高校野球なんて止めてしまえ
また高校野球が始まっている。夏の大会(選手権大会)は今年で87回目。化け物のように息の長いイベントである。昨日はNHKが総合と教育の2波を使って千葉と群馬の決勝を放送していた。
私は東京に住んでいる。千葉と群馬の優勝校などどうでもいい。しかし周知のように甲子園の本大会となると地域を限らず延々と試合が「みなさまのNHK」でたれ流される。山梨と熊本の代表校同士の試合は北海道でも見られるというか見させられるのである。
大げんかを演じてみせているNHKと朝日新聞だが高校野球に関してはズブズブの癒着関係といっていい。3000万世帯のすべてを全中(全国中継)で流す高校野球の夏の主催は朝日新聞だ。以下に私の思いを述べる
1)低レベルコンテンツでカネを取るな
NHKに受信料を払っている人がこんなバカらしいコンテンツをたれ流されて平気でいるのが不思議でならない。全国レベルでさえ高校野球のレベルはプロよりもずっと低い。そのプロ野球でさえスポーツ観戦の多様化で低視聴率が続いている。
レベルが低いからエラーも続出するしスクイズのような邪道も横行する。1塁にヘッドスライディングするのは駆け抜けるよりも明らかに遅くなるのに平然とやる。エラー表示がつかないだけの凡プレーは多いどころか満ち満ちている。そのこと自体は仕方がない。だってそれしかできないんだから。
問題はそれを美談に仕立て上げることである。大エラーを「固くなったんでしょうね」とかばい凡プレーを「惜しい!」と称賛さえする。NHK視聴者が暴動を起こさないのはこうした手練手管に丸め込まれているからであろう。ひきょう者だ。
2)教育の一環が笑わせる
高校野球は教育の一環だという。ならば「1票の格差」ならぬ「1校の格差」も取り上げてしかるべきだ。特に夏の大会である。20校に満たない参加校しかない県代表と神奈川県や大阪府の代表が同じ「1校」なのは世の中には不公平があるという教育を施しているに等しい。「世の中には不公平がある」自体は正しいのでそれをまともに教えているのかといえばそうではないから偽善のにおいがプンプンする。
強豪校ともなれば勉強そっちのけで野球漬けである。だいたい春の大会(選抜大会)と夏の大会は本大会こそ春夏の休みに収まっているが予選は時にはみ出している。学校を休んでまでして参加していい課外活動があっていいわけがない。
3)アマチュアリズムなどお笑いぐさ
もはやアマチュアリズムという言葉自体が時代遅れとなっているのに日本高等学校野球連盟(高野連)はかたくなにその姿勢を崩さない。プロ野球経験者の指導者採用はいくぶん緩和されたがまだまだハードルが高い。結果としてプロにも行けなかった人達が指導に当たる。確かに選手としてはパッとしなくても指導者としては優秀ということはあろう。だが高野連には日本サッカー協会のコーチライセンスのようなものがないので能力は測りがたい。
しかも高校野球にプロはいないのかというといるのである。教員でも何でもないのに監督を務めている「プロ」が。彼らに何らかの学校の役職などを与えて対価を払えば文字通りのプロである。
プロとアマの断絶の理由を1961年の柳川事件に求めるのはやさしい。だが協定を破ってプロ野球中日球団が契約した柳川福三内野手は日本生命所属。つまり社会人野球のことである。
高校野球に打ち込む球児(この言葉も気持ち悪いね)のうちプロが本気で食指を伸ばすのは年間ほんの数十人いればいい方だ。このピラミッドのトップの一つまみのために大多数の球児がプロレベルの指導を受けられないのはどうしたっておかしい。
4)それで新聞は売れるのか
実はこれが謎。地方紙はまだまだ予選から本大会までの経緯は紙読率の高いコンテンツであるらしい(それだけ地方紙がつまらんという証左でもあるが)。だが春の大会を主催している毎日新聞は、そのお陰で紙勢が伸びているかというと大いに疑問である。主催を降りてしまって読売のように「主催は朝日、紙面は毎日」の方向にいっても部数は変わらないんじゃないかな。選抜は選手権の前哨戦の趣があるし選抜される材料である秋の予選大会は誰も見向きもしてないんだから。
余談になるが地方支局の一大イベントが高校野球の地区予選である。毎日は朝日、読売と並んで国内ニュースを共同と時事から買わないから試合すべてを記者がカバーしなければならない。で、それが無意味かというと私の場合は実に有意義だった。何しろ毎日は朝読に比べて人もいないし共同・時事からの配信も受けられないにも関わらず同じ量の紙面を埋めねばならないからスコアブック付けながら写真を撮りながら応援席に行って雑感を取りながら時に特集記事を書きながら必ずテーブルとイニングと戦評は書く。人間技とは思えない活躍を予選の最初の頃など1球場で4試合もこなしたりする。高野連は夏の時の朝日には低姿勢だが春の毎日は構ってくれない。また高野連に助けを求めるのも毎日側が潔しとしない。
人は不思議なものでやれといわれるとできるようになる。この際に身につけた基本動作は新聞社を辞めてから猛烈に役立った。
ただしこれは記者個人のスキルが上がるといっただけで紙価を高らしめているかどうかとは全然別である。
5)改革は不可能だ
まず高野連トップの歴々を一掃しなければならないが爺さまは容易に辞めない。経歴も問題ありである。たいていは昔は強かったかもしれないが今は泡沫の弱小野球部しか持たない地元の古参有名校(公立が多い)の関係者が占めている。爺さまの40年以上前の感覚で運営されている。では強豪私立の関係者に高野連を運営させればいいかというと多分メチャクチャになってしまうから救いはない。
ついでにいうと応援スタイルも古めかしすぎる。やっている本人は懸命なのであろうが何十試合も取材していると大半がマニュアル通りである。流行を取り入れるタイミングまで横一線である。かといって斬新とされる応援風景はしばしば北朝鮮のマスゲームを連想させるような代物だ。
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