようのないアホだ。人は歌いたい時には歌うし旗が欲しけりゃ日の丸がいいのさ。

3)解決策・・・どうせ誰も実行しまいが
私は元々君が代が嫌いだった。理由は簡単で変な楽曲だからだ。小学校6年生の時に友人の父がNHKに務めていたので友人を通じて「世界の国歌」といいう番組をラジオで企画してもらった。それを聞いてどの国のものよりも君が代は劣ると確信した。
そこで何とか式典で歌わないですむ方法を考えた。幸運にも私は学年委員長(学級委員長の代表)だったので校長にネゴすることはできた。だがここで「歌わない」とか「『翼を下さい』にしましょう」といったって却下されるに決まっている。

わが小学校は静岡市にあり駿府城の元には「軍神橘中佐」の碑があった。日露戦争の遼陽会戦で武功を挙げた橘周太大隊長を顕彰している。彼が率いた歩兵第34連隊の編成地は静岡だった。「これだ」と思った。「軍神橘中佐の歌」というのがあってこれぞ郷土の誇りだから歌いましょうと提案したら何と認められた。体を震わせて歌っていた校長(あるいは教頭だったか)の姿が忘れられない。君が代は回避できた。

頭を使うのである。教条主義は脱するのである。日の丸・君が代が嫌だったら都道府県立ならば都道府県旗と歌を、市区町村立だったら市区町村旗と歌を代わりに掲揚・斉唱すればいい。理由は簡単で「私たちは地方公務員だ。地方分権一括法ができて国と地方が対等になった。今こそ国に『私たちは対等だ』と見せつけるために県歌と県旗でいきましょう」と迫ればいい。実は自治体の歌と旗は一部を除いて住民にはほとんど浸透していない。地方公務員として恥だと吠えてみよ。

児童・生徒は嫌ならば卒業式に行かなければいい。何をいっても無駄だった高校の卒業式に私は行かなかった。あんなものに行かなくても所定の単位が取れれば卒業できる。義務教育は学齢主義なので年を取れば卒業となる。どうでもいい式典なのだ。

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2005年8月 7日 (日)

明徳義塾野球部の不祥事と『蠅の王』

夏の高校野球選手権大会に出場が決まっていた高知県代表の明徳義塾が部員の喫煙と暴力が隠していたことが原因で出場を辞退したと日本高等学校野球連盟が発表した。
どんな高校なのかとホームページを開いてみたら「南の楽園」のような立地で「朝の木漏れ日、きらめく星空、砕け散る波―美しい風景」とも紹介されている。私はとっさにゴールディングの名作『蠅の王』を想った。またホイジンガーの『ホモ・ルーデンス』に思い至った。
安易な連想であるかもしれない。でも的はずれともいえないような気がする。以下よろしければお付き合いを。

1)「南の楽園」と男子だけの寮生活
明徳義塾は男女共学だが暴力は寮での出来事だという。「南の楽園」と男子だけの寮生活という点は『蠅の王』とよく似ている。
ホイジンガーの分析によると「遊び」とは

・利益とはむすびつかない
・ありきたりを拒絶する

などが挙げられる。

野球部員にとって「ありきたり」の「利益」とは野球の練習に明け暮れることに他ならない。『蠅の王』でいうならば救援を請うための「のろしを上げる」行為が該当する。喫煙は野球が上達するという「ありきたり」の「利益」とは結びつかないどころか相反する。つまり「遊び」としては最上位なのだ。

2)やがて殺し合いを始める
『蠅の王』では「のろしを上げる」ありきたりを主張し続けるグループが縮小してブタ狩りという「遊び」に熱中するグループが巨大化する。そして「ありきたり」の主張が耳に痛いだけに「ありきたりを拒絶する」度合いが増して最後には前者が後者に殺されたり殺されかけたりする。
上級生が下級生に暴力を振るったり体罰を与えたという今回の出来事を「殺し合い」に例えるのを問題なしとはしない。ただ少年を限られた空間に閉じこめておくと相当な確率で暴力沙汰になったりなりかけることはアメリカの精神科医アントニー・ストールがすでに紹介している。

ここでは暴力がいけないという倫理観はさほど重要ではない。『ホモ・ルーデンス』によると「遊び」は限られた空間と時間のなかで自主的に行われ、秩序をもって一定に、しかも共同体のような規範を生み出すという。部活動で「体罰」「暴力」はしばしば共同体の秩序維持の名目で行われる。明徳義塾の例が単なる「いじめ」ではなかったにせよ上級生から下級生へのいわば「しごき」は「遊び」を熱烈に求める少年達の欲求に深く根ざしている可能性がある。

3)大人の不在
今回の事件で最大の問題点であろう。出場辞退は暴力や喫煙そのものではなく宮岡清治部長や馬渕史郎監督という監督責任のある大人が高知県高野連へ報告をせずに隠していたことがバレた結果だ。
以前のように高野連は江戸時代の五人組のような封建的連帯責任は問わない方向にあるのだから報道されている程度の不祥事ならば報告すれば辞退にまで至らなかった可能性が高い。隠したことが問題となってしまったのだ。これは「大人不在」が招いたといえよう。

『蠅の王』で「のろし」派で当初は少年達全員のリーダーだった者は何度も何度も「大人ならばどう考えるのか」と苦悩した。「遊び」の蠱惑に魅せられる心理を少年自身にはセーブできない。ところが今回の事件は大人までもが「遊び」に加担してしまったのだ。
『ホモ・ルーデンス』によると「秘密の共有」が「遊び」には不可欠であり共同体の結束につながる。馬渕監督らは結果としてこちらを選んでしまった。だがこうして成立する共同体的秩序は1)に述べたように「ありきたり」の「利益」には結びつかないか下手すれば相反する。そして現実として出場辞退という利益相反行為となってしまった。

大人が大人でないこと。大人のくせに「遊び」に熱中してしまうこと。それらが魅惑的である半面で「利益」を失ってしまう恐れがあること。話は明徳義塾野球部だけではない。日本を取り巻く政治や社会一般にも通じる警鐘であろう。

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2005年8月 6日 (土)

ダイエット・美容広告のだまし方

ダイエット・美容や健康に役立つような商品を雑誌などで広告する過程で何があるのかを編集の内側から紹介しよう。

1)編集部ではなく広告担当のシマ
まず広告スペースは編集部ではなく広告担当が編集プロダクションに下請けして作らせたり広告代理店が作ったものをはめ込むだけという場合が多い。編集部が進行管理に使用する台割り表には「AD」という指定が入っているだけである。
客観性を帯びている(はずの)記事と見分けるためには本来「PRのページ」「広告」と入れるのが常識だが明示しない雑誌も結構多い。また医師と歯科医師は医療法69条の定めによって限られた広告しかできないために美容整形外科の広告は記者が取材した形式で「名医」などと紹介して法をすり抜けている。実際は記者にほめまくられている医院や診療所はカネを出している例が多い。

もっともこれらはまだ広告と何となくわかるからいい。問題は実際には「広告企画」つまり広告主がカネを出した企画であるにも関わらず記事の体裁で掲載される場合だ。いかにも編集部が見つけてきた素晴らしいダイエット方法や名医、名インストラクター、サプリメントのように紹介しながら実は広告主丸抱えという記事である。これだけで経営が成り立っているといっていい雑誌さえある。

2)薬事法に触れてはダメ
ダイエットに効くサプリメントなどは大半が食品であって薬品ではない。だから薬のような効果があるとうたうと薬事法に違反する。この点ばかりは編集者も気にしていて広告であろうと少なくとも編集長はチェックするかチェックを指示する。でないと逮捕されちゃうからだ。

大原則として「治る」はダメ。それを強く暗示する表現もダメである。また特定の病名を挙げるのも危険な行為である。医薬品と間違えかねない表記や「学会で発表」なども下手するとお縄になる。
みのもんたは昼間に薬事法違反スレスレの番組をやっている。あれが文字通りスレスレの表現の教科書だ。毎日毎日スレスレの表現で切り抜けるみのという人物は天才である。

「学会で発表」も事実としてそうであり薬効と直接の因果関係がなければスレスレでセーフの様子である(本当はダメなはずだが)。そもそも「学会」など誰でも作れる。また権威ある学会でも発表レベルでは何かを証明したことにはならない。学会発表後もコホート研究などの結果が認められなければ食品の効果としても疑わしい。薬となれば3段階ほどの治験をくぐり抜けなければならない。

この辺を逆手にとった作戦もある。まず適切な使用量などをもっともらしく示して「用法・用量」を明示しなければならない薬と似通わせたり。最近では「食品だからこそ誰でもいつでも手に入るんですよね」などと医薬品にするレベルにありながらあえて顧客のために食品にしていると暗示させる表記もある。

3)モデルのタレントは商品を知らない
とくに実際には「広告企画」でありながら記事風になっているもののなかで問題なのがタレントの存在だ。「○○さんもお勧め」などと紹介されている。大半が旬を過ぎたタレントである。実際にはそのタレントのカット写真を何枚か持ってきて「このカットに合う記事を作りましょう」となる。タレント自身は何の記事に載るかさえ知らない場合が多い。
旬を過ぎたタレントにとってはこんな方法でも露出につながるのでそれなりの意味がある。場合によっては露出を期待して格安ないしは無料でタレント事務所が提案してきたり代理店が持ち込んだりもする。記事内容がダイエット・美容または健康ならば美しいイメージが得られるとの特典もある。旬を年齢ととらえれば「若々しい」というイメージを間接的に表現できる。

もういいや!とばかりに本人も知らない「食品」を「○○さんもお勧め」と書くのはさすがにはばかられるという場合には「○○さん」の写真下のキャプション(写真説明)に商品とつながりがありそうで独立して読めばそうでもないという表現を記す。「健康にいいのが何よりですよね」とか「ダイエットは簡単な方法が一番」などの類である。
タレントが実際の商品を知らなかったり使わないまま宣伝するのは違法ではないにせよ一種の不法行為ではないかという議論はあるにはある。だが実際には野放し状態だ

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2005年8月 5日 (金)

靖国に行きたい小泉首相への助言

靖国神社に何とか小泉首相を行かしてあげられないか。小誌『記録』は延々と靖国神社の取材を続けているが、その過程でいくつかのアイデアが思い浮かんだ。小誌の記載から抜粋しつつ解説しよう。

1)「A級戦犯を呼び出さない」と明言する
小誌連載中に「本当に靖国に英霊は宿っているのか」という大問題が出来したことがあった。何しろ英霊は見えない。そこでかなり高名な霊能者の先生に無理やり頼み込んで調べてもらった(02年末)。
先生によると「本殿に上がる前と、本殿から出てきた時に『Aちゃん』(荻注:Aは先生の名前)と呼びかけられました」「ここでは地からゆかりのある御霊が上ってくるかんじ」云々。どうやら英霊はいるらしい。
だが先生は同時に約246万柱の英霊が見えるわけでもないという。見えたら凄い光景だ。先生のいうには「靖国神社は玄関なんですよ。幽界にいる英霊が参拝の声に応えて神社まで下りてきてくれるんです」

つまりだ。小泉首相は靖国に行っても「東条英機さーん」などと問題の英霊を呼びださなければいいのだ。そして記者団には「今年は硫黄島とガタルカナルの英霊に話しかけました」と中国を抜きにしてコメントすればよろしい。逆に「東条さんを呼びだして『私はあなたのような失敗はしない』と言ってやりました」でもいい。

2)鎮霊社に行く
これは最近になって他からも出てきたアイデア。『やすくにの祈り』(靖国神社編)によると「1853年以降、戦争・事変に関係した世界各国のすべての戦没者」が祀られているという。壮大すぎる。小誌の取材に靖国神社側は「いろいろな説がある」と案外とあいまい。ただ字義通り解釈すれば日中戦争の中国側被害者も(勝手にではあるが)祀られている。小誌の取材にも「日本国籍以外の方もお祀りしている」と神社側は答えている。
しかも本殿の回廊と鎮霊社は10メートルも離れていない。本殿に行ったように見せて鎮霊社に参ってもわかりゃしないのである

3)桜を観にいく
靖国の桜は気象庁の開花予測のために必ず使われる「標準木」である。東京の開花予測は気象庁が現在の場所に引っ越す1964年までは気象庁構内の桜で行っていた。それがなぜ靖国の桜に変わったのかは具体的な資料が66年からしかないので謎らしい。「上野の桜は人で土が踏み固められて観測がきちんとできない」(気象庁談)など理由はあるそうだ。
ともあれ靖国の桜はずっと標準木である。65年から靖国での観測が始まったようだから今年の春に「標準木40周年」で行けばよかった。

4)盆踊りに行く
まず小泉首相が高らかに「私は盆踊りファンだ」と公言する。そして7月の「みたままつり」で大村益次郎像を囲んで行われる大盆踊り大会に参加する。浴衣ギャルとともに盆踊りにたわむれている映像が仮に中国で流れたとしても怒る前にあきれて苦情も来ないに違いない。

5)クリスマスイブに行く
3)と4)はもう今年は無理なのでまだ間に合うアイデア。神道という宗教は聖書やコーランにあたる『古事記』『日本書紀』からしていい加減なのでエスニックの域を出ない。久米邦武の言ったように「祭天の古俗」の色彩が強い。それが「靖国参拝」となると何やら大仕掛けで強固な宗教組織に屈服するような印象になる。そうじゃないと証明するにはキリスト教の祭典であるクリスマスイブに行って訳がわからなくしてしまうという手はどうか。

ちなみに靖国神社はイブだからといって特別なことは何もしない(当たり前か)。普通の一日である。でもそれは実は8月15日も同じなのだ。参拝の意図を「お正月ですしね」ととぼける度胸のある小泉首相ならば「イブですしね」だって大丈夫。ついでにおみくじ引くといい。ちゃんと恋愛の欄もあるので「独身だから気になるね」と付け加えるのをお忘れなく。

6)馬を拝む
実は靖国神社と馬は深い関わりがある。1870年に日本人の手によって初めて競馬もどきを開催した地が靖国なのだ。しかも多数の軍馬も祀られているし硫黄島で英霊となった1932年のロス五輪馬術金メダリストの「バロン西」こと西竹一だって眠っている。
まず首相は「私は競馬狂だ」と宣言する。そして馬を拝みに靖国に行ったらどうか。首相はかねがね参拝を心の問題と発言している。ならば口先では(どうせ口先首相と呼ばれているのだから)「馬を参った」と発言して心の中で好きな者にこうべを垂れていればいい

7)毎日参拝する
中国はあきれ返って何も言わなくなるか戦争になるかのどちらかであろう。

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2005年8月 4日 (木)

女帝容認と男系至上の矛盾

天皇は男系男子または女子でも男系に限るべきだという意見が根強い。私は女系男子または女系女子の天皇でも構わないと思うのだが歴史上(正確にいえば確認された歴史上)男系しか皇位についていないのは事実だ。だから・・・・というのはわからなくもない。
しかし男系論を唱える以上は触れるべき事柄を触れていない。マスコミも報道しない。おそらく雅子皇太子妃を慮ってのことであろうが隠しておいて思いやりを装うのは偽善である。ハッキリいおう。ならば側室制度と退位はどうするのか。
歴史上の女帝は8人いるが古代の6人を除いて(「皇族で皇后」など今では考えにくい事情を含むため)江戸時代の2人を例に考えてみる

1)明正天皇の場合
父の後水尾天皇が有名な紫衣事件で「ええいっ」とちゃぶ台をひっくり返すように1629年に退位した結果として皇后(徳川和子)との間に生まれた女子が明正天皇となった。

この天皇が皇婿を得て代を継げば女系に変わったわけであるが実際には退位した後水尾上皇が側室の藤原光子との間に1633年に生まれた男子が後光明天皇として明正帝の後を継ぐ。つまりこの時点では「父帝が退位した後に側室との間に生まれた男子」によって男系が保たれたわけである

2)後桜町天皇の場合
桃園天皇が1762年に逝去した段階で皇后の藤原富子との間に生まれた男子はたった3歳。そこで故桃園天皇と兄弟姉妹に当たる後桜町天皇が1763年から70年まで女帝を務める。後桜町天皇の母は父の桜町天皇の側室である。70年に退位した後に男子が後桃園天皇として即位する。

ちなみにこの天皇は79年に急逝して跡継ぎがなかったために閑院宮家の典仁親王の6子を光格天皇として迎え入れている。ちなみに現在の皇統は光格帝を直接の出発点とする。
ところで後桜町上皇は1813年まで存命である。つまり退位が認められていなければ70年の後桃園、79年の光格両帝の即位もなかったことになる。

いうまでもないことだが男性と女性の生まれてくる確立は半々である。男系から生まれる子も同様で女子を皇籍から外していけば先細りは目に見えている。しかも不思議なことに皇室は女子の出産数が多い。江戸時代は幕府の統制が厳しくて男子が産まれても皇太子か3つの宮家の当主の座しか用意できずに仕方なく皇位の寺院の門跡になっていた。一方の女子はもらい手に事欠かない。そんなことが遺伝子に影響しているのだろうか。
1人の皇后が多産であれば男子の誕生する確率も高まるが合計特殊出生率1.29の時代である。
そこで例に挙げたように退位と側室を認めることで男系を保持してきた歴史がある。明治以降でも大正天皇の母君である柳原愛子典侍は側室だった。したがって男系男子を主張したければ

・皇太子に雅子皇太子妃以外の側室を勧める
・愛子内親王に旧皇族の男子との結婚を義務づける
・秋篠宮と故高円宮の内親王を皇籍の残して旧皇族との男子と結婚してもらい男子が誕生したらしかるべき年齢になった段階で愛子天皇に退位してもらう

などを進言しないと筋が通らない。でもそんなことを口にしたら現在の常識ではブーイングであろう。だからといって黙っていながら男系にこだわるのは卑怯者である。

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2005年8月 3日 (水)

永岡洋治衆議院議員の自殺

首都近郊の農政のあり方などを熱く語るいい人だったのに。報道によると7月5日の郵政民営化関連法案の採決で賛成票を投じたのが後に大きな波紋を広げたのと衆議院解散が現実味を帯びてきて自らの行動と選挙民の反応に苦しんでいたなどの憶測が流れている。仮にそうだとして何が54歳での死を選ばせたのか。

1)何で自民党公認にこだわったのか
永岡議員の地盤は衆議院茨城7区。当初は郵政民営化関連法案に反対していたのも選挙区の民意がそちらであったからでもあろう。現に地元の特定郵便局長会の顧問を務めていた。ならば反対を貫けば死ぬこともなかった。確かに執行部は「反対したら次期選挙で公認しない」と脅していたようだが賛成して民意を失ったら元も子もなかろう。

彼は元々は野党の新進党から初出馬した(落選)。新進党は現在の民主党の源流の1つである。「郵政解散」となれば民主党大勝が大方の予想だ。その民主党は法案に反対している。自分から離党したならばともかく執行部から公認されなかったならば是非もない。いっそ民主党にくら替えすればよかったんじゃないか・・・・と考えるのは甘いようだ。

「自民党公認」の看板はすっかり色あせたが威力を発揮する地域が全国で4つある。北関東・中国・四国・九州南部だ。この4つだけは「自民党」の金城湯池で民主も堅陣を抜けないでいる。永岡議員の地盤は北関東。北関東3県の小選挙区での勝敗は自民党が何と16勝1敗!(2003年総選挙)。どこの国の話かと思えるほど自民が強い。乗り換えるのは不可能である。

2)「中村党」が選挙区にあった
選挙区では暴風雨のように強い国会議員がいる。自民ならば綿貫民輔前衆議院議長、民主ならば羽田孜元首相などが挙げられる。とにかく対立候補に票が行かなすぎて下手すると無投票当選になってしまうんじゃないかというほど強い。綿貫前議長は郵政民営化反対の旗頭だが彼の場合は無所属でも文句なく勝つ。

かつてその一人に茨城7区の中村喜四郎がいた。両親ともに国会議員で「喜四郎」の名は政界進出の際に父の名を「襲名」したという。2世3世が珍しくない政界でも「襲名」は珍しい。かつて西郷隆盛の孫の西郷吉之助衆議院議員がいた例はある。ただし子でなく孫であるし隆盛の「吉之助」は通称で本名ではない。
要するに襲名などという大時代な真似をして受ける土地柄であるらしく選挙では圧倒的な強さを誇った。

中村は1994年にあっせん収賄罪で東京地検特捜部に逮捕された後も無所属で96年と2000年の総選挙を勝ち抜く。刑事被告人なのに無所属で勝っちゃうんだよ。03年に懲役1年6月の実刑が確定して失職するも今年6月以降は刑期が終了するので立候補ができる。「自民の北関東で無敵の2代目喜四郎」がそうでなくても永岡議員の前に立ちはだかる可能性が6月以降出てきたわけだ。

何しろ刑事被告人であっても勝てた御仁である。彼は古い自民党の象徴である「自分党」(つまり「中村党」)の残りかすなのだが残りかすだろうが何だろうが強いものは強い。だからせめて自民公認を維持したくて賛成票を投じたのに「裏切り者」と呼ばれれば死にたくもなろう。

3)「派閥」の弱体化
中村元議員は離党するまで現在の旧橋本派に所属していた。永岡議員は亀井派だ。
組織に派閥がある例はありふれているが自民党は派閥が事務所まで開設している。どこぞの会社で派閥の事務所を設けている有力者がいるだろうか。要するに自民党における派閥は政党と同等で「自民党」は派閥連合であった。公認は派閥間で調整し総裁は追認するだけ・・・・のはずだった。そうであれば賛成票を投じた永岡議員は「亀井派のシマ」なので公認を外される道理はない。

ところが親分の亀井静香衆議院議員が反対票を投じてしまった。そうでなくても小泉純一郎首相は派閥の論理を超えた人事を売り物にして悦に入っている。「亀井派のシマ」なんてチャンチャラおかしいとひねくれてもおかしくない人物だ。

小選挙区制が定着するにつれて派閥提出の名簿を総裁らの執行部が黙認する時代でもなくなっている。現に安倍晋三自民党幹事長代理(正確には安倍晋三自民党本当の幹事長)は公募形式を推し進めようとしている。

要するに永岡議員は

・「反対せよ」と迫る派閥のボス
・「反対すべきだ」と突き上げる地元の支援者
・自らの政治信念

によって最初は反対しようとしたものの

・「賛成しないと公認しない」とわめく武部勤自民党幹事長(正確には武部勤自民党形だけ幹事長)とその裏にいる小泉という独裁者
・自民じゃないと勝てないという北関東の超保守性
・負けっ放しで弱い派閥のボス
・襲名を喜び刑事被告人でも構わない民度ゼロの「中村党」

という変数を考えると賛成せざるを得なくなり結果として虻蜂取らずでどっちからも見捨てられそうになった悲劇の人といえよう。

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2005年8月 2日 (火)

「電車で携帯」がなくならない訳

午後11時頃に都営新宿線に乗って新宿方面に向かった。そこで改めてビックリしたが皆が皆といっていいほどパカパカの携帯電話(携帯)を広げて画面を見入ったりいじったりしている。私の隣人もつり革につかまって立っている前方の人も乗降客もほとんどがそうだ。
もしタイムスリップができて10年前の日本人にこの光景を見せたら驚くだろうな。普及してしまったので何とも感じないが現代が作り上げた一大奇観であろう。
携帯を持っていなかった時代、彼らは何を持っていたのだろうか。マンガか本か新聞か。だとしたら携帯は車中で何かを読むという習慣を抹殺した我々出版界の恐るべき敵ということになる。

私が高校生の頃に授業で寝ていてふと目覚め、周りを見回したら全員寝ていて驚いたことがあった。起きているのは私だけだが私とて最前まで寝ていたから教室で生徒が全員寝ていた瞬間があったということだ。先生は何をしていたのか分かる術もない。寝ていたりして・・・・携帯の奇観から過去のそんな図を思い出した。

さてかねてから携帯がつながりにくいとされていた東京都内の地下鉄全駅が通話可能となったのは03年末頃から。東京メトロ、都営ともにである。
このニュースを聞いた時にもかねがね不思議としていた事実がさらにわからなくなった。地下鉄に限らず、鉄道という鉄道は最近構内や車内放送で「携帯をお切り下さい」とか「マナーモードにして下さい」と叫ぶように繰り返しているのに一方で携帯が使えるサービスを推し進めているのはなぜ?

不思議なことは他にもある。構内や車内広告に携帯電話会社の広告がこれでもかとばかりに大きく出ていることだ。
例えば学校で考えてみる。もちろん高校生も校内も喫煙は厳禁だが、ダメだダメだと放送では叫びながら、廊下に灰皿が置いてあったり、たばこ会社のポスターが貼ってあったら説得力がゼロなはずである。

携帯のくわしいメカニズムは私も知らないが少なくとも鉄道会社の協力がなければ、これまで通じなかったところで通話可能になることはないはず。むしろやめさせたいならば携帯電話サービスを行っている各社に交渉して沿線を「電波の届かない地域」にする技術を開発してもらうというのが正しいあり方というものだ。どうしてこうした議論が出てこないのか、なぜ矛盾を感じる人が少ないのかが不思議でならない。

携帯を切らせる理由もわからない。うるさいという声があるが車内の会話がよくて電話はダメというのは不可解。私の知る限り、携帯で話している人の音量が会話よりも大きいという事実はほとんどない。私も時にはうるさいとも思うが、会話よりもうるさいわけではなく、会話が認められる以上は携帯だけをのけ者にするのは差別だと我慢する。
「耳に入らない騒音」というのはあるらしい。日本人は虫の音を楽しむが西洋の多くの民族は「耳に入らない騒音」だと聞いた。その日本でも都心のマクドナルドなどくっつくように2人席が詰め込まれ、同時に客も詰め込まれている。客は互いに大笑いしたり泣き崩れたり深刻に顔を付け合わせたりとさまざまだ。音量としては間違いなく隣席にも届いている。
エンタツ・アチャコやユーミンならば聞き耳も立てよう。だが大半の隣人はまったく気にすることなく自らの会話を楽しんでいる。明らかに「耳に入らない騒音」なのだ。すると携帯の会話は「耳に入る騒音」なのか。ただ冒頭に記したような普及率を考えると携帯だけ気に障る理由がわからない。

確かな理由があるとすれば心臓のペースメーカーに影響がある、つまり命に関わるという問題だ。でも命を守るためだとしたら「マナーモードにして下さい」はおかしい。

と、ここまで考えて思い至った。先に「なぜ矛盾を感じる人が少ないのか」と書いたのは間違い。みな矛盾に気づいている。だからいくら放送されても平気でかけているのさ。

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2005年8月 1日 (月)

中国の方が実は困ってないか

靖国神社参拝や東シナ海の資源開発問題などで揺れる日中関係だが実は困っているのは中国の方ではないかとの気もするのだ。

根拠1)貧鉱が中心の鉄鉱石

中国の鉄鉱石といえば1909年に当時の南満州鉄道株式会社が鞍山で鉱床を見つけて植民地化で発展させた鞍山製鉄所がある。ただし後の満州国建国以後もいわれたことだが中国は驚くほど地下資源がない。正確にはたくさんあるが質が悪い。鉄の含有量が約30%の「貧鉱」が中心である。

根拠2)石油は使い勝手の悪い重質油

では石油はというとドッサリ眠っているらしいのだがサウジアラビア原油を代表に吹き出す精製しやすい軽質油はほとんど見当たらなくて使い勝手の悪い重質油ばかりである

根拠3)東シナ海のガス田の将来性は悲観的

そこで日中の懸案となっている「春暁」などの東シナ海のガス田だが本当に有望なのかは謎である。まずここを採掘しはじめたというのは前述の通り石油が期待できないからであろう。だがこのガス田の開発に当初携わっていた国際石油資本のロイヤル・ダッチ・シェルと米国のユノカルは04年9月に「商業上の理由」から撤退してしまった。この行為をシェルやユノカルが日本と中国およびアメリカとの緊張が高まるのを嫌った政治的配慮とする見方があったがハゲタカのごとき歴史を誇る国際石油資本がそんな配慮をするとは思えない。文字通り「商業上」利益がないと踏んだに違いない。

シェルとユノカルと共同でプロジェクトを進めてきた中国海洋石油(CNOOC)がユノカル買収に動いたのもガス田の悲観的な将来を暗示する。そんなことをしたら米中関係が悪化するに決まっているし現に05年8月には正式に断念せざるを得ない状況だ。それでもゴリ押ししたのは良く考えても「中国に掘る技術がない」で悪く考えれば「ユノカルがいないと何も進まない」という解しか出てこない。

感情的にガス田が中間線のあっちだこっちだと揉めているのはとんだ見当違いで実は「あそこには何もない」可能性が高い。日本には何の被害もないが中国はショックであろう。

根拠4)厳しい自然条件で進まぬ内陸開発

中国の平野や盆地は国土の3割ほどしかない。内陸は山岳と砂漠が中心で大雨か乾燥かという気候である。これは中華人民共和国政府がいかに強権を振るってもどうしようもない事実である。

根拠5)人民元の切り上げは案外と深刻である

皆が楽観論を唱えているが私は案外と深刻な事態を中期には、もしかしたら短期のうちに中国経済に大打撃を与える可能性があると思えてならない。スミソニアン合意で1ドルを308円に約14%も切り上げさせられた日本に比べて小さいとはいえる。

しかしブレトン・ウッズ体制で1ドル360円の単一為替レートを1949年に決めてから22年ある。朝鮮戦争特需から計算すれば約20年の経済成長期間があり現にその間に日本は世界第2の経済大国になれた。それに比べると人民元の試練と果実の程度は案外と厳しい。

スミソニアン合意の2年後に日本は変動相場制に突入した、というかさせられた。あの時も「近いうちに固定相場にまた戻る」と多くが信じていたが変動のまま30年以上たって今日も続行中である。いったん相場を動かすとアッという間にグローバルスタンダードに引きずり込まれてしまう可能性大である。

考えてみれば満州国というロボット国家を作って満足できていたら日中戦争や仏印進駐などしなくてよかったわけで裏返せば満州国では十分な経済的果実を得られなかったから戦線を拡大したともいえる。その地と今の中国はいうまでもなく同じ場所にある。

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