10代の後半の夜間部学生時代からから約43年間、御茶ノ水、水道橋、飯田橋周辺を生活圏に。付近の映画館にはとうに閉館した「後楽園シネマ」(洋画系名画座)、「飯田橋佳作座」(邦洋名画座)、「神楽坂牛込文化」(日活ロマンポルノ)は無論、今も営業中の「飯田橋ギンエイホール」も含め飽きずに通い続けた。唯一の例外がココ。ギンレイと同じ銀鈴会館地下にあるのに、1度も足を踏み入れず。特別な理由があった訳では無い。近所だし「いつでも行ける」と考えてるうちに、あっという間に半世紀近くが経過。本連載を担当していなければ、死ぬまで入館しないで終わった可能性も高い(入館体験前には特に残念な気分じゃなかったが…)。
地下の劇場の入口はご覧の通り。筆者のような純情小心者は、前にたたずむだけで犯罪に加担した心地が(エロ本屋に言われたかねえか)。連休の谷間の5月8日、まずは周囲を念入りにキョロキョロ。女性や警官(?)が居ないのを確認後、午後3時過ぎに意を決して突撃敢行(さらば童貞!)。ケバイポスタービッシリの地下への通路をまずは直進、次いで右折すると左側に券売所、右に入口。この構造に既視感。そうだ。もう閉店したが、「神保町シアター」近所にあった、エロ漫画&DVDメッカ、「新宿書店」にそっくり。Lの字形通路はエロへも直結すると下手なシャレ。
人間様が売ってくれる入場券は、機械より何となくありがたい(3本立て900円)。若い頃は逆。特にポルノ映画館ではうっとうしく感じられた。老いると人恋しくなるのかな。驚いたのはモギリの同世代のオッサン。10年くらい前の唐十郎と瓜二つ。1000円札出して100円の釣りをもらい、「写真撮ってもいいですか?」「ああ。場内でなけりゃ構いませんよ」。サッパリしたオッサンだ(脳溢血&転倒には御用心)。階段を上がり降りして2~3枚図々しく。いよいよ館内へ。養蚕盛んなりし頃の、上州の百姓家のバラックを思わせる戸を押して入る。客が一斉にこっちをジロリ。入口の向かって左側がスクリーンなのだ。妙に生々しい視線。今、どこのポルノ映画館も男色者の発展場化するのは避けられない。伏し目がちに中程のシートの一番端に座り、隣に荷物を置く(ノンケであるとの意思表示。単身女性客の痴漢回避テクの流用)。
91年版『シティロード』によれば、本館は定員は100人と。その半分くらいに感じられたのは、暗さあるいは場内改装でも?(定員と椅子数は別とか…)椅子は決して清潔じゃなかったが、家庭用の座卓を思わせる豪華さ。フカフカで永遠に後ろに沈みそうで怖かった。驚いたのは入り。平日の昼日中に20人近くも。花の銀座のド真ん中、「丸の内東映」地下での夜の部より余程人影が多い。タイミング良く『わるいおんな』(監督・城定夫・’13新東宝)が始まる。場内は傾斜がなく、前方のハゲ&白髪頭がかなり邪魔。しかもスクリーン直前の数列は、隆起してるようにさえ見える。一層邪魔だが、あるタイプの客には却って便利。振り向いて観客を観察、気に入った者が居る方向に移動する一助に(………)。上映中の同性愛者の回遊行為は、全国のどこの映画館でも盛ん。落ち着かないといちいち立腹していては、今ピンク映画の鑑賞は不可能だ。
尿意を感じ始めたが、後方にあるらしいトイレ(推測)に行く勇気はとても。上映中のトイレこそ、“発展実践現場”そのもの。休憩時間ならそう危険ではない。が、ピンク映画は1時間前後で(長いと映倫の審査料が跳ね上がるためと)、3本休みなく連続上映するのが常。こらえ性のないノンケ初老爺さんも、最低3時間は耐える宿命だ。無論、上映作品が水準なら苦痛ではない。ただこういう時に限ってアレなのは、中高年者なら体験的にご存知のはず。『わるい~』、監督が兼ねてる脚本には種々工夫もあるのに、肝腎の台詞がほとんど聴き取れない。おまけに照明がずさんで画面が真っ暗。濡れ場でも主演のめぐり嬢の巨乳がほとんど見えない(怒!)。老いぼれの身への皮肉めいた尿意・難聴・視覚障害のトリプル攻撃に、やむを得ずに1本のみで退館。
急な階段を昇ると、自称右翼の暗愚売国安倍マザコン総理が大将を気取る、21世紀日本の神楽坂の夕暮れ。総人口数の推移からして、2度と夜明けなど訪れはしない(キッパリ!)。ハレンチ親馬鹿史観に汚染された愛国者気取りの愚者には、それが正視出来ない。考えれば安部根馬鹿総理を筆頭とする、痴呆低能三代目集団ほど幸福な輩はこの世に存在しない。戦地での血肉まみれの戦闘も、無論お前ら一族だけに独占的に委任する。遠慮しないで勝手にね!(塩山芳明)
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