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2005年7月18日 (月)

オリンピックから外れたラグビー

7月18日付『朝日新聞』によると「過去に実施された主な競技」のなかにラグビーが入っていた。そこで優勝国を調べてみると

1900年 フランス

1908年 オーストラリア

1920年 アメリカ

1924年 アメリカ

となっている。現在ラグビーが五輪競技でない理由は①体力の消耗度が激しい②すでにW杯がある、などが挙げられているが過去の歴史をみると案外とそうではないようだ。

広く知られているようにラグビーはサッカーW杯と同様にイギリスがイングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドに分裂して独自のチームで戦う。だが五輪は国別対抗である。地域での主張も認められているが独立性の強い自治領などに限られる。どうやら20世紀初頭の五輪は「イングランド」としても参加できたようだが、この辺のもつれが母国イギリスのやる気を削いだのではないかと推測する。詳しい人がいたら教えて下さい。

そして最後のアメリカの連覇も気になる。当時のアメリカはサッカーから分化したラグビーがアメリカンフットボールに変化していく、または変化を遂げた時期であり、激突にともなうケガを防ぐためにラグビーではスローフォワードとして禁止される前パスを取り入れるなどの最中であった。要するにフットボールを目指す人材が今のように完全にアメフトに集中するというわけではなくラグビールールでも十分にやっていける人材がラグビー界はもとより新進のアメフト界にも多くいたはずだ。となると今日でいえばアメフトのスーパースターがラグビーに参加しているのと似たような状態となる。「もしアメフト選手がラグビーをやったら強いだろうな」とはよく聞かれるジョークだが、ある意味で1920年と24年はそうだったわけだ。

すると母国イギリスの4地域に加えてフランス、南アフリカ、オーストラリア、ニュージーランドあたりは収まりがつくまい。そうした葛藤を経たと考えないとラグビーの五輪消滅は想像しにくい。もし24年以降も五輪にラグビーがあったら前記のようなアメフトのスターが参加するような光景が目撃できたのだろうか。見てみたかった。

アメリカが大リーガーを出さないのが五輪の野球消滅の大きな理由といわれる。だがかつてアメフトに属する選手まで五輪ラグビーに参加していて、それに嫌気した他の強豪国のクレームでラグビーが五輪から消えたとしたら大いなる皮肉といえよう

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